都落ち(2)
ひとつは子供用にあつらえられた薄桃色の長衣で、もうひとつは大人用の藍染の長衣である。
スサはその長衣を見て首を傾げた。
「これは……女物の衣のようじゃが、これをどうするのじゃ?」
「あたしとあんたが着るのさ」
スサは驚きと不快の表情を隠そうともしない。良し悪しは別にして、生来素直な性質なのであろう。ただ、今現在の己が特殊な状況下に置かれていることは理解できているらしく、別段口答えをしたり拒んだりする様子はない。
「そう嫌な顔をするんじゃないよ。別に胴衣は脱がなくていいから、ちょっと羽織るんだと思いな」
そういってアイラは長衣を着せてやる。わずかに袖が長いこと意外は寸法はあつらえたようにぴったりであった。
「どうしてこのような格好をせねばならんのじゃ?」
スサは、薄桃色の衣の袖口を引っ張りながら問う。
「それに前が見にくい」
頭には頭布と呼ばれる布をかけられた。
よほど煩わしいのであろう。視界にちらつくその布を指先で苛立たしげに払いながら言う。
アイラの狙いは目くらましであった。
女の武人というだけでも目立つのである。子供を連れた女の武人などおよそ前代未聞であろう。目立つことこの上ない。さらにスサの風姿は一見すれば少年には見えないほどに美しい。そのままの姿で二人並んで歩くことは、難点こそあれ利点は一つもないといえよう。
そこで、いっそのことスサのその少女のような容貌を利用し、母と娘に扮してしまおう、というのである。
都はその周囲を城壁に囲まれていて、上ノ町にひとつ、中ノ町にふたつ、下ノ町にみっつ、それぞれ外へとつながる門が据えられている。ただし上ノ町の門は貴族以外は使用することを許されない。各門には常に衛士が二人以上おり、門を通る人間を監視している。
上ノ町にある門以外は特別厳しい検閲があるわけではなかったが、門を通行する人間には常に注意を払っているし、不審な人物には詰問することもある。小さな男の子を連れた女の武人、となれば、例え詰問されなくとも、衛士の記憶には否が応でも残るであろう。どうにか目くらましを、と考えるのは至極当然のことといえる。
「いいじゃないか、よく似合ってるよ」
くすくすと笑いながら言った。
実際、とてもよく似合っていた。
スサの容貌が少女と見紛うほどの美しい顔立ちである、ということはすでに述べたが、頭頂部で丸く束ねられた黒髪を下ろし、小さなその身体を女物の長衣で包んでしまえばとてもではないが少年には見えない。もっとも、髪を下ろすことは断固として拒んだ。よほどの理由があるのであろう。アイラはスサがあまりにも強い調子で拒むのを見て、あえて理由を問うこともしなかった。
結局長衣と頭衣を纏うだけにとどまったが、とはいえそれでも十人中八人には娘であると言わしめるだけの器量であった。仮に娘に生まれていれば、間違いなく長じて後に傾城と呼ばれていたであろう。
ともあれスサである。
「そのような話はしておらぬ」
ぷう、と頬を膨らましそっぽを向く姿が、余計に娘らしい愛らしさを感じさせる。
アイラは頬を膨らませたままそっぽを向くスサにむかい、「都を出るまでの辛抱だ」と言った。
「それに、あんたの碧い瞳は目立つからね。それを隠すためでもあるんだよ」
事実、ナワト国のほとんどの人間が黒か茶の瞳をしていることを思えばスサの碧い瞳は一種異様といえよう。諸国を渡り歩いているアイラですら、碧い瞳を持つものには出会ったことがない。もっとも貴族という人種に会うのは――アイラはスサを恐らくかなり身分の高い貴族であろうと予想している――スサが初めてであり、あるいは貴族と平民ではそういった差異もありうるのかも知れない。
いずれにせよ目立つということに違いはない。
アイラはそっとスサの頭にかけられた頭衣を直した。
アイラもまた二本の剣を隠すように、藍染の長衣を身に纏う。腰帯の剣が浮かないように大き目の長衣を纏い、さらに帯を緩めに巻いた。そして束ねた髪を解くと軽く手でくしを入れ、片側に髪を寄せてふわりと柔らかく束ねた。
スサと二人歩いていれば、一見して武芸者だとは思われまい。
「さ、行こうか」
外に出るとすでに日は中天に差し掛かかろうとしている。空は青く晴れていた。
アイラとスサは廃寺を後にし、下ノ町へと向かった。
下ノ町の門は都の東西と南側に据えられており、日中開け放たれている。南側の門は鮮やかな朱に塗られており、都に住む人間はその見た目から南門のことを通称、朱雀門とよんでいる。
その朱雀門の両脇に、槍を携えた人間が二人、通行するものを挟み込むように向かい合っている。朱雀門を守る衛士である。時折荷を引く商人を呼びとめては荷の確認などを行っていた。
それを見たスサは、深く被っていた頭衣をさらに深く被った。荷を検める衛士の姿を見て不安になったのであろう。
門を通過する。
門の内側は日が遮られているため日の下に比べれば薄暗く、またわずかにひんやりとしていた。
一人の衛士がスサに声をかける。
「そこの娘、頭衣をとって顔を見せろ」
衛士にすれば、不自然なほどに頭衣を深く被っているスサが目にとまっただけで、それ以上の意味はなかった。いわば通常の業務を行っただけである。
スサは内心激しく狼狽したが、アイラが「どうしたの? 衛士様にお顔をお見せしなさい」と言ったので――その物腰はとても武人とは思えないたおやかなものであった――かろうじて表情に出すことを堪えることができた。
そっと頭衣を取り目を伏せる。
衛士たちは、頭衣の下から現れた少女――実際には少年であったが――のあまりに美しい顔立ちに思わず、ほう、と熱い溜め息をもらした。
しばし目を伏せたスサの横顔を見下ろしながら、どちらの衛士も言葉もなく立ち尽くしていた。
「何か問題でもございましたか?」
アイラの言葉に我に返った衛士は、ごまかすように数度咳払いをし、「問題ない。行ってよい」と言った。
朱雀門の外には馬車が停まっている。近くの町や村のあいだを運行している定期の馬車便であった。そのうちのひとつ、ほろのかかっていない一頭立て八人乗りの馬車に乗り込んだ。他に乗客はいない。
ちなみに馬車便は中ノ町の門前にも止まっているが、上ノ町の門前には止まっていない。これは貴族が都の外に出ることは滅多になく、また、都の外に出るときは他人と乗りあわなければならない一般の馬車便などは利用せず、自前の馬車を用いるためである。
しばらくすると出発時刻がきたのか馬車が動き出した。
他の乗客と乗り合わせずに済んだことは幸運であった。
馬車が動き出すと、スサはすぐに、
「もうとってもよいか?」
と、頭衣をつまんだ。
アイラは苦笑する。
「もうしばらく我慢しな」
ひとつ溜め息をつき、指先で頭衣を軽く弾く。ふと後ろを振り返った。
馬車はがたがたと車輪を鳴かせながら、朱雀門を遠ざけていく。
スサは遠ざかっていく門を見つめていた。




