女護衛士 (4)
木の根元に老者を埋め、少年と二人手を合わせる。供える花も何もなかったが、あるいはその木が墓標の代わりと言えるかも知れない。
埋葬を終え、井戸水で手を洗い流しながらアイラは老者の言葉を思い返していた。
老者は死の間際、確かに「頼む」と言い残した。あれは果たしてどう意味であったのか。襲撃を予想しての言葉であったのか、あるいはただこの少年をその家まで無事送り届けてくれという意味であったのか、またはその両方か。老者が死んだ今、その意味を問うことはできないが。
ふと、アイラは少年の名すら聞いていないことに気付いた。
「そういえばお前、名はなんていうんだい?」
アイラがそう言うと、少年はわずかに眉根を寄せた。不快そうな表情に戸惑いを加え、睨み据えるような目でアイラを見たが、問いには答えようとしない。
(助けられておきながら、可愛げのない子供だね)
その態度に小さくため息をついた。
もっとも、目の前で保護者と思しき人間が死んだのだ。心が固くなっても仕方がない。
アイラにしても助けたことで感謝されたかったわけでも、ましてや恩を着せるつもりで助けたわけでもないのだから、少年の態度に文句をいう気はなかった。
それにしても不思議な子供である。
目の前で人が死んだというのにそれほど取り乱す様子はなく、泣いてわめき散らすような素振りも見せない。普通の子供であればとても平静ではいられまい。可愛げがない、というよりもあるいは強いて気丈に努めているのかもしれない。いずれにしても子供らしい子供とはいえないであろう。
もしかしたら、どこかの貴族の子供かも知れない、と思った。
ありうる話である。
政治闘争に利用するため、政敵からその身を狙われるほどの身分なのだとしたら先ほどの生意気と言えなくもないような態度にも合点がいく。権力者や有力者を引きずりおろすために、その子女が狙われる、というのはいつの時代のどこの国でもあることだといえよう。それはたとえ平和なナワト国――近隣の他国と比較しての話だが――であっても逃れようのない、いわば国家の生理といえるもので、いかにナワト国の民が争いを好まない平和な国民性であっても、国家という形態である以上、この生理からは逃れるべくもないし、詰まるところ、国家の絶対的な一側面といえなくもない。
ともあれ万が一本当にこの少年が狙われているのだとすれば、このまま放り出すことはあまりに危険であろう。
「家はどこだい? 送ってやるよ」
少年は答えない。
「黙ってたんじゃ分からないだろう。家はどこなんだい?」
やはり答えない。それどころか俯いてしまった。
ふう、とひとつ息を吐き、腕を組むと左手の親指を顎の先にあてた。思案するときのアイラの癖である。
(宿をとってやってもいいけど、また襲撃される可能性もあるしねえ……)
なにせ金貨二枚の大仕事である。倍の人数を連れてきても一人頭金貨一枚。一年以上は遊んで暮らせるのである。ましてアイラは通りすがりのようなもので、真正面から狙わずともいなくなったところを狙えばいいだけの話である。
そうやって思案しているとき、ふいに少年が何事か呟いた。が、あまりに小声であったため上手く聞き取れなかった。
アイラはその場にしゃがみこむと、少年と目線を合わせる。
「なんだい?」
もう一度言っておくれ、と促され、少年は顔をあげる。
先ほどまでの気丈な態度からは一転し、その目には涙がたまっていた。
「……帰れない」
そう言うとぼろぼろと涙を流し、嗚咽を漏らして泣きはじめたのである。
「帰れない? どういうことだい?」
激しくしゃくりあげながら首を振り、「もう帰れない」と繰り返した。
どうやらよほどの事情があるらしい。
そうであろう。十をわずかに出たかどうかという子供が、剣を持った大人に追われているなど、どう考えても普通のことではありえない。およそ他人には話せない事情があったとしてもなんら不思議はない。
アイラは立ち上がるとふたたび左手の親指を顎先にあてた。
しばらく思案した。
風が強く吹き、木立がざわざわと騒ぐ。
「お前、あたしと一緒に来るかい?」
そう言われ、少年は不思議そうな顔でアイラを見上げた。
「どちらにせよ、都にとどまるのは危険だ。もしかしたら、またあいつらが来るかもしれないからね。もちろんこの小屋にいるのも危ない。今夜は別の場所で夜を明かし――」
どこか安全な町まで一緒に行って、その後のことはそのときに考えよう、と言った。
「なぜ、助けてくれるのじゃ?」
怪訝そうな表情を浮かべ問う。
アイラはその眼差しに苦笑する。
「あたしの個人的な事情ってやつだね」
少年はなおも怪訝な表情を向けた。個人的な事情で命を狙われている人間を助けるなど、到底納得できる理由とはいえないであろう。その疑念がありありと浮かんでいるのである。
(こりゃなかなか手強いね)
目の前の少年は見た目の幼さと比較してもかなり聡いようである。
アイラはしゃがみこむと、少年の肩に手を置き、真剣な眼差しをむけ、
「いいかい、よくお聞き」
と言った。
「あたしはね、罪人なんだ。といっても別に、捕吏に追われているとかそんなことじゃあないんだけど」
突然の話に少年は目を丸くする。
「それでもあたしは取り返しのつかない罪を犯した。それは何をしたって償えるものじゃない。だったらせめて、この命が続く限り、助けられるだけの命を助けることを、あたしは、あたし自身に誓ったんだ」
なにやら不思議な説得力がある。
「でもそれはあたしだけの理由だ。あたしと一緒に来るかどうか、それを決めるのはあんただよ」
なぜそんなことを言ったのか。ひとつにはアイラ自身がいう誓いによるものもあったであろう。
子供一人の命に金貨十枚という大金を支払うというのはただごとではない。刺客はまだやってくるであろう。今ひとりにすればどうなるか。目の前の子供は確実に死ぬ。どんな理由があろうと年端もいかない子供が殺されるなど、それは憐れといえばあまりに憐れである。ただ、その気持ちだけで危険を承知で一緒に来るか、などと果たして言えるものであろうか。
運命などという言葉を使ってしまうといささか陳腐になってしまうが、もしも人間の運命があらかじめ決まっていたとして、その運命から外れようとした人間に対し抗いようのない引力のようなものを持つのだとすれば、このときのアイラはまさに、運命の持つ引力に引き寄せられたといえよう。
少年はぐしゃぐしゃと乱暴に涙を拭うと、アイラの目を真っ直ぐに見つめ返し、力強く、大きく頷いた。
まだ出会っていくらも経たない、命を助けられたとはいえ敵か味方かも判然としない女とともに行くことを決意させたのは、その運命が持つ引力のなせるわざなのか、あるいは生命そのものの、生きようとする本能に根ざした直感が目の前の女と共に行くことを選ばしめたのであろうか。
あるいはその両方であったのかもしれない。
(強い子だ)
アイラは少年の頭をぐしゃぐしゃと撫でると、
「あたしはアイラだ。あんたの名は?」
少年は少し戸惑ったように、
「スサ」
と小さく言った。
「それじゃ行こうか」
スサは頷く。その目には、もう涙は見えなかった。
二人は暮夜の中に消えた。




