第45話 お披露目準備(2)
緩やかで落ち着いたテンポの曲が室内を満たしていた。
部屋の中心では身を寄せ合って踊る一組の男女の姿。
黒髪の青年は銀髪の少女の腰に右手を回し、左手は少女の右手と軽く握り合って横に。少女は青年の肩に添えるように左手を置いていた。
青年の軽やかなステップは、練習開始から三日目とは思えないほどに淀みがない。くるり、と回れば、少女が着るドレスの裾が広がり、髪が弧を描いた。
「そう――その調子です」
にこやかに笑う少女に対し、青年は少し眉をひそめていたがリードは完璧だ。
青年のその表情は練習を始めてから――今後の日程を聞いてからのものなので、少女が気にした様子はなかった。
やがて、曲が終わると、互いの腰と肩に置いていた手を離して一歩だけ下がった。繋いでいる手を少しだけ掲げ、軽く膝を曲げて礼。
「――休憩にしよう」
青年――響輝が何処かぐったりとした声音で言うと、少女――レナは笑って頷いた。
ダンスの練習の邪魔にならないように部屋の隅に置かれたソファに足を向けた。近くには横長の背の低い棚があり、その上には先ほどまで曲を流していた一台の蓄音機に似た魔法具が置かれていた。
近づく二人をキルエラとセリアがお茶を淹れて出迎える。
響輝はソファに身を投げ出すようにして腰を下ろし、背もたれにもたれかかって片手で目元を覆った。
「どうぞ」
「……ああ」
キルエラの声に答えたものの、動く気力がない。
向かいに座ったレナから、くすくす、と笑い声が聞こえた。
響輝は大きくため息をつき、身を起こしてカップに手を伸ばす。甘い香りは、お茶菓子にと置かれたフィナンシェのような形をした焼き菓子からだ。
「基本的なステップは、ほぼ完璧ですね」
「なら、もういいよな?」
「………いえ、話を切り上げる時のためにも、もう少し踊り慣れていた方が良いと思いますよ?」
そう切り返してきたレナに、響輝はお茶を飲みながらじと目を向けた。
「何で、舞踏会なんだ。…………立食パーティでいいだろ、立食パーティで」
どうにもならないとは分かっていても愚痴は止まらず、すでに何度目になるか分からない。
響輝は用意された焼き菓子を口に放り込んで、愚痴を呑み込んだ。
「――ん?」
独特の香りと甘みが口の中で広がり、キルエラに視線を向けると、微笑が返ってきた。
「〝黄林蜂〟の蜂蜜を使用しています」
どうやら、レナにお土産として渡した〝黄林蜂〟の蜂蜜を使って作ったらしい。
『クリオガ』の特産品の一つだが、なかなか手に入らない一品のようでレナたちは喜んでいた。
「いかがでしょうか?」
「――美味いよ」
宿の主人が作ったデザート――果物がたっぷり入ったパイだった――も美味かったが、こちらも美味い。
響輝はキルエラに頷きながら、もぐもぐ、と次々に口に放り込んでいく。
その様子にレナは苦笑し、同じように焼き菓子を口に入れた。
「ん―――美味しいです」
キルエラは「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。
「神導院長様も仰っていましたが、舞踏会は大切な交流の機会ですから頑張ってくだいね?」
お茶を飲んで一息ついたレナは、そう言った。
「ああ。それは分かってるよ」
〝勇者〟を引き受けたとはいえ、そう頻繁に国の中枢と関わることはないだろう。
「晩餐会だけでなく、舞踏会でも様々な料理が出ますよ?」
「いや、別に食いしん坊ってわけでもねぇんだけどな……」
もごもごと言い訳するものの、練習の合間にしている『クリオガ』での旅の話の中では、料理の話もそこそこ出ていたので、説得力がないのは分かっていた。
「それにテスカトリ教導院では各国の料理を扱う料理店も多いですが、その国に行って料理を食べると、また少し味が違いますから」
「………そう言えば〝勇者〟としても行くんだったな」
慣例として、各国を訪れる事にはなっているらしい。
それは〝勇者〟同士の交流と各国を紹介するためにあり、一度はその事を理由に三院長たちから旅に出ることを止められたが、響輝は「それでは意味がない」と拒否していた。
〝勇者〟としての役目だと言われれば、堅苦しい視察の様なイメージしかわかなかった事も理由の一つだが――用意されたモノを見たいわけではなかったからだ。
「もしかして、その時にもあるのか?」
「訪問した時ですか? はい。歓迎の催しとして、開かれる可能性はあるかと思いますよ」
「………」
マジか、と心底嫌そうな顔をする響輝に、レナは小首を傾げた。
「それほどダンスが苦手ですか?」
「……………まぁ、好きではないな。舞踏会なんて、出たことねぇし」
ごくり、と口の中の物を飲み込んで、ため息をつく。
手段は違うものの、ダンスは魔術と同じ〝自己表現〟とも言える。
ただ、魔術に関しては魔力に覚醒してからの十年近く鍛えて来たのだ。たった一週間弱練習をしても、どうしても付け焼刃にしか思えなかった。
少しの間、響輝を見ていたレナは「――もしかして」と呟き、
「自信がないから、恥ずかしいのですか?」
「………」
響輝は答えず、目を逸らしてカップに口をつけた。
それは肯定している事と同じだったので、レナは不思議そうに目を瞬いた。
「ただ、踊るだけですよ? 確かに魔術を見せていただいた時と比べて人の目は多いですが……似た状況だと思いますけど」
「全然違う」
強く即答すると、レナは少しの間呆気に取られていたが、
「―――ふふっ」
「…………」
肩を震わせて笑うレナに響輝はじと目を向けた。
レナはそれを気にした様子もなく、笑みを浮かべて真っ直ぐに響輝を見つめてきた。瞳の奥にからかう様な光を携え、
「舞踏会でのエスコートは任せてください。ヒビキ様」
「…………いや、普通は逆だろ」
「――作法の方も順調のようですね」
むすっとして、無言で焼き菓子を頬張っていると、レナは話題を変えてきた。
ちらり、と視線を向けてから、
「だいたい、あっちと同じだから、何とかな」
拝謁の仕方など、少し作法が違うところもあったが、晩餐会に必要不可欠なテーブルマナーの方はほとんど変わらないものだった。
「……そういえば、晩餐会や舞踏会にはどれぐらい人が来るんだ?」
「その二日間を合わせて、二千人ほどですね。主に各国の首脳陣や有力者、〝勇者〟様方の関係者が招待されています。お披露目の時は、首脳陣と〝勇者〟様方の関係者だけになるので、数百人程度になりますが……」
へぇ、と響輝は声を上げる。
そんなに入れる場所があるのか――王城は、それほどの広さを持っているのだろうか。
(魔王城は、町というか都市みたいに広かったけど……)
「……緊張しますか?」
黙り込んだことからそう思ったのだろう。響輝は意識をレナに戻し、
「そう、だな。完全にアウェーな場所は久しぶりだからな。していない事もない」
「………アウェー?」
「……あー……全く、知り合いがいない場所ってことさ」
暈して答え、響輝は肩を竦めた。
「あっちの世界で何度も〝そういう場〟に出席したことはあるから、ガチガチに緊張してヘマをすることはねぇよ」
「夜会や式典に出席したことが? ……それで作法の方は大丈夫なんですね」
「………一通り、叩き込まれたからな」
初めて〝そういう場〟に参加したのは、所属していた組織――魔術師の監視と管理を目的とした国際機関――が開いた入社式だった。
その時、社会人として恥ずかしくないようにと両親と〝あの人〟に徹底的に礼儀作法を叩き込まれたのだ。
それからは幾度も機関や国が主催するパーティに参加させられたので――ここ最近は出席していなかったが――そうそうに忘れるものでもない。
「初めて出席されたのは、いくつの時に?」
「入社式だから――十五だな」
「………十五歳、ですか?」
思ったよりも若かったからか、レナは目を見開いた。
控えているキルエラとセリアからも驚いたような気配がする。
「確か、ヒビキ様の故国には、貴族の方はおみえではないんですよね……?」
「ああ。だから、仕事関係のパーティ――入社式が最初だよ」
「入社式……?」
聞きなれない単語に、レナは小首を傾げ、
「えっと………それでは、十五歳で働いていたということですか?」
少し言葉に詰まりながら問われ、「ああ。そうだけど?」と響輝は頷いた。
ちらっ、とキルエラたちを見れば、驚いたように目を丸くしていた。
(………こっちの世界から見ても若いか)
エカトールでは、貴族は十五歳で社交場に出るために一人前となるが、一般的には十八歳で成人とみなされていた。
響輝は三人の様子に片眉を上げ、
「俺たちの国では二十歳から成人だけど、魔術師となれば別さ。昔は十五歳だったし、他国ではこっちと同じく十八歳で成人とみなされるところもあるからな。……まぁ、入社したと言っても数年間は基礎訓練ばっかりだったぜ」
「――で、入社式だけど」と話を元に戻し、
「一度にそこそこの人数が入社するから、本部だけじゃなくて各国の支部でも開催されていたんだ。俺が出席したのは本部の入社式だったから、結構、色んな国からお偉いさんが出席していたんだ」
そして、行われていたのは、各国の支部や首脳陣による引き抜きだった。
基本的に故国の支部に配属されるが、本部での入社式に出席した者は本部付けとなるため、一人でも多くの優秀な魔術師を手に入れようと躍起になっていたのだ。
(あの時は引き抜き目的だったけど………見定められるのは同じだよな)
そう思いながら「だから、慣れている」と言えば、レナは呆然としたまま頷いた。
その様子に、響輝は苦笑し、
「…………けど、それはおたくも一緒だろ?」
レナが姫巫女となったのは五年前――十四歳の時だ。それは貴族が社交デビューする年齢よりも若い。
えっ、とレナは目を瞬き、その意味に気付いて小さく首を横に振った。
「いえ。私の場合は、少し特殊ですから……」
「………そうか?」
響輝は、その頃はまだ師匠の下にいた。
そう考えると、すでに社会に出ていたレナは素直にすごいなと思ったが。
「………魔術師の主な仕事は、確かこちらの世界の騎士と似ているのでしたね」
「ああ。機関から派遣されるって形になるから、ちょっと違うけどな」
「派遣――冒険者とは、違うのですね……」
「そこまで自由じゃねぇよ」
響輝は肩を竦めた。
派遣される騎士というのはおかしいが、その在り方は騎士に近いだろう。
「そうですか……」
混乱しているのか、レナは考えるように目を閉じた。
響輝はゆっくりとお茶を飲み、焼き菓子を摘みながらレナ落ち着くのを待っていると、
―――びくっ、
と。僅かに彼女の気配が揺れた。
「――どうした?」
声を掛けると、はっとレナが目を開いた。
その碧眼の奥に揺らめいた混乱は一瞬で消え、「いえ、何でもありません……」と微笑を返してきた。
「―――そういえば、『クリオガ』の旅のお話が途中でしたね」
あからさまに話題を変えたレナに、響輝は眉を寄せた。
(……何だ?)
おかしなことは言っていないはずだ。
しばらくの間、無言でレナが口を割るのを待っていたが、
「………分かったよ。どこまでだったっけ?」
根気負けした響輝は、小さくため息をついた。
彼女が頑固であることは、帰ろうとした時に気付いていた。このまま待っていても無駄だろう。
「確か三等級魔物討伐後の打ち上げまで、ですね」
「ああ、大食い勝負な――」
***
ヒビキとのダンスの練習を終えて、レティシアナは自室に戻った。
ソファに身を沈めるように腰を下ろして目を閉じ、小さく息を吐く。
「――レナ様、大丈夫ですか? また、アレが……」
レティシアナの身を案じる声に目を開くと、こちらを心配そうに見る目と目が合う。
例え、否定をしても察しがついているので無駄だろう。
「……………前ほど酷くは、」
「召喚に成功されてからは、起こっていませんよね?」
言葉に被せるように、セリアは有無を言わせない声で言った。
「それに、あの方も気付かれていると思いますよ?」
「……っ」
思わず、息を詰める。
確かにヒビキは強く追及はしてこなかったが、レティシアナの異変に気付いていた。
つと、レティシアナは目を逸らし、
「コレは私の問題で………ヒビキ様に話すことじゃ……」
〝姫巫女〟が背負うべきこと――それが役目であり、そのための〝力〟だ。
その制御が疎かになって発動してしまったのは、自分の心が弱いからだ。
召喚が成功したと言うのに、それまでの失敗で膨れ上がった不安が〝力〟の制御を不安定にさせ――その結果、ヒビキに悟られてしまった。
―――『勝つことこそ、全てだろう! その他に何があるっ!!』
あの時、頭の中に大きく響いた幻聴。
ソレは耳の奥を掻き毟ったような不快さを与え、幻聴だと分かっていても込められた負の感情の強さに思わず身を震わせてしまった。
(私の方が、緊張しているかな……)
内心で、レティシアナは自嘲した。
例え、彼があちらの世界で〝そういう場〟には慣れていると言っても、自分がいた世界とは異なる世界で各国の首脳陣に会うのだ。不安を抱かせるような事をしてはいけなかった。
「……レナ様」
心配する声に「――大丈夫」と笑みを返し、
「お披露目が終わったら、マロルド神導院長様や他の皆に相談するから――」
セリアはじっとレティシアナを見つめていたが、
「―――分かりました。ご相談が出来るよう、手配しておきます」
小さく息を吐き、そう言った。
「………それと、私でよければいつでもお話は聞かせていただきますから」
「うん。ありがとう」
レティシアナは笑って頷いてカップを手に取ると、ゆっくりと気持ちを落ち着かせるようにお茶を飲んだ。
「…………十五歳で、働いていたのね」
お茶を飲み干し、ほぅ、と息を吐くと共にレティシアナは呟いた。
「そうですね。だからこそ、あれだけの実力が……」
レティシアナの言葉に、セリアも頷いた。
ヒビキがあちらの世界で〝国際機関〟という所に属していたことは、以前に聞いていた。
そこは、こちらの世界で言うテスカトリ教導院のような役目を持つ組織で、魔術師の卵を集めて教育を施し、世界各地に派遣しているのだと。
ただ、幾つの時に入社したのかまでは聞いておらず、まさか、それが十五歳の時だったとは思ってもいなかったのだ。
(………十五歳から、ずっと騎士のような仕事を)
ぎゅっと空になったカップを両手で握り締める。
六年間で魔術師の上位者となる魔導師になり――そして、あの〝称号〟を得たのだろう。
〝称号〟がレティシアナたちが知るモノとの違いは分からないが、〝魔術師の頂点〟に立つほどの実力を得たというのなら、どれほどの戦いを駆け抜けて来たのか、想像もつかなかった。
(もしかして……………それと何か関係が?)
ふと、レティシアナはある事に気付いた。
その若さで組織に所属していたと言う事と〝あの時の言葉〟には、何か関係があるのかもしれない。
―――「この〝世界〟は異常だ」
魔界から帰ってきた時、彼はそう告げた。
その時は、その意味を問うていいのか――触れていいのか、分からなかった。
触れれば、この身が切り裂かれそうな鋭さと、触れた瞬間に彼が崩れ去ってしまいそうな儚さ――相反するモノが存在しているような気がしたからだ。
だから、その意味を聞かないままに彼を送り出した。
少しでもエカトールを知って欲しかったから――それは〝ゲーム〟のためであり、〝あの方〟のように〝その感情〟を抱いたままでいて欲しくなかったからだ。
そして、それほど長くない『クリオガ』の旅から帰ってきたヒビキは、
―――「最初はヒドイ目に遭ったんだぜ?」
そう言って、楽しそうに旅の話をしていた。
三人でチームを組んだ時、キルエラに無理矢理、リーダーを押し付けられた事。
〝一角兎〟の討伐依頼の時、殿下に嵌められた事。
護衛依頼を受け、他のチームと共闘した事。
三等級魔物の討伐成功の打ち上げで、他の冒険者たちと大食い勝負して勝った事。
初めて〝無〟の使い手であり〝使い魔〟を持つ子どもに会った事。
〝獣化〟の能力者と模擬戦をした事。
彼が語る話の中には、あちらの世界にはない食材で作った料理の感想も多かった。
それまでは魔法に関した事だけは色々と聞いてきたが、食事に関しては特に何も言っては来なかったのに。
だから、魔法のことだけではなく、この世界に興味を示してくれたことが嬉しかった。
「でも、よかった――」
カップをテーブルに置き、レティシアナは言った。
「ヒビキ様を旅に出した意味があったから」
「………はい。そうですね」
セリアはレティシアナの言葉に微笑みながら頷くと、空になったカップに新しいお茶を注いでくれた。
レティシアナは揺れる水面を見つめながら、
「頑張らないと……」
刻々と近づいてくる首脳会談。
そこで上手く旅の話を通して、悔いなく彼がこの世界を知れるようにしよう。
そうしたら、いつか〝あの時の言葉〟の意味を知る事が出来るのだろうか――。




