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流浪の防人  作者: まいたけ
21/42

傷痕(3)

 タジムはなおも目を覚まさない。

 付け値で構わない、といっていたアイラの護衛料は、結局タジムが受け取るはずであった報酬を以ってそれとした。

 一日当たり銅貨七枚。

 口入屋のダンいわく、

 「アイラさんの護衛料としては破格」

 であるらしい。

 いまだ目覚めぬタジムをダンに任せ、一行はマラキの町を後にした。

 荷馬車は七台。

 積荷はナワト国で採れる鉱物や、あるいは陶器や織物といった工芸品が主で、他に土地の酒や薬草、毛皮などであった。

 目的地までの道のりはおよそ四十日前後であり、日持ちのしない、例えば生鮮食品などは積んでいない。日々の食料は干し肉や干し魚、芋や豆類などで、それらはまとめて一台の馬車に積まれていた。

 隊商は列をなして進んでいく。

 先頭に一台、後ろに三台、その後ろに二台が続き、最後尾にも一台が続く。

 最後尾の一台には幾らかの酒と少量の金品が積まれている。

 こういった荷は『捨て荷』や『投げ荷』などと呼ばれ、道中襲われた際には逃れるための囮として荷台を切り離すのである。

 隊商を襲う野盗も、危険を冒して全ての荷を追いかけるより、こういった『捨て荷』を手にすることで妥協し、大概はそれ以上追うことをしない。人間の心理を利用したある種の罠といえよう。

 アイラは二列目の左を行く馬車に馬を並べて従っていく。

 スサは先頭を行く馬車の真後ろ、隊列の中心にある馬車に乗せられている。出発前、アイラと離れることに不安そうな表情を見せるスサを、アイラは苦笑まじりになだめた。

 「そこが一番安全なんだ。大丈夫、ちゃんと隊列の左側にいるから安心しな」

 正面から襲われた場合は後方へ、側背そくはいから襲われた場合は前方へ避難する、というのが事前に話し合いで決められている。

 「そもそもこの隊列を維持できるような場所で襲ってくることはないよ」

 道理である。

 七台の馬車が大きく展開して進めるような場所――例えば平野や砂漠――で襲いかかったところで、隊列はたちまち四散し方々へと逃げ散っていくだけであろう。襲うのであれば地形の入り組んだ狭隘地きょうあいちか、あるいは夜襲であろう。

 「だから安心していい。まあ、今のところは、ね」

 しぶしぶ、といった表情で納得し、馬車に乗り込むスサを思い出し、口元をほころばせた。

 それにしても、と思う。

 (護衛の数が少ないな)

 七台の馬車に護衛の数が五人では心許ない。そんなアイラの懸念を、若い御者ぎょしゃが素早く察する。

 「どうかしました?」

 浅黒い肌をした、爽やかな笑顔を見せる青年であった。

 「なにか不穏な気配でもありますか?」

 「いえ、少し護衛の数が少ない気がして」

 「ああ、親父が吝嗇家りんしょくかなものですから」

 そういって苦い笑顔を見せる青年は、この隊商を率いる頭の次男であるという。

 「金を惜しんで雇う護衛士の数を減らして死んじまったら元も子もないとは思うんですけどねえ」

 でもまあ、と青年は言葉を継ぐ。

 「俺も兄貴も弟も、いざとなれば剣を振ることくらいはできますんで、なんとかなりますよ」

 腰に帯びた剣をぽん、と叩くと再び笑顔を見せた。楽天的な性格であるらしい。

 話を聞くと、この隊商はどうやら全員が一族であるという。

 先頭の馬車を操っている隊商の頭が父親で、その後に続く三台は左からそれぞれ次男、三男、長男。最後尾の馬車に乗るのは叔父――父の弟――で、前を行く二台を操るのはその息子だという。

 「三人兄弟で全員商人なんですか」

 「いえ、四人です。真ん中の弟の馬車に、十三になる末の弟が乗ってるんです」

 スサが乗っている馬車に末の息子がいるらしい。

 それはいい、と思った。

 平民の子供、それも歳の近い男の子と触れ合うことは、宮城きゅうじょうで皇子として手厚く育てられてきたスサにとって貴重な体験になるに違いない。

 (大人しいが芯は強い子だ)

 最初は心細いだろうが、きっとなんとか上手くやるだろう。そう思いながら、アイラは注意深く周囲を見回していた。


 さてスサである。

 隊列の中心にあるこの馬車にはおよそ貴重な荷は積んでいない。どうやらこの馬車は生活物資を積んでいるだけらしく、あるのは食料の詰まった布袋と水の入った樽だけであった。

 スサは膝を抱え込んで座っている。

 向かいに少年が一人いる。青年が言っていた末の四男であろう。

 スサに向け満面の笑みを見せる。

 「俺、ラット。お前は?」

 すでに腰の引けていたスサは、快活な声音に気圧されどこか呆気にとられたようであった。

 「名前だよ。な・ま・え」

 はっと我に返る。

 「ス、スサ」

 「ススサ? 変な名前だな」

 「ち、違う。スサだ」

 「ふーん。よろしくな、スサ」

 笑って手を差し出す。

 スサは差し出された手を見つめ首をひねった。握手、というものが分からないらしい。

 ラットは不快気に眉根をよせるとすっと手を引っ込めた。

 「変な奴」

 吐き捨てるように呟くと、ぷいと背を向け前を向いてしまった。



 マラキの町を発ってから十五日が過ぎた。平野が続いているということも手伝ってか、一行は平和な旅を続けていた。

 アイラいわく、野盗が襲ってくることは通常それほど多くはないらしい。

 「向こうも命がけだし、そうしょっちゅう来られたんじゃ、こっちもたまったもんじゃないよ」

 などと笑っていた。

 むしろ危険なのは夜の獣であるという。

 熊や、あるいは狼の群れなどは、ときに野盗以上に甚大じんだいな被害を隊商に与えかねないという。

 「とくに秋は熊が冬ごもりの準備で殺気立ってるし、冬は食べ物が少ないから狼は常に飢え気味だからね」

 幸い今の季節は獣も比較的穏やかであるらしい。

 変な奴、といわれたスサも、いつの間にやらすっかりラットと打ち解けている。

 一度は変な奴と吐き捨てたラットであったが、どういうわけかことあるごとにスサを気にかけた。食事時には必ずスサのもとへ行き、アイラとともに一族の輪の中に引き込んでいた。

 早口でまくしたてるラットに対し、スサは初め、「うん」とか、「そう」などと相づちを返すだけで、多くの場合ただ黙って聞いているだけであったが、そのうちラットの話す異国の風景に興味を示し、あれやこれやと質問するようになった。

 ラットはラットでそんなスサをうとましがる様子もなく、ときに身振り手振りを交えては丁寧に説明していた。

 一家の末っ子であるラットは、どうやらスサを弟のように思っているらしく、スサもまた、ラットを兄のように慕っている。宮城に暮らす兄たちは血縁上確かに兄ではあったが、その関係は通常の兄弟のようではなかったらしく、ラットとの関係は一層新鮮なもののようであった。

 マラキを発って二十日が過ぎたある夕、通りかかった村で祭りが催されていた。村長である老爺ろうやは気持ちの良い男で、隊商の一行を快く祭りの輪の中に加えてくれた。

 酒食とともに踊りが披露され、宵になると篝火が焚かれ、村の男たちによる力比べが始まった。半間(約90センチメートル)ほどの高さに盛られた直径十五尺(約4メートル半)ほどの円状の舞台で一対一で向き合い、相手を舞台の下に落とせば勝ち、という単純な競技である。

 隊商の男たちも酒の勢いか競技に参加し、村の男たちと組み合っては押し合い圧し合いし、大声で笑っている。

 スサとラットが大騒ぎする大人たちを見て笑っていると、村の子供たちが声をかけてきた。

 「なあ、俺たちと力比べしようぜ」

 スサはどう答えていいのか分からずラットを見た。ラットは満面の笑みを見せると応と頷きたちまち年長らしい少年に組み付いた。

 力比べに興じて大人たちは、にわかに始まった子供同士の力比べに、

 「おう、こっちでガキどもがおっぱじめたぞ」

 と囃したて、たちまち場の主役は子供たちへと移っていった。

 やんややんやの喝采が響く中、ラットが転がされると、スサが素早く飛び出し組み付く。子供らしい笑顔を見せてはしゃぐスサを、アイラは遠くから眺めていた。



 スサが息を弾ませながらアイラの下へと駆け寄ってくる。

 大きな木の下にある小さな岩に腰を下ろしていたアイラは赤々と燃え揺れる篝火をぼんやりと見つめていた。そんなアイラを見つけ、スサはどきりとするものを感じた。

 「……アイラ?」

 不意に呼ばれはっと我に返る。アイラはスサの顔を見るとくつくつと笑った。先ほどからの力比べで何度も地面を転がったせいであろう。その上品な顔は汗と埃にまみれていた。

 「あんた、なんて顔だ。埃まみれじゃないか」

 スサは一向に気にする様子もない。

 「アイラは大きな火が嫌いなのか?」

 スサは祭りの輪の中に参加せずただ遠巻きに眺めているだけのアイラを呼びに来たらしい。

 「どうして、そう思うんだい?」

 そう問うアイラの声は、常と違いわずかに固く、そしてどこか自嘲気味であった。

 スサは先ほど見たアイラが炎を眺める表情を思い出し、

 「篝火を見る表情が、なにかこう……悲しそうで……痛みを、我慢しているように見えた」

 マラキの安宿でスサが目にした大きな古い火傷跡に、あるいは関係があるのかも知れない。

 聞いてはいけないことであったのかも知れない、とスサは後悔し俯いたが、すぐに小さな声で呟いた。

 「俺、アイラの力になりたいんだ」

 すっと顔を上げアイラの目を見つめる。

 「アイラは俺を命がけで守ってくれた。俺が皇子で、命を狙われてると分かっても側にいてくれた。でも、俺は何もできないから、だからせめて、アイラの力になりたいんだ」

 澄んだ碧い瞳がアイラの目を真っ直ぐに見つめていた。

 「俺なんかじゃ役に立たないのは分かってるけど……」

 スサの濁りのない真っ直ぐな思いに打たれたのか、アイラはふっと微笑む。

 「ちょっと……重たい荷物だけど、構わないかい?」

 スサは力強く頷くと、アイラの隣に腰を下ろした。

 アイラはひとつ溜息をつくと空を見上げた。

 遠くの篝火が、赤々と漆黒の天を焼いている。

 「さて、どこから話したものか……」

 そういうと、アイラは静かに語りだした。

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