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流浪の防人  作者: まいたけ
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決意と覚悟(4)

 アイラは腹の傷が完治するまでの都合十日と少しの間、オルサの世話になった。

 アイラの心情としては、痛みはあるものの、動けるようになった時点でオルサの小屋を出て行くつもりであったが、医者をしていたことが関係しているのであろうか、オルサはアイラが完治しないまま出て行くことをがんとして認めなかったのである。

 この間、スサはそれまでの宮暮らしでは到底経験し得ないであろうことをいくつか経験することができた。それは世間知らずのスサにとって極めて新鮮な出来事ばかりであった。

 中でもシーナンの町で旅芸人の一座が行っていた興行を見物したときの喜びようは格別のもので、その日の夜は興奮してなかなか寝付かれなかったほどであった。

 スサが町に行きたいと言い出したのは髪を切った二日後の夜のことであった。アイラは難しい表情であったがスサの熱意に根負けした格好になり、結局オルサと三人で山を下りることになった。

 シーナンの町には特別見るものがあるわけではない。閑散かんさんとしているわけではないが目立って繁華はんかというほどでもなく、町の規模はタルクとさほど変わりはないが、タルクと違い、山越えの旅人や商人が往来を行き交うような町ではない。

 ただ、タルクと違い、春と秋に旅芸人の一座がそれぞれ一日だけこの町で興行を行う。春は東へ、秋は西へと向かう道すがら、この町を通るついでであるらしい。

 スサらが山を下りシーナンの町へと足を運んだ日、折りよく興行が行われていた。

 町の中央広場には人だかりができており、なにやら音楽が聞こえてくる。人ごみを掻き分け前へ進むと、どうやら舞踊劇ぶようげきを披露しているようであった。

 四本の弦を爪弾つまびいて音楽を奏でる弦楽器『キサラ』や、鍋状の胴に動物の皮で作った膜を張り、それを叩くことで音を鳴らす『バテリア』と呼ばれる打楽器。その他にも笛や金属の板を打つ楽器など、どれもナワト国では見られないものであった。それらが鳴らす音楽に合わせて町の中央に設置された舞台の上で、物語のある舞が展開されていく。演目はどうやら北方の国に伝わる神話を模したものであるらしい。

 アイラいわく、この一座は北方の出身なのだろう、という。

 「北方の旅芸人は舞や奇術を出し物にするのを好むんだ。反対に南方の旅芸人の出し物はもっとこう、道化や火吹きみたいな、いわゆる大道芸的なものが多いんだ」

 アイラは護衛士として諸国を旅して回っているだけに、諸国の民の間で育まれた文化や芸能、あるいは文物ぶんぶつといったものに詳しい。一座が用いている楽器も、北方の国のものだろう、といった。

 舞踊劇が終わった後には簡単な剣舞や奇術が披露され、そのいちいちにスサは感動し、感嘆の溜め息を漏らした。

 別の日には魚釣りなどもした。

 山小屋からさらに山を奥へと登ったところで脇道を木々を掻き分けて進むとにわかに視界が開けた。

 なんとも風雅ふうがな風景であった。

 川幅は三間(約5.5メートル)ほどであろうか。対岸は切り立った岩壁がんぺきに大きな木の根が岩肌を掴むような姿を露出している。

 鳥のさえずりと川のせせらぎがこころよい和音を奏で、澄んだ穏やかな流れが木々の隙間から零れる日の光を反射してちらちらと輝いている。秋が深まる頃には紅葉が色を添え、また違ったおもむきがあるであろうこと想像させる。

 餌は小屋の裏にある畑で捕まえたミミズである。

 スサはミミズを触ることに抵抗はなかったが、針につけることに苦戦した。くねくねと動き指に絡みつくため思うように針に刺すことができない。

 見かねたオルサがスサの手から無言でミミズを摘み上げる。スサに見えるように、オルサはわずかに太くなっている首のような部分――環帯かんたいという――を摘むとその少し上の辺りから針を入れ、ミミズの身体全体を通すように針につけた。

 スサはそれらを興味深く見つめ、二度目からは同じようにつけた。

 流れに糸を垂らす。

 鳥のさえずりと川のせせらぎを聞きながら陽光の中にいると、時間が止まったかのような錯覚さえ覚えた。

 釣果ちょうかは上々であった。

 川岸で火をおこし、釣り上げた魚を串に通して焼いていく。

 オルサは焼きあがった魚をひと串摘み上げるとスサに差し出した。

 スサはそれを受け取ると背中からかぶりつく。

 ほくほくと焼きあがったやや黄色味がかった身には独特のにおいと癖があったが、脂ののった野趣やしゅに富んだ味は宮城ではお目にかかったことがない。

 「美味いかい?」

 アイラが微笑みながら問う。

 スサは魚を口いっぱいにほおばりながら頷いた。

 スサを助けた次の日の朝、戸惑いながら握り飯にかぶりついていた子供が、にわかに逞しくなったようでなにやら微笑ましい。

 結局スサは三匹の魚をたいらげた。


 とにかく初めての体験に目を輝かせているスサであったが、唯一、獣を解体する場面にだけは閉口した。

 あるときオルサが二羽の野うさぎをぶら下げて山から戻ってきた。どうやら罠にかかっていた獲物らしい。スサははじめて見るうさぎに興味津々であった。

 長い耳とつぶらな瞳がなにやら愛らしい。

 「手伝いましょう」

 アイラはオルサから野うさぎを一羽受け取ると、それを巻き割り台の上にうつ伏せに寝かせ、身体を押さえつけたまま、躊躇ちゅうちょすることなく斧で一気に頭を叩き落した。

 その光景にスサは息を息をのんだ。あまりの出来事に頭が混乱しているのか、固まった身体に視線だけが宙をさまよっている。

 アイラは隣で青い顔をしているスサに気付いていたが、あえて気にする様子も見せず、黙々と短刀を振るってさばいていく。

 皮を剥ぎ、腹を切り開いて内臓を抜いていく。

 眉ひとつ動かさず慣れた手つきで淡々と手を動かすアイラに、スサは何か得体の知れないものを見るような様子であった。

 「怖いかい?」

 アイラは作業の手を止めることなく横目に問うた。何を問われているのか理解できなかったのか、スサはただ黙っていた。


 その日の夜、夕食に出てきたきのこ汁の中に、なにやら獣の肉が入っているのが見える。きのこの間から覗いているそれを箸で摘んで持ち上げると、なるほどやはり獣の肉であった。

 昼間の光景を思い起こさせるのであろう。スサは青い顔をして、持ち上げた肉を見つめたまま固まってしまった。

 見かねたオルサが声をかけようと口を開きかけたとき、

 「食べな」

 とアイラが言った。

 スサに対しては常にない、強い口調であった。

 驚いたのはオルサであった。

 意外、といった表情でアイラを見る。

 あるいはオルサは「無理をするな」とでも声をかけるつもりだったのであろう。初めて獣の解体を目の当たりにした後であれば、肉を口に入れることに抵抗を覚えることは、ある意味仕方がないことと言える。

 オルサから見たアイラは、スサに対し常に労わるように接する女性であっただけに、青い顔をしたスサに対し無理を強いるアイラに驚きを覚えたのであろう。

 よほどの抵抗があるのか、スサはゆっくりとした動きで箸の先に摘んだ肉を口の中へと運んだ。

 固く目を閉じるとひとつ、ふたつと噛んでいく。が、飲み込むことができない。

 懸命に飲み込もうとするが、得も言われぬ不快感が喉の奥からえずきあげてくるばかりでいっこうに入っていかない。

 アイラはなおも厳しい視線を向けている。

 目に涙をにじませながら、どうにかこうにか飲み込んだときにはあまりの疲労に手に持っていた椀を取り落としそうになった。

 「ちょっと、外の空気を吸ってくる」

 と言ってその場を立ったのはそれからほどなくのことであった。アイラも四半刻(約30分)ほどすると座を立ち、小屋の外へと出て行った。


 春も中頃まで進むと空気もどこか温くなってくるものであったが、夜の山に下りる空気は町のそれと比べて幾分ひんやりとしている。

 スサは薪割り台の前に横たわる倒木に、小屋に背を向ける格好で腰掛け、空を見上げていた。

 小屋から漏れる明かりがその周りをわずかに照らし出している以外、周囲は闇を塗りこめたようであったが、野生の息吹のようなものがそこかしこにうずくまっていて『静寂』という形容は当てはまりそうもない。むしろ、謁見の間で帝を前に幾人もの人間が叩頭こうとうしている景色の方が、よほど『静寂』というに相応しいかも知れない。

 「座ってもいいかい?」

 振り向かずに頷く。

 「何を考えてるんだい?」

 先ほどとは打って変わった穏やかな口調であった。

 「昼間の野うさぎのこと」

 髪を切って以来、普段の会話から宮言葉が消えている。

 「あのとき、可哀想だな、って思った。それから、アイラが酷く残酷なことをしているように見えた」

 アイラは黙って聞いている。

 「でも、本当に残酷なことをしてたのは俺だったんだ」

 皇族の食事は一人につき十人分が用意される、ということについては以前に述べたが、当然のことであるがその一人前も平民のそれと同じ量というわけではない。一の膳には米の飯と汁物、香の物。二の膳には数種類の魚介類。三の膳には様々な肉料理。四の膳には季節の野菜や根菜の料理。五の膳には果物が乗る。よほどの大食漢たいしょくかんでなければ到底一人で食べきれるような量ではなく、また、慣例として膳をたいらげることはいやしいことであるとされているため、必然廃棄される量も多い。

 「自分が何かを犠牲にして生きているなんて考えたことなかったけど、ただ生きるっていうだけで知らないうちに何かを犠牲にしているんだと思う。だとしたら、今まで俺は必要以上の生き物を殺してきたことと同じだと思ったら、自分がひどく残酷な生き物のように思えてきたんだ」

 小屋に背を向けているため表情はうかがえないが声がわずかに震えているのが分かる。

 アイラはスサの小さな肩にそっと手を置いた。

 「本当に残酷なのはね、こういうことを知らずにいることなんだよ。糧を得るということは殺すということ。あたしたちはこうして自然と繋がっているんだ。あんたもあたしも、たくさんの生き物を犠牲にすることで生きている。本当に残酷なのはそこから目を逸らすことなんだよ」

 アイラの言わんとしていることが理解できたのであろう。スサは大きく頷いた。

 「皇子をやめるのは簡単だ。それこそ髪を切るくらいにね。でも、皇子であった自分をやめるのは難しい。あんたは皇子として生まれ、育てられたんだから。あんたはこれから強くならなきゃいけない。身体も。精神こころもね」

 うん、と頷くと、スサは腰を上げ、アイラを振り返り。

 「アイラ、シャガル王国に行こう。俺、もっと色んなものを見てみたいよ」

 そう言ったスサの笑顔は、つい先日まで確かにあった幼さが、ずいぶんと薄れたように見えた。

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