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流浪の防人  作者: まいたけ
27/42

兇手(1)

 「なんだよスサ。元気ないな」

 そう声をかけたのは、一行を率いる頭の末の息子、ラットであった。齢が近いこともあり、スサを弟のように思っているらしい。

 「どこか具合でも悪いのか?」

 ラットはスサの顔を覗き込むようにして見ながらいった。

 が、スサは答えない。

 ラットの問いかけを無視したのではない。昨夜のアイラの言葉を思い返していた。

 (何故あんなことを聞いたのか)

 己の不用意な発言がアイラの傷を余計に抉ってしまったのではないか。アイラにとって自分は護衛対象でしかなく、知らずのうちに土足でアイラの心に踏み込んでしまっていたのではないか、と自責の念にかられるのである。

 ところが同時に、アイラのいう『罪』とは一体なんのことなのか、という疑問がふつふつと沸いてくる。

 性質たちの悪い好奇心、といえばあるいはそうであるかも知れないが、それよりも、スサにとってはアイラが己に対して見せる行動の一つ一つがあまりに鮮烈でありすぎた。

 初めて出会った夜のことにしろ、その後の風抜き山での一件にしろ、思い返せば何故それほどに自分を守ってくれるのか。

 見ず知らずの他人のために命を投げ出せるその行動の原点であるらしい『罪』というものに興味を引かれるのは、ある意味では無理からぬことであった。

 が、好奇心のようなものが頭をもたげると同時に、アイラのために、という気持ちもスサは真実持ち合わせている。

 それだけに、昨夜不用意にこぼした言葉を心底悔いていた。

 (やっぱりあとでちゃんと謝ろう)

 そんなことを考えていたとき、不意に馬車が止まった。

 疑問に思い馬車から顔を覗かせると、馬車を操る一族の男たちと護衛士たちが何やら話し合っているのが見えた。どうやらこの先にある谷を通過するに際しての相談であるらしい。

 ――襲ってくるなら狭隘地きょうあいちか夜襲。

 アイラの言葉を思い出したスサはわずかに身体がぶるりと震えるのを感じた。


 しばらく話し合いを続け、ともかく若い護衛士が二人、先の様子をうかがいにいくことになった。

 物見にはずいぶんと時間がかかった。

 一刻(約2時間)ほどして戻ってきた二人の観測は意外にも、急襲される危険性は低い、というものであった。

 「過去に野盗がいただろう痕跡はあったが、今は使われてる様子がない」

 人がいるにしては静かすぎる、という。

 男が他にもいくつか根拠を述べ、一同が納得しかけたとき、

 「ここ以外に道はないのですか?」

 と、意外な発言をするものがあった。

 アイラであった。

 一同、戸惑ったような表情でアイラを見る。

 「あんた、今の話を聞いてなかったのか? 野盗がいる様子はないって――」

 隊商の頭が困惑気味に問う。

 「それはあくまで可能性の話です。集団で狭隘地を通過することが危険であることは変わらない。避けられる危険は避けるべきです」

 「俺の目が信じられないってのかよ」

 アイラの発言に、物見に向かった男がいかにも不快げな表情を見せた。

 「そうは言っていない。あたし可能性の話をしているんだ」

 野盗はいないかもしれない。が、かもしれない、は絶対を保証しているわけではない、という。「狭隘地を通らずに済めばそれに越したことはない」というのがアイラの主張であった。

 隊商の頭はアイラの言葉に眉根をよせる。

 「確かにここを通らずに行く道もあるが、五日は余計にかかる。その分護衛料金もかかる。あんたにすればもらえる金額が増えるからいいんだろうが、金を払う私としては遠回りはごめんだね」

 嫌みといえばこれほど露骨な嫌みもあるまい。

 いつか頭の次男が口にした、「親父は吝嗇家りんしょくか」という言葉が思い出される。

 雇い主が忠告を聞かないというのであれば仕方があるまい。物見にいった護衛士の観測を信じるしかない。が、この狭隘地を通るというのならば、それはそれで講じるべきことは講じなければならない。

 話によれば、道幅は荷馬車一台ならずいぶん余裕があるが、二台並ぶことは厳しい、というものであった。そこでアイラは二人の護衛士が前後を守って一台ずつ狭隘地を抜ける、という案を上げた。

 「抜けた荷馬車は見晴らしのいいところで待機する。ただし、荷馬車が七に対して護衛士は五人だから、護衛が二人以下にならないように――」

 「冗談じゃない」

 と異を唱えたのはまたしても隊商の頭であった。

 「一台ずつここを抜けるなんてしていたら日が暮れちまう。さっきも言ったがこっちは日当で金を払ってるんだ。無駄に時間をかけるつもりはないよ」

 一列縦隊でいく、という。急襲される危険性は低い、という観測を前提にしたものであろうが、いかに金が惜しいとはいえこの提案は下の下であろう。

 物見にいった護衛士も、隊商の頭を後押しするように渋い表情を見せる。

 彼らもまた、己の力量に自信を持った護衛士なのである。いかにアイラが口入屋のダンが信頼する護衛士であろうと、自分たちの観測に難癖――理はアイラにあるが――をつけるような提案は、おいそれとは受け入れることができないのであろう。

 一人の護衛士がなだめるようにアイラの肩に手を置いた。

 「まあ、ここは連中の言い分を聞いてやろうや」

 白い髭に覆われた顔をくしゃくしゃにして笑う。

 グエンという老練の護衛士で、アイラも幾度か仕事を共にしたことがある。度外れた怪力がこの男の自慢であった。

 「危険を避けるのも護衛士の仕事、危険を払うのも護衛士の仕事ってな」

 この男は『熊殺し』という異名を持つ。

 素手で熊を殺した、という噂から生まれた異名である。無論噂程度の話なのだが、そんな噂がまことしやかに囁かれるあたりに、この男のもつ尋常でない膂力りょりょくが垣間見える。

 「……わかりました。ただし、列の最後尾には捨て荷を積んだ馬車を置き、万が一襲われた場合、躊躇せず荷を切り離してください」

 さすがにこれ以上我を張り通すのは気が引けたのか、頭はアイラの言を受け入れ、荷を切り離すことを約束した。

 アイラを先頭に道を行く。道の両側は岩壁が切りたつように続いており、下からは上の様子がうかがえない。

 なるほど物見に時間がかかったはずである。おそらく男たちは岩壁を迂回するような形で静かに登って探りを入れたのであろう。

 ときおり現れる岩壁の裂け目へと向かう枝分かれした道はどこへ続くのか。その先は日の届かない薄暗い闇の中へと伸び、ようとして知れない。


 隊列は、荷馬車二台を護衛士二人で挟み込む形になっている。最後尾には捨て荷を積んだ荷馬車と殿を努める護衛士がいる。

 護衛士たちは周囲を警戒しながら歩を進める。

 一行の周囲にある空気だけがぴりぴりと張り詰めているようであった。

 アイラは先頭を進みながら左右の岩壁を注視する。

 見比べてみると、右手の岩壁に比べ、左手の岩壁にはちらちらとくぼみが見える。身を隠して矢を射掛けるのにちょうどいい。

 (十中八九じゅっちゅうはっく、ここで仕掛けてくる)

 確信にも似た勘が、アイラの中で働いている。

 不意に左手の岩壁にある窪みの中に、黒い影が動くのが見えた。

 (人か?)

 アイラは手を挙げ一行を停止させる。

 黒影の見えた岩壁の窪みを凝視する。

 男が、弓に矢をつがえ、こちらに向けているのが見えた。

 「敵だ!」

 アイラの声が岩壁に反射しこだまする。

 そのとき、空を切り裂く音がにわかに響いたかと思うと、天から矢が降り注いだ。

 「みんな、伏せろ!」

 状況を察した護衛士の声に反応し、みな素早く荷馬車の陰に隠れ頭を伏せた。

 何本もの矢が荷馬車のほろや、枠板に突き刺さる。左側から射掛けられたことを物語るように、矢は全て荷馬車の左側に突き立っている。

 さすがに旅慣れた隊商は、荷馬車に矢が突き立つ音に恐怖を感じながらも、度を失うようなことはない。

 さらなる矢が一行を襲う。

 頭を伏せて身を低くし、荷馬車の陰に身を縮める。スサとラットも荷馬車の中で積荷の陰に身を潜ませていた。

 と、一人の護衛士が身を起こすと素早く矢をつがえ、左側の岩壁の上、矢の飛んできた方向へ向けて矢を放った。

 ぎゃ、という声が小さく聞こえたかと思うと、黒い塊が崖を転がるように降ってくる。

 塊は、ぐちゃ、という音ともに地面に叩きつけられ、周囲に血を撒き散らした。

 続いてもう一人の護衛士も矢をつがえて天に向けて射ち放つ。

 数瞬のうちに二の矢、三の矢を放った。

 凄まじいまでの早撃ちに怯んだのか、天から降る矢が途切れる。

 「今だ! 一気に駆けろ!」

 矢を放ちながら叫ぶ。

 一行は間隙かんげきを縫って馬車を走らせた。

 「前方、来るぞ!」

 アイラの叫ぶ声に目をやると、前方から剣や槍を掲げた男たちが喊声を上げ、群がるように迫ってくる。

 「後ろからもきたぞ!」

 殿しんがりを勤めている護衛士が叫ぶ。

 どこに潜んでいたのか、後方からも野盗が現れた。

 ぐずぐずしていては挟撃きょうげきされ壊滅する。

 アイラは馬の腹を蹴り野盗たちのなかに駆け込んだ。

 不意を突かれた野盗の群れは、馬で乗り入れてきたアイラの動きについていけない。アイラは馬上で剣を振るい、飛んでくる矢を払いながら、一人二人と切り伏せる。肩を貫き、ももを切り裂く。最小の動きで確実に敵の戦力を削っていく。

 怯んだ野盗の群れの中に、さらにグエンが飛び込んだ。

 グエンは長槍ながやりを頭上に掲げると猛烈な勢いで旋回させ、力まかせに振り回しては群がる野盗に叩きつけた。

 肉を潰し骨を砕く。

 野盗のあげる悲鳴を掻き消すように、グエンが大声を張り上げた。

 「さあ野盗ども。この『熊殺し』グエンの餌食になりたい奴はかかってこい!」

 野盗どもが鼻白はなじろむ様子を見て取った他の護衛士が、「駆けろ!」と叫んでは荷馬車を追い立てる。岩壁に挟まれた狭隘地は一時に砂塵さじんが舞い上がり、馬の蹄と車輪が大地を削る音が反響しながら一帯を満たした。

 そのとき、一台の馬車が列を離れ、岩壁の裂け目へと伸びる枝道に向かって駆け出した。

 どうやら御者が矢による手傷を負い、狂乱した馬を制御できないでいるようであった。

 完全に列を離れ枝道を裂け目へと向かっていく馬車にアイラが気付く。その馬車から、スサが顔を覗かせているのが見えた。

 瞬間、気をさんじた。

 背後から飛んでくる矢に気付くのが遅れた。

 矢がアイラの左腕をかすめ肉を裂き、さらに馬の首を掠めると、馬は大きくいななきながら前足を大きく持ち上げた。

 手綱を持つ手の力が緩み、身をひるがえす馬の背から落下する。その様子を見て取った野盗の群れが声を上げて飛びかかる。

 野盗の刃がアイラを貫こうとする刹那、グエンの長槍が唸りをあげて野盗の群れを薙ぎ払った。

 舞い上がる砂埃がその威力の凄まじさを物語る。

 「大丈夫か、若いの」

 「助かったよ。ついでに連中を連れて一気にここを抜けとくれ」

 そう言いながら、アイラは再び馬に跨った。

 「お前さんはどうするんだ」

 「あたしはさっきの馬車を追う」

 この狭隘地を抜けてしばらく行けばひらけた平野がある。そこで落ち合おう、というと、答えを待つこともなく馬を走らせ野盗どもの頭上を飛び越えた。

 「必ず追いつく!」

 そう言い残すとアイラは風のような速さで枝道の先の裂け目へと消えていった。

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