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流浪の防人  作者: まいたけ
30/42

兇手(4)

 アイラとスサ、そしてカカの三人が隊商や他の護衛士たちと合流したのは日が落ちてからのことであった。

 当初、狭隘地きょうあいちを抜けた先の平野でアイラたちが戻ってくるのを待っていたが、日が傾き始めたころになってもアイラたちが戻る気配がない。一行がいる平野は開けていて視界はかなり遠くまできくため日のあるうちは周囲を警戒するのに適していたが、日が落ちてしまうと逆に夜襲にあう危険があった。

 「とにかく夜になるまえにどこか野営に適したところを探そう。なあに、あのお嬢ならなんとでもするだろう」

 グエンがそういって一行を促したとき、隊商の頭が先に小さな町があることを告げた。

 「カカもラットも知っている町だ。ここにわたしらがいなかったら、きっとそこだと分かるはずだ」

 ふむ、とひとつ頷くと頭の言葉に了解し、グエンは護衛の先頭に立って馬を進めた。

 町にたどり着いたのはおよそ半刻(約一時間)ほどのちであった。町に立ち寄るのはマラキを発って以来およそ二十日ぶりである。小さいながらそれなりの人の流れはあるようで、ちらちらと旅商人らしきものも通りにはいる。が、荷馬車をつなげるような宿はなく、結局は町の入り口で野営することになった。

 アイラらがやってきたのはそれから一刻(約二時間)を過ぎてからのことであった。

 食事を終え、うつらうつらとしていた頭は、息子たちに起こされ天幕から飛び出した。

 すぐにカカとラットの安否を問う。その様子から、二人の息子のことを相当気にかけていたことがうかがえる。

 が、ラットの姿が見当たらない。場の空気も、四人の安全無事を喜ぶような雰囲気ではなかった。

 見る見るうちに表情が強張っていく。

 「ラットは……ラットはどうした?」

 頭の問いに答えるものはない。他の息子たちも、一様に涙を流しながら言葉を詰まらせていた。

 と、アイラが頭の前に進み出た。その腕に、布に包まれたラットを抱いていた。頭は布に包まれたラットの遺骸いがいを受け取ると、その場に崩れ落ちた。

 肩が、ぶるぶると震えている。他の息子たちからも、嗚咽おえつが漏れていた。

 「……すみません。わたしが未熟なばかりに、みすみす……死なせてしまいました」

 そういって、アイラは深く頭を下げてラットの死を詫びた。

 頭が顔を上げ、アイラに向かって言葉を発しようとしたとき、スサが間に割って入った。

 「俺が悪いんです! ラットは……俺をかばって……」

 半ば叫ぶようにいうスサをアイラが制止する。

 「どきな、スサ。あたしは護衛士だ。ラットを死なせた責任はあたしにあるんだ」

 「でも……」

 さらになにごとかを言いつのろうとしたスサを、今度は頭が制止した。

 「やめてくれ、二人とも。悪いのはこの私だ」

 頭の言葉に、場の誰もが意外な、という顔をして、頭を見やった。

 「私が悪いんだ。アイラさんの忠告を無視してあそこを通ったのは私だ。忠告をちゃんと受け止めて、あそこを迂回うかいしていれば、こんなことにはならなかったんだ。全ての責任はわたしにある」

 眠っているかのようなラットの顔に、大粒の涙が落ちる。

 「わずかの金を惜しんで、息子を失っていては世話がないな」

 自嘲する頭を責めるものはなかった。

 アイラもまた、かける言葉が見つからない。グエンがアイラの肩を叩いた。

 「とにかく休め。お前さんも、そうとう消耗してるだろう」

 アイラはスサを連れて、天幕の中へと入っていった。



 その日の夜、アイラとスサが眠る天幕へと近づく影がある。時刻は卯の下刻(午前三時)を過ぎていた。影は天幕の入り口を覆っている布をめくると滑るようにそのなかへと身を入れた。天幕のなかはがらんとしており、その奥に毛布に包まれた大きな塊と小さな塊がふたつ、暗闇のなかに横たわっているきりであった。

 息を殺しながら、影は横たわるふたつの塊のひとつ、小さな塊へと忍び寄ると、懐から短剣を取り出し、横たわる小さな塊に、深々と突きたてた。

 「――――?」

 伝わってきた手ごたえに違和感を感じたのか、影は毛布に手をかけるとがばりとめくった。めくり上げた毛布の下にあったのはスサでなく、人間の子供ほどの大きさに丸められた布の塊であった。

 「そこまでだ」

 次の瞬間、そういって影を制していたのはグエンであった。左手には手燭てしょくを、右手には剣を持って、その切っ先を男の首筋に向けている。

 「さあ、観念して顔を見せろ」

 ぐい、と手燭を差し出して浮き上がらせた顔は、ともに旅をしてきた護衛士の一人であった。

 その顔に、グエンが目をむいた。

 「お前さん、昼間に物見にいった若造の片割れじゃねえか」

 「ち、違うんだ。これは、その……」

 狼狽し、どうにか取り繕おうと試みるが、振り返った男の背後に転がる布の塊には、短剣が根元まで深々と突き立っている。

 「やれやれ、どうやらあのお嬢の予見は正しかったってことか」

 グエンは感嘆かんたんの溜め息を漏らし、大した奴だ、と苦笑した。


 それはアイラらが一行のもとに合流し、みながラットの死をいたんでいるときのことであった。

 「あとであたしのところへ来ておくれ」

 そう、グエンの耳元で囁いた。その声音には、なにやら切迫感のようなものが感じられる。

 半刻(約一時間)ほどして、グエンは二人分の粥を持ってアイラとスサのいる天幕を訪れた。

 「腹が減ってるだろうと思ってな」

 屈託のない笑顔を見せながら、粥の入った椀を差し出した。

 アイラは椀を受け取ると、かたわらで眠るスサを起こした。疲労のせいか、あるいはラットを死なせたという自責の念のよるものか、スサは物憂ものうそうに身体を起こすと無言で椀を受け取った。

 「で、一体何の用かね」

 グエンが問う。

 「他の連中は?」

 「久方ぶりの町だ。みな、酒場にいった。残っているのはわしと頭、頭の長男だけだ」

 次男以下は悲しさを紛らわすためにやはり酒場へ足を向けたという。

 粥を口へ運んでいたスサの手が止まる。

 わずかに間を置きアイラが口を開いた。

 「今夜、この隊商を抜けようと思う」

 アイラの発言に、グエンが眉をひそめる。

 「そいつは、仕事を放棄するってことかい?」

 グエンの言葉には、意外な、という思いが含まれている。

 事実、一度受けた依頼を途中で放り出す護衛士というのはほとんどいない。一度でも依頼を放り出せば、たちまち「たのむに足りない人物」という評判が立ち、二束三文の仕事しか請けられなくなる。どころか、最悪の場合、護衛士としては立ち行かなくなるのである。

 もともと護衛士を生業とするものたちの多くは腕っぷし以外にとりえのない、いわゆるはみだしものである。信用を失った果てに待つものは、乞食か盗賊のふたつにひとつであった。

 「それが分からんお前さんではあるまいよ」

 と、アイラをたしなめようとしたが、ふと違和感を覚えた。

 野盗の襲撃に臆したか、あるいは隊商をひきいる頭の傲慢ごうまんな態度に辟易へきえきとしたのか、いずれにせよ、グエンの知るアイラという護衛士は、その程度のことで依頼を放り出すような人物ではなかった。


 こんなことがあった。

 三つの家族が集まったある大きな隊商の護衛をグエンが引き受けたときのことである。日が傾き、野営の準備をしていると、ある一家の娘が天幕から姿を消したと騒ぎになった。周囲を探すと小さな人間の足跡と、うさぎの足跡が森へと伸びている。娘はうさぎを一匹飼っていた。そのうさぎが逃げ出し、それを追って森へと入っていったのではないか、ということになった。

 娘を探してくれ、と懇願こんがんする夫婦に対し、男たちは尻込みした。日はもうずいぶんと傾いており、間もなく山向こうへと没する。みな、夜の森がいかに危険な場所であるかを、知りすぎるほどに知っているのである。

 熊や狼、野犬などの猛獣はいうに及ばないが、その森で最も危険なのは、きわめて強烈な攻撃性と猛毒を持つ大型の蜂であった。この蜂は、木の根方に巣を設ける。うっかり踏み抜けば、まず間違いなく命はない。

 荷と、それに関わる人間を守るのが護衛士の仕事である。迷子の保護は、およそ彼らの守備範囲外であった。

 護衛士だけで話し合うなか、グエンもまた、思案した。泣きすがる夫婦を哀れだとは思ったが、この老練な護衛士は、夜の森がいかに危険な場所であるかを、この場にいる誰よりも身に染みて理解していた。

 そのとき、一人の若い護衛士がすっと立ち上がると、風のように森へと駆けていった。

 それが当時まだ駆け出しの護衛士である、十九歳のアイラであった。

 誰もが唖然とした顔をしていたが、次の瞬間には口々に罵った。

 いわく、「点数稼ぎ」であるとか、あるいは「義侠心ぎきょうしんに駆られた馬鹿」など、彼らにいわせれば、護衛士という仕事はかてを得るための手段であって、善意や、まして人助けがしたいわけでもない、といったところなのであろう。

 なるほど確かに道理である。己の器量上選ばざるをえなかった護衛士という仕事とはいえ、命を削っている以上、己の意思で避けられる危険はできうる限り避けようとするのは至極真っ当な考えであった。

 とはいえ一人の護衛士が森へと飛んでいった以上、体面上、残された護衛士たちも夫婦の娘を探さざるをえなくなった。

 男たちは娘の捜索を――森の入り口付近のみ――行い、一刻(約二時間)後、捜索をやめた。

 翌早朝、重苦しい雰囲気のなか一行は出発の準備をしていた。

 朝食をとり、天幕をたたむ。たたんだ天幕は荷台に積み、崩れないように縄でまとめる。

 「いなくなった娘も飛んでいった女も、恐らく無事ではいまい」

 そんな思いが誰もにあった。

 淡々と準備が進められるなか、朝焼けを背に近づいてくる人影があった。

 アイラである。

 その腕に、少女を抱いている。

 大小無数の傷を全身に負ったアイラは血にまみれていたが、少女にはかすり傷ひとつ見当たらない。

 少女はアイラに抱かれてすやすやと眠っており、その小さな腕のなかではうさぎがひくひくと鼻を動かしていた。

 場は歓喜に包まれると同時に、ある種の敗北感を他の護衛士たちに与えた。

 以来、グエンはアイラという女護衛士に一目置くようになった。


 ふと、スサに目をやる。

 「その坊主か?」

 アイラは黙って頷いた。

 「……それほどの厄介ごとか」

 ううむ、と低くうなると、分かった、といわんばかりにグエンは大きく頷いた。

 それにしても急な話である。

 「なぜ、今夜なんだ。まるで逃げ出すみたいじゃないか」

 夜が明けて、依頼主に一言断ってからでも遅くはないだろう、という。

 どちらにせよ一度受けた依頼を破棄するのであれば、正々堂々とするべきで、夜陰やいんに乗じて逃げるように一行を離れれば、怯懦きょうだそしりはまぬがれまい。そうなれば、今後護衛士として立ち行かなくなるかも知れない。

 そんなグエンの忠告に、アイラは首を左右に振った。

 「昼間の襲撃、あれはあたしらを……いや、この子を狙ったものです」

 と、アイラは声をひそめていった。

 「あたしたちがこのままここに留まれば、また余計な危険を呼び込んでしまう」

 それに、とアイラは一段と声を抑え、カカが聞いた、スサを殺せば大金がもらえる、といった野盗の話をグエンに聞かせた。

 「恐らく、物見に出た護衛士のうち、少なくとも片方はすでに懐柔かいじゅうされているでしょう」

 危険と隣り合わせの護衛士稼業、大金に目が眩んでも仕方がない、とアイラは苦笑した。

 アイラの話を聞き、なるほどと頷いたグエンは、ちらりとアイラに目をやると、不意に口の端に小さな笑みを浮かべた。

 「なぜそれをわしに話した。わしも、懐柔されているかも知れんぞ」

 不穏な気配を見せるグエンを、アイラは真正面に見据えた。

 「あたしの知る『熊殺し』は、金にはなびかない」

 天幕内をわずかな沈黙が支配した刹那、グエンの高笑いが響いた。

 「分かった。後のことは全てこのわしに任せろ。依頼主には上手くいっておこう」

 アイラは一礼すると、その夜、スサを伴って隊商を離れた。懐柔された護衛士が短剣を突きたてる、実に二刻(約四時間)ほど前のことであった。


 翌朝、グエンはアイラが一行を離れたことを隊商の頭に告げるとともに、アイラから受け取った今日までの報酬が入った布袋を手渡した。

 頭はアイラの依頼破棄を、快く承諾した。

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