25(ジンク宅)
夕闇に沈んだ集落の中で、頭領の家の窓辺が、あたたかな橙色に浮かび上がって見えている。夜間は閉める鎧戸を、開け放したままにしているらしいが、それにしてもいつもよりやけに明るかった。
日頃は節約しているろうそくを、盛大にともしているのだろうか。大人数が集まっている気配があるから、寄り合いをしているのかもしれない。
皆から歓迎されるとは思えなかったが、ラキスはかまわず舞い降りていくと、玄関扉に手をかけた。遠慮などしている暇はなかったし、さすがに中で休ませてもらいたかった。
今日一日で、ひと月分も飛びまわったような気がする。寝床を求めるくらいのことはしてもいいだろう。
そう思いながら、彼はノックもせずにいきなり玄関扉を開けた。そして、そこで棒立ちになった。
開けてすぐのところにある広い土間には、長テーブルが並列していて、あたたかそうな料理の皿や鉢、コップや水差しなどがおかれている。おなじみの村人たちがそこに集まり、全員がただいま食事の真っ最中だ。
家の主であるジンク夫妻とチャイカ、ゼムとマージ、聖堂乱入組のサンガとテグ。マージのかたわらには兄のドニーの姿もある。
そこまでは予想通りだったが、中心の席にいるのがエセルシータ姫だという事実は、完全に予想を超えていた。しかも、そのとなりには、コルカム時代からの幼馴染が平然とした顔で並んでいる。
ラキスは反射的に、開けたばかりの玄関扉を勢いよく閉めた。扉の取っ手を握りしめたまま、なんとか気を落ち着けようとした。
いまのは、幻? そうか、疲労のあまり幻覚を……。
だが落ち着く前に、またもや勢いよく扉がひらいて、突っ立っていた彼をはじき飛ばした。出てきたチャイカが、口のまわりを脂だらけにしながら笑った。
「ラキスさま」
強引に中に引き込まれると、こちらをみつめていたエセル姫が、ごくあたりまえのような様子で声をかけてきた。
「遅かったわね。待ち切れなくて先にいただいてるわ」
「なんでエセルがここに……マリスタークに行ったとばかり」
「行こうとしたけど無理だったの。わたし、リドから落馬してしまって」
「ら、ら、落……」
ラキスがよろけると、彼女はあわてて言い足した。
「大丈夫よ。ありがたいことに、直前でディーが駆けつけて助けてくれたの。ディーってとてもいい人ね。敵だなんて思い込んでて悪いことしたわ」
「……」
「それでわたしたち、お友達になることにしたの。あなたったら、どうしてディーのことを早く教えてくれなかったの? 紹介もしないなんて、ちょっと失礼じゃないかしら」
早くもお友達の座を獲得したらしい、腐れ縁の幼馴染が、「失礼だ」とうなずいた。ラキスは彼に向けて怒鳴った。
「失礼なのはどっちだ! 剣を振ってきたくせに」
「ほんのはずみだ、気にすんな」
「だいたい、なんでおまえまでここにいるんだよ」
「なんでって」
腐れ縁は、そんなこともわからないのかというように、肩をすくめてみせた。
「いまが夜だからさ。馬車もないのに姫様を連れまわしたり、野宿させたりするわけにはいかないだろ。泊まれるところといったら、ここだけだ」
「リドは」
「逃げた」
あの駄馬、と、ラキスがうめいた。麦酒らしきものをあおりながらチーズに噛みついていたジンクが、大振りの木製コップを置くと会話に割り込んできた。
「まあすわれよ、若いの。おまえの分はちゃんと取ってある。遅れたからって遠慮しなくてもいいぜ」
見ると、テーブル端の席が一つ空いていて、皿には食べ物が取り分けられている。あぶった肉のそぎ切りはやわらかそうで、適度に焦げた脂身が食欲をそそった。燻製ではなく家禽をさばいて調理したらしい。
ビスケットでもオートミールでもない、ちゃんとした雑穀パンが添えられて、なんとバターまで塗った形跡がある。姫君をもてなすために、精一杯の贅をつくして用意した献立なのだろう。
それをわざわざ一人分取り置いてくれたなんて、これもまた予想外の待遇だ。
「さっきはすまんかったな、剣をよこせなんて言って」
すでにいい気分が出来上がっているらしいジンクが、率直に詫びの言葉を入れてきた。父親ほど飲んでいないゼムが、訥々とした言い方ながらも補足を加えた。
「おれたち、使い手って奴のことをちょっと誤解してたよ。つまりその、噂話を鵜呑みにしちまってたんだ。あんたが言い出しにくかった気持ちもわかるぜ」
召喚直後に冷たい態度をとったことを、どうやら本当に反省している様子だった。
その後ラキスは、用意された席にありがたく腰をおろして、ひたすら食べることだけに専念した。姫君と離れなければと思ったのはたしかだったが、もう一度外に出るほど馬鹿なわけではなかったのだ。
それに、料理を目にしてはじめて気づいたのだが、とんでもないほど空腹だった。何も食べずに飛ぶことなどできそうもない。
ひとこともしゃべらずに食べていても、まわりの人々がにぎやかに──あるいはうるさく──ことの次第を教えてくれた。それによると、先に到着したエセルとディーが、魔法剣に対する村人たちの反感を、協力して解きほぐしてくれたとのことだった。
まずエセル姫が、魔法炎の価値について説明し、炎を召喚した若者にこれっぽっちも悪気はないことを訴えた。次にディーが、自分自身が炎の使い手であることを明かしたうえで、一同に害を加える気持ちは爪の先ほどもないことを、創星の神に誓ってみせた。
それから二人そろって、こう明言したらしい。翼があろうとなかろうと、生粋であろうとなかろうと、村人たちがれっきとした人間であることに変わりはない。それは天に星があるのと同じくらい、あたりまえの真理なのだと。
レントリアの第三王女とステラ・フィデリスの使い手。彼らが同時に本腰を入れれば、村人たちを説得するのもさぞ簡単だったにちがいないと、ラキスは思った。さすがの魅力、そしてさすがの手並みと言うべきだろう。
食事中、エセルシータ姫は、数えるほどしかラキスと目を合わせなかった。彼女は彼女なりに、相当な決意を持ってリドにまたがり、飛び去っていったはずだ。そうした決意をなかったことにして、何ごともないように雑談することはできないと、心に決めているらしい。
視線を合わせたわずかな間に、ラキスは彼女の心の声を、こんなふうに聞きとった。
──いまは恋愛問題なんかに関わっているときじゃないわ。大事なのは、あなたやジンクさんたちをどうやったら無実にできるかということなの。結婚話については、しばらく棚上げ。協力してくれるわね?
まわりでは、小さなチャイカがスープ皿に顔をつっこんだり、陰鬱な顔のドニーが、意外にも旺盛な食欲で肉を口につめこみすぎたり、ジンクが追加の酒を要求して、妻に断られたりしている。
こんな場所で、協力する以外の何ができるだろうか。
ちなみに、姫のとなりにすわっているディーは、村人たちと知り会ったばかりであるにもかかわらず……しかも毛嫌いされていた使い手という立場だったにもかかわらず、あきれるほど人々の心をつかんでいるようだった。
とくにルイサやマージ、ついでにチャイカは、たいへん女らしい感覚でそれを口に出した。
「使い手ってのがこんなにかっこいい人たちなら、もっといっぱいうちに来てもらってもいいねえ」
「ほんとほんと。目の保養ってやつだよね、お義母さん」
「王子さま、ふたり」
ラキスは、かつてセレスティーナ姫に評されたこともあるように、自身の外見について謙遜の度が過ぎた若者だった。だから、ルイサたちの言葉が複数をさしていることにはぴんとこなかったのだが、ディーが受け入れられていることだけは、とてもよくわかった。
村の男衆が不満げな顔でぶつぶつ呟き、女たちに軽くいなされている。彼らの言い合いを聞いていたエセルが、食べる手を休めておかしそうに笑う。
食卓には、奮発していつもの倍のろうそくがおかれていたが、彼女の笑顔は、新しいろうそくがさらに追加されたかのようにまぶしい。
テーブルから少し離れたところには、土間に直接切られた石の炉があり、大きな五徳の上に置かれた大鍋から、いまだにいい匂いの湯気が立ち昇っていた。スープの具が少ないのは当然としても、まだ残りがありそうだ。
ここに戻らずに、あのまま森の上を飛び続けていたらどうなっただろうと、ラキスはふと考えた。
大切な人たちと再会することもなく、あたたかな食事とも無縁なままだったのだと、ぼんやり思った。




