22(ディー)
馬にくくりつけられた護衛兵の荷物の中には、携帯用のランタンと薄い毛布が入っていた。
火打ち金から生まれた小さな火花が、ランタンの中でふくらんで、向き合っているふたりの顔をほんのりと照らし出す。
エセルは、折りたたんで厚みをつけた毛布の上に腰をおろしていた。ディーという名の衛兵は、姫に毛布をすすめたあと、自分は地面に直接すわって胡坐をかいた。
はじめに質問の口火を切ったのは、当然のことながらエセル姫のほうだった。ラキスとの関係も聞かずに会話する気にはなれなかったからだ。
本来は長い話なのだろうが、ディーの答えは簡単かつ明瞭だった。
自分が八歳のときコルカムにある遠縁の家に引き取られ、そこではじめて六歳のラキスに出会った。不幸な事故で養父母が亡くなるまでの三年あまりを、コルカムでともに過ごした。
その後はいったん別れたが、使い手を養成するためのコレギウムでふたたび出会い、さらに二年近く同じ寄宿舎で暮らしていた……。
「つまり」
と、護衛兵にして炎の使い手である若者は、自分とラキスのつながりについて総括した。
「わたしは彼にとって、五指に入る程度には親しい間柄の人間だと思いますよ。まあ、ここ何年かは会っていませんでしたけどね」
エセルは、にわかには信じることができなかった。少年時代をラキスとともに過ごした人がいたなんて……そしてその人にこんなかたちで出会うなんて、考えもつかないことだったのだ。
「でも……それじゃどうして昼間あんな態度をとったの? ひどいわ。あなた、彼を浄化しようとしたじゃないの」
一度抱いた敵意をどうすればいいのかわからず、エセルが反論した。するとラキスの幼馴染──本人いわく──は、神妙な顔で謝罪した。
「あのときは、姫様の保護もせずに大変な失礼を。あいつの翼を見たとたんに、思わず任務を忘れてしまいました。どうせやすやすと魔性に入り込まれたんだろうと思ったら、ものすごく腹が立ちまして」
ものすごく、という言い方に真実味を感じたが、まだ納得するわけにはいかなかった。
「領主館の庭では、本気で捕えるつもりだったように見えたわ。彼と打ち合って剣をはね飛ばしたりして」
「ああ、あれは」
こともなげな口調でディーが答えた。
「あいつの行動を止めるために、やむなく。幼馴染が目の前で殺人犯になるなんて、楽しい出来事とは言えませんからね」
次期伯爵が見ていた手前、他人のふりをして捕えようとしたのだと彼は説明した。なぜなら、そのほうがあとあとやりやすいからだ。たとえば逃がすときなどに。
「じゃ……じゃあラキスもそんな理由で演技していたということ?」
「いえ。彼が反撃してきたのは、本当にわたしが邪魔だったからだと思います。斬るつもりはなくても、どいてもらいたかったんでしょうね」
ディーは軽く肩をすくめた。
「ただ……たぶん、わたしを巻き込みたくなかったから、名前を呼んだりしなかったんじゃないかな。衛兵にとって、侵入者と知り合いってのはあまりいい話じゃないんですよ。手引きしたと思われかねませんので」
エセルは、目をみはりながら彼の言葉を聞いていた。あの緊迫した場面で、二人同時にそんな判断を下していたとは──。
彼女は、あらためて目の前にいる人物をよくよく観察してみた。
切れ長の瞳は聡明そうで、表情は落ち着いている。胸に届くあたりまで伸ばした髪を、束ねもせず流れるままにしているが、だらしない感じはまったく受けない。貴族的な礼儀作法もきちんと身につけているようだ。
それでいながら、無頼と言いたくなるような雰囲気をまとっているのが印象的だった。領主館で最初に挨拶してきたときも、印象の強い護衛兵だと思ったが、戸外の自由な風の中ではそれがさらに強まっている。
ラキスといっしょに少年の日々を過ごした人。ラキス自身の口からは聞けなかった過去の時代を、この人は知っている。インキュバスの中にいたあの男の子ではなく、現実に生活していた小さな子どもを知っている……。
「コルカムで暮らしていた人に……会えるとは思わなかったわ」
吸いつけられるように彼をみつめながら、エセルが呟いた。視線を受けていたディーが、苦笑しながら応じた。
「いくらわたしをご覧になっても、ラキスは出てきませんよ」
「あ、ごめんなさい」
「昔の話をしてさしあげたいところですが、あいにく長居できる場所でも時間でもない。申し訳ありません」
「そうよね……」
エセル姫は素直に認めた。
「でも、聞きたいわ。コルカムではつらいことがたくさんあったと思うけれど……ラキスがどんなふうに暮らしていたのか。どんなふうに育てられたのか」
するとディーは、わずかに声の調子を変えてこう答えた。
「──愛されて育ちましたよ」
なつかしい日々を思い出しているのかもしれない。おだやかなやさしい口調で、言葉をついだ。
「愛されて守られながら育ちました。普通の子どもたちがそうされているようにね。養父母にとっても、それがあたりまえだったんだと思います」
「………」
「たしかに事故のあとは苦労したこともあったでしょう。でも……少なくとも事故が起きるまでの八年間は楽しく暮らして、それは何にも代えがたいものだった。だから、あそこが彼にとって悪い場所だったとは思いません」
エセルが、はずしていた視線を戻してディーをみつめると、彼は微笑した。
その微笑は、かつて王城の中庭でラキスが見せたやさしい表情を、彼女に思い起こさせた。
短い言葉で故郷について触れたとき。王城の井戸のそばで、貧しい村で貧しく育ったのだと教えてくれたときの、大切なものを愛おしんでいるような、明るいほほえみ。
「……わかる気がするわ」
エセルは、ゆっくりとうなずいた。
ディーの言葉が、胸の奥深くに沁みていくのを、感じとっていた。




