都落ち(1)
夜が明けた。
二人は下ノ町の外れ、中ノ町との境にある廃寺で夜を越した。宿をとることも考えたが、万が一追っ手が来たときに、宿や他の宿泊客に余計な迷惑がかかることに遠慮したのである。さらに今ひとつ、よもやこんな廃寺に潜んでいるとは思うまいと考え、怖がるスサをどうにかこうにかなだめすかし、廃寺の一室で眠った。
スサが怖がる気持ちも分かる。床板はところどころ割れており、壁や天井はかろうじて雨露をしのげるだろうか、といった具合であった。夜の闇と相まって、いかにも化生と出くわしそうな雰囲気がある。
ところがよほど疲れていたのであろう。横になったとたん、スサはあっという間に眠り込んでしまった。アイラもまた、剣を手に座ったまま目を瞑り、身体を休めた。
スサが目覚めると、すでに辺りはすっかり明るくなっていた。
寝起きのせいであろうか、視線は室内をさまよい、どこかぼうっとしている。自分が何故ここにいるのか思い出そうとしているようでもあった。
「目が覚めたかい?」
アイラが声をかけると、まだ眠たいのか、スサは目をこすりながら頷いた。
それにしても、と思う。
昨夜見たときには暗がりであったためはっきりとは分からなかったが、スサは一見すれば少女と見紛うほどの美しい顔立ちをしていた。艶々とした黒髪は絹のように滑らかで、澄んだ碧い瞳が一際目を引く。父母いずれに似たにせよ、双方ともに相当な器量よしであることは間違いない。まだ成長しきっていない華奢な身体がどこか儚げであった。
廃寺の奥には小さな庭がある。もうずいぶん手入れがされていないのか、草花が自儘に伸びている。こうなる以前はよほど風雅な景色があったのかもしれない。
庭の隅には井戸がある。幸い井戸は枯れておらず、滑車もさび付いてはいるが釣瓶が残されている。釣瓶を落とし水を汲むと、意外なほどに澄んだ水であった。
水を掌に受ける。
思いのほかひんやりと冷たい。
ざぶざぶと顔を洗うと冷えた水が肌に染みて眠気が晴れていく。
「目が覚めたのならあたしはちょっと出かけてくるけど、あんたは部屋の中にいるんだ。絶対に外に出るんじゃないよ」
「どこへ行くのじゃ?」
不安げな表情で問うた。
アイラはくすりと笑う。
「ちょっと町の様子を見てくるだけさ。それと、朝飯も欲しいだろう」
すぐ戻る、と言い残し、アイラは出て行った。
しんと静まり返った部屋の中をぐるりと見回す。天井や壁の隙間から陽光が射し込んでいる。その光の軌跡を室内に舞う細かな埃が描き出し、ところどころ割れている床板の上に、ぽつり、ぽつりと小さな陽だまりを形づくっていた。昨夜あれほど恐ろしげに見えた風景が、どこか幻想的にすら見える。
その風景の中、スサは板壁に背を預け、両足を投げ出して座っている。
不意に小鳥の鳴き声が耳に届いた。
スサは立ち上がると声の主を探して室内を歩き回った。一歩踏むたびに大きく軋む床板は、ともすれば破れてしまいそうであった。
天井の隙間から射し込む陽光を見上げ目を細める。埃の舞う室内で降り注ぐ陽光に照らし出されたスサの姿はとても廃寺の中の風景には見えない。まるで一枚の絵のようでもあった。
その澄んだ碧い目が見上げた先には一体何が映っているのか、表情からは窺い知ることができない。あるいはこれから自身を待ち受けている運命に思いを馳せているのかもしれない。
半刻(約一時間)ほどして戻ってきたとき、アイラは小さな包みと大きな包みを持っていた。
「待たせたね。さあ、朝飯にしよう」
そう言って小さな包みを広げた。その中にあったのは、タレをつけて焼いた鶏肉を串に刺したもの三本と、山菜をまぜて炊いた米の握り飯が二つであった。
香ばしい匂いが広がる。
スサは一本の串を指差し、
「これはなんじゃ?」
と首を傾げて言った。
「何って、ただの鶏の串焼きだけど、あんた、食ったことないのかい?」
ない、と言う。
次いで握り飯を指差した。
「この丸いものはどのようにして食すのじゃ?」
「どうって、手で掴んでかぶりつくんだよ」
「かぶり……つく?」
スサの言葉にアイラは苦笑した。相当な身分にある貴族の子息であろうと見当はつけていたが、それにしてもどうやら度を越した世間知らずらしい。
「呆れた。よっぽどいいとこのお坊ちゃんなんだね」
どうも無作法な物のいわれ方に抵抗があるらしく、アイラの言葉に不快気に眉根を寄せている。
井戸の水で手を洗い、スサは香ばしい匂いのする串を一本取り上げる。しばらくしげしげと眺めていたかと思うと、おそるおそる口に入れた。
ひとかみ、ふたかみして目を丸くする。
「美味しい!」
口に入れると香ばしい匂いが鼻に抜け、噛むほどに肉汁が溢れ出す。
アイラは夢中になっているスサの手の上に握り飯をのせた。そしてアイラも握り飯を掴みあげる。
「口を大きく開けて、こうやって食べるんだよ」
そう言ってアイラは握り飯にかぶりつく。スサはわずかに戸惑ったが、意を決したようにかぶりついた。
「美味いだろう?」
よほど空腹だったのであろう。口いっぱいに握り飯をほおばりながら大きく頷いた。一心不乱に握り飯と鶏肉を口に運ぶ。美味しそうに食べ物を口に運ぶ様は、普通の少年とさほど変わらない。
あっという間に串二本と握り飯ひとつを平らげると、スサははっと我にかえり頬を赤く染めた。
食事を終え、ひとごこちつくと、スサはアイラに今後どうするのかを問うた。
「さっき町の様子を見てきたんだけどね」
別段変わった様子はないという。
時刻はすでに酉の上刻(午前九時)を過ぎており、大路には人通りもあったが、昨日都についたときと、雰囲気になんら変化は見られないのである。
「昨夜の連中はあからさまにならず者って感じで、到底衛士や捕吏の類じゃないんだろうけど……」
スサが表情を強張らせていく。
「いずれにせよ、一刻も早く都を離れたほうがいいだろうね。ただ、門には常に衛士がいる。できれば誰にも見られたくない」
なるほど道理であろう。たださえ珍しい女の武芸者と、少女と見紛うほどの――それも極めて美しい――少年の二人組みでは、衛士の記憶にも残りやすい。もしも昨夜の男たち、あるいは別な追っ手が門を守る衛士に訊ねれば、たちまち追いつかれてしまうであろう。
「そこでちょっと考えたんだけどね」
悪戯っぽい笑みを見せ、アイラはスサの前に大きな包みを置いた。
スサはその包みをゆっくりと開いてゆく。
気にはなっていた。町の様子を見に行って帰ってきたとき、小さな袋からは握り飯と焼いた鶏肉が出てきた。大きな袋には一体何が入っているのであろう。
包みを開き終えると、そこには女物の長衣が二組入っていた。




