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流浪の防人  作者: まいたけ
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死闘(1)

 フドウは腕を組み、目を閉じたまま黙然もくねんと立ち尽くしていた。吹きつける風が、その頬を弄っている。

 二人の間は距離にしておよそ四間足らず(約7メートル弱)。

 当然のことであるが、アイラはフドウの顔を知らない。が、これまでの襲撃を裏で操っていた男たちのそのさらに後ろに、男らを束ねる存在があるであろうとは感じていた。

 (この男が……)

 一流の武人は相手のちょっとした挙措きょそからその力量を感じ取る、ということは以前何度か触れた。ただ立っているだけのその姿に、えもいわれぬ雰囲気があるのである。おそらく目を閉じたその状態であろうと、不意に飛んできた砂礫されきでさえ、造作もなく避けてかわすことであろう。

 二人を隔てるその距離が二間(約3メートル半)にまで縮まったとき、フドウは目を開け、アイラの全身をゆっくりと眺めた。存外、涼やかな目元をしている。

 「貴様がくだんの女護衛士か」

 野太い、底響きのするような声である。

 「あんたが、親玉かい」

 アイラは足を止め、フドウを見据える。

 「貴様が倒した男の、という意味ならそうだが、一連の襲撃の、という意味でならそうではない、というべきなのだろうな」

 フドウの発言にアイラは首を傾げた。

 「どういう意味だ」

 ふむ、とフドウは一息つくと背後に広がる景色を見下ろした。

 牛車を連れた一行はまだ見えない。

 「まだ時間はありそうだな」

 「どういう……意味だ」

 「皇子がここを通るのだろう」

 こともなげに言い放つ。

 「おそらくあの滝の付近で我らが皇子を襲うと見ているのだろう。付近に兵を潜ませて、自身と合わせて挟撃しよう、という腹だろう」

 ――見抜かれている。

 フドウの言葉に、アイラは全身の血が凍りつくような感覚を覚えた。フドウの言うとおり、昨夜のうちに十人あまりの兵を先発させ、白藤の滝のそばに潜ませてある。

 「なんのことだい。あたしはもう皇子様の護衛を解かれたんだけどね」

 冷たい汗が背をつたい落ちていくのを感じながら、アイラはことさら平静を装うように皮肉を口にした。

 「ほう、ならば貴様はなぜここにいる」

 アイラは言葉を詰まらせた。滝を見に、などと愚にもつかぬ理由は戯言ざれごとにもなるまい。

 「まあいい」

 フドウは一つ息を吐くと、

 「見たところ貴様はナワト国の民ではないように見えるが?」

 「あたしはヤクモ族だ」

 アイラはフドウの動きを注視しながら答えた。

 「ヤクモ……シャガル王国の一部族か? 聞かぬ名だな」

 かつてふれたようにヤクモ族はシャガル王国に数ある部族のなかでもとりわけ数の少ない部族である。その名を知らぬものがいるのも無理からぬことといえるであろう。

 「我らの雇い主はナワト国第三皇妃であるミヤビ殿だ」

 フドウは事もなげに言い放ち、さらに言葉をつづけた。

 「貴様はシャガル王国の王が今病に倒れていることを知っているか」

 以前仕事でシャガル王国をまわっていたとき風の噂で耳にしたことがある。

 その王の病に端を発し、今シャガル王国内ではかつてのように各部族による自立の気運が高まっているという。

 「それだけではない。本来異邦の民である王家を打倒し、かつてのシャガル王国の姿を取り戻そうとする動きさえある」

 フドウの言葉にアイラは眉一つ動かすことなく耳を傾けている。

 かつて争いの絶えなかった国が、英明な君主が治めることで国土を安んじ、王の威の衰微すいびとともに再び国土が荒れる、というのは古今のどんな国にもある、いわばありふれた出来事といえるであろう。

 「我らは反王家勢力の主力の一つ、クマソ族だ」

 クマソ族はもともとシャガル王国の西部に広大な土地をりょうして暮らしていた部族で、勇猛で頑強、さらに極めて牢固ろうこたる気質を備えた部族で、王家の支配に最も早く、そして最後まで抵抗をつづけた部族でもある。

 それほどの抵抗を見せた部族を根絶やしにすることをせず、むしろ寛容な処置を見せた現シャガル王に対しては、当時国内外からも賞賛の声が上がっていたといわれている。シャガル王が希代の名君としての名を得たのはこのこととおよそ無関係ではないであろう。

 ともかくそれほどの抵抗勢力であるクマソ族は、王の寛大なる処置によって部族の命運をつなぎ得たのである。

 それをなぜ再び蜂起ほうきしようというのか。

 「シャガル王は我らクマソ族を根絶やしにせぬ代わりに、我らから先祖代々の土地を奪い、草木も生えぬような荒涼こうりょうとした土地への移封いほうを命じたのだ」

 内戦が終結して以後、クマソ族は狭く荒れ果てた土地へと押し込められ、さらには関所を設けられ事実上隔離、監視されているのだという。

 「開墾したところでまともな実りも得られんその土地では、野の獣も少なく、冬には餓死するものすら珍しくなかった。昨年の冬には我らの一族の幼子のうち、四割までが飢えと病に死んだ」

 フドウは無表情のまま、あくまで淡々とした声で語り続けた。アイラは、ただ静かに聞いている。

 「王は我らクマソ族の力を恐れている。心の底では我らを根絶やしにしたいのだろう。だがそうしなかった。我らはただ王の声望を高めんがために生かされたのだ。そうして今はただ、牢獄のような土地でひそやかに死と闘っている」

 フドウがいうにはシャガル王はクマソ族の他部族への影響力とその勇敢さを怖れているという。

 あるいはその通りかもしれない。

 でありながらクマソ族を根絶やしにしなかったのは、それそのものを訴求力そきゅうりょくとし、寛大な処置を見せることで自身の声望を高からしめんがための一種の政略だったのであろう。

 「このままでは我らは無為に時を過ごし滅んでいくしかない。そこで俺はひとり監視の目をくぐり関所を抜けた。王家を打倒すべくひそかに同志を集めるためにな」

 「それとあの子がどう関係するってんだい」

 怪訝な顔でアイラが問う。点と点が、頭のなかで結びつかない。

 「三年、シャガル王国内を旅して同志を募り分かったことは、シャガル王国の平和は決して一枚岩の上に築かれたものではないということだ。そして同時に、それを崩すことは一朝一夕で成るものではない、ということも理解した」

 いかに国内に無数の不穏分子がいるとはいえ、それらは大樹にたかる虫程度に過ぎない。その虫が大樹の根を食い尽くせるのであればともかく、現実には葉を食う間に駆除されてしまうであろう。

 フドウは天を仰いだ。

 「王家という大木を倒すためには十年、二十年という時間をかけて根を腐らせ、そのうえで引き倒さねばならない。ナワト国にはその引き倒す役目を担ってもらう」

 フドウの言葉にアイラは眉をひそめた。

 「生憎だがナワト国の平和は一枚岩の上に出来上がってる。わざわざその地盤を揺るがすような危険を冒してまで他国の問題に首を突っ込んだりはしないよ」

 フドウの口の端に不敵な笑みが浮かんだ。

 「第三皇妃ミヤビ、あの女の性は獣だ。我が子を帝に据えるためならばどれほどの犠牲も蚊の羽音ほどにも気にせんようだぞ」

 「……まさか」

 フドウの語る真実に、アイラの顔がみるみる青ざめていく。


 フドウの語るところはどうやらこういうことらしい。

 男児を産んで以降、ミヤビのなかで萎れていた野望が一時に膨れ上がっていった。

 「帝の母になる」

 幼いころからそれを当然のことと思ってきたミヤビにとって、すでに存在する三人の皇子は邪魔ものでしかなく、それでいてどうすることもできない存在であった。

 そのことを度々口にするミヤビに対し、側に仕える神官エゼルは弱々しいながらも苦言を呈してきた。

 しかし、どうにもならない鬱屈うっくつのなか、ミヤビにとって大きな転機が訪れる。

 第一皇子ニニギと第二皇子イスルギの相次ぐ崩御ほうぎょである。

 スサさえいなくなれば――

 そう思ったに相違ない。

 ある日いつもの如くスサの存在に歯噛みするミヤビに対し、エゼルが苦言を呈したとき、ミヤビはエゼルにこういった。

 ――わらわの御子が帝になったあかつきには、そなたを大神官にしてやろう。

 ミヤビにすればほんの戯言のつもりであったであろう。しかし一見愚鈍に見えるこの神官は、その実、権力というものに異常なまでの拘りを見せることがあり、これまでにもいずれ己を脅かすであろう優秀な神官見習いに対し、ありもしない罪を捏造ねつぞうしたりなどして蹴落としていた。大神官にしてやろうというミヤビの言葉にも、ごくりと生唾を飲んだ。

 「俺がそのエゼルと出会ったのはそんなときだ」

 曙光しょこうの見えない国内から、なんとか活路を見出そうと国外に進出していたフドウは、なにやら権高けんだかな男が剣呑な事情を抱えているという噂を聞きつけ、会って話を聞いた。

 エゼルはさすがに神官だけあり、巧みな話術で露見してはいけないことを包み隠して話を進めた。普通のものが聞けば、その裏にあるものに気付くことなどまずなかったであろう。

 「だが俺には分かった。目の前の男がナワト国の中枢にほど近い人間であることがな」

 好機だと思った。

 上手く取り入れば、大樹を引き倒すきっかけくらいは得ることができるかもしれない。

 その後、エゼルに連れられてミヤビの前に出たとき、ミヤビの顔には恐れと驚きの入り混じった感情があった。

 ほんの戯言であったはずであった。まさか小心なエゼルがそんな大それたことをするとは思いもよらなかったのであろう。

 「手に持った扇こそ震えていたが……一目見て分かった、あの女の心の底には魔が棲んでいると」

 手に持った扇で一瞬顔を覆うと、次に顔をのぞかせたとき、その目の奥には暗い炎が揺れていたという。

 吹きつける風はさらに強くなり、わずかに生えている低木をがさがさと鳴らしている。

 「その後のことは貴様も先刻承知なのではないかな。我らは第三皇子を殺すべく動き、今こうして貴様と向き合っている」

 「あの子を殺して、褒美になにを望む」

 「第四皇子が帝に即位したのち、我らの同志がシャガル王国西部で一斉に蜂起する。それを受け、ナワト国の兵が東から仕掛けてくれればそれでいい」

 それまではひたすらに工作する。大樹の根を腐らせるべく、別の同志がすでにシャガル王国の内部に入っているという。

 「なんとも時間のかかる壮大な計画だね」

 アイラは皮肉交じりに微笑した。

 「なぜそれをあたしに話す?」

 重大な秘密であろうことをこうも簡単に打ち明けたその真意はどこにあるのか、アイラは計りかねていた。今の話をスサに話し、スサが帝に打ち明ければ、フドウの計画は水泡に帰すではないか。

 アイラの問いに、フドウはわずかに考える風を見せ、自嘲気味に口の端を歪めた。

 「そうだな……理由はふたつある。ひとつはやはり、あのような小僧を手にかけることにどこか忸怩じくじたるものがあるのだろう」

 誰かに話し、自分たちが行っていることの意味をあらためて確認したい、という思いがあるのであろう、という。

 「ふたつめは」

 フドウは剣を抜いた。

 「死人は誰にも話すことができん」

 アイラはちらとフドウの背後の景色に目をやる。

 牛車を引く一団が、うっすらと目に映った。

 あと四半刻(約30分)もすれば、白藤の滝を通過するであろう。

 アイラもまた二本の剣を抜き構える。

 不意にぽつりと頬に冷たい雫が落ちる。

 いつの間にか、空には鉛色の雲が垂れ込めていた。

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