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流浪の防人  作者: まいたけ
39/42

邂逅(3)

 早朝、スサを乗せた牛車ぎっしゃがトゥガンの町を後にし、都へと帰っていく。

 列をなし、母であるサクヤと大神官バラム、さらにはたくさんの衛士を供にし、その列は乱れることなくしゅくしゅく々と進んでいく。

 少しずつ遠ざかっていくその列を、アイラはひとり見送っていた。

 風が木の枝を揺らし、木の葉がさわさわと鳴いている。

 「さて、そろそろいくかね」

 一つ呟くと、アイラは足下にあった頭陀袋ずだぶくろを肩にかけ、歩き出した。

 早朝の太陽の穏やかな光が、アイラの全身を柔らかく包んでいる。

 流浪の護衛士であるアイラはひとつ仕事が終われば口入屋に行き、良さそうな仕事を見つけて諸国を回る。そうしてある程度金が貯まればとどまりたいと感じた土地で宿や小屋を借り、一定期間とどまる。それがアイラの暮らしであった。

 もともとナワト国の都にとどまる予定が、ひょんなことからスサを連れて流れることになった。

 懐にはスサを守った謝礼としての金がある。

 当初、金三十枚という謝礼――一国の皇太子を守った礼としてはそれでも少なすぎるが――であったが、アイラはそれを受け取らず、わずかに金三枚を懐に入れた。

 流れ者の護衛士にとって、使い切れないほどの金は邪魔な荷物でしかない、というのがその理由であった。

 トゥガンの町にとどまるだけの金はある。が、アイラはこの町にとどまるつもりはないらしく、さっさと歩きだした。

 口入屋に行くつもりもないようで、町とは反対の方角へと歩を進めていく。

 アイラは南東へと進んでいる。

 スサたちは北東へと進んでいる。

 アイラにはある意図があった。

 意図、というよりは『計略』といった方が正しいであろう。

 アイラとスサ、そしてその母であるサクヤしか知らない計略。

 その計略をもっていったい誰を騙そうというのであろうか。

 それは、昨夜のことであった。



 「母上!」

 上座に現れた母、サクヤの姿にスサは思わず声をあげた。

 両脇に控えていた女官が衝立ついたての間に張られていた布をかけなおそうと立ち上がる。

 「よい、そのままで」

 サクヤは静かな声でそう命じ、上座に腰を下ろすとバラムへと顔を向けた。

 「バラム、自儘なわらわの願いをよくぞ聞きいれてくれました。感謝します」

 皇妃であるサクヤが宮城を抜け出しトゥガンの町にいる。それは、宮城に帰るようスサを説得できるのは己だけである、とサクヤがバラムに強いたがゆえであった。自儘な、とはその言動を指している。

 大神官バラムはサクヤに向き直ると深く叩頭し、その場を辞し去った。

 アイラは初めて見るその皇妃の姿に息をのんだ。

 およそ同じ女とは思えぬほどに美しく、その挙措動作のすべてがたおやかで、一見しただけでその人柄の良さが滲みでているのである。

 どうしていいのか分からないのであろう。スサは戸惑うようにアイラとサクヤの顔を交互に見ている。

 アイラはまるっきり子供になったようなスサの顔を見て微笑む。

 ぽん、と背中をたたき、

 「何してるんだい、いってきな。あんたの母ちゃんだろう」

 その言葉をきっかけに、スサは弾かれたように母へ向かって駆け出した。

 飛びつき、サクヤの胸に顔をうずめると、人目もはばからずに泣き出した。

 嗚咽おえつを漏らすスサの胸中には様々な思いが去来しているのであろう。

 スサを強く抱きしめるサクヤの目から、幾筋もの涙が頬を伝っているのが見えた。 

 一国の皇妃でありながら一介の護衛士の前でこういった姿を見せるあたり、やはりサクヤが持つその本性はなによりも母なのであろう。


 しばらくして落ち着きを取り戻したスサは、今日までのあらましをサクヤに語り、再びアイラの隣に腰を下ろした。

 目は、真っ赤に充血している。

 「見苦しいところを見せたのう」

 サクヤは恥じ入るようにアイラに詫びた。

 アイラは、

 「いえ」

 とこたえるように小さく首を左右に振り、「で、わたくしのような一介の護衛士に、いったいどのようなご用件でしょう」

 と、いった。

 「まずはそなたに礼をいいたい。よくぞ今日まで皇子を守ってくれました」

 言葉を継ごうとするサクヤに、アイラは話を遮るようにふたたび首を大きく左右に振った。

 「皇妃様、わたくしのような一介の護衛士に、持って回ったような言い回しは不要でございます。どうかご用件をお聞かせください」

 「ぶっ――」

 ぶれいな、と女官が叱責しっせきしようとするのを、サクヤは目で押さえた。

 「そうか、ならば単刀直入にいおう。護衛士アイラよ、スサを、我が息子を返してもらう。そなたの仕事は今日で終わりじゃ」

 大神官バラムが六合嘱の結果が不吉の相ではなく、むしろその逆であったという以上、これ以上スサを宮城の外に置いておく理由はなく、むしろ早々に宮城に戻し、皇太子として即位し、帝の跡を継ぐべく学ばなければならない、というサクヤの言い分には一理あるであろう。

 が、アイラの表情はあくまで冷めている。

 「お言葉ですが皇妃様、わたくしの依頼人はとなりにいるスサでございます。失礼ながら、契約上部外者である皇妃様に、わたくしとスサとの間に交わされた契約を取り上げる権利はございません」

 あまりに予想外かつ無礼なアイラの態度に、女官たちの顔は怒りで蒼白になった。

 サクヤはアイラの言葉の意味が分からないらしく、戸惑ったようにわずかに身を乗り出した。

 「どういうことじゃ? そなたを雇ったのはトルグではないのか?」

 ――トルグ。

 スサと出会った夜にスサを守って死んだ老人の名である。

 アイラは首を左右に振る。

 「その老者はわたくしがスサと出会った夜、たった一言、頼む、とだけ言い残し死にました。どうしてもスサを返せと仰るのなら、わたくしの仕事が完了するのをお待ちいただきたい。もっとも、スサ自信が契約の終了を望むのであれば話は別ですが……」

 どうする、といわんばかりにアイラは隣に座るスサに目をやる。

 唐突に迫られた選択に、スサは狼狽した。

 アイラを見、サクヤを見、そうして再びアイラを見る。

 その澄んだ碧い瞳は、何事かをいいたげである。

 「しかしアイラよ、スサはまだほんの子供じゃ。そのような決断を迫ってどうする。子は母のもとで育つべきと、そうは思わぬか」

 サクヤはそういうと、厳しい表情でアイラを見た。

 が、アイラはより厳しい表情でサクヤを見据え、

 「お言葉ですが皇妃様、スサはもう子供ではありません。己の道は己で決める、一人前の男です。もう籠の鳥ではないのです」

 アイラの言葉に、サクヤは返す言葉を失った。

 確かにアイラのいう通り、わずか四、五十日足らずのうちに、幼かった我が子が目を疑うほどにたくましくなっていることを、サクヤは一目で気づいていた。

 うなだれるサクヤに、アイラはふっと微笑んだ。

 「皇妃様、このまま宮に帰れば、スサは確実に殺されますよ」

 え、とサクヤは顔を上げる。

 「な、なぜじゃ。すべての誤解は解けた。もう帝にも大神官にもスサを亡き者にする理由などないはず……」

 アイラの言葉にバラムも驚きを隠せない。

 「果たしてそうでしょうか」

 アイラはスサを見る。

 「あんたも、矛盾に気付いているんだろう」

 アイラの言葉にスサは黙って頷いた。

 アイラはこれまでの旅で襲撃されたときのことを話し、バラムから聞いた話との矛盾を指摘した。

 サクヤの顔がみるみる蒼ざめていく。

 バラムは三度、事故に見せかけてスサを暗殺しようとしたと告白した。その後スサが病に倒れたとして――サクヤが仕掛けた狂言であったが――成り行きを見守ったということも話した。

 が、現実にはアイラとスサはその後、より直接的な手段でもって襲われているのである。

 バラムが告白した話と明らかに齟齬そごがある。

 「怖れながら、大神官様が嘘をついておられるか――あるいは宮城内にスサを亡き者にしたいと欲する誰かがいるものかと存じます」

 大神官バラムもその誰かと結託している可能性がある、とまではいわない。

 アイラの言葉にサクヤは口元を押さえ、わずかに目を伏せた。

 「……なにか、思い当たることがあるようですね」

 鋭いアイラの観察眼に、サクヤは驚いたように顔を上げる。慌てて目を逸らし、怯えたように小さく震えだした。

 「……ミヤビ皇妃」

 絞り出した声は、あまりにか細く、まるで蚊の鳴くよう声であった。

 「ミヤビ皇妃?」

 「帝の……第三皇妃じゃ」

 そのミヤビ皇妃がなにか? とアイラが問うと、サクヤの顔はますます血の気を失い、本来の肌の色と相まって、ほとんど白磁はくじの陶器のようになってしまった。

 幾度か深呼吸をし、意を決したように口を開いたが、よほど恐ろしいらしく、容易には声の震えを押さえることができない。

 「スサが六歳になった年、ミヤビ様が御子を生んだ。第四皇子、ハク皇子じゃ」

 ナワト国では皇子の継承権は皇妃の位置づけではなく皇子が生まれた順で決まる。このため第四皇妃サクヤの息子であるスサが第三皇子になり、後に生まれた第三皇妃ミヤビの息子、ハクが第四皇子になる。必然、ハクに帝位を継承する権利はない。

 「ミヤビ様はそれまでも決して温厚なお人柄ではなかったが、ハク皇子が生まれてからは明らかに人変わりをなされた。わたくしに辛くあたり、ときおり射るような眼でスサを眺めていることもあった」

 ミヤビの性状についてはかつてふれた。

 その一種異常とさえいえるほどの強烈な自己肯定が、息子が生まれたことにより肥大し、歪み、第一皇子、第二皇子の相次ぐ崩御により帝位が手の届く距離に近づいたとき、一気に膨張し、破裂したとしても、なんら不思議なことではないであろう。

 「はじめはわたくしが異国の王の娘である、ということで忌み嫌われているのだろうと思っていた。いえ、事実そうではあるのじゃろう。じゃが……」

 サクヤはスサを宮城から逃がして以来のミヤビの態度を思い返す。その姿は妙に上機嫌で朗らかであったように思われた。高価な扇で口元を隠し上品に微笑む穏やかな目。もしかしたら、あの扇の下には歪んだけだものの姿が隠されていたのではないか。

 「いずれにせよ、宮の内側でスサの命を狙う何ものかの存在を否定できないのであれば、スサをお引き取りになるのがいかに危ういか、ご理解いただけるかと思います」

 「しかし」

 とサクヤはなおも引き下がらない。

 「宮にもわたくしの身辺を守る衛士はいる。そのものたちならスサをれものから守って――」

 サクヤの言葉の終わりを待たず、アイラは首を振った。

 「わたくしは二度、スサの命を狙ったものと刃を交えました。衛士程度では到底太刀打ちできないでしょう。また、その男たちはみな相当暗殺に長けております。そんな刺客たちから、生涯スサを守り通すことが果たしてできるでしょうか」

 「ならばどうせよというのじゃ!」

 冷静なアイラの発言に返す言葉のないサクヤは、取り乱したように声を荒らげた。

 アイラは隣で成り行きを見守っているスサに目を向ける。

 「スサ、宮に戻って皇太子として生きるか、このままあたしと行くか、その選択はあんた次第だ。あたしは強制しない」

 スサはアイラの顔を見ると迷うように眉根を寄せ、ふいと顔を背けた。

 「でも、まずは追っ手の問題を片付けよう。あたしに策がある。危険な策だが、あんた、乗ってくれるかい?」

 「策?」

 と、スサとサクヤは声を揃えた。



 風が砂塵さじんを巻き上げつつアイラの頬をなぶっている。アイラは口に入った髪を忌々し気に吐き出した。

 トゥガンの町を発って南西に歩いたアイラは、およそ九丁(約1キロメートル)ほど進むと反転し、北上を始めた。目的地は今いる地点より北におよそ二里(約8キロメートル弱)、トゥガンの町の北西にある白藤しらふじの滝と呼ばれる景勝けいしょうの地である。

 落差二丁(約200メートル)のこの滝は、春の盛りにはその周囲に白い藤の花が咲き乱れ、えもいわれぬ景観をあらわす。

 道幅は狭く、トゥガンの町から都へむかっては右手に崖が切り立っており、距離にして三里(約11キロメートル)ほどは、一本道になっている。襲われれば逃げ場はない。

 アイラがこの場所を通るよう指示した。

 アイラの策はこうであった。

 衛士では刺客を押さえきれない、とはいったものの、宮のなかで凶行に及ぶのは当然難しい。できれば宮の外で始末したい、と考えるのは、刺客としては当然であろう。

 そこで、あえてスサをおとりにしたのである。

 アイラは仕事の契約を解除され、スサは都に返る、という姿を装い、あえて刺客を誘い出そう、という。

 アイラは一度スサとは反対の方に行き、のちに北上して襲撃予想地点で合流する。襲撃者を捕らえ、その黒幕を暴き、一網打尽にしようというのである。

 果たして翌朝、スサは出立前に大神官に白藤の滝を見たい、といった。

 当然大神官は警護の観点から強く反対したが、スサが駄々をこねることによって――無論、演技である――大神官は承諾せざるを得なくなった。

 (さて上手くいくか)

 予定地へ向かってかけるアイラの胸中にはそんな不安がある。しくじれば、おそらくスサの命はない。

 (考えるな)

 守ると決めた命、どんなことがあっても守るのだ、と言い聞かせる。

 風となって駆け続け、やがて予定地である白藤の滝を見下ろす崖の上にでる。駆ける視線の先に、やがて大きな空が見えはじめたとき、そのはるか前方に、黒い影が見えた。

 徐々に近づくその影を見晴るかす。

 やがてその影が人間の男であると気づいた。

 見たことのない男である。

 当然であろう。

 それは宮城の後宮はミヤビの居館、連靜宮れんじょうきゅうで刺客を操っていた男、フドウであった。

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