兇手(3)
男は全身から湯気のように立ち上る気を、まるで隠そうとはしない。
「……やはり、金で動くようなくずどもでは無理なようだ」
静かだが、腹の底に響くような声である。
「なるほどね。野盗風情にしてはいやに手際がいいとは思っていたけど……裏であんたが糸を引いていたってわけだ」
潜んでいることを覚らせなかったことや、速やかな挟撃など、野盗にしてはあまりにもこなれすぎていた。
「久しいな、女。生きていてくれて嬉しいぞ」
まさかあの流れに飲み込まれて生きていられるとは思っていなかった、と男は感嘆の思いを口にする。
次いで、かつて風抜き山の吊り橋で剣を交えたことを振り返った。
「ぜひ、もう一度剣を交えてみたいと思っていた」
そう語る男の顔は、表情こそ動かないが、明らかな喜悦が浮かんで見える。
「へえ、今回はずいぶんとよく喋るじゃないか。てっきり口がきけないのかと思ってたよ」
下がってな、と背後のスサに合図する。
スサはカカ、ラットとともに側に立つ大木の陰に身を隠し、顔だけをのぞかせた。
アイラは男に正対したまま二本の剣を構え、注意深く周囲の気配を探った。どこかに、別の刺客が潜んでいるかもしれない。
「さすがに用心深いな。貴様の考える通り、もう一人いる。我々は常に二人一組で動いているからな。今ごろ先ほどの連中を始末しているころだろう」
その言葉と前後するように、複数の男の叫び声が遠くに響き、やがて消えた。
「えらく正直に話すじゃないか」
「騙し討ちはせん。俺は今、武人として貴様の前に立っている」
アイラの姿をみとめたとき、スサの暗殺を脇に置いたという。
「以前風抜き山で立ち会った時から、貴様とはもう一度正々堂々と立ち合ってみたいと思っていた」
男は剣を抜くと、すうっ、上段に構えた。
アイラはふん、と鼻を鳴らす。
「正々堂々が聞いて呆れる」
アイラの皮肉を最後に場の緊張が急激に高まっていく。木の陰で顔をのぞかせている三人も、言葉を発するものはない。
アイラは両腕をだらりとおろし、膝を柔らかくして男の動きを注意深く見つめる。
(大きい)
かつて相対したときよりもはるかに大きく感じるのは、男の構えのせいか、それとも内包している気の種類が違うせいなのか。
男の狙いは構えからも明白であった。
上段に据えた剣を、全身全霊をもって振り下ろす。それだけであり、それ以外になにもない。
およそ刀剣を用いた攻撃において最も速く、最も攻撃的なこの構えは、さらに男の体格と腕力を考えれば、最も効率的な攻撃といえるであろう。揺れる橋の上で力を出し切れなかったのは、どうやら男も同様であるらしい。
アイラは動けない。
迂闊に飛び込めば、一の太刀で正面から斬って落とされるであろう。
男もまた、アイラの出方をうかがっているのか、自ら仕掛けようとしない。
実のところ、男はアイラが風抜き山で見せた技に多少の戸惑いがあった。
(見たことのない武技だ)
と思っている。
二刀を扱う剣術がないわけではない。ナワト国でこそ二刀の剣術は――正統の流派として――存在しないが、シャガル王国にもノルテ王国にも少数ながら確かに存在する。
が、それら諸剣術とアイラの見せる武技は明らかに違う。
男の知り得る限り、二刀を扱う剣術は、一方の手に長刀を持ち、他方の手に小刀を持つ。そうして長刀には攻撃を、小刀には防御を担当させる。
比べて、アイラの武技はどうであろう。
まず剣が違う。
両の手に持たれた剣はどちらも同じ長さのものである。長刀よりも短く、小刀よりは長い、いわば中刀とでもいうべき長さ。文字通り、中途半端な長さであった。
その中途半端な長さの剣を巧みに操り、ときに拳を繰りだし蹴りを放ち、肘や膝をも使用する。
いや、斬撃の合間に打撃を挟む剣術も存在するが、それらはあくまで斬撃を主、打撃を従に置いている。だからこそ『剣術』なのである。
ところがアイラの放つ打撃はどうであろう。
明らかに、斬撃と打撃が並行して存在している。男がアイラの技を『剣術』ではなく『武技』と称するのには、このあたりにも理由があるのであろう。
さらに、アイラがとる構えもまた、男には馴染みのないものであった。
ほとんど正対するような形で右足をわずかに引き、剣は腰の辺りでだらりと垂れている。その構えから繰り出されるのが剣か拳か、あるいはその他のものか。
(剣に囚われれば不覚を取る)
故に男も迂闊には動けない。
精神の削りあいになった。
ときおりアイラが瞬きほどの隙を見せて男の動きを誘う。が、男は乗らない。
木の陰から見ているスサの胃がきりきりと痛むほどの緊張感が、はるか闇の向こうの木々をも震わせているようであった。
視線は動かず、固まったままである。双方の額に大粒の汗が浮かび、やがて頬を伝って顎先から落ちた。
スサが異変に気付く。
構えたままにらみ合ってからどれほどの時間が流れたのかは分からないが、二人の距離が詰まっている。
上体は、微動だにしていなかった。
二人の間にあるわずかな空間が歪んでいく。
先に動いたのは男であった。
己の刃圏にアイラを捉えるや、獣のような咆哮とともに上段に据えた剣をアイラの脳天に目がけて一気に斬り下ろした。
大気が震え、斬撃の余波が砂塵を舞い上げ木の葉を散らす。
スサは舞い上がる砂埃に思わず目を閉じた。
砂粒が顔を叩く。
次に目を開けたとき、男は大地に倒れていた。
地面に倒れ伏したまま顔だけをあげ、苦しげに喘いでいる。
男を見下ろすように立つアイラは、大粒の汗を流しながら肩で息をしていた。
一体何が起きたのか、スサはもちろん、カカもラットもただ目をむくばかりであった。
アイラは大きく息を吸い込むと、気持ちを落ち着けるようにゆっくりと吐き出した。明らかに疲労している。
「あんたには色々と話してもらわなくちゃね」
振り返ると紙一重の攻防ではあったが、確かな差のある立会いであったともいえるであろう。
先の先を取ろうとする男に対し、アイラは後の先に意識を定めた。が、男の動きに対応が遅れれば脳天から頭蓋を真っ二つに割られるであろう。反対に、わずかでも早ければ、男は即座に太刀筋を変化させ、致命の一太刀を浴びせるに相違ない。
斬撃を受け止める、という選択肢は論外であった。
アイラの腕に、男が繰り出す大上段からの斬撃を受け止めるだけの腕力は――女である、ということで考えればその膂力は尋常のものではないが――望むべくもなく、受けた剣もろとも圧し切られるであろう。
選択肢は一つに絞られた。
かわす。
身をかわすことができる限界まで引きつけ、かわす。そうしてかわしざまに急所に当身を加える。
男もまた、アイラの考えは百も承知であった。その上で、先の先を取らんと気息を整えていた。
果たして両者の争闘は、アイラに軍配が挙がった。
大上段から襲いくる男の剣を、間合いを詰めるように踏み込んでかわし、かわしざまに男の右の脾腹に肘をねじ込んだ。意識はたもっているが、まともに動けるような状態ではなかった。
ほんの一瞬の決着であったが、ともかくアイラが無事であったことにスサはほっと胸をなでおろした。
そんなスサの様子に、大丈夫、とでもいうような笑顔を向けた。
スサがアイラのもとへ駆け寄る。
――と、スサの頭上から木の葉が、はらり、と落ちてくるのがアイラの目に見えた。
刹那、ひとつの小さな影が樹上から落ちる。
もうひとりの刺客。
精神を削りあうような闘いの直後、アイラの心のうちに生じたほんのわずかの空白をついた。
(例の小男――)
悔やみ切れない一瞬の油断。薄闇に、白刃だけが光った。
次の瞬間、スサは地面に倒れていた。その上に、ラットが覆い被さるように乗っている。
ラットの背が、朱に染まっていくのが見えた。
「貴様……!」
アイラは一足飛びに間合いを詰めると剣を振った。
小男は飛び退るように大きく後方に跳躍した。同時に、飛刀を放つ。
ひょう、と空を切り裂く音を尾に従え、飛刀がアイラの脇を通り抜けた。
アイラは背後を振り返った。
倒れ伏し喘いでいたはずの男が、いつの間にか上体を起こしていた。その喉に、飛刀が突き刺さる。
小男の放った飛刀は、初めからアイラの背後にいたこの男を狙ったものであった。
「――――!」
男は不敵な笑みをアイラに向けて浮かべると、そのまま息絶えた。
正面に向き直ると、すでに小男の姿はなかった。
(やられた)
失策であった。
小男を逃がしたのみならず、今後の自分たちの動きを決める上での重要な要素になり得るはずであった男をすら、殺されてしまったのである。
「ラット! ラット!」
スサの悲痛な叫びに我に返る。
倒れ伏すラットのもとに、アイラとカカも駆け寄った。
「アイラ、どうしよう。血が、止まらない」
スサはその小さな手で、懸命にラットの傷口を押さえていた。指の隙間から、赤いものが逃げていく。
「どうしよう、アイラ。なんとかして」
何とかしてと哀願するスサに、しかし返す言葉が見つからない。右の肩甲骨から左の脇腹にかけてばっくりと開いた傷は深く、出血も甚だしい。
(――助からない)
常に二人一組だ、と最初にそういわれていたものを、みすみす隙をつくってしまった己の未熟に歯噛みする。
兄であるかカカはただ狼狽するばかりで一語も発することができない。
ラットが薄く目を開けた。
「スサ……怪我は、ない……か?」
「俺は平気だよ。ラットが、守ってくれたから」
「よかった……」
消え入るような、か細い声で笑う。大地はすでに地で染まっていた。
「なあ、スサ。前に……話してたこと……覚えてるか」
荷馬車の中で話した異国の風景のあれやこれや。それらの全てに、スサは目を輝かせて聞き入っていた。
真っ白な雪化粧に覆われた山々や風の吹き抜ける広大な草原。そこに息づく野生の生物たち。
なかでもスサの心をひきつけたのは、海であった。
真っ白い柔らかな砂の大地に、眼前に広がる果てしなく広大な青。
異国はおろか、宮城の外にさえ出たことのないスサ。そんなスサにとって、ラットの語る海の話は、心を惹きつけて止まなかった。
スサは懸命に首肯する。
「いつか……一緒に、行こうな」
それが、最後の言葉になった。
スサの慟哭が、静寂の森に響いた。




