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勇者召喚――いいえ、魔王召喚です  作者: 奥生由緒
第4章 エカトールの勇者たち
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第48話 黒、オメテリア王国へ

※ レティシアナ視点です。




 『オメテリア王国』王城の地下深く、広く長い回廊を抜けた先に一つの扉があった。 


 その中には、テスカトリ教導院直通の転移魔法陣が設置されていた。


 来訪するテスカトリ教導院の〝勇者〟を出迎えるため、扉の前には十数人ほどが待ち構えていた。

 テスカトリ教導院側からはレティシアナ、セリア、ネリューラ、近衛騎士が三人。『オメテリア王国』側からは宰相と閣僚が二人、そして、護衛の騎士が四人だ。

 レティシアナと宰相が先頭に立ち、その後ろに閣僚たちが控えていた。セリアとネリューラ、双方の騎士たちは少し離れた場所に並んでいる。


「………」


 手元の懐中時計で時間を確認した宰相は、懐中時計をポケットに仕舞いながら扉に向かった。

 懐から〝金色の鍵〟を取り出すと扉の鍵穴に差し入れ、ガチャンッ、と扉の鍵を開ける(封印を解く)

 宰相が隣に戻ったところでレティシアナは転移を感じ、来訪を告げた。


「―――」


 『オメテリア王国』の面々に緊張が走り、十数人の視線を集める中、ドアノブが回って扉が内側に開かれた。

 まず、姿を現したのは、若草色の髪を持つ男性――ニカイヤ三導護衛騎士団長だった。

 ヒビキの同行者は専属侍女のキルエラだけでなく、ニカイヤたち三導護衛騎士団の一部隊が付いて来ているのだ。

 ニカイヤは視線を集めていることに気付くと、さっと周囲を確認してから目礼し、流れるように脇に退いた。

 開かれた扉は、内側で騎士によって支えられ――




―――コツンッ、




と。一歩、彼が回廊に足を踏み入れた。


「―――っ!」


 その瞬間、周囲の空気が変わった。

 風が吹いたわけでもないのに周囲を漂う魔素が蠢き、全身を撫でて後ろへと駆け抜けていく。



 彼から放たれる存在感(プレッシャー)――。



 身に纏う魔力の、その質の高さに誰もが息を呑んだ。

 二歩、三歩と歩けば魔力が揺らめき、羽織るジャケットの長い裾が翻った。

 ヒビキが着ているのは、〝勇者〟としての正装だ。

 彼がこの世界に来た時に着ていた軍服を元に作られたもので、元の服よりもジャケットの裾は長く、青い光沢を放つ銀色の生地に金と碧の装飾が施されていた。

 いつもは無造作な黒色の髪も後ろに掻き上げたように整えられ、精悍な顔立ちがよく見える。

 少し俯き加減だった顔を上げれば、金色(・・)の瞳が現れた。


(―――えっ?)


 思わず、目を見開く。

 その事に気付いたのは、正面にいる彼とニカイヤだけだ。隣にいる宰相は、ヒビキを見たまま固まっているため、気づいてはいない。


「………」


 つと、ヒビキは視線を向けてきたが、何も言わずに宰相に視線を移すと、真っ直ぐに見据えて背筋を伸ばし、目礼した。

 宰相は、はっ、と我に返り、一拍置いて口を開いた。


「『オメテリア王国』へ、ようこそ。テスカトリ教導院の〝勇者〟よ。私は『オメテリア王国』の宰相、エヴォルグ・オルエスト。心より、来訪を歓迎します」

「テスカトリ教導院の〝勇者〟、ヒビキ・クジョウです。よろしくお願いします、オルエスト卿」


 口元に微笑を浮かべ、一礼するヒビキの所作に淀みはなく、何処か優雅さもにじみ出ていた。

 オルエスト宰相は大きく頷き、


「どうぞ、こちらへ。我が主――国王陛下がお待ちです」











 オルエスト宰相に案内されたのは、左右に騎士が立つ大きな扉の前。

 その扉の数歩手前でオルエスト宰相が立ち止まり、騎士たちに頷いた。右側に立つ騎士が扉をノックし、


「オルエスト卿がテスカトリ教導院〝勇者〟クジョウ様並びに姫巫女のミスフォル様をお連れになりました」


 内側に開かれた扉の先、まず目に付いたのは天井の巨大なシャンデリア、そして、天井一面に描かれる、花と蔦を使った不思議な文様だ。その文様は四方にある柱にまで続き、まるで、森の中にいるようだった。

 唯一、正面の壁に王都の街並みが描かれた大きな風景画が飾られており、シャンデリアの下には背の低いガラス製のテーブルとそれを挟んでベージュ色の革ソファがあった。

 そして、正面にある一人掛けのイスに六十代ほどの金色の髪の男性が腰を下ろしていた。

 ゆったりとした服を身に纏っているが、がっしりとした体格で、緑色の瞳が真っ直ぐにレティシアナを――ヒビキを見据えていた。綺麗に整えられた顎鬚に、肩ほどの長さがある髪は後ろに流され、頂きには王冠があった。

 『オメテリア王国』のトルビィオ国王だ。

 その右側には軽鎧を身に付けた五十代後半ぐらいの薄い茶色の髪の男性と、シンプルだが光沢のあるローブを羽織った四十代半ばの濃い灰色の髪の男性、左側には三十代後半ぐらいの国王と似た顔立ちに淡い金色の髪の男性が立っていた。

 レティシアナたちが室内に入れば全員の視線がヒビキに集まるが、彼は特に気にした様子もなく、テーブルの手前でレティシアナと並んで立ち止まった。

 オルエスト宰相が左側にいる三十代後半ぐらいの男性の隣に向かい、こちらに向き直ったところでイスに座るトルビィオ国王が口を開いた。


「ようこそ、我が国へ。私は『オメテリア王国』国王、トルビィオだ。心から歓迎するよ、異世界からの〝勇者〟よ」

「お初にお目にかかります。テスカトリ教導院〝勇者〟、ヒビキ・クジョウです。ご多忙の中、お時間をいただき誠にありがとうございます」


 ヒビキは一礼した。


「いや、異世界からの客人をもてなすのだ。当たり前のことだよ」


 トルビィオ国王は朗らかに笑い、つと、横に立つ三十代後半ほどの男性に視線を向けた。


「紹介しよう。我が息子のルーフェルドだ」

「『オメテリア王国』王太子、ルーフェルドだ。末の弟が貴方の戦友となる。よろしく頼む」


 トルビィオ国王と似た笑みを浮かべるルーフェルド王太子に「こちらこそ、よろしくお願いいたします」とヒビキは頭を下げた。

 そして、とトルビィオ国王は反対側に立つ男性二人に視線を向け、


「こっちが近衛騎士団団長のホヴィール・クルジムと、宮廷魔法師長のモルガイ・コンジットだ」


 よろしく、と二人は会釈し、ヒビキもそれに会釈で返した。

 双方の挨拶が終わり、「かけてくれ」と勧められてレティシアナとヒビキはソファに腰を下ろした。

 レティシアナはヒビキの隣に座り、正面にはルーフェルド王太子が腰を下ろした。その後ろにホヴィールとモルガイが立ち、オルエスト宰相はルーフェルド王太子がいた場所に立つ。

 ヒビキとレティシアナの後ろには、ニカイヤとネリューラが控え、セリアとキルエラは部屋の隅に立っている。護衛とヒビキに同行してきた三導護衛騎士団のうち、三導護衛騎士団は三院長の下に先に向かい、近衞騎士たちは外で待っていた。

 侍女がお茶を並べ終えたところで、トルビィオ国王が口を開く。


「姫巫女殿が召喚して一ヶ月ほど経つが、この世界に少しは慣れたかな?」

「はい。皆様にはよくしていただいています」


 ヒビキは頷き、ちらり、と視線を向けて来た。


「私の世界と異なる事も多く、色々と興味は尽きません」

「そうか。それはよかった。――確か、魔法と似た魔術と言う力を使うと聞いているが?」

「はい、そうです。魔法と発動条件は異なるのですが、魔力と魔素を扱うことに違いはありません。それに発動条件が違うことも興味深く――」


 ほう?とトルビィオ国王は興味深げな声を上げる。


「今はベルフォン教授に色々とご指導いただいております」

「学導院の〝ベルフォン教授〟か。なら、色々と勉強になるだろう。………そういえば、図書室の使用願いがあったが、その理由も――?」


 トルビィオ国王の問いに「――はい」と満面の笑みでヒビキは頷いた。


「閲覧の許可をしていただいたようで、ご配慮に感謝します」

「少しでも役に立てれば、と思っていたのだが……そうかそうか」


 トルビィオ国王は何度か頷いて、




「それがアレ(・・)を希望した理由かな?」




 その言葉にヒビキは笑みを消した。

 ルーフェルド王太子やエルネスト宰相たちの視線もヒビキに集まるが、彼はトルビィオ国王の真意を探るような――見透かそうとする瞳を真っ直ぐに見返していた。


()は聞いている。この世界が、知りたいと――」

「………」


 全く態度を変えずに告げるトルビィオ国王に、ヒビキは目を伏せた。

 数秒ほど何かを考えているようだったが、目を開くと小さく頷いた。


「………お止めに、なりますか?」

 

 その言葉を予想していたのか、トルビィオ国王は口元に笑みを浮かべる。


「いや、〝(レーグル)〟で決められた事だ。止める気はない」


 そこで、さらに口元の笑みを濃くし、


「それにそう(・・)望んでくれるのは、こちらとしても願ってもいないことだ。――ありがとう」

「………!」


 ヒビキは、僅かに目を見開いた。その言葉は予想外だったのだろう。


(――えっ?!)


 レティシアナも驚きで息を止め、動揺を隠すのに必死だったが、上手く隠せた自信はない。 

 その二人の様子を見て、ははっ、とトルビィオ国王は笑い声を上げた。


「やっと、年相応の顔をしてくれた」


 ヒビキは目を瞬き、ルーフェルド王太子やエルネスト宰相たちを見るが、すぐにトルビィオ国王に視線を戻した。


「…………そう言われたのは、初めてです」

「んん? そうなのか? 界導院長殿なら了承しそうだが………」

「界導院長様が?」


 不思議そうに尋ねるヒビキに、少し口元に手を当てて考え込むが、


「なに、界導院長殿から先代(・・)はこの世界そのものには興味がなかった、と聞いていたからな」

「………そのようですね」

「こちらの都合で召喚し、引き受けてくれたのは分かっている。だが、少しだけでもこの世界を知って欲しい――見てもらいたいのだよ、救ってほしい世界を」

「………」

「だから、君が少しでもこの世界に興味を持ってくれたのなら出来得る限り、手を貸そう」


 真摯にヒビキを見つめる瞳に、少しだけ、からかうような光を宿し、トルビィオ国王は付け加えた。


「もちろん、〝勇者〟としての働きに期待しているよ――」

「………」


 ヒビキは無言のまま、頭を下げた。






         ***






 王城の廊下を十数人ほどの一団が歩いていた。

 先頭に立つのは、ここ最近、よく見かける――滞在しているテスカトリ教導院の姫巫女専属の侍女と、近衞騎士団の副団長だった。

 その後ろには騎士たちが陣を組み、騎士の中に見かけない者たち――三導護衛騎士団の団長ともう一人、手練れの侍女がいるのを見つけ、待ち人が来たのだと分かった。

 王たちがいる部屋から遠ざかっているので、謁見を終えてあてがわれた客室に向かっているようだ。


(なら、あの子が――)


 騎士たちに囲まれて歩く若い二人。

 その内の一人は、テスカトリ教導院の姫巫女だが、問題はその隣を歩く、まだ二十歳にも満たないだろう、少年と言える黒色の髪の人物。


 彼が、今代の〝勇者〟なのだろう。


 その身から滲み出るように感じる魔力に目を細めた。

 制御が甘いというわけではない。感じる魔力の質が高さから、あえて自然に見える程度で纏っているのだと分かった。

 ただ、それが邪魔をして、内包する魔力が感知しにくい――妨害されていたが。

 その顔をよく見ようと、つと、視線を上げ、


(―――っ!)


金色の瞳と目が合った。

 〝あの場所〟と同じ色の瞳。

 深淵を覗き込んだ時と同じ、惹き込まれそうな不思議な引力と、心の内を見透かそうとする強い意志を感じ、ぶるり、と身が震えた。

 随分と長い間、視線を合わせていた気がしたが、実際は一瞬の出来事。

 金色の瞳は、ユラユラと何かを探すように揺れた。

 突然、立ち止まった彼に隣を歩く姫巫女が『どうしました?』と声を掛けた。その声に先導する侍女や周囲の騎士たちも足を止めて彼を見つめる。


『―――』


 彼は問いには答えず、背後を振り返った。その先にいるのは、三導護衛騎士団の団長だ。

 団長は視線の意図を察し、無言で肩をすくめた。

 彼は再びこちらを見るが、目が合うことはなく周囲に視線を漂わせている。


『――悪い、何でもない』


 姫巫女に答え、歩き出した。それに押されるように一団が歩いていく。


(気付かれた?――やっぱり、アレは……)


 彼らの背を見送るその口元には、小さな笑みが浮かんでいた。






         ***






「――ふぅ……」


 ヒビキはソファに腰を下ろすと、少し身を傾けて背もたれにもたれかかって一息ついた。

 レティシアナは向かい合うように、ソファに腰を下ろす。

 ヒビキはジャケットを脱いでシャツとズボン姿で、脱いだジャケットはキルエラに預け、彼女は寝室のクローゼットに荷物と一緒に仕舞いに行っていた。セリアもお茶の用意で席を外しているため、傍にいるのはニカイヤとネリューラだけだ。護衛の騎士たちは、扉の外で待機している。


「お疲れですね。ヒビキ様」


 ヒビキは片手で目元を揉み、ちらり、と視線を向けて頷いてきた。

 いつもと違う様子に小首を傾げると、彼の口元が小さく動く。


「―――っ?」


 一瞬、ピンッ、と空気が張り詰め、レティシアナたちの視線がヒビキに集まった。

 やれやれ、と呟きながら、右手で左肩を揉み、


周りがうるさいから(・・・・・・・・・)〈結界〉を張っただけだ」

「魔術、ですか?」


 ネリューラの問いに「ああ、遮音と幻影効果のあるヤツだけどな」とヒビキは頷いた。


「―――そこそこ、いますからね(・・・・・・)


 にこり、と笑って告げるニカイヤにヒビキは胡乱げな視線を向けた。

 それに気づいているものの、ニカイヤは気にした様子もなく、疑問を投げる。


先ほどの事も(・・・・・・)何か気になったのですか? 別段、君を、と言うわけでもなかったはずですが……?」

「いや、警備の奴だとは思ったんだけどな………何か、イマイチ分かりにくい気配だったからさ」


 歯の奥に何かが詰まったような物言いは、彼にしては珍しかった。


「気のせいか……?」


 最後の言葉は独白だと思うが、それが彼の困惑を示していた。


「!」


 レティシアナとネリューラは目を見張った。

 彼の感知能力の高さは、召喚してからというもの、よく分かっていた。それを潜り抜け、さらにニカイヤでさえ気づいていなかったのだ。


(ヒビキ様とニカイヤ団長が分からなかった……?)


 ふぅん、とニカイヤは興味深げに呟き、


「注目の的ですからね。色々な目があるのは仕方ありませんが……?」

「それは分かってる。…………そっちは、巻かなきゃいいだろ?」

「ほどほどにして下さいね」


 諌める言葉はなく、ニカイヤは笑って言った。

 あまり接点のなかった二人の気安げな様子に、レティシアナとネリューラは顔を見合わせた。


(界導院長様が魔法の練習をしたと仰っていたから、それから……?)


 ラフィンから、ヒビキがニカイヤと魔法の練習をしたことは聞いていた。

 元々、魔法に興味のあるヒビキと魔術に興味を持ち始めたニカイヤだ。魔法の練習(そのこと)がきっかけとなり、意気投合したのだろう。

 戸惑うレティシアナとネリューラを置いて、ニカイヤは口を開いた。


「――オメテリア王との面会は、どうでしたか?」

「どうって……」


 何が、とは言っていないが、直球な問いにヒビキは片眉を上げた。


「あまり、聞くもんじゃねぇと思うけどな……?」

「そうですか? 遮音は完璧なのでしょう?」

「いや、まぁ、そうだけどさ……」

「少し、気になってしまいましてね」


 ですよね、と突然、ニカイヤに話を振られる。


「えっ? ………えっと……」


 びくっ、と肩を震わせて視線を彷徨わせたが、彼の言う通りだったのでレティシアナは小さく頷いた。

 おたくもか、とヒビキはじと目を向けて来た。


「す、すみません………でも――」


 顔を俯かせながらも、そっとヒビキを伺った。目が合うと、ぴくり、とヒビキは片眉を動かし――視線を逸らした。


「どうって聞かれても…………王様だな、って感想しかねぇんだけど」


 ぽりぽり、と頬をかきながら、そう答える。


「そこそこ、緊張はしていたからな」

「緊張されていたのですか?」

「…………おたくなぁ」


 目を丸くしたニカイヤに、ヒビキは顔をしかめた。


「一度、おたくが俺のことをどう思っているのか、詳しく聞きたくなってきたよ」

「そうですか? 遊びながら(・・・・・)でよろしいのでしたら、お話しますよ?」


 ふふふ、と笑うニカイヤ。

 突然、一触即発の気配を放ち出した二人の間に、レティシアナは慌てて声を掛けた。


「あ、あの時は緊張されているようには見えませんでしたがっ?」

「…………悟られるようなヘマはしねぇよ」


 ヒビキは、ちらり、とこちらを見てそう言うが、すぐにニカイヤに視線を戻す。


「おや。面白いことを仰いますね」

「…………おたくも似たようなものだろ?」

「はて。何の事でしょう?」


 口の端を上げて嗤うヒビキに対し、ニカイヤはにこやかな笑みを浮かべてすっ呆ける。


「お二人とも、そこまでに――」


 ネリューラも困ったように声を掛けるが、二人は睨み合ったまま――ニカイヤはいつもの柔和な笑みを浮かべたままだが――視線を逸らすことはなかった。

 困り果てたレティシアナとネリューラが視線を交わしたところで、


「――またですか? ヒビキ様、ニカイヤ団長」


荷物を片付け終えたキルエラが姿を現し、苦笑気味に言った。


「……え?」

「またとは?」


 レティシアナとネリューラは彼女に振り返った。


「ニカイヤ団長に練習相手を務めていただいてから、何かと手合わせをしてみえているんですよ」

「………」


 レティシアナたちがヒビキたちに視線を戻すと、ヒビキはあっさりと視線を外して肩を竦めた。


「結構、えげつない攻撃をしてくるから、丁度いいんだよ」

「丁度いい、のですか?」


 えっ、とネリューラは目を見開いた。所属は違うが、魔法の訓練で手ほどきを受けたことがあるため、ニカイヤの性癖はよく知っているからだ。


「実戦で覚えるみたいですよ。…………あれほど避けられ続けたのは久しぶりです」

「………」


 しみじみと言うニカイヤを何処か呆然とネリューラは見つめた。











「――どうぞ」


 セリアが用意したお茶が配られ、今日の茶菓子は城下町で買って来たチーズケーキだった。

 ニカイヤとネリューラも仕事中だが、カップだけ受け取った。

 一口、チーズケーキを食べたヒビキは「おぉ?」と目を丸くして、ぱくぱく、と食べ続け、数秒で何もなくなった皿がさっと差し出される。キルエラは無言で二切れ目をのせた。


「お口に合いましたか?」


 お茶菓子を用意したセリアが、ふふっ、と楽しげに笑った。


「―――ああ。表面はしっかり焼けているけど、中はトロットロなんだな。結構、濃いめだけど、後味はさっぱりとしているし……何の果物が入っているんだ?」

「ノメルコという柑橘系の果物で、香りが強く、爽やかな酸味もあるので香りづけによく使われているのですよ。『王国』南東部が主な産地で、こちらのチーズケーキは、現在、城下町でも話題ということでしたので、ご用意させていただきました」

「へぇー」


 セリアの説明に幾度か頷き、チーズケーキをフォークで一口大に切り分けた。


「だからそんなにしつこくないのか………あー……ライムっぽいな、コレ」


 そう言いながら、二切れ目を半分ほど食べたところで、


「旅の件は、もう会談で話したのか?」


ふと、思い出したようにヒビキが尋ねて来た。

 レティシアナはフォークを皿の上に置き、「いえ……」と首を左右に振るう。


「これからです。少し、前の議題が長引いてしまいましたから」

「………これからか」

「院長様たちのお話では、各国との事前交渉は予定通り進んでいるようですよ」


 思案げにチーズケーキに視線を落としたヒビキにそう言うと、「みたいだな……」と苦笑が返ってきた。


「まさか、ああ(・・)返されるとは思わなかったけど――」


 そこで、小さくため息をつき、


「寛大なのか、何か考えがあっての言葉なのか……」


ぽつり、と呟かれた言葉に答える者は、誰もいなかった。

 少しの間、室内に沈黙が落ちる。


「――それをお聞きした時、少しだけ素が出ていましたね」


 最初に破ったのは、ニカイヤの楽しげな声だ。


「………いくらなんでも、お礼を言われるとは思わねぇよ」


 肩をすくめて、ヒビキはフォークを動かす。


(昔から異世界人(勇者様)には友好的だったけれど……陛下はどうして――?)


 レティシアナは視線を手元のチーズケーキがのった皿に落とした。

 三院長たちから了承は得ているとは聞いていたが、まさか、旅に出る事に対してお礼を述べるとはレティシアナも思ってもいないことだった。


「せっかくの〈魔眼(それ)〉が台無しでしたよ?」

「………」


 笑いを含んだニカイヤの声に顔を上げれば、じろり、とニカイヤを睨むヒビキが目に入った。

 今も彼の瞳は〝金色〟――〈魔眼〉を発動状態であり、それは召喚した頃(あの頃)と同じだった。

 そして、ニカイヤが言っているのは〈魔眼〉を発動していたことだけでなく、『オメテリア王国』に到着してから彼が纏う魔力のことを言っているのだろう。

 今は、到着直後から面会している間に感じていたような威圧(プレッシャー)はないが、テスカトリ教導院にいた時とはがらりと雰囲気が変わっていた。その仕草や言葉遣い――魔力さえも。


「子猫が毛を逆立てている程度は、生暖かい目で見ているさ」

「猛虎の間違いでは?」


 ばっさりと切るニカイヤに、ヒビキは片眉を上げる。


「第一印象は大事だろ……」

「それにしては、以前より纏っている魔力が高かった気がしますが」

「そうか? まぁ、()よりは意識的に制御はしているけど……」


 否定され、ニカイヤは、ふむ、と口元に手を当ててヒビキに――彼が纏う魔力に意識を向けた。


「私たちがそれほど気圧されない(違和感がない)と言う事は、いつの間にか、貴方の魔力に慣れていたということですか……」

「――かもな。【真言】を告げた時に居たのなら、尚更だ」


 なるほど、とニカイヤは納得したように頷いた。

 確かに召喚してから〝勇者〟を引き受けてもらうまで〈魔眼〉が発動した状態だったが、気圧されるほどのものは感じなかったがーー。


(ヒビキ様の魔力に、慣れていた………?)


 その時にヒビキの魔力に慣れていったのだと言うニカイヤにレティシアナは困惑した視線を向けた。

 ニカイヤは小さく笑みを浮かべ、


「一度、彼の強烈な魔力を感じたことがあるので、それに比べれば軽い(・・)ものですから」

「一度? ――――あっ!」


 数秒ほど考え、召喚直後の〝祝詞〟による魔力の奔流のことを言っているのだと分かった。

 確かに、あれほどの魔力の奔流を感じたのは初めての事で、それからも〈魔眼〉を発動したままのヒビキの魔力を感じ続けていた。いつの間にか、それが当たり前となっていたのだろう。

 そして、久しぶりにヒビキの強い魔力に触れたため、出迎えた宰相たちほどでないにしろ、少し気圧されてしまったということだ。

 

「――まぁ、そんな事より、これからの予定だ」


 ヒビキはヒラヒラと手を振り、レティシアナに視線を向けて来た。


「それを説明しにも来たんだろ? レナ」

「えっ――あ、はい。そうです」


 レティシアナは頷き、こほん、と咳払いをしてから口を開いた。


「まずは、他国の〝勇者〟様たちとの顔合わせを兼ねたお茶会ですが、二日後となりました。その時は、またお迎えに上がります」

「二日後か。……教導院主催なら、準備はおたくが?」

「はい。『王国』の方にも手伝ってもらいましたので、滞りなく」

「そうか……」

「あと、図書室の件ですが、今日は旅の件(あの事)について話しますので、明日、ご案内します」

「あー……だな。今日は部屋で大人しくしておくよ」


 苦い顔をして頷くヒビキは、視線を斜め上に向けた。

 すると、ふわり、と蒼い魚――ウルが姿を現す。


「暇つぶしには困らねぇし……」


 周囲を泳ぐウルの尾ビレに向けてフォークを突き出し、くるくる、とフォークに尾ビレを巻きつけるように動かし始めた。


「………同調訓練の方はいかがですか?」

「まぁまぁ、だな。地道って言うのが面倒臭いけど」


 肩を竦めるヒビキの口元には小さな笑みが浮かんでおり、ウルを見る目元も楽しげだ。

 あまり〝使い魔(ウル)〟に対して興味を持っていないような気がしていたので、レティシアナは目を瞬いていたが、


「そうですか……」


ふふっ、と笑った。


「〝使い魔(プロテニア)〟の魔儀仗(フィクンド)が出来たと聞きしましたが……?」

「あぁ、それな。一応、試作品って形だけど出来たぜ――」






 それから、会談が再開される時間が近づいてきてセリアに止められるまで、ヒビキと話に花を咲かせていた。



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