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流浪の防人  作者: まいたけ
36/42

萌芽

 翌朝、日の出からわずかして、二人は小屋を後にした。

 しばらく歩き続けると、小さな集落へと行き当たった。日は、中天に差しかかろうとしている。

 集落はごく小さなもので、畑のなかにぽつりぽつりと平屋の小さな家屋がまばらに建っている。畑仕事をしていたのであろう数人の人影が、木陰に腰を下ろし、いっときのりょうをとっているように見える。

 アイラは木陰へと近づく。自分たちが歩いているこの場所がいったいどのあたりなのか、土地のものに尋ねるのが一番の近道であろう。

 近づいてみると、木陰に腰を下ろしていたのは若い男女と二人の幼子であった。夫婦とその子らなのであろう。

 男が、近づいてくるアイラに気付き、警戒の色をあらわにする。妻と二人の幼子を、その背に庇うようにアイラの前に立った。

 「突然すいません。わたしたちは旅のものなのですが、道に迷ってしまって、ここがどのあたりか教えていただきたいのですが……」

 アイラは無用の警戒心を与えぬよう、かたわらにスサを立たせ、微笑をたたえたまま慇懃いんぎんに尋ねた。

 「まあ、それはお困りでしょう」

 といったのは、男の背後で二人の幼子を守るように腕に抱いていた女であった。

 スサの姿を目にしたことが警戒心を解いたのであろう、男も笑顔を浮かべ、アイラとスサを、木陰へと誘った。

 「よかったら、ひとつどうです?」

 腰を下ろした二人に、男はにぎり飯を差し出してきた。

 「ちょうど畑仕事が一段落して、昼飯にしようとしていたところなんですよ」

 男の言葉に返事をしたのはスサの腹であった。

 ぐう、と響くような腹の虫に、皆が目を丸くし、次の瞬間に笑い出した。

 ひとり、スサだけは頬を赤く染め、ばつが悪そうにうつむいていたが、皆の笑い声につられたのであろう、顔を上げて照れくさそうに笑った。その顔に、昨夜の悲壮ひそうさは感じられない。

 アイラはそんなスサの笑顔に、どこか救われるような感覚を覚えた。


 「今年も暑いですね」

 といったのは男の方であった。

 握り飯を食い終わり、指についた飯粒を舐めながら、男は苦笑する。

 「いえね、ここ数年、暑さのせいで作物の実りがよくなくて」

 ナワト国において近年雨量が減っていることはかつてふれた。小さな集落で自給自足の生活をしているものからすれば、実りの減少は死活問題になる。ただでさえ雨量が少なく実りが悪いところに、万が一病虫害でも起これば、やがては飢えざるをえなくなる。そうなったとき、この小さな子供たちは生きていられるのであろうか。

 「きっと帝がなんとかしてくださいますよ」

 夫の不安に、妻がこたえる。

 スサは苦々しい表情を隠すように、握り飯にかぶりついた。


 食事を終えると、二人の幼子がスサのもとへと歩み寄った。幼子は兄妹で、どうやらさほど人見知りをしない性質であるらしい。特に妹のほうは、スサのあおい瞳を物珍し気に覗き込んでいる。

 大きな目をいっぱいに開き、きらきらさせながら、

 「きえいだねえ」

 と、妹が舌足らずにいうと、兄はさとすように、

 「き・れ・いだろ」

 と注意する。

 なにやら自分に似つかわしくないような微笑ましい風景に、アイラはなにやら背中がむず痒くなるような思いでいた。

 スサもまたどうしていいか分からないのであろう、苦笑しながら救いを求めるようにアイラに視線を送っている。その姿が妙に滑稽こっけいで、アイラは笑いをこらえなければならなかった。

 「ねえ、あっちで遊ぼうよ」

 兄がスサの袖を引っ張り立ち上がるように促すと、妹も反対側の裾をつまんで引っ張り出した。

 「二人ともやめなさい。お兄ちゃんが困っているでしょう」

 母親が兄妹をたしなめるが、兄妹はさも不満そうに頬を膨らませた。

 「いいじゃないかスサ、遊んでおやりよ」

 予想外のアイラの言葉にスサは困惑したが、兄妹は一層笑顔を輝かせ、さらに袖を引っ張り出した。

 抗しきれずに立ち上がったスサは、袖を引かれるままふらふらと歩き出す。じゃれあう姿はまるきり兄弟に見える。

 「息子さん、ですか?」

 父親がたずねる。

 どこか確証のなさそうなたずね方は、アイラとスサの間に流れる空気のようなものが、親子のそれとは微妙に違うことを感じ取ってのことなのであろう。

 「いえ、実は私は護衛士で、少しこみいった事情があって、あの子の護衛をしているんです」

 護衛士、と夫婦は声をそろえて驚いた。

 「それで、シャガル王国に行きたいのですが、このあたりの地理に疎くて、それで道をお尋ねしたかったのです」

 「ああ、なるほど」

 スサのような子供を護衛しているなどというのはよほどこみいった事情があるのであろうと察した夫婦は、不躾ぶしつけな質問をび、それ以上何もいわなかった。

 「この辺りは――」

 父親の話によると、この辺りは名前もない小さな集落で、地図などにも載っていならしく、訪れるものなどほとんどないという。戸数は十ほどで、皆で自給自足の生活を送っているらしい。

 「町に比べて刺激はないかも知れないけど、豊かな自然と、女房と、子供らがいれば、それほど悪い暮らしではありません」

 と、父親は笑った。

 「ここから西へ一里(約4キロメートル弱)行けば街道に出ます。街道を北西へ四里(約16キロメートル弱)ほどいったところに国境の町があります。隣の国へ行くなら、そこからが一番近いんじゃないかな」

 合わせて五里ならそれほど遠くはない。今から出発すれば日が沈む前には町にたどりつけるかも知れない。日が沈んでしまえば国境を越えるための門が閉ざされてしまう。

 「スサ、そろそろ行こうか」

 と、声を掛けようとしたが、スサは兄妹にじゃれつかれ、どうやらそれどころではないらしい。

 「ああ、すいません。このあたりには年の近い遊び相手があまりいないものですから」

 母親が苦笑しながらいった。

 なるほどたださえ人の少ない集楽のなかでは、年の近い遊び相手を求めるのは難しいものらしい。とはいえ、近いといっても兄とスサの年齢差は五、六歳はあるであろう。集落のなかにいる幼い子供は、あるいはこの兄妹だけなのかもしれない。

 スサと兄妹が息を弾ませて戻ってくる。左右の手には、兄妹の手がつながれている。

 「スサ、そろそろ行くよ」

 「あ、うん」

 アイラに声をかけられスサはつないでいた兄妹の手を離す。

 と、兄妹がスサにしがみつき、

 「やだあ」

 「やらあ」

 と、引き止めだした。

 「二人ともやめなさい。困ってるでしょう」

 と母親がたしなめても、兄妹は聞く耳を持たず、スサの手にぶら下がるようにしがみついている。

 狼狽ろうばいしたのはスサであった。

 どう対処していいのやら、アイラを見、夫婦を見、兄妹を見てから改めてアイラを見る。

 アイラもまた、苦笑しながら頬をくしかできない。いかに百戦錬磨の護衛士であろうと、さすがにこういう場面でどう対処すればいいのかわからないようであった。

 「あの……良かったら今日はうちに泊まって、翌朝出立されてはどうでしょう?」

 と、意外な提案を口にしたのは父親であった。

 「見たところずいぶん疲れているようですし、急ぎの旅でないならひと晩ゆっくりしてからでも……」

 そうしてもらえれば子供らも喜ぶ、という。おそらくそれが本音なのであろう。とはいえ、集落全体を見たところ、さほど裕福な暮らしではないであろうところに見ず知らずの旅人に一夜の宿を提供しようなど、よほどのお人好しなのであろう。

 アイラは迷った。

 事実身体は重く、休めるものならば休みたかったが、追われている、という事実が他人の好意に甘えることを許さないのである。

 (巻き込んでしまうかもしれない)

 そんな思いがアイラの胸中にある。

 と、スサが口を開いた。

 「ありがとう。でも遠慮しておきます。俺は、命を狙われているんです」

 夫婦は互いに顔を見合わせる。

 どうやら、命を狙われているという言葉が、現実感を伴ったものとして己のなかに浸透しんとうしていかないようであった。

 「え、と……」

 「だから、あなた方を巻き込みたくない」

 スサは兄妹の身体を引きはがし、しゃがみ込んで微笑むと、二人の頭をなでるようにふわりと優しく手を置いた。

 「両親のいうことをよく聞いて、仲良くするんだよ」

 おや、とアイラは思う。

 その姿には、なんともいえない威があった。

 有無をいわさぬ威がありながら、決して権高けんだかではなく、むしろ慎ましやかで涼やかな、自然とこうべを下げたくなるような風であった。

 「もし誰かに俺のことをたずねられたら、ありのままを話してください」

 ありのまま、つまり、一番近い国境の町を目指し街道を歩いているであろうことを包み隠さず話してしまえ、というのである。

 「行こう、アイラ」

 (これが帝の血ってやつなのかね)

 二人は夫婦に礼をいうと、集落を後にした。



 アイラとスサは街道へとつづく野路のじを歩く。道の両側には青々とした草木が茂り、抜けるように晴れた空では一朶いちだの雲が西へ向かって吹き流されていた。

 「いい人たちだったね」

 スサは流れていく雲を見上げながらいった。

 「ねえアイラ、俺さ、宮から出されたことは、きっといいことだったんだと思うんだ」

 スサは背後を歩いているアイラを振り返ることなくいった。

 アイラはその小さな背中を見つめながら、黙ってスサの言葉に耳を傾けている。

 「母上に会えないのは正直さみしい。でも、宮にいたころよりも、生きるっていうことがどういうことなのか、今ならなんとなく分かるような気がするんだ」

 皇族の子女たちに対する宮城内の在り方について、真綿の内側で、熟練の職工の手によって丹念に磨き上げられていく宝石のようなものである、ということはかつてふれた。

 果たしてそこに、己の意思というものがあったのだろうか、とスサはいう。

 スサの胸中にはかつてなかった感情が生まれていた。それはある意味、これまでの自分というものの一切を否定する感情であったといっていい。

 「俺は、神の子じゃなくていい。見も知らない神よりも、地に足をつけて、出会う人々との関わりを大切にしていきたい。そうするためには、きっと宮のそとに身を置いていたほうがいいんだと思う」

 強い、とアイラは思った。

 かつて愛するものを理不尽に奪われたとき、この世の全てを呪った。そんな自分に比べ、目の前を歩く少年はどうであろう。父に命を狙われ、母に捨てられ、それでもなお己の運命に唾を吐くことなく前を向けるその心の、なんと強いことか。

 「まったく、たいしたもんだよ」

 感嘆の呟きは、スサの耳には届いていない。

 「なにかいった?」

 振り返ったその顔は、またひとつ、あどけなさが抜けたように見えた。

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