27(焚き火)
ふんだんに灯りを使って夜を楽しむ貴族とちがい、農村の就寝時刻は早い。打ち合わせが終わると、一同は早々に解散して、それぞれの居場所に移動していった。
サンガとテグは連れ立って帰ったが、ゼムとマージはドニーともども泊まっていくことにしたようだ。どっかりと重しのようにすわっている兄を動かすのが、面倒になったらしい。
エセルシータ姫のための寝室は、以前ラキスも泊まったことのある部屋だった。コボルトとの共同作業ですでに掃除がすまされて、低いベッドには、家じゅうで一番ましな布団と二番目にましな布団とが重ねて置かれている。
ちょうど麦わらを詰め直したばかりだったのだと、ルイサがほっとしたように話していた。
それでも、ふだん天蓋つきのベッドと羽根枕で寝起きしているお姫様には、戸板と変わりないようなベッドに見えることだろう。こんなところで、はたしてちゃんと寝つけるのだろうか──。
ラキスはひそかに案じたが、それは杞憂というものだった。姫はふらふらとベッドに近づくやいなや、就寝の挨拶もそこそこに横になった。立っていられないほどの眠気に襲われたらしい。
無理もない。婚儀の場から連れ去られるという激動の一日で、疲れ切ってしまっただろうし……それにおそらく、昨夜だって眠れなかったにちがいないのだ。
ラキス自身は当分寝るつもりはなく、コルカムの昔馴染も同じ気持ちでいるだろうとわかっていた。ゆっくりと食事をとれたおかげで疲労はかなり回復したから、ややこしい話であっても、いまなら耐えられそうだ。
エセルの寝室から居間に戻ると、意外なことに、とっくに寝ていると思ったチャイカがまだ起きていた。ろうそくの数をぐっと減らして薄暗がりになった部屋で、ディーにくっつき、熱心に何かを見せている。
目をこらしてみると、少女の小さな手が握りしめているのは、柳の小枝でつくった馬のおもちゃだった。
ラキスがこの家の屋根裏に身をひそめていたときにつくったものと、よく似ている。もしかすると、あれをまだこわさず大事に持っているのかもしれない。
ラキスの視線に気づいたディーが、ちらりと頭を動かすと、顎で玄関のほうを示した。ここでは自由に話せないから、外に出ろと言いたいようだ。そのあと、チャイカに向かってこんなふうに言うのが聞こえた。
「今日は遅いから、もう遊べないんだ。明日になったら、その馬の友達をつくってやるよ」
「おともだち」
「ああ」
「いまつくる」
「いまはねんねの時間だ」
ルイサが寄ってきて、あきれながら子どもの腕をひっぱった。
「ほら、いつまで起きてるんだい。子どもは早く寝なきゃ。使い手さん、あんたもそろそろ寝たらどうかね。布団の用意はしてあるよ」
ディーがなめらかな口調で、気遣いはうれしいが、しばらく外で見張りをするつもりだと答えた。
「まあ、仕事熱心だねえ。助かるよ」
ルイサは、炎の使い手の仕事ぶりに感心しながら、子どもを引きずって離れていった。
星月夜だと思っていたが、薄雲が月をまだらに覆い、月光だけで話すことはできそうもない。
玄関に近い前庭で、二人は小さな火を焚いて、相手の顔を確かめられるだけの明るさを確保した。
丸太をぶつ切りにした腰掛けが、いくつか置かれていたので、すわるにもちょうどいい。何しろ二人のうちの片方は、背中の翼がつっかえて地面に胡坐をかくことができないのだ。
ルイサは、自分たちを守ってくれるのが使い手の仕事なのだと受け取っていたようだが、実際はむしろ、その逆のはずだった。火のそばにたたずみ、長い枯れ枝を焚き木用にへし折りながら、ラキスが低く問いかけた。
「いいのか、あんなに親しくなって」
椅子に腰かけ、焚きつけの小枝を火にくべていたディーが、目を上げる。その視線を受けとめると、さらに言った。
「ジンクたちを捕えることが、おまえの仕事なんだろう。もちろん、おれのことも」
「……まあな」
焚き火に照らされたディーの顔に、冷ややかと言っていいような笑みが浮かんだ。
「だが、そんなに急ぐこともない。その前にやってみたいこともあるしな。たとえば、その翼を切り落とすこととか」
ラキスが、枝を折る手を止めた。ディーは、小枝の先と先が組み合うように、中心に向けて立てていきながら、平然と続けた。
「目が慣れてくると、翼つきもなかなか似合ってるぜ。でも、それがあるとやっぱり邪魔だろ? 切ってみたらどうだ。案外、痛くないかもしれない」
「そんなに目障りか」
ラキスの声が、焚き火のあたたかさとは正反対の、剣呑な響きを帯びた。
「そういうばかげた差別を、おまえがいまだに続けてるとは思わなかった。しばらく会わないうちに、子ども時代に逆戻りってわけか。それでよくチャイカと話ができたものだ」
「持って生まれた特徴を、とやかく言うつもりはない」
かつてコルカムで、同居の子どもを威勢よく拒否した若者が、落ち着いた声で言い返す。
「あの子の翼は、生まれついての授かりものだ。だが、おまえのそれはちがう。単に土地の瘴気につけ込まれただけだろう」
「単に……?」
ディーはうなずいてから、自分の感想をつけ加えた。
「勇者様だのなんだのと持ち上げられていた奴が、情けない」
ラキスは性格上、こういう場合にすぐ怒鳴ったりはしなかった。息を吸い込み、とりあえず怒気をなだめてみようとした。
「他人事だと思って、簡単に言わないでくれ。おまえも体験してみればわかる。あれはつけ込まれたなんてものじゃなかった。本当にすごい勢いで地面から……」
「これで二度目だな」
彼の努力を無視するように、ディーがさえぎった。
「え?」
「エセル姫から、おまえとインキュバスの経緯を聞かせてもらったよ。本体に取り込まれて同化してたんだって? もっともそのおかげで、川に落ちても命拾いしたらしいが、それにしてもつくづく──」
「……つくづく、なんだ」
「つくづく、魔性に対してあっけない。要するに隙だらけなんだよ、おまえは。生きる気力が足りなくて隙ができるから、何度も乗っ取られるはめになるんだ。インキュバスから解放されて、少しはましになったかと思えば、かえって前より悪く」
ディーは言葉を切った。努力する気をなくしたラキスが、手にしていた長い枝を投げてよこしたからだ。
「マリスターク城の続きを、ここでやらないか?」
足元に置いていた別の枝を拾い上げると、ラキスはその先端で相手に狙いをつけた。
「気力が足りないかどうか見せてやる。来いよ」
「この枝で?」
「おまえを斬れる剣がないんだ。召喚なんてしなきゃよかった」
エセルから召喚の話もおおよそ聞いているらしく、ディーはその点を問い返そうとはしなかった。受け止めた枝をなでながら、こう言った。
「やめておいたほうがいいぜ。また、おれが勝つ」
「あのときは、怪我させないように気を遣ってやったんだ。今度は遠慮しない。何が気に食わなくて突っかかるんだか知らないが、マリスタークでチャラチャラ雇われてるような奴に、負けるわけがない」
ディーが立ち上がると、持っていた枝を地面に落とした。剣を抜くのかと身構えたとたん、いきなり手を伸ばしてラキスの胸ぐらをつかみ、引き寄せた。
「そういう気概を、相討ちにときになぜ持たなかった」
「相討ち……?」
「王城付き討伐隊の兵士たちから、話を聞く機会があった。みんな言ってたぜ。あのとき、勇者様が剣を突き刺すタイミングが早過ぎた。もう少し崖のほうに戻っていれば、助かったかもしれないってな」
「……」
「エセル姫が下にいたから、とどめを刺すのをあせったんだろうとも言っていた。だが、ちがうよな? おまえの腕ならタイミングをずらすことくらいできたはずだ。それをしなかったのは、生きのびる気がなかったからじゃないのか」
「ちがう。そんなふうに命の無駄使いをしたりはしない。あのときは、あれしかやりようが……」
「無自覚か。なおさら、たちが悪いな」
ディーの手に力がこもった。
「どうせ、姫が手に入らないならあとはどうなってもかまわない、とでも思ったんだろう」
「思ってない。離せよ」
「なんで、そう簡単にあきらめるんだ。なんでもかんでもあきらめて、それで自分はいいかもしれないが、姫様が気の毒だとは思わないのか? 少しは姫様の気持ちも考えろ」
「離せ!」
つかみ上げてくる手をもぎ離すと、ラキスは持っていた枝の先をディーの喉元に当てた。そうして相手を黙らせてから叫んだ。
「考えてる。考えずに道を選んだことなんて、一度もない。おまえに何がわかるんだ。結局のところ一族に守られて、生活の心配ひとつせずに暮らしてきた、おまえなんかに」
それ以上の暴言を叫ぶ前に、ジンクの家の玄関扉が勢いよくひらいた。暗がりの中に走り出てきた女の子が、負けじと大声で宣言した。
「チャイカも遊ぶ!」
追いかけてきたルイサが、これまた大声で子どもに教える。
「馬鹿だね。あんな遊び、全然楽しくないよ」
「楽しくない?」
「寝るほうがずっといいに決まってる。さあ、ベッドに行くんだよ」
子どもの襟首をつかみながら、中に戻ろうとしたルイサが、ふいにこわい顔つきで若者たちのほうを振り向いた。
「二人とも友達なんだろ。仲良くしなきゃだめじゃないか」
彼女の息子のゼムは、ちょうど二十歳を過ぎたあたりの年齢だった。同じ年頃の若者たちを前にして、忠告せずにはいられなかったようだ。
「ディー。あんたは夕食前に話したときの感じだと、本気でラキスを心配しているように見えたけどね。あたしの思い違いかい?」
「……」
「ラキス。あんたは昼間もお姫様とけんかしてたっていうじゃないか。素直じゃない子は、結局損をするんだよ。知らないのかね」
「……」
「若い子ってのは怒りっぽいんだねえ。少しはうちのゼムを見習うといいよ」
自慢の息子を引き合いに出して話を締めくくると、彼女はやれやれと呟きながら、子連れで家に戻って行った。




