第43話 狂人の強襲
強風に煽られたように乱れた灰色の髪に、寝不足で血走った瞳は大きく見開かれ、目の下にはくっきりとクマが出来ていた。どこか顔色も悪い。
二週間ぶりに見るクリラマは、叫びながら部屋に入り――響輝を見つけると、にやり、と口の端を上げた。
(――げっ?!)
ぞくっ、と背筋に悪寒が走る。
響輝は座禅を崩して〈風〉を纏い、ソファから飛び上がったが――
「ちょっと、来なさぁぁぁあああいっ!!」
一瞬で、狂気に満ちた目と青白い顔が眼前に現れた。
「――ひぃっ!?」
響輝は喉の奥が引きつったような声を出し、身を強張らせた。
クリラマはその隙を見逃さず、強い力で左腕を掴んでくる。
ぐるり、と視界が回った。
まずっ、と目についたウルの尾ビレを掴むが、すぐに意味がなかったことに気付く。
「――えっ?」
と。呆気に取られたノースの声を置き去りにして、室内の風景が流れ――
薄い靄のかかった水色の空が、広がった。
開けていた窓から外に飛び出したのだと気づいた瞬間、
「うぉぉああああああ――っ?!!」
『ワー!』
呑気なウルの声と共に響輝は落下した。
「―――で? これはどういうことだよ?」
ひくひく、と頬を引きつらせながら響輝が尋ねると、目の前にいる全員が気まずげに視線を逸らした。
高さ数百メートルからのダイブの先――クリラマに連れてこられたのは、テスカトリ教導院北部にある演習場の一つ。
三十人ほどの騎士たちが訓練を行っていて、その中には見知った顔があった。
「何、この流れ……」
響輝の隣では、紐なしバンジージャンプを行ったクリラマが、メガネをかけて食い入るように響輝を――正確には響輝が纏っている〈風〉を――見つめていた。
響輝が未だに〈風〉を纏ったままでいるのは、靴を履く暇もなくクリラマに連れ出されたのが原因だ。
そのため、地面に足を下ろすわけにもいかず、あぐらをかいて――両手で足首の辺りを掴んでバランスを取りながら――地上一メートル辺りを浮かんでいた。魔術で靴は取り寄せられるが、今、クリラマの目の前で使えば、火に油を注ぐことになるので止めたのだ。
「―――どういうことって、検証実験に決まっているでしょうっ」
響輝の問いに、我に返ったクリラマが興奮した声で叫んだ。
響輝は、ちらり、とクリラマに視線を向け、
(あのメガネは……魔法具か?――ってか、何でこんなにテンション高いんだよ)
予想通りの言葉にため息をついた。
「申し訳ございません、クジョウ様」
目の前にいる騎士たちの先頭――近衛騎士団副団長のネリューラが深く頭を下げた。
その背後では騎士たちが、ぷかぷか、と浮かんでいる響輝に向けて、時折、興味深げな視線を向けていた。
「いや、俺がつい口を滑らせたから――」
ネリューラの隣で、苦笑気味に言うのは四十代後半ぐらいの小柄な男性――三導護衛騎士団副団長のオラート・ゾルファックだ。薄茶色の髪を短く刈り、腰の後ろにバツ印を描くようにして短剣をつっていた。
「はあ……?」
三導護衛騎士団とは接点は多くなく、団長や副団長と顔を合わせたのも数回だけだったので、少し間抜けな声が出た。
各騎士団の副団長がいるということは、どうやら二つの騎士団が合同訓練を行っていたようだ。
「いいえ。ゾルファック副団長には感謝しています」
はっきりと言うとクリラマは、ぎろり、と響輝を睨み、
「どうして、帰還の知らせをくれなかったの? 一応、弟子でしょう?!」
興奮冷め止まぬままに叫ぶその姿は、研究室で会った時に感じた知的で落ち着いた――少々狂気は混じっていたが――彼女のイメージを粉砕したが、響輝は特に思うところもなく、呆れた視線を向けた。
(一応、って………あー……熱中し過ぎて、俺が帰還する日を忘れていたな。コレは)
狂乱している、としか言い様のないクリラマの様子から、学導院も帰還を告げなかったのだろうと容易に想像がついた。
そもそも、昨日、帰ってきたばかりで、魔儀仗に組み込む〈魔成陣〉のことを考えていたため、出発前にクリラマに言われた課題は出来ていなかった。
それに今後はお披露目に向けての準備があるので、クリラマと魔法・魔術談義をする余裕はないだろう。
「それに!」
噛みつかんばかりに、ぐいっ、と詰め寄られた。
メガネ越しに血走った目が迫り、思わず、上半身をのけ反らせた。
「どうして、ギリアン副団長に魔術を教えたことを言ってくれなかったの! だいぶ、時間を無駄にしたじゃないっ!!」
「別に、わざわざ伝える必要はねぇだろ」
すすー、と後ろに移動して距離を取りつつ、響輝は答えた。
「そもそも、おたくに会う前だったから、そのことは院長たちから伝わっているじゃないのか?」
「陣のことしか覚えていないわよ!」
「………」
つまり、未知の力である異世界の魔法に気を取られて、どの様な経緯で手に入れた〈魔成陣〉なのか、聞かなかった――或は、聞いていたとしても右から左に聞き流して覚えていなかった、ということだろう。
(いやいやいや、それは理不尽だろ。………もう、禁断症状じゃないか?)
はぁ、と大きくため息をつき、取りあえず、「……悪かったよ」と謝っておく。
「それで、何の検証実験なんだ?……一応、〝使い魔〟との同調訓練中だったんだけどな?」
「コレよ!」
響輝の嫌味は、さらり、と流して、クリラマは目の前に一枚の紙を突き出してきた。
そこに書かれているのは、円の中にびっしりと幾何学的な文様と文字が描かれた陣。
「【煉獄の檻】か。――ん? これは」
ネリューラに教えた〈魔成陣〉だったが、その下に書かれている詠唱文に響輝は眉を寄せた。
一つは見慣れた文字――魔術言語で書かれているが、問題はその隣にあるモノだ。
「書き直してみたの。貴方の説明だと、翻訳は可能ってことだったでしょう?」
「ああ。けど、本当にしたのか……」
少し呆れながら、響輝は紙を手に取る。
こちらの世界に翻訳された、【煉獄の檻】の詠唱文は、多少、本来の文章と細部が異なるが、魔術師ならば十分発動は出来るだろう。
「ギリアン副団長が詠唱と〈魔成陣〉で発動してみるから、それを見た意見が欲しいのよ」
「……まぁ、別にいいけど」
そう答えて、響輝はネリューラに視線を向けた。
「……コレを聞いた後、一度は発動してみたんだろ? どうだったんだ?」
「大きく変わった、というわけではありませんが、僅かに発動時間が伸びました。〈結界〉の維持も少し安定したように思います」
「……そこそこ、発動後のイメージが補足されたか」
響輝の呟きに「恐らくは……」とネリューラは頷き、
「あと、お聞きしていた〈枷〉も特に――」
何故、そこで〈枷〉の事が出てくるのだろう。
まさか、と響輝は眉を寄せ、
「試した、のか……?」
「はい。一度だけですが、発動寸前まで行いました。……その時は、お聞きした違和感のようなものは感じませんでしたが――」
そこで、ネリューラは言葉を切る。
響輝が大きく顔をしかめたからだ。
「クジョウ様?」
「………」
響輝はネリューラの問いには答えず、彼女の体内の魔力の流れを探った。特に異常は見えない。そのことに、ほっ、と息を吐き、
「――おいっ!」
じろり、とクリラマを睨み付けた。
だが、クリラマはどこ吹く風で、その口元は弧を描いていた。
「発動まではしていない、と言ったでしょう? それと、最初に私が試してから問題がないと判断してギリアン副団長に行ってもらったわ。試した時は、三院長の許可も取って救護班も待機させていたから――」
それに〝あの仮説〟の検証は最優先事項よ、と告げるクリラマの瞳。
その奥で揺らめく狂気に、響輝は内心で大きく舌打ちした。
(っ――マッドかよ!)
旅に出る前、クリラマと〈枷〉について話したことがある。
魔術師が〝魔法〟を、魔法師が〝魔術〟をそれぞれ使った時、〈枷〉がないのは何故か――。
ただ、ソレは仮説とは言えない――ただの〝直感〟だったので、クリラマが検証するとは思ってもいなかった。
(いや、可能性はかなり高かったが…………甘く、見ていたのか?)
クリラマの知識に対する貪欲さを――。
響輝が教えた〈枷〉は〝魔力酔いになりやすくなる〟や〝魔術の制御能力の低下〟――そして、〝酷くなると激痛が襲う〟ということだけだった。
最悪の場合、死に至ることがある――とは、伝えていない。
それを知れば、三院長たちは〝偽名〟を名乗らせて〝旅〟に出さないことは容易に想像がついたからだ。
だが、響輝には〈枷〉が必要だったため、あえて伝えなかったのだ。
―――「魔術師って、マゾばっかりだよね」
特に魔導師は、と、昔、悪友に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
魔術師が世界を書き換えたことにより、その身に降りかかる〈枷〉――言い換えるなら、【真名】を揺さぶりことで術者に世界に在ることを否応なく自覚させるということでもあった。
そして、〝世界の理〟に触れることで取り込まれるのを防ぐ――術者を繋ぎ止める〝足枷〟なのだ。
響輝は深呼吸をして苛立ちを抑えようとしたが、
「―――〝クリラマ〟」
抑えきれず、声に〝力〟が込められてしまった。
響輝の声――その気配が変わったことに気付き、周囲に緊張が走った。
「何かしら?」
それでもただ一人、クリラマだけは嗤い続け――より一層、その笑みは深くなっていた。
(………やっぱ、あっちか)
第一印象では〝あの人〟に似ていると思ったが、魔法・魔術談義を重ねていくうちに、むしろ、〝もう一人〟の方に似ていた。
「〈枷〉の検証は止めておけ、と言ったはずだ」
「あら。魔術を知るためには、最も重要なことでしょう?」
何がいけないの、と問う瞳の奥で、狂気の光が一層激しく揺らめいた。
「……〝理〟に手を出す危険性は分かっているだろ」
貪欲に未知を求めて暴き出そうとする意志と、積み重ねてきた知識――その二つを内包した瞳。
試したクリラマとネリューラの身体に異常がないのなら、〝あの仮説〟――直感で悟ったことは間違っていなかったことになる。
だが、これ以上深入りすると、どうなるかは分からない。
「―――」
クリラマは無言のまま、響輝を見つめている。
その様子に、響輝はさらに眉を寄せた。
本当に、嫌になるほど似ている。あちらの世界の〝師匠〟に――。
(……何で、こういう人種ばっかりなんだ?)
類は友を呼ぶ、とは思いたくない。
あちらの世界で〝最凶〟と呼ばれる〝バカ師匠〟の影響を受けているから、とは――。
響輝自身、魔術となると周囲を無視して貪欲に求めてしまうと自覚はあるが、あれほど狂ってはいないだろう。
「………」
響輝は無言で左手を掲げ、手の平をクリラマに向けて上から下に下ろした。
まるで、彼女の瞼を閉じるように。
「クジョ――っ!」
その仕草に声を上げかけたネリューラは、はっと息を呑むと駆け出した。
「――教授!」
ふっ、と糸が切れた操り人形のように、クリラマの身体が倒れた。
ネリューラやオラートが伸ばした手よりも早く、響輝はその身体を〈風〉で受け止め、横抱きにするように浮かび上がらせた。
「っ?!」
ひとりでに浮き上がったクリラマに、ネリューラたちは唖然として立ち止まった。
はっ、といち早く我に返ったネリューラが慌てて響輝を振り返った。
「クジョウ様っ? 一体、何を……っ」
「〈枷〉に手を出すのは、やり過ぎだ」
ため息交じりに告げれば、「――ですが」とネリューラは何かを言おうと口を開く。
「おたくにも魔術を試すのなら名前を偽らずにしてくれ、と言ったはずだ。もし、もう一度、勝手に試すのなら、魔術については一切話さねぇし、渡した術も回収する」
「!」
有無を言わせない言葉にネリューラは息を詰め、オラートは目を丸くした。
「クジョウ様……」
「魔法や魔術に関する探究心は分かるが………せめて、俺がいるところでやってくれ」
「…………」
「………二度目はないからな?」
念押しするとネリューラが頷いたので、響輝は靴を〈見えない穴〉から取り出して履いた。
地に足がついたことにほっと息を吐き、クリラマの顔を覗き込む。その表情は疲労の色が濃いが、穏やかな寝息をたてていた。そっとメガネを取って〈見えない穴〉に放り込み、代わりにタオルを取り出した。温かい〈水球〉を作って濡らすと、水を絞ってクマが見える目元に置く。
「……いつから寝てないんだ?」
二週間前には見なかったクマと肌荒れに目を細め、響輝は尋ねた。
「分かりません。………私と〈魔成陣〉について話し始めたのが十日ほど前ですが、その時にはすでに」
ネリューラの返答に、やれやれ、とため息をつき、視線を演習場の隅に向けた。
その視線を追うように〈風〉に乗ったクリラマが移動する。
響輝はその様子を見ながら、下位風魔法[風信]を発動させて一つを自室に向かわせる。
「悪い。置き去りにした」
『――クジョウくん? いや、それは仕方がなかったけど、今、どこ?』
[風信]から聞こえる声は、部屋に置いて来たノースだ。
「北部にある演習場の一つだ。副団長たちと一緒にいる」
隅に着いたクリラマのすぐ下の地面から、細い〈蔦〉がいくつも伸びて、彼女を掬い上げるように広がった。
互いに絡みつくように〈蔦〉が増えていき――やがて、出来上がったのは〈蔦〉を編んだようなベッドだ。
『副団長……ああ、〈魔成陣〉の実験だね』
「少しだけ、見ていってもいいか?」
『……せっかくだから、僕も見てみたいな。見に行ってもいいかい?』
「ああ。じゃあ、訓練の続きはその後ってことで。―――セリア、一応、レナたちに伝えてくれ」
このまま[風信]を向かわせればいいが、小言を言われるか止められるかのどちらかだと思い、セリアに伝言を頼む。
『――分かりました』
「じゃ、待ってるぜ」
『すぐに行くよ』
[風信]を消し、〈見えない穴〉から取り出した薄手の毛布がクリラマに掛かったのを見届けてから、響輝はネリューラたちに振り返った。
「………ずいぶん、手慣れているな」
唖然とする騎士たちの中で、苦笑交じりに口を開いたのはオラートだ。
「………まぁ、色々とあって」
二人の姉のうち、二番目の姉は一番目の姉と違ってクリラマや師匠寄りの気質――研究に没頭し、徹夜をすることもままあって、それを力づくで止めているうちに〝そういう対応〟は手慣れてしまったのだ。
姉二人は魔術師としての実力こそ中の上クラスだったが、魔術具の製作に関しては、誰もが認める新進気鋭の技術者だった。
ただ、二人が造り出す魔術具は響輝専用のため、クセが強すぎて他者が扱うには改良しなければならないことが欠点だったが。
―――『そのまま放っておくと宝の持ち腐れなんだから、責任を持って改良してね?』
と。響輝は悪友に姉二人が造った魔術具の性能低下を押し付けられていた。
改良する理由は単純で、例え性能低下したとしても、別の技術者が作った魔術具と比べて高性能だったからだ。
普通の魔術具なら本職が改良するが、姉二人の魔術具に関してだけは、響輝の癖や魔力制御に合わせてセッティングされているため、そのクセの強さから、誰一人とて――熟練者でも――迂闊に手を出すことが出来なかった。
それが響輝の場合、自分の癖を知りつくして作られた魔術具は理解がしやすく、〈魔眼〉を得てからは解析の手間も少なくなり、より一層、楽に改良することが出来るようになったので、仕事の一つに加えられたのだ。
何度も改良を加えているうち、技術者でもないのに魔術具の開発に詳しくなり、それなりに作ることも出来るようになったのは、嬉しいやら悲しいやら複雑だったが。
「姉貴も研究者肌というか何というか……あんな感じだからさ」
「………御姉様がいらっしゃるんですか?」
「姉が二人、な。こっちの世界でいうところの魔具工をしているんだ」
そう説明すると、ネリューラたちは納得したように頷いた。
「それでクジョウ様もそちらの知識をお持ちなんですね」
「………まぁ、な」
そっとネリューラたちから視線を逸らす。
(そもそもの元凶は、俺だからな……)
姉二人が、魔術具の製作に〝力〟を入れるようになったのは――。
元々、魔術具に興味があって両親の伝手で〝あの人〟の弟子となった姉たち。
あの時から、より一層、製作技術を得るために技を研磨し続け、やがて、魔導師となった響輝の〝力〟に耐えることが出来るほどの魔術具を――〝机上の空論〟としか言えない効果を持つ魔術具を――作るまでに至ったが、それを持つが故に、世界中からその身を狙われることになってしまった。
「………」
響輝は空を見上げながら、右手で左手首にあるブレスレットに触れた。
何の装飾もない、つるり、とした表面の無骨なブレスレットだが、内側にはびっしりと〈魔成陣〉が刻まれていた――姉二人が初めて作り、今もなお、愛用している魔術具だ。
そこには、〈枷〉で乱れた体内の魔力を安定させ、自己回復力を向上させる〈魔成陣〉が刻まれているので、修行時代のようにテスカトリ教導院に帰って来てからは身につけていた。
(………姉さんや姉貴なら魔儀仗の術式、どうするかな)
***
「すまない。待っていてくれたのか……」
ノースとエランが到着し、「――さて」と響輝はネリューラに視線を向けた。
「とりあえず、詠唱と〈魔成陣〉の同時発動ってことでいいんだよな?」
「はい。よろしくお願いします」
ネリューラは、少し離れた場所の地面に立ち、丁寧に〈魔成陣〉を描いていく。
響輝の背後では、ノースがオラートに声を掛けていた。
「火の結界系魔術、でしたか?」
「ああ。これだ」
「へぇ、これが……」
振り返ると、オラートから紙を受け取ったノースがエランを肩にのせて紙を覗きこんでいた。
『魔法陣とは成り立ちが違うな』
「そうだね。確か詠唱で――あ、これか……」
ノースはクリラマが翻訳した詠唱を読み、つと顔を上げて響輝を見た。
「本当にこれを読むだけで発動が出来るのかい?」
「出来るよ。……そういえば、詠唱だけの発動も試してみたんだよな? どんな感じだったんだ?」
ノースに頷き、オラートに視線を向ける。
「詠唱で、一番威力が弱いと聞いた〈火球〉を試してみたが、全く、発動は出来なかった。ただ魔力が抜けていくらしい」
「抜けていく、な」
「〈魔成陣〉では、問題なく発動したが……」
オラートの言葉に響輝は片眉を上げ、ネリューラに振り返った。
それは、典型的な魔術の失敗だった。
(〈魔成陣〉を使えば発動が出来るのなら、やっぱり、魔法師と魔術師の〝世界の理〟へのアクセスの仕方が違うことか………)
すでに〝法則〟として〝世界〟に確立している魔法――それは、〝世界〟を構築している〝ピース〟の一つなのだろう。
魔法師は既に形が決まっている〝魔法〟しか発動したことがないため、〝世界〟を書き換える魔術を使うことは出来ない。
それが〈魔成陣〉を使えば発動が出来るのは、〈魔成陣〉で無理やり〝形〟を決めて〝魔法〟とし、発動しているからだ。
反対に魔術師は〝世界の理〟に触れて理解し、直接、〝世界の理〟を書き換えていたところに、ただ〝ピース〟を填めればいいだけなのだ。魔術よりも扱いやすかった。
(そうなると、やっぱり、クリラマたちに〈枷〉がなかったのは――)
「クジョウ様?」
「………」
名前を呼ばれ、響輝は意識を外に向けた。
地面に描いた〈魔成陣〉の中心に立ち、不思議そうにこちらを見るネリューラと目が合う。
「―――ああ、悪りぃ」
やってくれ、と言いかけて、響輝はオラートに振り返った。
「あとがうるさいから、一応、録画してくれないか?」
「そこは心配ないよ。すでに彼女が設置している」
苦笑交じりの返答があり、響輝はやれやれとため息をついた。了承の意味を込めてネリューラに視線を向けると、小さく頷かれる。
「………」
ネリューラは目を伏せ、小さく息を吐く。
すぅ、と息を吸って紡がれたのは、こちらの世界の言葉に翻訳された【煉獄の檻】の詠唱文――
「〝主に祈ぐは、火の護り〟」
一瞬で張り詰めた空気の中、朗々とその声が響く。
「〝火は踊り狂いて業火となり、我を害悪から隔して、それら全てを灰塵と化す〟」
その言葉に導かれるように〈魔成陣〉に魔力が注がれ、紅蓮の輝きを放った。
ネリューラを中心として、直径五メートルほどの紅色の〈円〉が描かれる。
「〝―――【煉獄の檻】〟」
〈円〉から漏れた紅蓮の輝きは極細の糸のように分かれ、絡み合いながら空に上って半球状の天蓋を構築していく。
―――ぼっ!
と。一角で火が立ち上ったかと思えば、一瞬で業火となって、その全てを覆い尽くした。
そして、目の前に出現したのは、業火によって中と外を隔絶した〈火の結界〉――【煉獄の檻】。
響輝は〈結界〉が張られた瞬間、〈風の壁〉を作ってその余波――熱波を防いだ。
「!」
背後で、息を呑む音がした。
全てを燃やし尽くそうと、唸り声を上げて火炎を吹き上げる〈結界〉を見つめ、
(魔力供給は、問題ないが――)
周囲の赤い魔素が〈火の結界〉に吸い込まれ、さらに発動し続けるネリューラ自身の魔力が高まりつつあるが、
―――ゆらっ、
と。〈結界〉の一角が強風に吹かれたように揺れた瞬間、〈結界〉は掻き消え、僅かに肩を上下させるネリューラが姿を現した。
響輝が〈壁〉を消すと、熱い風が通り過ぎる。
「……いつも、このような感じですが、どうでしょうか?」
ネリューラは深呼吸をしてから息を整え、戻ってきた。
響輝は「そうだな……」と数秒ほど視線を上に向け、ネリューラに戻した。
「やっぱり、発動後のイメージが甘いかな。……教えた時にも言ったけど、魔術師の訓練は、まず、想像力を鍛えることから始まるんだ。詠唱を聞いて発動時間が伸びたのなら、より強く発動後のイメージが出来たからだけど、まだまだ弱い」
「やはり、まだ弱いですか……」
「ああ。たぶん、中位魔法ぐらいの威力になるって言ったから、とりあえず、それぐらいの威力になるように制御していると思うけど――」
問うような視線を向けると、ネリューラは何が問いたいのか察し、頷いた。
「教授から〝魔術にランクはあまり関係ない〟と伺ってはいます」
「ん? 魔術にランクはないのかい?」
背後からノースの驚いた声が上がった。
響輝はそちらに振り返り、
「ああ、【煉獄の檻】は中位クラスの威力はあるけど、あくまでも最低限の威力――基準値みたいなもので分けられているだけなんだ」
「……基準値?」
「魔術は、どれだけ術者が確固としたイメージを持つかで、その威力や形が左右されるから、一概に〝こういう形をして、これだけの威力がある〟とは言い切れないんだ。……例えば、同じ〈火球〉の〈魔成陣〉を使った場合、実力がある魔術師にもなると、直径五メートルの巨大な〈火球〉を数個だけ操る奴もいれば、拳大の大きさで千近い〈火球〉を操る奴もいるんだ」
「へぇ……!」
ノースは目を見開いて、感嘆の声を上げながら何度も頷いた。
「なかなか、難しいですね……」
ネリューラの声に彼女に視線を戻すと、真っ直ぐに響輝を見つめていた。
「ご助言、ありがとうございました。ヒビキ様」
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