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流浪の防人  作者: まいたけ
37/42

邂逅(1)

 野路のじをぬけ、街道へと突きあたった。

 「どうやらちゃんと目指すべき道に出られたみたいだね」

 アイラの言葉にスサは周囲を見渡した。

 なるほど視界を遮るもののない開けた道には、荷物を背負った旅人や荷馬車を連れた商人らが、同じ方角へと歩を進めている。みな、この道の先にある国境の町へと向かうのであろう。

 「この人たちみんな国境を越えてシャガル王国へ行くのかな?」

 「どうだろうね。何人かはそうかもしれないけど、国境の町で商売をする商人もいるから全員が全員ってわけじゃないだろうね」

 アイラのいう通り、商人たちのなかにはあえて国境を越えず、国境の町にとどまって商いをする者たちもいる。その多くは近隣の町や村に住む小商人たちであった。

 彼らの多くは農家や商家の次男三男で、継ぐ家をもたず、かといって独立もできないまま家業を手伝い小銭を稼いで暮らしている、というものが多い。

 こういった小商人たちの稼ぎは少ない。

 特に食料を商う小商人たちの稼ぎはことさらに少ない。

 旅人や行商人が行き交う国境の町には食料品を扱う店も多く、そういった店は品数が多いうえに大量に購入することで値引きされたりもする。それらに先んじて商品を売るためには単価を下げざるを得ず、必然、実入りは少なくなる。

 アイラの話にスサはふうん、と頷いた。

 平坦な道が続いている。

 アイラが右手を見晴るかすと、奇妙な山が横たわっているのが見える。

 おや、と思った。

 (あの山、見覚えがある)

 確かに独特な形をした山であった。天をくほどに高い、というわけではなく、むしろどちらかといえばその標高は低いといえるものであったが、まるで大きな牛が丸まって横たわっているようなずんぐりとした稜線りょうせんが、晴れた空の下に横たわっているのである。

 「あの、すいません」

 前を行く男に声をかける。

 「この道の先にあるのは、トゥガンの町ですか?」

 男は不愛想にそうだ、とだけいうと、ぷいと前を向き、背負った荷をゆすりながら首をかしげた。おかしなことを聞く奴だ、とでも思ったのであろう。

 トゥガンは古くからある国境の町で、華やかさはなく、町の規模自体もそれほどではないが、人の往来は昔と変わりがなく、一種独特の賑わいがある。アイラも何度か訪れたことがあり、一度ごろつきにからまれていた男を助けたこともあった。


 アイラとスサがトゥガンの町影をはっきりと視界に捉えたのは、朱色の天が徐々に黒に染まり始めたころであった。

 (間に合いそうにないな)

 ナワト国の国境を越えてシャガル王国に入るには、トゥガンの町のなかにある国境の門をくぐり、峠を越えなければならない。が、すでにふれたとおり、その門も日没とともに閉ざされ、日が昇るまで開かれることはない。

 (適当に夜を明かすしかないか)

 物置小屋でも貸してもらえれば御の字で、雨露さえしのげるなら橋の下でも構わない。どちらにせよ、宿に泊まる金などないのである。

 (峠越えは半日、叔母さんの家まで十日、着いたら湯につかってぐっすり眠る。身の振り方はそれから考えよう)

 それまでは野で眠り、木の実や獣を取ってしのぐしかない。

 (叔母さんのれてくれたラコ茶が飲みたいな)

 叔母であるアミタとはもうずいぶん会っていない。

 すう、と息を吸い込むと、鼻孔びこうの奥に懐かしい香りがよみがえってくるような気がした。


 町の入口に、一人の乞食がいた。さかんに首をひねっている。話を聞くと、ここ三、四日ほど町の雰囲気が違っているような気がするのだという。

 乞食の話にはなんの具体性もなく、ただなんとなく、といういわば乞食個人の感覚的なものに過ぎなかったが、反面乞食や物乞いほど町の様子やそこに暮らす人々の噂に精通しているものもいないであろう。常に通りに腰を下ろし、町の風に肌をさらしている乞食や物乞いは、わずかな変化を理屈でなくその肌で直に感じ取るのである。

 アイラは乞食の話に胸がざわつくのを感じた。

 町の入り口を過ぎると、通りでは宿や飯屋の客引きが威勢のいい声を張り上げて道行くものの注意を引こうとしている。

 様々な口上が人々の間を縫うように通りを行き交い響く。客引きの口上が上手ければ、それだけ客を引っ張ることができる。なかには男の本能に訴えかけるような口上まで聞こえてくる。

 と、不意に背後から声をかけるものがあった。

 「アイラさん……ですか?」

 振り返ると、一人の若い男が立っていた。

 「やっぱりアイラさんだ。お久しぶりです」

 男は満面の笑みを浮かべ、懐かしそうにアイラの手をとった。

 「あんた、もしかしてマルクルかい?」

 「そうです、以前助けていただいたマルクルデです!」

 先にふれた、アイラがかつてトゥガンで助けたごろつきにからまれていた男、それがこのマルクルであった。

 「あのときは本当に、ありがとうございました。ろくに礼もできず……」



 話はこうである。

 アイラがある酒場で食事をしているときのことであった。

 後ろの席では男が四人、賭け事に興じている。手に五枚のふだを持ち、四人のうち三人までが眉間に激しくしわをよせている。どうやら一人だけ大勝ちしているようである。それがマルクルであった。

 しばらく眺めていたが、イカサマをしている様子はない。どうやらマルクルには博打ばくちの才能があるのか、あるいは他の三人がその才能にいちじるしく欠けているのか、いずれにせよ、マルクルは一人だけ、勝ちすぎるほどに勝ちすぎているのである。

 (危ないな)

 と、アイラは思った。

 勝負事というものは、あまりに一方的に勝ちすぎるとあとに恨みを残す。余計ないさかいをおこさないためには適度に相手に勝ちを譲るほうがよく、己の勝利は十のうち八か七にとどめておくのがちょうどいい。そういった意味で見れば、なるほどマルクルは無慈悲なほどに勝ちすぎている。が、当のマルクルは己が勝ちすぎていることにまるで気づいていないらしく、気持ちよさそうに酒の満たされた杯をあおっていた。

 やがて何度目かの勝負を終えたところで三人の男らは唾を吐くように卓に金を叩きつけ、席を立って別の卓についた。

 残されたマルクルは、満足そうに金を財布につめるとそのまましばらくのあいだ酒を飲み、やがて支払いを済ませて店を後にした。

 それを見ていた三人の男たちは、目顔めがおで合図しあうと、あとに続くように店を出た。何やら剣呑けんのんな雰囲気であった。

 (やれやれ)

 気づいてしまった以上は放ってはおけない。

 アイラは小さく溜息をつくと、男らの後を追うように店を後にした。

 案の定、路地裏からもめるような問答もんどうが聞こえてくる。

 その声をたよりに路地裏をいくと、果たしてとある店の裏で、三人の男たちに囲まれたマルクルを見つけたのである。

 すでに何らかの暴行を受けたのであろう、マルクルは鼻から血を流し、地面に尻餅をついたまま怯えるように震えている。

 男がもう一撃加えようと振り上げた拳を、アイラが背後からつかみ制止する。

 「そこらへんでやめときな」

 突然現れた見知らぬ女に男たちは固まってしまった。

 口を開けたまま何もいおうとしない。

 何ごとかをいおうとしているのであろうが、言葉が上手く音にならないらしい。

 そんな男たちを尻目に、アイラはマルクルへと歩み寄り、かたわらにしゃがみこむとマルクルの懐に手を入れた。

 取り出した財布はずしりと重い。

 「え、あ、ちょっ……」

 「こりゃまたずいぶんと巻き上げたもんだ」

 半ば呆れるようにいいながら、「どれだけ勝ったんだい?」といった。

 男たちはなおも動けない。

 これだけ堂々と、かつ無造作に背後を見せられては、かえって動くことができなくなるものらしい。

 マルクルから先ほどの賭け事で得た金額を聞くと、アイラは財布の紐を緩めた。そうしてそのなかから三分の二を取り出しマルクルの懐にねじ込むと、残る三分の一を財布ごと男たちの足元へと投げた。

 「あんたらが負けたのは事実なんだ。今日のところはそれで勘弁してやりな」

 あんたもそれでいいね、とマルクルに確認すると、マルクルは無言で激しく点頭てんとうした。が、男たちは収まらない。

 「ふざけるな!」

 といったのは、年長らしい太った男であった。

 「そいつはイカサマをしたんだ、腕の一本でも折ってやらねえと気が収まらねえ!」

 男の怒声にマルクルは身体を震わせる。

 「いいや、イカサマなんてしてないよ。あたしも見ていたからね。あれは真っ当な勝負だった」

 「やかましい、女の分際ででしゃばるんじゃねえ!」

 男はずかずかと近づくと、マルクルの前に膝をついているアイラに向けて、拳を振り下ろした。

 アイラは踏み込んだ男の足を手でつかむと、高々と天に放り投げるようにすくい上げた。

 男は慌てたように手で宙空を掻くと背中から地面に倒れ込んだ。背中を強く打ち息が詰まったのであろう、激しく咳き込む。

 それを見てとった二人の男は懐から短刀を取り出した。

 「てめえ……ぶっ殺してやる!」

 アイラの顔色が変わる。

 「あんたら、そんなものを出すってことは、それ相応の覚悟はできてるんだろうね?」

 アイラはゆらりと立ち上がると、男たちを睨みつける。その鋭い目に睨み据えられ、男たちは気勢を削がれたように息をのんだ。

 一体何にされているのか、男たちに理解できようはずもなかったであろうが、なにもいわずに金を懐にねじ込みその場を後にしたのは、おそらく本能的な決断だったのであろう。

 そそくさと去っていく男たちを、マルクルはぽかんとした顔で見送る。

 「大丈夫かい?」

 我にかえったマルクルは立ち上がると埃を払った。

 「あの、助けてくれてありがとうございます。俺、マルクルといいます。あなたは……?」

 「アイラだ」

 アイラは笑いながら、「あんたもこれに懲りたらもう賭け事はやめな。博打の才能はあっても、勝負事の才能はなさそうだ」といった。

 二年と少し前のことであった。



 「あのときは本当にありがとうございました」

 アイラの手をつつむ両の手に、暖かい力がこもる。

 「まだ賭け事をやってるのかい?」

 「いえ、あれ以来きっぱりやめて、今はおやじの店を手伝ってます」

 「店?」

 いぶかしむようなアイラの表情に、マルクルはそうだ、と思いついたような笑みを浮かべた。

 「アイラさん、今夜の宿はどうなってます?」

 マルクルの父親は、宿の主人であった。まだ宿が決まっていないのなら、ぜひとも来て欲しい、ということであった。

 「いや、ありがたいんだけどあいにく金がなくってね」

 自嘲気味に苦笑するアイラに、マルクルは大きくかぶりをふった。

 「とんでもない、お金なんていりません。助けてもらったお礼です」

 「しかし、無料ってわけには……」

 しぶるアイラにマルクルは、

 「息子さんからもなんとかいってくださいな」

 と、となりで二人のやりとりを眺めていたスサに話を向けた。

 「え……と」

 あまりに唐突に話の水を向けられたスサはしどろもどろになり、言葉が出てこない。

 そんなスサを見て、アイラはくつくつと笑う。

 「マルクル、この子は息子じゃないよ。あたしのお客さ」

 ええっ、と驚くマルクル。

 アイラが護衛士であることは、後日人づてに聞いていたが、まさかこんな子供まで護衛の対象にしているとは思わなかったという。

 「まあ、いろいろ訳ありなのさ」

 「だったらなおのことうちの宿に来てください。まさかこんな小さなお客さんに野宿させようってんじゃないでしょうね」

 護衛対象者を客としてみた場合、マルクルの言い分にも一理あるであろう。アイラも常であればそういった心配りができたのであろうが、スサは客というよりも己の一部のような思いが心のどこかにあり、それゆえにそういった心配りにかけてしまったようであった。

 「それじゃあお言葉に甘えよう。スサ、行こうか」

 そういうことになった。


 マルクルに連れられて行った先にあったのは二階建ての建物で、なかに入ると大きな一間にいくつもの卓があり、酔客すいきゃくたちが杯を片手に陽気に騒いでいた。

 「うちは酒場も兼ねてて、一階が酒場、二階が宿です。ちょっとうるさいけど、部屋はまともなんで勘弁してください」

 陽気な喧騒けんそうのなか、マルクルは大きな声で、親父、と呼ばわる。

 その視線の先には暖簾のれんがかかっており、厨房につながっているのであろう通路が見えている。その暖簾をかきわけ、頭の禿げあがった、いかにも生気に満ちた五十がらみの男が顔を出した。

 マルクルの父、バズスである。

 手には調理鍋を持っており、なにやら香ばしい香りがする。

 たくましいその腕と生気に満ちた目は、宿屋の亭主というよりは、腕自慢の護衛士といったふうであった。

 マルクルが事情を話すとバズスはこころよく一室を貸し与えてくれた。

 二人を部屋の前まで案内すると、マルクルは、

 「湯と食い物をお持ちしますね」

 と言い残し去っていった。

 部屋のなかに入る。

 十二畳ほどの部屋の真ん中には大きな卓と椅子があり、その向こうには窓が見える。右の奥には間仕切りするように衝立が二枚あり、左の奥には同じように二枚の衝立とふたつの寝台が見えた。取り立てて豪奢ごうしゃな部屋ではないが、旅人が疲れをいやすには十分すぎるほどの空間である。

 やがてマルクルがお湯を張った桶を持って戻ってきた。

 右奥の衝立を指さし、

 「あの奥にたらいがあるんで使ってください」

 と、いった。

 どうやら衝立の向こう側の空間は、湯浴みをするためのものらしい。

 のぞいてみると、なるほど床の隅に穴が設けられている。わずかに床が傾斜けいしゃしており、こぼれた水はその穴を通って雨どいのようなところに流れ込み、排出されるようになっているらしい。

 湯を使って旅塵りょじんを洗い流したあとには料理が並べられた。

 甘辛いたれをからめて焼かれたにんにくの良い香りがする羊肉料理や、魚と貝を香味野菜とともに酒で蒸したもの、スピナトと呼ばれる葉物野菜とカロテという根菜を、すりおろした木の実であえたものなど、どれも非常に美味そうである。

 もっとも、羊肉の匂いにだけはスサはあからさまに顔をしかめた。

 そもそもナワト国では羊肉は食べられておらず、この店で出されているのは、シャガル王国の民が好むためであった。

 このあたりにも、この町が古くから開かれた国境の町であったという名残が見て取れる。

 「マルクル、ちょっといいかい」

 食事をする前に、アイラはマルクルに声をかけた。

 「この町にはいるとき、乞食の話を聞いたんだけど、どうにもここしばらく町の様子が違ってる、というんだ。あんた、何か知ってるかい?」

 アイラの問いに、マルクルは料理を並べる手を止め、記憶を探るように視線を宙に彷徨さまよわせ始めた。

 しばらくして、思い出したように口を開いた。

 国境を越えようとする人間への監視が厳しいのだという。

 「普段なら確認しないようなところまで門番に確認されたっていってましたね」

 頭布とうふは必ず取らされ、荷は必ずなかをあらためられるという。

 「まるで罪人でも探してるみたいだって店に来た客がいってるのを聞きました」

 それにつられて町のなかをうろつく衛士の数がここしばらく多いような気がする、という。

 「そのせいで、町全体が少し気がたっているというかなんというか」

 マルクルは苦笑すると止めていた手を動かし始めた。

 (あたしらを追ってるのか……?)

 それとも偶然であろうか。

 スサと目が合う。

 (そうだね、偶然なはずがない)

 スサもまた、マルクルの話を聞いて察したのであろう。アイラの目を真っ直ぐに見つめ、小さく頷いた。

 そのとき、窓の外にあわただしく集まってくる足音を、アイラとスサは聞いた。

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