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流浪の防人  作者: まいたけ
31/42

告白

 大男らに買収された護衛士が密かにアイラとスサの眠る天幕に忍び込み、眠るスサの身体――実際にはスサではなかったが――に短剣を突きたてたとき、二人は一路北へと向かって歩を進めていた。その身は、広い野に晒されている。

 あえてそこを選んで歩いた。

 山や森の中では、雑多な気配に紛れて追っ手の気配がつかみにくい。あえて野に身を晒すことで、周囲の気配を探りやすくしていた。

 広い野、といっても全くの平原ではない。少し駆ければ背の高い草が茂る原があり、その先は山へと続いている。その気になれば、いつでもそこへ飛び込むことができる。

 (とりあえず、気配は感じられない)

 実際のところ、例の小男は追うことをやめていた。

 買収した護衛士がスサの暗殺に成功する、と見越してのことではない。頭であるフドウからの親書で、そう命令された。どうやら宮城内で動きがあったらしい。

 「遠からず、皇子は手元に戻る」

 というのが結びの言葉であった。

 言葉の意味するところはなんなのか。いずれにせよ、やがてアイラも追っ手がいないことに気が付くであろう。

 ともあれ今はまだ、アイラは周囲に注意を払いながら歩を進めている。行くあてはない。隊商が向かっている町には恐らく追っ手がいるであろう、というアイラの判断で、いわばとりあえず北へと向かっている。ある意味、当て所はない。

 地理的な位置関係でいうと、ナワト国の北部は峻険しゅんけんな山脈がふたをするようにそびえ、その一部――およそ三分の一をノルテ王国と接している。残る三分の二にあたる山の向こうは海である。冬になると、ノルテ王国の東岸は流氷で覆われる。

 西側はすでに述べたとおり、西の辺すべてをシャガル王国と接している。その西の辺もまた、峻険、というほどではないものの、長大な山脈がそびえている。そのうちのいくつかは行路が開拓されて久しく、アイラがはじめに向かおうとした町や、隊商が向かっていた町は、いくつかある行路のうちのひとつであった。

 ともかく、北に向かっている目的はノルテ王国に行こうというものではない。

 (さて、どうするか)

 安全のために隊商を離れてみたものの、特に考えがあったわけではない。北に向かっているのも、ナワト国の南部の地理にさほど明るくない、というのが一つの理由であった。

 すでに二刻(約4時間)は歩き続けたであろうか、いまだ夜の闇は深い。月の照らす光がなければ歩くこともままならないであろう。

 昼間に遭遇した狭隘地きょうあいちでの襲撃からの一連の流れのせいか、わずかに仮眠はとったものの、身体の芯に小さな鉛の塊を抱えているような、不快な重さが感じられる。スサもまた、疲労の色が濃い。

 「どこか夜を明かせるところを探そう」

 そういって周囲に目を配りながら歩いていると、草原の向こう、月明かりの下にぼんやりと黒い塊が見えた。

 怪訝けげんに思い、草を掻き分け近づいてみる。

 そこにあったのは朽ちたれ屋であった。屋根板はところどころめくれてはささくれだち、壁はもはやその用をなしていない。屋根の破れ目に、月の明かりが射し込んでいる。

 のぞいてみると、なかはがらんとした土間で、板敷きの間はない。朽ちてそうなったわけではなく、どうやらはじめからそう造られているらしい。その土間の中央に、大小の石で円を描くようにして囲んだ囲炉裏のようなものがある。

 部屋の中にあるのはただそれきりであった。恐らく、かつて山で仕事をするものたちが休息するためだけに使われていたのであろう。

 「ここで待ってな。あたしは少し罠を仕掛けてくる」

 そういってアイラはスサを小屋に残し外へ出た。

 罠、といったが獣獲りの罠ではなく、アイラが仕掛けたのは『鳴子なるこ』と呼ばれるものであった。本来は田畑に実った穀物を野鳥から守る目的で使われてきた道具で、ときに、音曲の打楽器として用いられることもある。

 アイラはそれを破れ屋の四方に仕掛け、やがて破れ屋へと戻った。こうすることで、なにかがそれに触れたとき、音で知らせてくれる。

 「眠らないのかい?」

 スサは身体を横たえようともせず、ただ黙って座し、虚空を見つめている。この二刻、ただの一語も発してはいない。

 「いつまでそんな仏頂面してるつもりだい」

 射し込む月明かりが浮かび上がらせるスサの目に、いつもの清らかさが見当たらない。変わりに、目の奥のさらに奥に、黒いものが見える。

 「殺したいのかい、あの小男を」

 返事はない。聞こえていない、というよりはむしろ、無視をした、というふうであった。

 アイラは小さく息を吐いた。

 「明日は日の出とともに出発するから、さっさと眠っておきな」

 それだけいうと、アイラは座したまま崩れかけた壁に背をあずけ、そっと目を閉じた。

 およそ半刻(約1時間)ほど過ぎたころであろうか、何かが近づいてくる気配を感じ、アイラは薄く目を開けた。。

 気配の正体はスサであった。

 (スサの奴、やっぱりか)

 二本の剣は、かたわらにたてかけてある。スサはそろりと手を伸ばし、剣をつかむとそろそろと破れ屋の外へと出ていった。

 周りは背の高い草に囲まれている。スサはその場にしゃがみ込むと、草の中に埋もれてしまった。

 右手を剣の柄にそえるとぐっと握りこみ、剣を抜くべく力をこめた。が、抜けない。さらに力をこめるべく、大きく息を吸い込んだとき、背後から声が降りてきた。

 「力まかせに抜こうとすると怪我をするよ」

 いつのまにかアイラが立っていたのである。

 スサはよほど驚いたのか、振り向きざま立ち上がると足をもつれさせ、どすん、と尻もちをついた。

 「一度軽く押し込まないと抜けない仕掛けになってる」

 いわれたとおり剣を軽く鞘へと押し込むと、柄を握った手に、かちり、と小さな手ごたえを感じた。剣は、驚くほど容易たやすく抜けた。アイラが剣を逆さにさしていても抜けない理由はこの仕掛けにあった。

 剣を鞘に納めながらどこか拍子抜けしたようなスサに、アイラは語気を強めた。

 「さ、剣を返しな。そいつはおもちゃじゃないんだ」

 アイラは剣を返すよう手をさし伸ばす。スサはそれを阻むように身体を横に向け、剣を隠すように抱え込んだ。

 「おおかた自分の身を餌に、あの小男を誘い出し、ラットの仇を討とうって考えなんだろうけど――」

 アイラの言葉に、スサは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、目を逸らす。

 「あいにく、あんたじゃどう転んでも仇を討つことなんてできっこない。返り討ちにされてお終いだ」

 「ラットは――!」

 と、スサが声をあららげた。

 「俺のせいで死んだ! 俺が死なせたんだ!」

 だから、という。「たとえ殺されたって、俺はラットの仇を討つ!」

 そこまでを言い切ったとき、アイラの右手が力まかせにスサの頬を打った。

 ばちい、という音が、薄闇の中に響く。スサは二間(約3メートル半)ほどたたらを踏むように弾き飛ばされると、その場に膝をついた。

 アイラもまた、声を荒らげる。

 「自分の命ひとつ満足に守れない奴が、どうやって闘うっていうんだい!」

 怒号であった。

 スサは立ち上がるとアイラに向かって駆け出し拳を振り回した。

 スサの拳が、アイラの肩や胸、腹を打つ。

 生まれてこのかた他者を殴ったことなどないであろう。その行為は、およそ殴る、というよりは、ただ無造作にアイラの身体に拳を叩きつけている、といったほうが正しい。

 アイラの右手が再びスサの頬を打った。最前と同様、ばちい、と大きな音をたてた。スサもまた同じように立ち上がり、その拳をアイラの身体に叩きつけた。

 頬を打つ、転ぶ、立ち上がる、拳をぶつける。繰り返すうち、スサの両の目からは大粒の涙がこぼれ始めた。

 悔しいのであろう。

 友を死なせた自分。守られるだけの自分。闘うことのできない自分。それら全てがいいようのないいきどおりとなって燃え、スサの身のうちを焦がしている。かつて都は宮城の後宮で、掌中しょうちゅうの玉の如く大切に育てられてきた。そのころのスサであれば、これほどの情念を果たして感じ得たかどうか。

 幼くして命を狙われ、そのことに苦慮くりょした母であるサクヤの狂言によって宮城を後にしたとき、その保護者となるはずであった老者トルグ。そのトルグが死んだときでも涙をこぼすことのなかった少年は、しかしアイラと旅をともにすることで、第三皇子としてではなく、どこにでもいるただの少年として、外の世界――かつてのスサから見た――の人々に触れた。そのことが、知らず知らずのうちに、この少年のなかで大きく何かを変えていた。

 幾度繰り返したか、スサは何度も転んでは起き上がり、なおもアイラの身体に拳を叩きつけている。すでに、かけらほどの力もこめられてはいない。両の拳は皮がむけ、血が滲んでいた。

 「スサ、もういい」

 アイラはしゃがみ込むと、優しく包み込むようにスサを抱きとめた。

 アイラの柔らかな胸に顔を埋めながら、スサはその小さな肩を震わせている。

 「もういいんだ。あんたは何も悪くない。そうやって自分を痛めつけて責めるのはもうやめな」

 スサは涙に声をつまらせながら、

 「アイラは家族を殺した奴が憎くなかったの? 仇を討とうとは思わなかったの?」

 といった。感情の高ぶりからか、他日、聞いてはいけないと思っていたことが、ふと口をついた。

 アイラは苦笑まじりにいう。

 「憎かったさ。憎くて憎くて仕様がなかった。いつか必ずこの手で殺してやる。ずっと、そう思ってたよ」

 「だったら――」

 「スサ、人を殺すってことはね、人の恨みを背負って生きるってことなんだよ」

 「そんなこと解ってる」

 「いいや、解ってない」

 アイラが小さくかぶりを振る。

 一体何がわかっていないというのか。人を殺せば恨まれるのは当然のことで、事実、ラットという友を殺された自分は、これほどにあの小男を恨んでいるではないか。

 「このあいだ、何故あたしが罪人なのか聞いたね」

 以前たちよった村でたまたま祭りが催されており、村の長が快く隊商を祭りの輪へ加えてくれた。そのおり、スサはアイラが語った己の過去の話を聞いた後、確かにそのことを問うた。そのときは、アイラはあくまで個人的な事情だといって話をはぐらかしていたが。

 スサは、戸惑うように頷いた。

 アイラは、大きな溜め息をついた。

 「スサ、あたしはね、子供を殺しているんだ」

 ――お前くらいの子供をという。

 思いもよらないアイラの言葉に、スサの心臓が大きく脈打つ。

 「少し、話をしようか」

 そういうと、アイラはスサをうながして破れ屋へと戻っていった。

 月はもう、ずいぶん西へと傾いていた。

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