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ひとふりの剣にやどった炎の芯が、それを成しとげた若者の顔を淡く浮かび上がらせる。若者は、はしばみ色の瞳に満足感をたたえながら、じっと炎をみつめている。
その様子を、エセルもまた魅入られたような気持ちで、言葉もなく見守っていた。これが召喚……。
聖なる炎が地底にあるということを、彼女は王家の娘として、ほかの人々よりもよく知っていた。剣から噴き出す炎の姿も、すでに何度も目にしたことがあった。
それでも、大地から呼び出される瞬間をこうしてまのあたりにしてみると……しかもそれを成したのが、ただひとりの人であることを思うと、なおさら心をつかまれずにはいられなかった。
彼女がこの場に立ち会うことができたのは、頭領の息子のゼムが、ラキスの様子を知らせに戻ってきてくれたおかげだ。
何かただならぬことが起きているにちがいない。話を聞いた彼女は、ラキスのあとを追うために、目前だったジンク宅から回れ右して走り出した。ジンクやゼムをはじめとする村の男たちも、姫をひとりにするまいと、彼女について走りはじめる。
その間、ラキスのほうは炎の行方に振りまわされ続けていたのだが、右往左往することで、実はエセルたちのいる方向にかえって近づいていた。
それで、ちょうど彼が剣を地面に突き刺したあたりで、一同は同じ区域に立つことができたのだった。
だが、それがはたしてよかったのかどうか。立会人となった村人たちが見せた反応は、残念ながらエセルの思いとはまったくちがったものだった。
まず地面が光り輝いた時点で、サンガやテグ、ビルなどがいきなりその場に尻もちをついた。エセルにはほとんど伝わらなかった衝撃を、なぜか過剰に感じとったらしい。
ジンクは、頭領の面目にかけて腰を抜かしたりしないと思ったのか、横にいた息子を杖代わりにしてなんとかこらえた。
ゼムは両足を踏ん張って立ち、ラキスが剣を鞘におさめる様子を黙りこんでみつめていた。そして、こちらを向いたラキスと視線が合うと、友好的とは言いがたい口調でこう呟いた。
「使い手だったのか……。なんで言わねえんだよ、ずっとかくしてたなんて……」
自分たちが何ごとも包みかくさず暮らしているため、裏切られた気分になっているらしい。なじるような声の響きも、かくしようがなかった。
エセルは、はっとしてゼムを見やり、ついでラキスのほうに目を向けた。
かすかに紅潮していた若者の顔から急速に熱がひいて、表情が抜け落ちていくのがわかった。聞きたくなかった言葉なのだろう。
エセルはあわてて口をはさもうとしたが、それより先に、息子を押しのけて前に出てきたジンクがしゃべり出した。
「その剣をよこせ」
黒ずんだ指先の右手を突き出しながら、うなるように言う。
「そんな物騒なもの、持たせちゃおけねえ。おれがあずかっておくから貸しな」
ラキスは出された掌をみつめて口をひらきかけたが、結局は無言のままでため息をついた。それから村人たちを見まわして、ゆっくりと言った。
「あんたたちの前では絶対に抜かない。約束する。だが、渡すことはできない。これは……おれの剣だ」
ジンクはしばらくの間、返事をせずにラキスをにらみつけていた。それから鼻をならして「ふん、勝手にしろよ」などと呟きながら、エセルのほうに向きを変えた。
「そんじゃお姫様、早いところ帰りましょうぜ。灯りを持ってこなかったから、これ以上暗くなったら歩けねえや」
尻もちをついていた面々も、なんとか自力で立ち上がり、一同は来たときとはうって変わった静かな態度で帰路につきはじめた。
頭領が振り向き、魔法剣をたずさえた相手に、気のない様子で言葉を投げた。
「ルイサやマージが夕飯の用意をしている。おまえの分もあるから来いよ。閉め出したりしねえから安心しな」
彼らは飛行して帰ったほうが楽なのだろうが、エセル姫を吊り下げるよりはいっしょに歩くべきだと思っているらしい。けれど姫君がいま一番したいのは、帰ることではなく若者とふたりだけになることだった。
「先に行っていてもらえる? 彼と話がしたいの」
足を止めて希望を伝えると、ジンクはさからわずにうなずき、一同を引き連れて離れていった。
ラキスもさからわなかった。早く帰らなければ、などとは言わず、ただエセルの横にたたずんで、遠のいていく黒い翼たちの後ろ姿を眺めていた。
エセルは彼に寄り添うと、あたたかな口調で話しかけた。
「魔法剣を手に入れたのね」
澄んだ瞳で彼を見上げて、自分の正直な気持ちのままにほほえんだ。
「おめでとう。あなたの剣だわ」
村人たちの反応がどうであれ、彼がいま、かけがえのないものを手にしたのはたしかなのだ。
エセルをみつめ返したラキスが、目元をなごませて素直に応じた。
「ありがとう」
「炎の召喚……はじめて見たわ。すばらしかった」
「本当は儀式なしにやるもんじゃないんだけどね」
儀式をへずに召喚しても「炎の使い手」という名称はあたえらず、社会的な地位は得られない。
ふたたび「はぐれ剣士」と呼ばれる立場になった若者は、苦笑すると、めずらしく自分から語りはじめた。
「はじめて召喚したのは、まだ十二歳のときだった。いまと同じように、やっぱりひとりで勝手に召喚したんだ」
「たった十二歳で……」
「さすがに衝撃に耐えられなくて、成立すると同時に失神したよ。当時面倒をみてくれていたおかみさんが、さがしに来てくれなかったら、凍え死んでたかもしれないな。冬の夜だったから」
「……コルカムの冬ね」
エセルが呟くと、ラキスは驚いたのか、わずかに瞳を見開いた。それから否定せずにうなずいた。
「そう……コルカムの冬だ」
彼の口からその地名を直接聞いたのは、はじめてだった。エセルは次の言葉を待ったが、続く気配がなかったため、自分から話題をつなげた。
「あそこの冬は寒いんでしょうね。都よりだいぶ北だもの」
ラキスが、ふたたびうなずいた。
「そうだな。でも荒れた土地ではなかったよ。気候がおだやかだし作物も魚もよくとれるから、けっこう住みやすいところじゃないかな……生粋の人たちにとっては」
「あなたには?」
それは、思い切って一歩踏み込んだ問いかけだった。
エセルはずっと、彼がすすんで話してくるまでは過去のことに触れたりしないと、心に決めていた。けれど、ラキス自身が踏み込んだいまなら、たずねてもいい気がしたのだ。
「よかったら……わたしに聞かせてもらえる? コルカムでどんな暮らしをしていたのか。どんなことを思っていたのか……」
「長くなるよ」
と、ラキスが言った。
「長くてもいいわ」
「それがよくない。おれがエセルに一番話さなきゃいけないのは、コンラート・オルマンドの罪についてだ」
エセルは、別世界の出来事をいきなり突きつけられた気がして、たじろいだ。
「そんなこと、いまは……」
思わず抗議するような声をあげたが、言いつのることはできなかった。ラキスが、ひどく真摯な目をして彼女をみつめていることに気づいたからだ。
「殺人の話を信じてくれる?」
「………」
「そうだな……信じるなんてすぐに言うより、信じないって言うほうが、ずっとエセルらしいと思うよ。でも……」
少し言葉を切ってから続ける。
「その話を信じられないなら……そして女王陛下がそれを信じてくれないなら、あの男はエセルの結婚相手のままで、エセルはあいつの未来の妻だ。だとしたら、あんたはおれの身の上話なんかを聞いていられる立場じゃないってことになる──ちがうか?」




