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勇者召喚――いいえ、魔王召喚です  作者: 奥生由緒
第4章 エカトールの勇者たち
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第49話 往時来今の図書室



 広く、人けのない室内には古紙の匂いが漂っていた。

 静まり返った中に自分が出す足音と衣擦れの音が響いている気がして、ゆっくりと足を動かす。

 左右には、ぎっしりと本が詰まった本棚があり、そこに埃が積もった様子がないことと、空気が淀んでいないことから、毎日、欠かさずに掃除と換気がされているのが分かった。


 歩む足の行き先に、迷いはなかった。

 ここ数日で、行き先(それ)は決まっていたから。


 王城の図書室の一角、長机が並べられた日当たりの良い窓際――その下が〝彼〟の定位置となっていた。

 本棚で出来た通路を進んでいくと、微かな音が聞こえて来た。

 紙が擦れ合う――本のページをめくる音。

 その音を消さないように、さらに慎重に足を進めた。



 やっぱり、今日も………。



 『王国』を訪れてからというもの、あてがわれた客室と訓練場、図書室を行き来しているだけ。

 時折、訪ねてくる人たちの対応もこなしているけれど、それほど長い時間ではなかった。

 決められた予定以外に城外に出かけることもないため、もう少しだけ()に――城下町に出て、この国を、世界を知ってもらいたくて、幾度も誘ったけれど、素っ気なく断られていた。


 邪魔をするな、と。


 そう告げてはいなかったけれど、その目を見れば明らかで、だから、無理にでも城外に連れ出すことは出来なかった。

 それに魔法の知識を得て、習得しようと訓練に勤しんでいることは、こちらにとっても願ってもいないことだったから。



 ………っ。



 角を曲がり、薄暗い本棚の通路の先にその姿を見とめた瞬間、足がずっしりと重くなった。


 窓から差し込む光に照らされた〝彼〟。


 その周りには山のように本が積まれ、手元の本に視線を落としながらも、時折、別の本にも手を伸ばしている。

 その顔は、逆光となっているためによく見えなかったが、文章を追う金色の瞳だけは、はっきりと見ることが出来た。

 必死に、血眼になって〝何か〟を探しているその瞳だけは――。



 ―――………。



 すぅ、と息を吸い、床に根を張ったように重くなった足を無理やり前に動かした。

 一歩、また一歩と足を進めていくと、ドクドクと心臓が早鐘を打ち出し始め、呼吸が苦しくなってきた。

 ぎゅっ、と胸元を右手で握り締める。

 ゆっくりと〝彼〟がいる場所に近づいてきて、通路が途切れた場所で、それ以上進むことが出来なくなってしまった。

 その距離は、数歩ほど歩けば埋まるもの。

 薄暗い通路から、日の当たる場所に出るだけなのに、その傍に行って声を掛けるだけなのに。


 何故か足を踏み出すことが――その距離を詰めることが出来なかった。


 なら、せめて声を掛けようと口を開いたものの、喉の奥が詰まったかのように、パクパクと動くだけで、声は出なかった。

 その間も、室内にはページのめくる音だけが聞こえていた。

 たった数メルの距離にいるにも関わらず、全くこちらに気付くこともなく、その視線は本の上をなぞっていく。



 ―――ぁ……。



 唇が震え、呼気のような声が出ても――。

 もしかしたら、ここにいることも気づいていないのかもしれない。

 そう思った瞬間、それ以上見ていられなくて、強く目を閉じた。


 どうすれば、貴方は……?


 震え出した右手を左手で包み――。





「〝―――どうした?〟」





 頭の中に響いた声で、はっと我に返った。






         ***






 『オメテリア王国』の王城、その一角にある図書室は人払いがされ、静まり返っていた。

 広い図書室の南側は、一面に等間隔で窓が並び、そこから差し込む日の光が並べられた長机を照らしていた。

 長机の一つを占領している響輝の前には数冊の本が広げられ、さらに周囲には本が山積みとなっているために、半ば本に埋もれた状態だ。


(――ん?)


 手元の本に視線を落としていると、一つの気配が近づいて来たのを感じ、意識を本の内容から外に向けた。

 付かず離れずの場所にいる監視者(者たち)ではなく、知った気配だった。

 扉を開ける音は聞こえなかったが、微かに足音と衣擦れの音が聞こえて、段々と大きくなってきた。


『トマッタネ?』


(………そうだな)


 その人物は、一直線にこちらに向かって来ていたにも関わらず、何故か少し手前――長机が置かれている一角に出る前で立ち止まった。

 不思議そうな声を上げたウルに同意しつつ、響輝はしばらくの間、手元の本に視線を落としていたが、


「〝――どうした?〟」


近づいて来た者の魔力が、ユラユラと蝋燭の炎のように揺らめいたのを感じて、顔を上げないまま声を掛けた。

 小さく息を呑む音がして、魔力の揺らめきは止まった。


「――レナ?」


 本から顔を上げて視線を向ければ、びくっ、と怯えたように彼女――レナは細い肩を震わせた。

 そのことに片眉を上げると「……ヒビキ様」と少し戸惑った声が返ってきた。

 ちょうど、窓から差し込む日の光が当たらない場所で立ち止まっているため、その表情は分からなかったが――


(魔力の流れが悪いな………疲れ、か?)


 座らないのかと尋ねれば、レナはゆっくりと近づいて来た。

 日の当たる場所に出たその顔を改めて見ると、予想通り、顔色は悪かった。魔力の流れが乱れている事と合わせて考えるに、あまり、体調は良くないようだ。


「………これは」


 響輝の向かい側に腰を下ろしたレナは、長机の上を見て目を丸くした。

 本が十数冊ほど置かれた中、その目を引いたのは開かれた三冊の本だった。

 何故なら、響輝が見やすいように見えない何かに(虚空に)立てかけられていた(浮いていたからだ)


「見やすいだろ?」

「そう、ですね………」


 浮かび上がった本を一瞥すると、パタパタパタ、と〈見えない手〉で閉じられていき、積み上がっていた本の山の上に置かれた。

 レナはその様子を不思議そうに見つめていたが、


「魔法具について、ですか?」


積まれた本の題名を見て、小首を傾げた。


「ああ。あっちで魔儀仗(フィクンド)を作るのに調べていたら、結構、面白くてさ。ここにも色々とあったから、ついな」


 響輝は手に持っていた本も閉じてその上に重ね、レナを見た。


「それで、何か用か?」

「昼食のお誘いにお部屋の方に伺いましたら、まだこちらだとお聞きしましたので……」


 まだ、と言うのも、レナに図書室に案内してもらったのが朝食後――首脳会談が始まる前だったからだ。それからずっと、図書室に篭っていた。


「そういえば、そんな時間だったな……」


 キルエラが昼食の用意のために席を外すと言って図書室を出ていったのは、少し前のこと。レナにセリアが同行していないのは、彼女も用意を手伝っているのだろう。

 いいぜ、と頷き、気になっていたことを尋ねる。


「会談はどうだった?」


 首脳会談で旅の事を話して、一晩が経った。

 テスカトリ教導院が旅の件(その事)を告げると会談の場は騒然となったものの、『オメテリア王国』と『シドル』――そして、『クリオガ』の三国のおかげで収まったが、継続は不可能と判断されて、その日の会談は終了していた。

 その後、レナや三院長、文官たちは代わる代わる訪れる各国の外交官の対応に追われ、響輝の方は部屋を監視する者が増えていた。


「ひとまず、午前中は魔界(キアウェイ)との顔合わせのことを話し合いました。すでに内容は決まっていましたから、特に変更はなく承認されています。旅の件については、午後から改めて説明をする予定で、昨日、ヒビキ様に頂いた映像も使わせていただこうかと思っています」


 響輝が提供したのは、ニカイヤと行った魔法の練習風景(模擬戦)だ。

 ニカイヤはえげつない攻撃を――上位魔法以上で――仕掛けて来たので、魔法に慣れるという意味では良い練習相手だった。

 それを録画していたのは三院長の指示があったからで、元々、交渉材料にするつもりだったのだろう。


「……今のところ、ばぁさんたちの予定通りか」


 そうですね、とレナは頷いた。


(気になるなぁー……)


 覗き見たい気持ちはあるが、テスカトリ教導院ならまだしも『オメテリア王国(ココ)』では魔力が(・・・)馴染んでいないため(・・・・・・・・・)に王城に施された[結界]や高位の魔法師の感知を掻い潜って魔術や魔法を使うのは難しく、諦めていた。


(せめて、他の〝勇者〟よりも先入り出来ていたら――いや、それでもちょっと難しいか……)


 例え、監視をされていようとも、少しの下準備――自分の魔力を周囲に馴染ませて魔素への影響力を高めること――をすれば、魔術や魔法の発動を察知させずに扱うことはでき、それも近距離に使うだけなら必要はなかった。

 ただ、少し効果範囲を広げようとすると、すでに来訪者(異物)として警戒網に認識されているために感知される可能性は高く、その上、あてがわれた部屋に来る途中で感じた〝奇妙な視線〟のこともある。

 少しでも察知される可能性があるのなら、旅のためにも下手な行動は出来なかった。


(任せろ、と言っていたし…………まぁ、仕方ないな)


 ひとまず、とレナに視線を向けると、視線を下に向けた姿が目に入った。

 右手を〈見えない穴〉に突っ込み、目的の物を手の中に収める。


「レナ――」

「?」


 ひょいっ、と手の中の物を放り投げた。

 顔を上げたレナは、えっと目を見開き、慌てて両手を前に出した。軽く放物線を描いたソレ(・・)は真っ直ぐにその中に落ちていく。


「……ブレスレット、ですか?」


 レナは手の中に収まった物――細身のブレスレットを見て、小首を傾げた。

 それは二つの輪が交錯したようなデザインで、交差する二箇所には指輪が嵌っていた。


「やるよ。体内の魔力の流れを安定させる効果がある魔術具だ。漏れだす魔力で勝手に発動するから、身に付けるだけでいい」

「体内の――えっ?」


 はっ、とレナは顔を上げた。


「結構、魔力の流れが乱れてる。……疲れ、溜まっているんじゃないか?」

「!」


 目を見開いて、レナは固まった。


「効果は保障する。まぁ、劇的な効果はないけど、すっきりすると思うぜ?」

「でも、頂くわけには………っ」

「元々、仲間に渡すために作った物の予備だから、問題ない」

「作った……ヒビキ様が、コレを?」

「ああ。一応、男女兼用のデザインだから、身に付けられないことはないだろ?」

「えっ……はい。ですが――」

「使えないか?」

「そんなことは……!」


 慌てて否定するレナに「冗談だ」と響輝は笑い――すっ、と笑みを消した。


「前にも魔力の乱れはあった。………その時は、別に魔法を使っていたわけじゃないから、能力のせいか?」

「――っ」


 びくっ、と肩を震わせ、レナは大きく目を見開いた。


「俺が知っている能力と色々と違うだろうから、確信していたわけじゃないけど……図星か」

「………どう、して……?」

「その魔力の乱れの感じは、精神的なものからくるものだけじゃない気がしたからさ」

「………!」


 あちらの世界の能力――〈魔眼〉は、〝(生命)〟と深い関わりがあるため、体内の魔力にも大きな影響を及ぼしていた。

 

(たぶん、こっちの力も〝魔〟には関係していると思うけど……)


 サザミネやラルグを見るに〝魔〟が関係しているとは思うものの、〈魔眼〉で見ていたわけではないので詳しいことは分からなかった。

 レナは唖然と響輝を見ていたが、小さくため息をつくと身体から力を抜いた。


「すみ、」

「レナ――」


 謝ろうとする言葉を遮ると、はっと俯きかけた顔を上げて見つめてくる。


「………」


 驚いた表情のレナを、少し眉を寄せて見返した。

 恐らく、魔力の乱れの原因は、ストレスと〝才能(ディフェラ)〟の使用だろう。

 そして、ストレスの一因は自分にあるとは分かっているので、謝られても困る。

 レナは何かに気付いたように一度目を丸くすると、ふっと小さな笑みを口元に浮かべた。


「…………ありがとうございます、ヒビキ様。大切にしますね」


(それも、違う気はするんだけどなぁ……)











「少し、すっきりした気がします……」


 左手にブレスレットを填めて、少しの間触れていたレナはそう言った。


「いや、早ぇよ」


 響輝は苦笑する。

 レナもくすっと笑ったものの、笑みを消すと真っ直ぐに響輝を見つめて来た。


「お見通し、でしたか……」

「………」


 その言葉に無言で片眉を上げる。

 レナは少し困ったように笑った。


「詳しく、お聞きにはならないんですね」

「………聞いた方がいいか?」


 目を伏せ、「分かりません……」と首を横に振った。


「………私の〝才能(ディフェラ)〟は星霊(オミテクトリ)様に賜ったモノ。それは過去の〝ゲーム〟について積み重ねられた記憶を読み、次の〝ゲーム〟に活かすためにあります」


 瞼を開けば、澄んだ碧眼が真っ直ぐに響輝を見つめた。


「私が知るのは、勝利と敗北――双方の記憶ですが、少し、敗北した時の記憶が強いようで……」

「……先代や先々代か」

「………はい」


 少しの間があったが、レナは頷いた。


(さっき、突っ立っていたのは、ソレを見ていたからか?…………けど、あの感じは――)


 あの時、〈魔眼〉で見えたものは、響輝が〈魔眼〉を通じて〝世界〟を見た時と似た〝力〟の流れだった。

 なら、レナの能力が〈魔眼〉に近い――よく似た能力だということになる。




―――二千年近い〝ゲーム〟の記憶




 その膨大な知識が収まっている場所もまた、〝あの場所〟なのだと。

 響輝は少し目を伏せ、小さく息を吐いた。


(似た〝力〟、か………)


 〈魔眼〉は〝空間の歪み〟の先――〝外〟に広がる黄金の海を映し出す鏡であり、〝外〟に触れた証。

 それ故に、魔術師を超越した者――【魔王】たる所以(ゆえん)となっているものだ。


(直接、授かったってことは………やっぱり、そういうこと(・・・・・・)になるのか……)


 別段、何を見たのかは興味はない。自分は依頼された仕事を果たすだけだ。

 だから、過去の〝ゲーム〟――先代の〝勇者〟たちについては、レナや三院長が教えるべきだと判断したのなら話してくるだろうと思い、敢えてこちらから聞くことはなかった。

 ただ、彼女の能力に関しての疑念が確信になった以上、このまま見過ごすには忍びなかったので――


「……………何を、見せたいんだろうな」

「えっ?」


 ぽつり、と呟いた響輝に、レナは戸惑いの声を上げた。

 視線を上げてレナを見ると、びくり、とその肩が震えたが、気にせずに言葉を続けた。 


「見たって事は、見るべき事――なのかもしれないだろ?」

「見るべき……?」

「〝すべては必然〟――それが俺の師匠の口癖さ」


 最古の魔術師――五百年以上生きる師が至ったモノ。


「事が起こった時点で、それは起こるべくして起こった事。奇跡が起これば、起きた時点で奇跡ではないだの、後悔をしても無意味だの………かといって、努力することを怠けたら、容赦なく叩きのめしてくる狂人だけどな」

「それは……」


 レナは言葉に詰まり、目を泳がせた。

 響輝は口元に苦笑を浮かべ、


「いや、俺もよく分からねぇよ」


 弟子となって十年近い付き合いになるが、未だにその思考回路は分からなかった。

 伊達に【凶魔】と呼ばれてはいない。


「けど、そうやって感情や思考を切り替える必要もあるだろ?」


 ただ、一理はあると思う。


「奇跡だと言って、もう一度、それに縋っても意味はない、後悔し続けて立ち止まっても何も変わらない――その全ては必然だったと、自分で選んで来た結果だから、ただ受け入れろってことだよ」


 最善と思って歩み続けた先に得た結果なのだから。

 例え、それが望んだものであれ、望まないものであれ。


「………だから、見たことにも意味が……?」

「ただ制御が甘かった――そう済ませるのもいい。けど、それを見た時点で〝見ていない自分〟とは違うだろ? 見たことに意味があるのか、ないのかは分からねぇけど、見た時点で既に何かしらの変化はあるんだ」

「変化……」

「そして、そこに何を見出すのか――或は見出さないのかは、おたく次第さ」

「………」


 レナは考え込むように顔を俯かせた。


(ってか、あんまり助言にはならなかったか?…………けど、まぁ少しは落ち着いたみたいだし、いいか)


 結局、見た過去に意味を持たせるか、ただ受け流すか――それを決めるのは、その〝力〟を与えられた姫巫女(レナ)だけだ。

 ただ、制御の甘さから見たのだとは思えなかったので――助言になるか分からなかったが――耳にタコが出来るほどに聞かされた師の言葉を借りた。

 しばらくはそっとしておこうと思い、ひとまず片づけるか、と本の山に視線を向け――


『クルヨ!クル!』


 ふと、ウルが嬉しそうな声を上げた。

 目を閉じて周囲を探れば、知っている気配を先頭にして、他に三つの気配がこちらに近づいているのを感じた。


(キルエラと………)


 先頭はキルエラで、残る三つの気配のうち、二つの気配はよく似ているものだ。口の端を上げて目を開き、未だに考え込んでいるレナに声を掛けた。


「レナ。お客さんだ」

「――えっ?」


 顔を上げたレナは、響輝を見ると小首を傾げた。



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