女護衛士 （３）
にわかには状況が飲み込めない。
どうやら敵ではなさそうであったが、かといって、月明かりが照らすその顔は、見知った顔でもなかった。
老者は座したままアイラを見据え、左手に持った剣を真っ直ぐに伸ばす。右脇に、守るように子供を抱えている。暗くてあまりよく見えないが、おそらく十を少し出たかどうかであろう。
「ここで何をしている？」
油断なく老者の動きに目を光らせながら問う。
老者は答えない。
静けさが月明かりと混じる部屋の中で、老者の呼気だけが荒々しく響く。
部屋の中には血の匂いが濃く漂っている。
目を凝らしてよく見れば、なるほど老者の全身は血にまみれているようであった。
アイラは剣の柄を離し、右の掌を向けた。敵意はない、という意味である。
「剣を下ろしな。あたしは護衛士だ。アイラっていえば、一応護衛士連中の間じゃそれなりに通ってる」
あえて名と生業を明かしたのは男の警戒心を解くためであろう。
薄闇の中でわずかに老者の気が緩んだ。
もはや力はほとんど残されていなかったのであろう。ぶるぶると震えていたアイラにむけられた剣の切っ先が、ゆっくりと下りていく。
アイラは老者のかたわらに膝をつき、暗いながらもその傷の具合を確かめようとした。
どうやら全身に傷を負っている。なかには相当な深い傷もあり、腹の傷は恐らく内臓にまで届いているであろう。
「なにか言い残すことはあるかい？」
――到底助かるまい。そう思い、穏やかな口調で問うた。
老者は済まなそうに笑うと消え入るような声でたった一言、「頼む」とだけ残し、それきり動かなくなった。
「トルグ？ トルグ？」
動かなくなった老者の腕に手をかけ、小さく揺する。
「やめな」
子供の肩に手をおき制止する。
「もう死んでる」
そのとき、小屋の外から声がした。
「ここにいるんだろ！ 出てこい」
小屋の周りには民家はない。同じく貸し家業者の持ち屋がぽつりぽつりと建っているだけであった。周囲には林があり、ときおり吹く風がさわさわと木立を鳴らす程度で、実に閑散としている。
そこに粗野な叫びが響いた。
アイラは右手の人差し指を立ててを唇に当てると、目の前の子供に向けて唇だけで「ここにいな」と言った。
小屋の外に出てみると、いかにもならず者、といった風情の男が五人、抜き身をぶら下げて立っていた。
男たちはアイラの姿を認めると、一様に目を丸くし、あからさまに狼狽した。
貸し家業者の小屋である。空き家だとたかをくくっていたのであろう。まさか他の人間が出てくるとは夢にも思っていなかった様子であった。
当然ありうべき事態が思慮の外であったあたり、いかにも軽率といえる。
「何か用かい？ 今取り込み中なんだけどね」
男たちは「どうする？」といわんばかりに互いに顔を見合わせる。しばらく目配せをした後、口を開いたのは首領格と思しき男であった。
「中にガキがいるはずだ。こっちによこせ」
怒鳴るように言い放つ。
どこか威嚇する風なその語気には、「邪魔をすれば痛い目を見るぞ」と言外に含んでいる。
「確かに子供はいるけど……あんたら、あの子に何の用なんだい？」
「てめぇには関係ねえ！」
男は手に持った剣をちらつかせながら、「死にたくなければガキを渡せ」と言う。
鍛錬を積んだ一流の武人は相手のちょっとした挙措に彼我の力量差を感じ取る、という。護衛士として幾度となく死線をくぐり抜けてきたアイラはまさに一流であった。
目の前の五人、話にもならないほどの小物であった。見た目の通り、おそらく町にたむろするならず者の集団であろう。
「人にものを頼む態度じゃあないね」
アイラは軽くあしらうような調子ではねつけた。
女だと見下していたのであろう。アイラの一言と鼻で笑われたことがよほど癇に障ったらしい。弾かれたように飛び掛り、大上段から切りかかった。
振り下ろされた剣を身をひねってかわし、男の顔面に拳を打ち込む。
男は二間（約３メートル半）ほどたたらを踏んで後退し、どうとその場に倒れこんだ。
意識を失っている。
予期せぬその光景に、男たちは一瞬で我を忘れた。
相手はたった一人なのである。全員で取り囲み、押し包むようにして一斉に切りかかるべきであった。
事実、数刻前にトルグと呼ばれた老者と対したときにはそのようにした。問答の末五人で押し包み、有無を言わせず一斉に切りかかった。そのうちの一刀が致命傷になった。
しかし、同じように出来なかった。首領格の男が一撃で――実際のところ男たちには何が起きたか理解はできていなかった――沈められたことに動転し、半ば誘われるようにして順番に飛び掛ってしまったのである。あまりにも拙劣であるといわざるを得ないであろう。
我を忘れて振り回す剣など子供の棒振りにも劣る。
アイラは風に舞う木の葉のようにひらり、ひらりと身をかわし、かわしざま的確に男たちの急所に当身を加え、三人の男の意識を続けざまに刈り取っていった。
一人勢いに取り残された男がいた。どうしていいのかわからずまごついているうちに、仲間は全て倒れてしまい、さらに狼狽した。
どのような集団にもこういった類型の人間がいるものらしい。
男は慌てて剣の柄に手をかけた。が、すでに手遅れであった。
アイラは剣を抜くと、残る一人の男の喉もとにぴたりと押し当てる。
「やめな。あんたの腕じゃ、抜く間に三回死ぬよ」
男は剣の柄に手を置いたまま動けなくなった。
一瞬の出来事であった。
男からすれば一斉に切りかかったはずが、次の瞬間には仲間はみな倒れ、自身の喉もとに刃が当てられている、といった感じだったであろう。
喉もとの剣にほんの少し力を加えれば、男の喉からはたちまち鮮血が噴出し絶命は免れまい。
死の恐怖にごくりと喉を鳴らした。
「何のためにあんな子供を狙う？」
まさに蛇に睨まれた蛙のようである。
「し……知らねえ。俺たちは金で雇われただけだ」
「誰に頼まれた？」
「顔は見てねえ、本当だ。ただ、あの小僧を始末すれば、一人頭、金貨二枚払うっていわれて――」
どうやらあの子供は少年らしい。
それにしても、金貨二枚は平民が三年遊んで暮らしてなお釣りがくるほどの大金である。子供一人を殺すのに金貨十枚とはずいぶんと気前のいい話といえよう。
「消えな。二度と関わるんじゃないよ」
男は倒れている仲間を助け起こすと、そそくさと去っていった。
ちなみに、この五人の男たちは三日後、いずれも山や川、森の中で死体で発見されることになる。依頼主が口封じのためにやった。だが死体はどれも野犬に食い荒らされていたため損傷が激しく、結局身元不明のまま事故として処理された。
アイラは小屋の中に戻った。
「大丈夫、連中は追っ払ったよ」
少年はなおも老者の腕にしがみついたまま、アイラの言葉に小さく頷いた。
「もう離しておやり。いつまでもそうやってしがみつかれてたんじゃ、成仏できなくなっちまうよ」
小屋の裏に埋めてあげよう、ということになった。自分の持ち家の裏庭に、勝手に死体を埋められる大家にとってはたまったものではないであろうが、その辺りに遺棄したり、ましてこのまま小屋の中で腐らせるわけにもいかない。
幸い裏庭には木が一本植わっており、その根元に埋めてやることにした。
