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17(魔法炎)

 あのときもそうであったように、地底の熱い塊は、ひとところにとどまってはいなかった。

 ゆるゆると動いたかと思うと、急に驚くような速度で遠ざかる。直進したかと思えば旋回する。沈み込んでは浮かび上がり、浮かび出てはまた沈む。

 

 無意識のうちに足が動き、少年時代と同じように、ラキスは走り出していた。ジンクの家の庭先にいるときから、とぎれとぎれに感じていた、不可思議な感覚。あまりにも微小すぎて確認できないままでいたが、もう、まちがいない。

 魔法炎だ。まさかこんなときに、こんなところで、ふたたび出会うことになろうとは……。


 生まれてはじめて炎を目にしたときの興奮が、時を飛び越して彼の身の内を駆け抜けた。コルカムの村人たちの喧騒が耳の奥でよみがえり、あざやかな色彩がまぶたの裏にひるがえる。

 誰もがみんな興奮していた。小柄だった少年は、人だかりの向こう側をひとめ見ようと、大人たちの間から必死に首をのばしていた。



 向こう側では、魔物狩りで名高いギルドから派遣されてきた剣士が、魔法のつるぎをふるいながら闘っている。

 だが、前で陣取る大人たちが大きすぎて、背伸びをしても位置を変えてもさっぱり見えない。ただ声援や歓声に混じって聞こえる、声高な感想のおかげで、様子だけはなんとなく伝わってきた。


「すげえ……ほんとに剣から炎が飛び出してるぜ。いったい、どういうからくりなんだ」

「からくりなんかじゃねえよ。あの剣は大地とつながってるっていうじゃないか」

「ケルピーもかなり弱ってきてる。さすがは炎の使い手様だ」


 木立にかこまれた窪地の奥の、荒れた古池。忌わしい魔物が退治される瞬間を、安全に見物することができる場所は少なかった。

 その少ない場所に、威勢のいい村の男たちが寄り集まって、人垣をつくっている。少年のために隙間をあけてやろうなどという人は、もちろんいない。


 ふいに思いついて身をかがめると、ラキスは前にいる村人の脇の下から無理やり頭を突っ込んだ。すると視界が急にひらけ、猛り狂いながら水上を駆ける一頭の馬と、池のほとりで迎え討つ剣士の姿が目に飛び込んできた。

 弱ってきていると言われながらも、馬は沈む気配も見せず、まだ激しく水面を蹴り飛ばしている。

 あれがケルピー……何人もの村人たちを古池の底に引き込み、むさぼり喰った、魔性の馬。


 農耕馬にそっくりの外見なのに、あの馬が棲みつくのは馬屋ではなく水の底。食べるのは飼い葉ではなく、人の肉と骨だけだ。

 しかも、肉と骨以外の部位を喰い残すという習性があったから、食事が終わったあとの池には、いつも不定形の遺物だけが浮かび上がることになる。

 恐怖のあまり、村人たちはここひと月近く、日々の活動がまったくできていなかった。

 最低限の農作業さえ手につかず、真冬にそなえた薪の確保もしていない。ふるえあがりながら、苦しい毎日を送り続けていたのだが……。


 でも、そんな日々も今日までだ。剣士様が、もうすぐあの化け物をやっつけてくれる。

 そう思った刹那、闘いながらも自信に満ちた様子の壮年の剣士が、勢いよく魔法剣を突き出した。

 白銀の炎が噴き出し、水上を突っ走って標的に向かう。猛る水棲馬の全身を包みこみ、一瞬のうちに燃え上がる。水のおもてが炎を映し、やはり白銀に燃えながら、舞い散りはじめた浄化の火の粉を受けとめた。


 村人たちの間から歓声があがり、「勇者様!」と叫ぶ村長の声が響いた。多数の声が同じように勇者様とくり返す。

 けれどラキスは、その連呼には加わらず、浄化の終わりを待つことさえせずに、きびすを返して走り出した。走りながら胸の中で別の言葉を叫んでいた。

 あれだ。地面の下にあるのは、やっぱりあの炎だったんだ。

 実際の魔法炎を見た瞬間に、自分の内部ですべての感覚がつながったような気がしていた。



 その感覚に気づいたのは、ケルピーが村に出没する数日前のことだった。

 養い親だったカイルとリュシラ夫妻が、同時に命を落としてから、数えて四年の月日が流れている。八歳で孤児になったラキスは、夫妻が日頃から親しくしていた村人たちの家を、順番にまわりながら成長していた。

 まわりながら、というより、たらいまわしにされながら、という言い方のほうが適切かもしれないが。


 そのとき厄介になっていた家は数件目の引き取り先だったが、家の裏手はあまり人が立ち入ることのない丘だった。その丘のふもとをうろうろしていたときに、突然、いままで一度も感じたことのないような、ふしぎな気配を感じとった。


 なぜうろうろしていたかといえば、妙なコボルトを追っていたからだ。

 帽子も衣服もカビがはえたように黒ずんだコボルトで、そんな外見の小人は見たことがない。大人に知らせておいたほうがいいだろうか。

 ラキスは、とりあえず様子を見ようと丘のふもとの木立に入り、その途中で、コボルトよりずっと興味をひかれる対象に遭遇したのだった。


 そこは枯れ葉のつもった斜面の真下で、とりたてて何の特徴もない場所だった。

 それなのに、驚くほど強烈な何かの気配が、地表からにじみ出ている気がする。

 なんだろう、ひどく熱くて大きくて……しかも、近いところまで寄ってきたり遠ざかったり、消えてしまったり。

 生き物? もしかして魔物とか……?


 だが、魔物のように嫌な感じや恐ろしい感じはしなかった。

 たしかに、何か危険な空気をはらんでいる気はするのだが、危険でありながらも、すごく──ラキスは考え、いい表現に思い当たって納得した。

 すごく「神聖」な気配。そう、その言葉がぴったりだ。


 とても心を惹かれたので、彼は日々の仕事のあいまをみつけて、こっそりと何度か同じ場所にいってみた。うまくみつけられなかったので、丘を探してみたりもした。

 その探索は、恐ろしい水棲馬の出没で取りやめになってしまったのだが、今度は別の情報が少年をとりこにした。

 村長の頼みを聞いた領主様が、魔法剣を持つ強い剣士を差し向けてくれるという。その剣からは、なんと浄化の炎が噴き出すそうだ。


 剣に炎が入ってんのか? と、寄り合いの席で話をしている村人のひとりが訊いた。礼拝堂の聖火のことじゃなくて?

 聖火は石の中に入ってるものだろ。魔法剣ってのは石じゃなくて、鉄を打ちあげた普通の剣だって話だぜ。

 そんな剣に、どうやって炎を入れるんだよ。

「召喚」するんだ。

 と、村の青年のひとりが、うっとりした声で答えをかえした。

 魔法炎ってやつは地面のうんと下を動きまわっているらしい。それが上にあがってきたとき、剣を地面に突き入れたら、炎を召喚できるんだってさ。


 ずいぶん簡単そうだなあ、と、ほかの村人たちは茶化していたが、会話を立ち聞きしていたラキスの胸は、かつてないほど高鳴った。

 もしかしたら、ぼくがみつけたあれが魔法炎なのかもしれない。絶対そうだ。本物の炎をひとめ見れば、きっとはっきり確認できる。


 わざわざ家を抜け出して、子どもが近づくにはあぶなすぎる討伐現場を見に行ったのは、そうした理由からだった。そして、この目で炎の輝きを見たいま、彼は確信していた。

 やっぱり予想は正しかった。剣があれば召喚できるにちがいない。そしてもちろん、剣ならちゃんと持っている……。


 息せききって家まで戻り、庭先に走り込んだ。

 すぐに物置小屋に向かおうとしたが、残念なことに直前で邪魔が入った。この家の亭主があらわれて前に立ちふさがり、ラキスを怒鳴りつけたのだ。

「どこに行ってた。水を汲んでおけと言っただろう!」


 ラキスはぎょっとした。台所におく水甕をいっぱいにする役目をまかされていたのに、すっかり忘れていたことに気づく。

 ケルピーのように怒った亭主は、たまたま持っていたらしい庭用のほうきを振り上げると、いきなりそれで少年を叩いた。箒の先で叩いても、ちっとも手応えがなかったため、今度は逆さに持ちかえて柄の部分で叩いた。


 ラキスは頭をかばいながらしゃがみこみ、亭主の怒りがおさまるのを待っていた。この人は、けして素手では殴ってこない。本人によれば、半魔に触れるのが嫌だからだそうだ。

 以前はここまで叩きはしなかったのだが、水棲馬の出現に神経がさいなまれて、最近とても気が立っている。

 

「討伐を見に行ったんだ」

 両腕で頭をかばいながら、ラキスは声をあげた。

「勇者様がケルピーをやっつけてくれた。もう大丈夫だよ」

 すばらしい朗報を聞いて、亭主の手が思わず止まった。その隙にラキスは立ち上がり、よろけながら走り出した。

 水を汲め、と叫ぶ声が聞こえてきたが、もう相手などしていられない。早く剣を持って炎のところに行かないと、せっかくつかんだ感覚が消えていってしまう。


 家の脇にある物置小屋に駆け込んで──そこが彼の寝床だった──藁布団を押しのけた。布団の下においていた細長い亜麻布の包みを両手でつかみ上げて、ふたたび外に飛び出した。

 後ろから亭主が追ってきた気もしたが、本気で走った自分に亭主がかなうはずがないのは、ちゃんとわかっている。実はさっきの箒だって、よけようと思えばよけられた。動きを見切るのは簡単だったからだ。

 でも、そんなことをしたら向こうの怒りが長引くし、仕事をさぼったのは自分の落ち度だと思ったから、おとなしくしていたのだが。

 

 抱きしめるようにかかえた包みの重さが、走りながらも胸に伝わってくる。それは、養父のカイルが子どものために打ち上げてくれた、唯一の剣だった。実際に使うことはもちろんなかったが、ラキスにとって大切な心の拠り所となっている。

 冬枯れの丘のふもとに着くと、彼は包みをかかえ直し、炎の感覚を必死で思い起こした。目には見えない気配を探して、あちらこちらを走りまわりはじめた。



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