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流浪の防人  作者: まいたけ
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決意と覚悟(3)

 スサが熱を出した。

 ここまでの疲労と、宮城を出て以来溜め込んでいた鬱懐うっかいを吐き出したことで、張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのであろう。

 仕掛けた罠の様子を見るといって出かけていたオルサが戻ってきたとき、スサは上気した顔で眠っていた。

 「ただの発熱だ。一晩ゆっくり眠れば大丈夫だろう」

 オルサは調合した解熱剤をスサに飲ませながらいった。

 アイラは改めて命を救われたことに謝辞しゃじを述べた。

 「かまわん」

 相変わらず低くくぐもった声である。

 オルサは囲炉裏の前で鍋を混ぜている。

 薄暗い部屋の中で囲炉裏の炎が照らし出す顔は、ぼさぼさの髪と顔を覆う髭も手伝ってか表情はうかがえない。

 オルサは己のことを語らない男であった。以前医者をしていたとはいうが、スサを診るその仕草や、アイラへ施した解毒治療や傷の縫合ほうごうなどを見る限り、医術に相当精通していることは明らかであった。それも、かなりの腕前であろう。今でこそ人里はなれた山の中で隠棲いんせいしているようであったが、かつては名の知れた医者であったかも知れない。

 「……獲物は、かかっていましたか?」

 どこか含みのある問いである。

 「……いや」

 わずかに間を置いて答えたオルサの声音に変化は見られない。表情からだけでなく、声からも感情を窺いにくい。努めてそうしているわけではなく、それが常であるようであった。

 ナワト国の民はみな穏やかでおよそ人当たりの良いものが多い。アイラ自身、流れ者の護衛士として何度となくこの国の土を踏んできたが、おおむ市井しせいの民はその例に漏れない。オルサのような類型は珍しい。もっとも、人を寄せつけない雰囲気を持ってはいるが、人間が嫌いという風ではない。むしろアイラやスサに対する態度にも、不器用な温かさを感ぜしめるものがあった。

 アイラも別段口数の多い人間ではない。生来のものもあったが、護衛士という職業柄、必要以上に言葉を交わしてよしみを通じれば思わぬところで痛い目を見る恐れがあるため、自然そうなったというところも多分にある。

 しんとした部屋で、薪の爆ぜる音と鍋をまぜる音、そしてスサの寝息だけが不思議な和音を奏でていた。

 やがてそこにくつくつという鍋の煮える音が加わると、オルサは鍋の中身を椀によそい、アイラに向かって差し出す。

 「食え」

 ニコリともせずに椀をずいと差し出すのだが、不思議に不快感を覚えないのは前述した不器用な温かさがあるからであろう。

 汁に入っていたのは数種類の山菜ときのこであった。わらびとふき、せりとぜんまいにしいたけときくらげ。それらをたっぷりと浮かべた汁は昼と同じ味噌で味をつけてあったが、肉が入っていないせいか、存外あっさりとした味わいであった。

 食事を終え身体が温まるとぬるい眠気が全身を覆った。身体が休息を欲しているのであろう。アイラの傷も、まだ完全には塞がっていない。

 オルサは食事の後片付けをすると何も言わずに奥の部屋へと引っ込んでいった。

 布団に横になり天井を眺めながらスサの話を思い返す。

 アイラの心中の動きとしては、とんでもないことになったな、というのがが正直なところであろう。

 初めてスサと会ったときから市井の民とは違うことは感じていた。言動や仕草、その他の所作からも貴族であろうと見当をつけていた。それも、かなりの身分にある貴族の子息しそくであろうと。よもやナワト国でもっとも高貴な血筋を引くものであろうとは予想だにしなかった。

 もっとも、それでもアイラにとっては――己の事情によってではあるが――護衛の対象でしかない。皇族であろうと浮浪者であろうと、己が守ると決めた以上、護衛対象の貴賎きせんはアイラの目には映らない。

 「寝ている顔は丸っきりの子供なのにねえ」

 解熱剤が効いているのか、スサは規則正しい落ち着いた寝息をたてている。


 翌朝、スサは熱がひき、すっかり元気を取り戻していた。昨夜の残り物である山菜と茸の鍋をオルサが温めなおしてくれたものを、舌鼓を打ちながら美味しそうに食べている。

 「不思議じゃ。宮の食事に比べて下々の食事はずいぶん粗野な見た目なのに、宮で食べていたどんなものよりも美味しいのはなぜであろう?」

 オルサが朝食の後片付けをしているとき、スサは大真面目な顔をして、そっとアイラに耳打ちした。

 アイラはぷっと吹き出すと、

 「さてねえ。あたしは宮の飯を食ったことがないから分からないけど、高位の人間の食事ってのは大概毒見やらなにやらがあるからね。できたてのものと冷めちまったものとの差じゃないかね」

 とくつくつと笑った。。

 「なるほどのう。そういわれてみれば、宮の食事はどれも冷めていて、できたてのものを食したことはなかった」

 できたては美味しくなるのか、などと妙な納得の仕方をしているようであった。

 ナワト国では帝や皇族に供される食事は、『鬼試おにためし』と呼ばれる職に就いた官吏が毒見を行う。『鬼』とは毒、あるいは腐った食物を指し、それを『試』ことからそう呼ばれているらしい。

 まず料理番が一人に対し十人前の料理を用意する。調理されたもののうち、二人前を二人の『鬼試』が毒見し、――遅効性の毒である可能性もあるため――一刻(約2時間)経過して毒見役の体調に変化が現れないことを確認して初めて料理がきょうされることになる。

 帝と皇子たちに対してはさらに入念で、供された料理に対し、直前に毒が混入された可能性を考慮し新たに三人の『鬼試』が毒見を行う。そうして一度目と同様、一刻後に毒見役の体調に変化がないことを確認して初めて供された料理が帝、ないし皇子たちの口に入る。

 都合二刻を要する。

 必然、供された料理は冷め切っていて、できたての料理を食う機会などあろうはずがない。

 この制度のあることを考えれば、素朴な――例えばただ鶏を焼いただけのような――料理とはいえ、できたてを口にすることに対するスサの感動や、できたては美味くなるのか、などという安直な納得の仕方をするのも――スサがまだほんの子供であることが手伝っているとしても――無理からぬことであろう。

 スサはオルサの片づけを手伝っている。

 無口なオルサであったが、スサをうとましく思っている様子は見られなかった。

 アイラの身体はまだ回復しきらない。オルサの見立てでは、安静にしていれば完治するまで七日、早ければ五日程度で済むだろう、ということであった。

 「とにかく今は休むことだ」

 というのはオルサの言である。

 包帯の巻かれた腹に寝巻きの上から触れるとわずかに痛みを感じる。

 (われながら無茶をしたもんだ)

 そうであろう。

 追っ手の目的がスサを殺すことである以上、毒を用いる可能性があることは承知のうえであった。とっさのことであったとはいえ、中毒死する可能性もあったことを考えれば、迂闊といえば迂闊うかつであろう。即効性の致死毒でなかったことと、二人を発見したのがオルサであったことは極めて幸運であったといえるし、転じて考えれば、現在こうして生きていられるのはただ運が良かっただけだともいえるであろう。

 「痛むのか?」

 手伝いを終えたスサが心配そうに眉根を寄せてアイラの顔を覗き込む。

 「大丈夫。いつまでもここにいちゃオルサさんにも迷惑だし、早く傷を治さなくちゃね」

 アイラの優しい微笑みに、スサも微笑みでもって答えた。


 三日が過ぎた。

 オルサの言うままに安静にしていたアイラも、およそ傷の痛みがなくなり身体を起こすことができるようになった。

 払暁ふつぎょう、アイラは一人小屋の外に出た。

 二本の剣を鞘から抜き、構える。

 幾分冷たい明け始めた山中の空気を払うように、アイラは一人剣を振るう。剣が空気を切り裂く音が静かに響く。

 オルサに助けられてから都合六日間、ろくに動かすこともできなかった身体はすっかりなまってしまっていた。

 やれやれと苦笑しながらひとつの疑問がアイラの頭をもたげていた。

 (あの男はなぜ助けてくれるのだろう)

 あの男とはオルサのことである。

 川岸で倒れているところを治療し、なおかつ何も言わずに家に置いてくれている。自ら出て行くと申し出なければ、恐らく傷が完治していようとも置いてくれるだろう。

 (不思議な男だ)

 アイラはふっとひとつ強く息を吐くと、目にも止まらぬ速さで肘、斬撃、飛び後ろ回し蹴りを立て続けに宙に放った。

 「つっ……」

 腹を押さえ顔を歪める。

 「無理はせんほうがいい」

 背後に目をやると、そこにはオルサが立っていた。

 「傷は塞がったがまだ痛みは残っているはずだ」

 オルサの肩を借り、薪を割るための丸太に腰掛ける。向かいに横たわる倒木にオルサも腰を下ろした。東の空にはすでに太陽がその全身を現し、朝露に濡れた木の葉がちらちらと光る。

 「オルサさんにはずいぶんお世話になってしまって……」

 アイラは謝辞しゃじを述べたが、オルサの厚意こういに報いる術がない。金も、荷も、風抜き山の渓谷を流れる川に投げ捨ててしまっていた。

 「かまわん」

 短くぽつりと言う。

 平素のオルサであればそれだけで終わるはずであったが、どういうわけか話を続けた。

 「俺には妻と息子が一人いてな。どちらも死んでしまったが、生きていれば、あの坊主と同じくらいの年だったろう。何かこう、家族が戻ってきたような気分なんだ」

 相変わらずのくぐもった声と、感情の窺えない表情であった。

 以下は余談だが、ナワト国の医師制度とオルサの過去についてわずかながらふれておきたい。

 都の医者には位階いかいが存在する。

 帝や皇族に仕える宮医みやい、貴族に仕える御用医ごよういはそれぞれナワト国の官吏である。官医と呼ぶこともできるであろう。平民を診察する医者は官吏ではない。

 オルサは貴族に仕える御用医であった。当時の給金は三十日で銀十枚。およそ金一枚の価値とさほど変わらない。

 当時、オルサには妻と四歳の息子が一人いた。

 ある日息子が病に倒れた。死病であった。ほとんど意識もなく、眠るように息を引き取ったことがオルサの心をほんのわずかに慰めたが、妻は息子の後を追うように死んだ。

 御用医であるオルサは貴族以外を診てはならないという規定に阻まれ――死病であるにせよ――息子を診ることができなかった。妻は最後までそのことを責めた。

 その後、オルサは医者を止め、山中にあるこの小屋で人目を避けるように日々を暮らしている。

 家族が戻ってきたような、という言葉にはどこか愛惜あいせき慙悔ざんかいの念が感じられる。



 小屋に戻るとスサが布団を畳んでいた。。

 「オルサは?」

 「ああ、沢に魚を取る仕掛けを置きにいくとさ」

 そう、とつぶやくとアイラのほうに向き直り、端座たんざする。

 「アイラ、頼みがある」

 真剣な眼差しで真っ直ぐにアイラを見上げる。あおく澄んだ瞳には、ある種の覚悟のようなものが窺えた。アイラはわずかに気圧されるようなものを感じた。

 「私の髪を――切ってはくれぬか」

 都を落ちるとき、下ろすことをすら嫌がった髪を切ってくれ、という。

 「この髪は私が皇子であることの証」

 前髪を真ん中で分けたのち後髪を頭上でまとめ上げて二つの輪を作ってから、根元に余った髪を巻きつけて高く結い上げている。これはナワト国の皇子が成人するまでの――ナワト国の男子の成人は十三歳――髪型で、見るものが見ればすぐにそうであると解る。

 「スサノナワトノミコトはここで死ぬ。私は――ただのスサだ」

 「……本当にいいのかい?」

 スサは小さく頷くと、懐から皇家の紋が入った翠玉すいぎょくの首飾り――耳飾りを首飾りに仕立てたもの――を懐から取り出し強く握り締めた。

 「私が皇子でなくとも、母上の子であることに変わりはない。それでいい」

 アイラは黙って頷くと、端座するスサの背後に回った。

 髪を結い上げている金糸きんし元結もとゆいを解く。はらりと落ちた髪が肩にかかる。絹のように艶やかな黒髪は宮城を出て以来まともな手入れをされていないとは思えないほどに美しい。油っけのないぱさついた己の髪と比べ、わずかに苦笑する。

 短刀を抜き、左手にスサの髪をそっと持ち上げる。

 刃を入れるたび、アイラは胸が痛むのを感じた。

 ぱらぱらと切られた髪が落ちていく。

 涙がスサの頬を伝っていった。

 髪を切り終えたスサはすっかり変わった己の頭をひとつ撫でる。

 「これでもう、皇子には見えぬな」

 赤くなった目で見せた澄んだ笑顔は、どこか寂しげであった。

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