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 その後の時間の大半は、エセルが村人たちの暮らしぶりを見たり、生計をたてている仕事について聞いたりすることに費やされた。彼らのことをできるだけ知っていたほうが、弁護するときに有利だというのが、彼女の考えだったからだ。


 少なくとも今日のところは、集落から移動するような予定は入っていない。ふだんならまず訪れることもない僻地を見て歩くのは、エセルにとって、ある意味、視察の一環といえなくもなかった。

 もっとも、コボルトのお掃除風景を長々と視察することが弁護に必要だとは、あまり思えなかったが。


 その点、ジンクから仕事内容を教えてもらうことは、たいへん有意義な時間だった。

「炭焼きが簡単にできると思っちゃいけませんぜ、お姫様」

 そう語るジンクからは、押さえても押さえきれない気迫があふれている。エセルはただ、木炭の作り方をたずねただけだったのだが、気軽な態度でそれを説明することが頭領には不可能だったらしい。


「そこらへんにある木を窯ん中にいれて、ただ蒸し焼きにすりゃいいと思ったら大間違いなんで。材木や天気の具合によって、置き火にする時間やら窯出しの時間やらを変えていかなきゃ、いい炭にはならねえ。粉塵がいっぱいの窯のそばにつきっきりで、神経まで使わなきゃならないんだから、そりゃもうしんどい作業だ」

 ジンクの大きな目玉がいちだんと鋭く光った。


「だが、そうやってこだわって作ってるからこそ、おれたちの炭は一級品に仕上がるんですぜ。火がつきやすいし長持ちする。煙があんまり出なくて匂いも少ない」

 ルフトやバンスの村で作った炭などはろくに燃えやしないのだと、森周辺にある別の村を引き合いに出しながら頭領が自慢した。


 かたわらで聞いていたルイサが、エセルのほうを向いてつけ加えた。

「ドーミエの領主様は、いつもここの炭を買いつけてくれるんですよ。あたしらはよく知らないけど、マリスタークの領主館に売られていくこともあるって話を、代官から聞いたこともあるくらいなんです」


「まあ」

 と、エセルは思わず目を見開いて身を乗り出した。

「それは知らなかったわ……あなたたちが一生懸命、いつも誠実に働いている証拠ね」


 エセルは村人たちの姿勢に心を打たれていたが、彼女のほめ言葉も人々の心を打った。そのあと彼女がジンクの家から外に出て、あたりの様子を見てまわりたいと言ったときは、皆、会ったばかりのころよりはるかに熱心に道案内をかってでた。

 町中とはちがって民家や畑、家畜小屋ばかりだから、案内するほどのものがあるわけではない。だが、どちらを向いても同じようにひなびた景色が続いているため、帰り道を確認するには案内人が大切なのだ。


 ひなびているとはいえ、五月の緑はますます色をましていたし、道端にはキンポウゲが、王城の庭と変わりなく明るい花びらをひらいている。家々を区切るように植えられているニワトコの枝先には、清楚な白い花がいっぱいについて、この季節だけの上品な香りをはなっていた。


 そうして時間が過ぎていく間、ラキスはほとんど口をはさまずに、後ろからエセルたちの動きを見守っていた。本当は離れていたかったのだが、知り会ったばかりの村人たちの中に姫君だけを残すのは、さすがに心配だったのだ。

 エセルのほうでもラキスの姿が見えなくなると、はじめのうちは不安そうなそぶりをしていた。だが、もうそろそろ大丈夫だろう。


 ひとりになって今後の計画を考えたいというのは、半分は本当だったが半分は口実だった。しかし口に出してみると、エセルや村人たちが了承してくれたため、ラキスは皆から離れて別の方向に歩き出した。


 王城暮らしのお姫様は、辺鄙な村を嫌がる様子もなく、むしろ興味が先に立っているようだった。

 もちろん王族だからといって、農家を知らないわけではない。広大な城の敷地の一部ではけっこう広い畑が耕されていて、城の住人たちの食料を供給している。


 畑だけでなく果樹園や牧場もあるし、鍛冶場だってある。そこに従事している人々は、石造りではなく泥壁の家を城壁内に建てて暮らしている。

 好奇心が旺盛なエセル姫のことだから、きっとそういう家々をくまなくたずねて人々と仲良くしているにちがいない。


 その光景が目に浮かぶような気がして、ラキスはかすかに頬をゆるめた。それから無意識のうちに右手を動かし、先ほど彼女にすがりつかれた左腕に、そっと掌をすべらせた。

 最初は触れているだけだったが、しだいに指先がくいこむほどの力になっていく。


 このままここにいられたら、どんなにいいだろう。誰にも邪魔されず、誰からも文句を言われず、ずっと二人でいられたら。ともに二人で生きていけたら──。


 降りしきる雪の下の生き物が春の光を恋うように、日照りの下の生き物が泉の水を恋うように……姫とともに歩む未来を、ラキスは恋い求めた。

 だが同時に、求めるのと同じくらいの激しさで、そういう未来をけして選んではいけないのだと信じていた。


 影の色が濃くなったニワトコの木々のかたわらで、彼は暮れはじめた西の空を眺めた。

 いつのまにか日が傾いて、西空だけが夕暮れに特有の澄んだ明るさをたたえている。

 この後に及んで、おれは何を動揺しているんだろう。

 自分がここにいる理由も、これからやるべきことも、婚儀の相手からエセルシータ姫を救うことだけだというのに。


 そうだ。どういうわけか村人たちを救うことが目的みたいな雰囲気になっているが、それでは本末転倒だ。まずはエセルの身の安全を考えなければ。

 そのためにはどうしても、彼女にコンラート・オルマンドの罪を納得してもらわなければならない。

 

 ふいに現実的な思考が戻ってきて、ラキスは目がさめたような気がした。

 エセル姫は、いまだにあの男の無実を信じている。たしかに一瞥したことだけが証拠では、人違いだと思いたくもなるだろう。

 だが、おれには確信があるのだ。


 マリスタークの庭園でも大聖堂の祭壇の前でも、彼はコンラート・オルマンドと視線を合わせた。

 コンラートにとっては、天馬に乗った若者も姫をさらいにくる若者も、ただひとりしか思い当たらないはずだ。あの男がこちらを見きわめたことを、ラキスははっきり感じとっていた。


 気はすすまないが、もう一度、エセルに事件の真相を聞いてもらわないと──そう思ったラキスは、ジンクの家のほうに引き返そうと身をひるがえした。

 ちょうどそのとき、村人のひとりが走ってきて、彼とあやうくぶつかりそうになった。

 エセルと一緒に動いていたはずのゼムだった。



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― 新着の感想 ―
ここまで読ませていただきました。コンラートの過去の悪事を話しても、エセルがなかなか信じられないのも分かる気がしますし、一方で村人たちとの交流を通じて、悪い人たちではないことも徐々にエセルに伝わって良か…
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