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流浪の防人  作者: まいたけ
33/42

獣の罪、人の罰(2)

 目の前には、叔母であるアミタの家がある。アイラは扉に取り付くと、激しく叩いた。

 夕食をとっていたのか、大慌てで外へと出てきたアミタは手で口元を押さえ、しきりと口を動かしている。

 とにかくなかへ、と仕草でアイラをうながす。アミタは湯飲みをつかむとお茶を流し込み、口中に残ったものを飲み込んだ。

 「どうしたの、そんなに慌てて」

 むせて咳き込むアミタの背を、夫がさする。

 「おじさんが、ハキムおじさんがいなくなった!」

 アミタの衣の襟にすがりつくその狼狽振りは、尋常一様のものではない。

 「今まで、あたしに一言もなくいなくなることなんてなかったのに……」

 振り返ってみれば、急に一人で護衛仕事をさせられたことに、もっと疑問を持つべきだった、という。

 「とにかく落ち着いて、いったん座りなさいな」

 一息に喋るアイラを押さえ、アミタはアイラを座らせた。

 「あんた、ちょいと新しくお茶をいれとくれ」

 一見ぞんざいなアミタの言葉に、夫は「はいよ」と頓着なく返事を返し、台所へと足を向ける。普段からそうなのであろうか、夫は慣れた手つきで茶の準備を始めた。

 しばらくして、夫が台所から茶をいれた湯のみを持って戻ってきた。

 それをアイラの前に置く。

 「じゃ、俺は引っ込んでるわ」

 と、自室へと引っ込んだ。

 湯飲みから湯気とともにたつ甘い香りが鼻孔をくすぐり、ほんのわずか、アイラの気持ちを落ち着かせた。

 そんなアイラの様子を見て取ったアミタが一度席を外し、手に何かを持って戻ってきた。

 「手紙?」

 「読んでごらん」

 にわかに緊張感を帯びた表情を見せるアイラに、アミタがうながす。アイラは、震える手でゆっくりと手紙を開いた。

 読み進めていくうち、アイラの表情がみるみる強張っていく。手紙を持つ手が、震えていた。

 そこにはハキムの筆跡で、仇を討ちに行く、とはっきり書かれていた。そして、万が一自分が戻らなかった場合、全てを忘れ、剣を捨て、そうして女としての幸せを見つけろ、とあった。

 「これ……いつ?」

 いつ渡されたのか、と問うた。

 「あんたが護衛仕事に出た日の昼過ぎにうちにきてね。仇を見つけたといってた」

 ハキムはアイラを鍛えるかたわら護衛仕事を請け負ってはシャガル王国内を放浪し、ヤクモ族の村を襲ったのが誰であるのか、その情報を密かに集めていた。先日請けた仕事で王都に訪れた際、確かな筋から確実な情報を手に入れたらしい。

 「王都……」

 シャガル王国の王都は今いる町から南西にある。距離にしておよそ九十里(約350キロメートル)ある。アイラが行けば、一日歩き詰めでも十二日はかかるであろう。ハキムの足ならば十日ほどであろうか。あるいは、すでに仇を討ち果たし、急ぎ帰路についている可能性もあるのではないか。

 が、アイラの胸中は穏やかではない。振り払おうにも払えない、妙な胸騒ぎがするという。

 今すぐ王都に向かいたい、という衝動に駆られる。だが、目の前の叔母は、果たしてそれを許してくれるものだろうか。

 この十年、母のように慕ってきた叔母を、悲しませるような真似はしたくない。そんな思いが、喉まで出かかっている「王都に向かいたい」という思いに蓋をしている。

 ところが、アイラの表情からその心中を察したのであろう。アミタが、

 「行きたいんだろう、アイラ」

 と、その音に寂しさを滲ませながら問うた。

 「王都に行きたいんだろう。顔に、そう書いてあるよ」

 ――止められない。そう、アミタは思っていた。

 たとえ今この場でアイラを制止しても、日を経ずしてアイラは王都に向かうであろう。そうなったとき、この娘は、自らを責めるに違いない。それならばいっそ送り出し、後顧の憂いなく王都に向かわしめたい。そんな思いが、アミタにはあるのであろう。

 「行ってきな。ハキムだって、きっと怒りやしないさ」

 ただし、という。

 「必ず、帰ってくるんだよ」

 そういったアミタの表情には、常と変わらない、おおらかな笑みが浮かんでいた。

 アイラは深く一礼するとアミタのもとを辞去した。

 小屋へ戻ると、あるだけの金と日持ちのしそうな食料を革袋に詰めた。護衛仕事を終えたその足で、王都へと向かうつもりであった。

 見るからに気が急いている。

 遅れれば、それだけ事態が悪くなるような気がして、とてものことではないが冷静ではいられなかったのであろう。日はずいぶん前に沈んだが、幸い月は真円を描き、辺りを仄暗く照らしている。

 (大丈夫、こんな胸騒ぎ、ただの杞憂に終わるに決まってるさ!)

 まるで自らに言い聞かせるようにそう呟くと、小さな荷をひとつ肩に担ぎ、小屋を後にした。



 アイラがシャガル王国の王都にたどり着いたのは七日後のことである。ハキムが十日ほどかけて到着したことと比較すれば、驚くべき早さといえるであろう。

 かなりの無茶をした。

 普通、日が昇るとともに歩き出し、日が沈むとともに身体を休める。健脚が自慢の男がその周期で一日歩き詰めてもせいぜい八里から十里(約30~40キロメートル)が限界であろう。

 が、アイラは一日におよそ十三里(約50キロメートル)もの距離を歩いた。

 歩いた、というよりは、ほとんど走っていたようなものであった、というほうが正確であろう。

 最初の夜から次の夜までは一日駆けた。そうして日の出まで身体を休めると、再び駆け出し、日没後、手早く食事をとり、身体を休めた。それを七日繰り返した。

 途中、猛烈な風雨に晒された。

 風が逆巻きくように吹き荒び、木々は悲鳴を上げるようにぎしぎしと鳴いた。山の木々を根こそぎなぎ倒すような強風は、否応なくアイラの足をその場に釘付けにした。

 自然信仰を旨とするものや、迷信を信ずるものであれば、その様子を見て、この先に待ちうける危難を予感させるものだと大なり小なり胴を震わせたかもしれないが、十年前に家族を失って以来、アイラはそういった信仰や迷信といったものを、頭から否定するようになっている。

 このときも、猛烈な風雨のなかを無理やりに進もうとした。が、風は真正面から吹きつけ、雨とともに行く手を遮ったため、断念せざるをえなかった。

 わずか一日の停滞であったが、そのことが、幸か不幸か運命を別けた。

 実のところ、ハキムの仇討ちは失敗に終わり、処刑されることになるのだが、もしもこの一日の足止めがなければ、アイラはその処刑現場に居合わせることになっていた。そうなればいったいどうなっていたか。

 おそらくハキムを救うべく刑場になだれ込み、刑の執行人や、数人の兵士を打ち倒した後に取り押さえられ、ハキムとともに処刑されていたに相違ない。

 たとえごく近い未来であろうと、それを予知することができる人間などいないであろう。当然、この先に待つ未来をアイラは知る由もない。

 アイラはかつて大人しい、親や姉の背後から世界を覗き見るようにして見ていたような娘であった。それが、全てを失ってからのこの十年、にわかに変じた。

 激しやすい。ハキムの安い挑発を受け流せなかったあたりにも、そういった性格の片鱗を見ることができるであろう。

 ともかくアイラはシャガル王国の王都にたどり着いた。繰り返しになるが、王都を目指してから七日目の昼過ぎのことである。

 王都の風景は異質である。

 シャガル王国が多民族からなる国であることは何度か触れたが、どの民族も大なり小なり文化の違いはあれど、生活様式はさほど変わらない。家は木造の平屋で、人々はおおむね狩りや家畜の世話などをしており、よくいえば自然と寄り添いながら、悪くいえばあまり文明的ではない生活を営んでいる。

 ところが王都はどうであろう。

 橋を渡り門をくぐれば、そこに広がる建物はどれも多層を成し、どの家々の窓にも玻璃が入れられている。道は石畳できれいに舗装されており、溝を掘って水路が張り巡らされている。町のなかには家畜の姿などどこにも見当たらない。

 もし鳥の目を借り、天空からこの一画を見下ろすことができれば、その異質さは一目瞭然であろう。

 このことはシャガル王国を支配する王族が在来の民族ではなく、他の土地から渡ってきた異邦人であることが大きく関係しているのであろう。あるいは王族の出身地では、この風景が当たり前のものであるのかもしれない。

 アイラは大門をくぐるとその異質な建物群に思わず息をのんだ。今まで見たこともないような多層構造の建物が並び立つ街路に、まるでそれらが圧しかかってくるような息苦しさを感じた。

 (のまれるな。ただの建物じゃないか)

 アイラは大きく頭を振ると大きく息を吐き、大股で歩き出した。

 歩きながら、すれ違う人間の様子をつぶさに観察する。表情を見、かわされている会話に耳をすます。もし何か事件があれば、噂は人々の口の端に乗っているはずである。が、飛び込んでくるのは穏やかな表情と他愛のない会話ばかりであった。

 (ハキムおじさんはまだ行動を起こしてないのかもしれない)

 そう思い、胸を撫で下ろしたのとき、ふっと気になる言葉が、すれ違う人々の唇からこぼれたのを、アイラの耳が捕らえた。

 ――処刑。

 動悸が、ひとつ大きく胸を打った。

 改めて耳をすますと、日常の何気ない会話に交じって、談笑の中に不吉な単語がいくつも散りばめられていることに気付く。

 ――不審者。

 ――襲撃。

 ――捕縛。

 周囲を見渡すと、一人の男が露店の店主と話している内容に、同じ単語が聞こえた。

 アイラは男に近づくと、肩をつかみ、食ってかかるような勢いで男に問うた。

 「ちょっと、その話、詳しく聞かせてくれ」

 振り返った男は怪訝そうな表情を浮かべ、眉根を寄せた。突然見知らぬ女に横柄な態度で詰問されれたのである。当然の反応であろう。

 「な、なんだお前、いきなり。誰だよ」

 「誰だっていい、いいから話せ」

 一体何が起こっているのか、話相手になっていた露店の店主は突然の事態に目を丸くしている。

 「さっさと話せ!」

 アイラのあまりの剣幕に、男は三度、四度と頷いてから、震える声で話し始めた。

 話の内容はこうであった。

 十日ほど前、ある屋敷に賊が侵入したというのである。賊は夜陰に乗じて屋敷内に忍び込み、大立ち回りを演じたが、やがては兵に取り押さえられたという。賊の腕は凄まじく、兵のなかに何人か死人は出たが、狙われた屋敷の主はどうやら無事であるらしい。

 「その主はもともとは軍人でよ。今は退役したらしいけど、軍人のときの戦働きで逆恨みされて狙われたんじゃねえかって話だ」

 無理矢理しゃべらされていたはずであったが、男はいつの間にか声の震えも収まり、頬がわずかに上気しているようであった。己の話す内容に興奮しているようである。どうやら噂話をするのが好きらしい。

 「で、その賊の処刑がつい昨日、おこなわれたってわけさ」

 処刑の場所は、この道を真っ直ぐ行った先にある、町の中央広場で公開処刑だったという。男の口ぶりはやや興奮を帯びている。

 国民の不満を逸らすために処刑を公開する、ということは多くの国がしている。残酷な処刑に眉をひそめるものも当然いるが、一面、こういった処刑を一種の娯楽としてとらえている人間も当然いる。およそ自分に関わりのない死に対し、人間がいかに残酷になれるか、といういい例であろう。

 「あんたも一日来るのが遅かったな」

 笑ってそういう男の声が、アイラの耳に届いていたかどうか。

 足早に中央広場を目指す。足もとがおぼつかないのか、ときおりすれ違う人の肩に、ぶつかってはふらふらとよろけていた。

 やがて通りの向こう側、開けた場所に、人の群れが見えた。何かを見物しているようであった。

 アイラはそれら見物人の肩を押しのけ、前へと進む。どうやら人々は、木の柵で囲われた広場の一部に据えられた、何かを見物しているらしい。

 人の群れを抜け最前列に出る。木の柵は、高さ一間半(約3メートル弱)ほどはあるであろうか。ぐるりと囲われたその中央に小さな卓があり、その上に、ぽつんと何かが置かれている。

 アイラは息をのんで目をみはり、絶句した。

 それは、胴から切り離された、ハキムの頭部であった。

 烏にでも食われたのか、両の眼は、がらんとした暗い空洞だけを残している。

 心臓がどん、どんと胸を打つ。全身から汗が噴き、浅く短い呼吸を繰り返す。

 アイラはその場から逃げるように走り出していた。

 一体なにから逃げているのか、アイラ自身、判然としていなかったであろう。気が付けば橋を越え、森のなかへと入っていた。

 木の根に足を取られ、転ぶ。

 アイラは身を起こすことなく、額を地に擦りつけながら背を丸め、両の拳で何度も大地を叩いた。表情は窺えない。

 五度、六度と大地に拳をぶつけると、そのままうつぶせに丸まり、両の腕を抱いた。爪が二の腕に食い込み、血が流れる。

 その姿は、内側から何かが破裂しそうになるのを、かろうじて押さえ込んでいるようであった。

 肩が震えている。

 「こんなの……あんまりだ」

 涙まじりにこぼしたその言葉は、あまりにも力なく、弱々しかった。

 その言葉をきっかけに、悲しみが、堰を切ったように精神に流れ込んできた。

 一体いつ以来になるのか、アイラは声を上げて泣いた。

 ――あんまりだ。何を指してこぼした言葉なのであろう。変わり果てたハキムの姿か、あるいは己に降りかかる不幸の数々であろうか。いずれにせよ、何気なくこぼしたこの言葉ほど、今のアイラの心情を穿ったものはないであろう。アイラはまた、家族を一人失ったのである。

 大粒の涙をこぼしながら嗚咽を漏らすアイラの胸には、かつて覚えた黒い感情が、ふつふつとわきたっていた。

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