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流浪の防人  作者: まいたけ
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橋上の闘い(2)

 「行くよ」

 目の前の光景に呆然となっていたスサの肩に手を置いた。

 橋の長さはおよそ三十間(五十メートル強)ほどであろうか。橋は、山のこちら側とあちら側の間で見事に宙吊りにされている。風の影響を最小限に留めるため、踏板はわざと隙間を大きくとってあり、足下に目をやれば、踏板の隙間から川の流れが見える。ともすれば奈落に落ちていくような感覚に襲われる。

 一歩一歩震える足を確実に踏み板を確認しながらゆっくりと前進していく。

 ときおり身をすくませながら懸命に足を踏み出すスサの背中を見つめながら、アイラの心中は焦燥感しょうそうかんに駆られていた。

 ――早く渡ってしまいたい。

 あまりにも足場が悪い。ここで戦いになれば圧倒的に不利であろう。殺す側と守る側とでは後者が圧倒的に不利といえる。前者はただ殺せばいいのである。剣で斬ろうと矢で射抜こうと、あるいはそれらに毒を塗ろうと自由である。後者はこれら無数の選択肢を考慮し、それらを未然に防がねばならない。困難極まりないといえるであろう。

 その時、アイラは背後に気配を感じた。

 それは後ろ髪がチリチリと焼けるような殺気であった。

 背後に目をやると、二人の男が立っているのが見えた。昨夜のごろつきではない。巌のような大きな男と、それとは逆に、ひょろりとした小男であった。どちらの男にも見覚えがない。

 (やはりここか……!)

 そう思いながらなお、アイラはほぞをかんだ。

 最悪の状況を想定すれば、今、ここで追いつかれると考えるのは至極当然のことであったはずが、ここまでの道のりがあまりに順調すぎたことが、逆に自身の勘にわずかに疑心を生じさせてしまったのである。結果、心に針の穴ほどの小さなほころびが生まれてしまっていた。

 (来るか)

 一気呵成いっきかせいに襲って来るかと身構えたところ、意外なことに二人の男はゆっくりと近づいてきた。

 「スサ、荷を捨てな」

 アイラは動きの邪魔になる荷を橋の下へと投げると、スサの背負っていた荷も同じように橋の下へと投げ捨ててしまった。

 投げ捨てられた荷が足下の濁流だくりゅうに水柱を立てた。

 「動くんじゃないよ」

 そう言って背後のスサをかばったまま、アイラは剣の柄に手をかけた。

 (それにしても上手いところでしかけてきたもんだ)

 橋の中程にいる我が身を思い、小さく舌打ちをする。

 橋を渡り始めた時にはすでに追いついていたのか、あるいはとうに追いつき機会をうかがっていたのかもしれない。あえて仕掛けず気配を殺してひそみ、橋の中程に至ったところで仕掛ける。

 行くにも戻るにもあまりに遠い。

 二人の男に尾行されていながら気付けなかったことについてはアイラを責めることはできない。

 この二人の男、実のところ二日前にはすでにアイラとスサの姿を視界に捉えていた。

 ところがいざ追いついてみるとどうであろう。アイラの警戒が厳しくどうすることもできないのである。まるで野生の獣のように絶えず――それこそ眠っている間でさえも――周囲の気配に気を配っているアイラに対し、わずかでも殺気を見せれば、たちどころに存在を察知されてしまう。

 男たちは二昼夜眠らず、降りしきる雨の中でさえ身じろぎひとつせずにただ待ち続けたのである。その忍耐には驚嘆きょうたんすべきものがあるであろう。そうしてただひたすらに機会を窺っていたのである。

 橋の中ほどに差し掛かったときが、まさにその機会であった。

 場の空気がぴん、と張り詰めていく。

 「あんたたち、何ものだい?」

 男たちは答えない。

 (問答無用ってことか)

 二本の剣を抜いて構えた。

 それを見た大男が小男を制する。自分ひとりで十分だ、という意味か、あるいはまずは自分が様子を見る、という意味か。

 恐らくは後者であろう。

 鍛錬たんれんを積んだ一流の武人は相手のちょっとした挙措きょそ彼我ひがの力量差を感じ取る、ということは以前に述べた。この場合、アイラの構えや雰囲気から、その実力を感じ取ったのであろう。そのためまずは探りを兼ねて一人で行くことを示したのである。

 アイラもまた同じ思いであった。

 ただの暴漢や悪漢の類ではなさそうだ、と思った。

 相手がアイラを女と見て飛び込んできたならば、そのまま後の先をとって叩き伏せるつもりであった。なるほど女の腕力でも、相手の力を利用すれば一撃で叩き伏せることは可能であろう。しかし男はそれをせず、それどころかじりじりと間合いを詰めてくる。

 これまで出会ってきた大概たいがいの男、とりわけ身体の大きい見るからに力自慢の男などは、アイラを見るや女と侮り力任せに打ちかかってくる。ところが目の前の大男は力任せどころか力自慢でもないらしい。構え、呼吸、歩方、間合い。それら全てが、この大男がしっかりと訓練された武人であることを物語っている。

 アイラは容易に動けない。

 不用意に動けばもう一人の小男がどう動くか分からない。

 これもまた、守る側の辛さであろう。彼らの目的はあくまでスサの始末なのである。

 大男は剣を脇に構え、半身になり間合いを詰める。その構えもまた大男の油断のなさを表していた。

 アイラからから見ると、急所が集まる正中線が正面から外され、さらに刀身の長さを正確に視認できないのである。

 (なんて大きさだ)

 ゆうに七尺(213センチ)はあろう。

 ッッ、と踏み出し刃圏はけんにアイラを捕らえる――目にもとまらぬ速さで切り上げる。アイラはそれを受け流すように捌いた。正面から受け止めるには単純な腕力の差がありすぎるのである。

 二合、三合と打ち合う音が、山間やまあいの渓谷にこだまする。

 四合目、打ち下ろされた斬撃を受け流す。

 男の身体がわずかに崩れた。――刹那せつな、アイラは横っ面に蹴りを放った。

 男は左肩を引き寄せて衝撃を分散させるとぱっと飛び退すさる。

 (手強い)

 安定した足場での一対一ならばともかく、足場が悪い上に背後のスサを気にしながらでは思うようには動けない。下手をすれば激しい揺れにあおられて、スサが橋から投げ出されかねない。事実、今も揺れる橋から投げ出されまいと、懸命けんめい欄干らんかんにしがみついているのである。

 「スサ、橋を渡れ! 渡って山の中に逃れるんだ!」

 スサはとっさのことに上手く反応できない。

 「何をしてる! 早く行くんだよ!」

 アイラがほんのわずかスサに気を向けた次の瞬間――ひょう、と何かが空を切り裂いて飛んできた。

 小男がアイラの胴を狙って投剣とうけん――飛刀ひとうという――を放ったのである。

 同時に大男が猛然もうぜんと間合いを詰め、アイラにめがけて大上段から斬撃を打ち下ろす。一人では手に余ると判断した男たちの連携攻撃であった。

 飛刀の軌道は巧みに計算されていた。

 アイラが身をかわせば飛刀は背後のスサに突き刺さりその命を奪うであろう。かといって、剣で飛刀を弾けばその瞬間、大男の斬撃はアイラの左肩から右脇へと一直線に駆け抜けていくことになる。

 万事休すであった。

 ところが次の瞬間、アイラがとった行動は、二人の男たちにとってまるで予期し得ないものであった。

 アイラは飛んでくる飛刀を避けもせず、なんと己の腹に受け止めたのである。

 深々と突き刺さった飛刀に眉ひとつ動かさず、アイラは襲いくる斬撃を皮一枚でかわすと大男の顔面に拳を繰り出した。

 必殺の一撃のつもりであったのであろう。

 渾身こんしんの一振りをかわされ身体が大きく流れた隙を、アイラは見逃さなかった。

 がら空きの顎に拳を打ち込まれ、二間(約3メートル半)ほど後方に飛び退った大男は素早く体勢を立て直し剣を構えた。が、次の瞬間、その場にがくりと膝をついた。

 頭部――とくに下顎部かがくぶに強い衝撃を受けると脳が激しく揺さぶられ、一時的に身体機能を失うことがあるのだが、このときの男がまさにそうであった。意識はあったが身体が思うように動かず、立つことさえままならない。アイラの拳は、的確に大男の下顎したあごを打ち抜いていたのである。

 大男が戦闘不能であると瞬時に判断した小男は素早く跳躍ちょうやくしたかと思うと、スサにめがけて二本の飛刀を続けて放った。

 アイラはスサを庇うように抱き込む。飛刀はアイラの左肩に突き刺さった。

 小男は着地するとアイラにめがけて突進するように間合いを詰めていく。――が、一瞬アイラの判断が勝った。

 間合いを詰めようと駆けた小男がアイラを刃圏はけんに捉えるよりほんのわずか、それこそまばたきほどの一瞬早く、アイラは橋の欄干らんかんを断ち切ったのである。

 片側の支えを失い、ぶちぶちと引きちぎれるような音をたてながら橋が大きくかしぐ。

 男たちはとっさに残された側の欄干を掴む。その隙にアイラはスサを抱きかかえると反対側の欄干をも断ち切り、断ち切ると同時に橋下に身を投げた。

 スサの叫び声が渓谷に響く。

 がらがらと崩れていく橋の踏み板を掴みながら、小男は落ちていくアイラに向けて飛刀を放った。が、大きな水柱とともに二人の姿は轟々と流れる川の中に消えていった。



 山間の渓谷には逆巻き流れる濁流の音だけが響いている。

 崖にぶら下げられた橋の残骸を上り、二人の男は崖上から川の流れに目を下ろしていた。

 「大した女だ」

 身体の機能を取り戻した大男が顎をさすりながら感嘆の声を漏らした。

 「助かる可能性があるとはいえ、躊躇ちゅうちょすることなくあの流れに身を投げるとはな……」

 小男も頷く。

 「だが飛刀には毒が塗ってある。そう長くはもつまい」

 小男の言葉にわずかに眉根を寄せる。

 「とにかく一度戻ろう。お頭に報告だ」

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