第40話 転換点は人知れず
〝第一障壁〟の〝門〟。
そこから少し離れた場所に足場が組まれ、十数人の作業員が〝障壁〟の補修工事を行っていた。
作業現場から〝森〟に向き直ると、綺麗に〝森〟をくり抜いたように幅三十メル(メートル)ほどの道が数クム(キロ)も続き、その先には直径二百メルほどの空き地があった。
空き地は〝杈茨大猪〟の出現地点であり、そこまで続いている道はその移動によって出来たものだ。
当初、空き地は出現の影響で巨大な穴が出来ていたが、土魔法で均されて浄化も行われ、すでに若い苗木が植えられていた。そこから伸びている道――〝杈茨大猪〟が木々をなぎ倒して出来た道――も、周囲の木々を伐採して一直線になるように整えられており、こちらは苗木が植えられている途中だった。
魔素が多い影響もあって苗木の間は成長が早いようで、数か月もかからない内に元の風景に戻るらしい。
「……はぁ」
〝第一障壁〟の〝門〟をくぐったところで、クキは大きくため息をついた。
〝第一障壁〟から〝森〟の境目までの開けた場所――下位ランクの魔物との戦闘場所は新しい土に掘り起こされ、血なまぐさい臭いはなかった。
〝森〟に向かっていたギルとキルエラは、立ち止まって振り返った。
「まだ、不満なのか?」
「体よく使われているところがな……」
「やり過ぎたのが悪い」
肩を竦め、スタスタと〝森〟に向かうギルの背中を「……おたくもだろうが」と睨み付ける。
「クキさん、行きましょう」
「………」
にこやかに告げるキルエラにじと目を向けても、その笑みは崩れない。
〝森〟に来ることになったのは自業自得――とも言えるが、依頼を受けるように押し切ったのはキルエラだった。
二時間ほど前。
そろそろ、旅の終わりが近づいて来たこともあって、〝オリオウ〟は『アダナク』での依頼を受けるためにギルドを訪れた。
「おーす」
「よぉ」
ギルド内に足を踏み入れれば、入り口に目を向けた冒険者たちから声がかかった。
先日の討伐以来、居合わせた冒険者たちから何かと声をかけられることが多くなり、噂も広まっているようで、その冒険者たち以外からも好奇の視線が向けられることが増えていた。
クキは軽く「ども」と会釈を返し、掲示板へ向かった。
そこには〝飛炎の虎〟の姿があった。
「おはようございます!」
真っ先に声を上げたのは、フレノアとオクバルの二人。
クキは「おう」と返して、サザミネたちと挨拶を交わす。
「昨日はお疲れ」
「……いえ」
苦笑気味のサザミネに、クキは肩をすくめた。報酬のサザミネとの模擬戦ではなく、その後のマリアーヌとのことを言っているのだろう。
「いい依頼ありましたか?」
サザミネの手には、すでに何枚かの依頼書がある。
「ああ。いくつかな」
「どんなのがオススメですか?」
「たいしたものはないぞ?」
サザミネが見えやすいように差し出した依頼書を覗き込み、
「お前たちの依頼なら、ここにあるぜ」
横手から、ホルンの声がかかる。
「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げて振り返ると、ニヤニヤと笑うホルンと目が合った。
その手が指すのは、一枚の依頼書だ。
クキは眉をひそめ、近づいて依頼書に目を通した。
依頼はランク八で、依頼人はギルド支部。大まかな内容としては『〝第一障壁〟への物資運搬や作業員の移送、工事手伝い及び周辺警備』となっていた。期間は二日間あり、報酬も良い。
そして、一番下の箇所には――
―――――――――
・備考 闇魔法が使える者又はその者が所属しているチーム
――――――――
「………」
クキは一読し――そのまま、横の依頼書に視線を移した。
「さて。何か、いい依頼は――」
「おいおい。あからさまに無視するな」
「ちょっと、それは無駄な抵抗だと思うけど?」
ニヤニヤと笑うホルンとローザ。その態度にヤンコフが眉を寄せたが、何も言わなかった。
クキは苦虫を噛み潰したような顔をして、二人に振り返る。
「何で俺たちって分かるんだよ。他にもいるだろ?」
「いえ、いないみたいですよ? 皆さんが来るかどうか、聞かれましたから」
クキに答えたのは、ニコニコと笑うリメイだ。
(応援の奴らはどこ行ったんだよ………?)
じろり、とカウンターを睨んだ。
その視線の先には、にこり、と営業スマイルの受付嬢が座っている。
「………」
「………」
「………」
「………」
数メルの距離を置いて、無言で睨み合う――睨んでいるのはクキだけだが――こと数十秒。
突然、二人の間に、ふわり、とウルが姿を現した。
『ギラギラダ』
クキはぺしっ、と手の甲でウルを払い、ため息をついた。振り返ってキルエラを見ると、その意図を汲んでキルエラは依頼書を剥がし、クキに差し出した。それを受け取り、クキはサザミネたちに会釈をして――ホルンとローザは睨みつけて――カウンターに向かう。
「おはようございます」
「どうも。……この依頼なんですけど、」
「はい、お預かりします。皆様の冒険者証をお願いします」
ミッチェルは差し出された依頼書を受け取り――
「――何か?」
クキが手を離さないので、小首を傾げた。
「指名依頼、ですよね?」
「通常依頼となります」
ミッチェルの笑みに揺らぎはない。
「……備考のところ、結果的に指名ですよね?」
「そこは必須となりますので」
「俺たち以外、いないですよ?」
「そうでしょうか?」
つと、クキは目を細め、
「……応援に来た奴らは?」
低くなった声に、ミッチェルは僅かに視線を逸らす。
「……………〝森〟です」
クキに聞こえるか聞こえないかの音量で、そう答えた。
(〝森〟ってことは、一昨日、おっさんたちが言っていた調査か。他にも何チームか行ったみたいだし……まぁ、足だな)
なるほど、とクキは頷いて、ミッチェルにじと目を向けた。
「――ケチったか」
笑みを浮かべているミッチェルの唇の端が、ひくり、と動いた。
その後、少し目を離した隙にキルエラが手続きを行ってしまい――釈然としないものの――仕方なく、引き受けることになったのだ。
(キルエラ、絶対昨日から画策していたよな……)
最近、何かと冒険者たちの視線を集めている原因は〝オリオウ〟についての噂――ギルと行った移動法だった。
あの時、クキはギルと一緒に移動系闇魔法に結界系闇魔法を吸収させて力を増幅してから発動した――それは一種の合体魔法と言えるものだった。
その上、双方共に最上位魔法を使ったために少々異常に見えたようだ。
『アダナク』に戻ってくる前――発動できるかどうか、ギルに確認した時は、あっさりと「出来る」と言われたので疑問も湧かなかったが、今思うとそれを聞いていたキルエラが驚いていたような気もする。
その噂を教えられた時、思わず「何で言わなかったんだよ……」と呟くと、
「非常事態だったこともありましたし………その、驚いてしまって」
そう、申し訳なさそうにキルエラは言った。
キルエラが『アダナク』から少しでも離れた場所での依頼を半ば押し切るように受けさせたのは――気休めにしかならないが――少しでも人目を避けるためだろう。
ギルド長から支部長に話が言っているので、少し手を回したのだと思うが――
(体よく使われているよな……)
依頼内容は、修復の物資が不足したのでその補給と〝第一障壁〟への補給物資の運搬、〝森〟の工事の手伝いと調査隊――〝氷鋼の斧〟もいた――の移送等をてんこ盛りにしたものだ。
討伐の時に応援として派遣された闇の使い手は帰っていないはずだが、調査隊の支援として――光の使い手と一緒に――〝森〟に行ったため、不在だった。
そもそも、闇の使い手限定でなくても運搬は可能だが、その速さと一度に移動できる量を考えると、一番効率が良かったため、その辺りも考慮しての依頼のようだ。
ランク八では緊急性や特殊な事情がない限りは指名依頼が出来ないとは分かっているが、ついでのように盛られた依頼内容は、抜け目がないとしか言えなかった。
クキはギルと一緒に[黒盤]で空き地の方への物資運搬や〝森〟を整地した時に出た木材の移動を行い、キルエラは二人に付いて渡された書類に移動した物を書き込んでいた。
その間も周囲への警戒は怠っていないが、近くに魔物の気配はなく、作業は順調に進んで昼休憩となった。
〝森〟に開かれた道の脇――木陰に土魔法で即席のイスを作り、『アダナク』で買っておいたサンドイッチを〝ディスタの鞄〟から取り出して頬張る。
少し離れた木陰の中にも同じように手を休めた作業員――冒険者たちが昼食をとっていた。
「……浄化した範囲、結構広いんだな」
〝森〟の一部を切り取ったように綺麗に開けた場所を見ながら呟くと、
「そうですね。一度、整地することと浄化する必要がありましたので。………ただ、奥地に現れたわけではないので、他の出現場所よりは被害は少ないようです」
「……反対にソレが問題だけどな」
肩を竦めて告げるギルに、キルエラは苦笑して頷いた。
「? 〝障壁〟に近いところ、って言っても数クムはあるけど、その辺りに現れるのは珍しいのか?」
「無い事はありませんが、ここ数十年はあまり……」
「ふぅん……?」
ギルがその辺りのことを知っているのか疑問に思ったが、キルエラが何も言わないので、ある程度の情報は互いに知っているのだろう。
ぼんやり、と戦闘のあった場所を見つめ、ふと、疑問が浮かんだ。
「そういえば、堕ちるって言っても〝裂け目〟とか〝穴〟とかないんだな? ……まぁ、変な靄は出来ていたけどさ」
「〝裂け目〟?」
「〝穴〟?」
その問いにギルは眉を寄せ、キルエラは小首を傾げた。
出現すると聞いてクキがイメージしたのは〝魔素の淀み〟の影響で空間に〝裂け目〟又は〝穴〟が出来てそこに転落し、再び、ソレが開いた時に出現するというものだ。
二人はちらりと視線を交わし、キルエラが口を開いた。
「いえ。そのようなものは……」
「? そこから、現れるんじゃないのか?」
「〝魔素の淀み〟によって、空間にそういうものが出来るとは、聞いたことがありません。……影響を受けた魔物の出現を〝堕ちる〟と言いますが、それは暴走した状態を表したもので、実際は〝飛ばされて現れる〟と言った方が分かりやすいかと――」
キルエラの説明にクキは片眉を上げた。
「………じゃあ、〝魔素の淀み〟に触れた時、その歪みの反動で他の場所に吹き飛ばされたってことなのか?」
「はい。そちらの方が的を射ていますね」
(吹き飛ばすって言っても見えていないんだろうし………歪みに呑まれて、そのしわ寄せの先で現れるってことか?)
自然発生した転移。
こちらの世界には、周囲の魔素を集めて行使する転移魔法陣があり、あちらの世界でも魔素を生み出すエネルギーの奔流である〝龍脈〟を使った移動法がある。
そのことから、高濃度の魔素による空間転移は可能だと分かる。
〝魔素の淀み〟も、何らかの力が働いて触れたモノを転移させたということになるが――。
「………なら、溢れ出すってことはないのか」
ぽつり、と呟くと、キルエラは少し考え、
「〝魔素の淀み〟の規模によっては〝第一障壁〟に近い位置に飛ばされることはありますが、〝障壁〟には〝森〟の魔素が溢れだすことを抑え、また拡散させる結界系魔法もかけられています。そのおかげで、〝第一障壁〟に近いところには複数体が別の場所に出現することはあっても、同一の場所に出現するようなことは『クリオガ』では起こったことはありません……」
「『クリオガ』では――ってことは、他国ではあるのか?」
「はい。『クリオガ』以外の国――教導院の総本部は除きますが、複数体が同時に同じ場所に出現したことはあります。ただ、それでも溢れ出たというほどの群れでは……」
小さく頭を振ったキルエラに「ふぅん?」とクキは頷き、サンドイッチにかぶりついた。
(何にしろ、〝裂け目〟や〝穴〟は出来ないのか……)
あの時に見た靄は〝裂け目〟が開く瞬間と似た気配を漂わせていた。
あちらの世界では、世界の生命力である魔素が不自然に集まると〝世界〟に歪みが生じ、〝裂け目〟或は〝穴〟と呼ばれるモノが出現して〝外〟へと通じるのだ。
そして、そこから湧き出るのは〝世界の敵〟――侵略者たちだった。
「先日はまだ猶予がありましたが、さらに魔素が溜まってしまうと、あの靄が〝魔素の淀み〟になります」
「そうしたら下位の魔物が暴走して――俺たちもその影響を受けて危なかった、と……」
クキの言葉に「はい」と頷くキルエラ。
クキは空を――靄が漂っていた辺りを見上げた。
(……俺がいた世界や魔界と繋がっているなら、〝開く〟と思ったんだけどな)
似た気配を感じても、やはり、あちらの世界とは違うのだろう。
「―――お前の世界だと、〝穴〟が開くのか?」
ギルの問いに、クキは視線を下に下ろした。
目が合ったのは一瞬。
すぐにクキは目を逸らし、「まぁ、な……」と肩を竦めた。
「……魔界はどうなんだ?」
「…………さっき、お前が聞いてきた〝溢れだす〟ってことだが、そこそこの頻度で起こっている」
「そうなのか?」
お茶に手を伸ばし、クキは片眉を上げてギルを見た。
「エカトール以上の魔素があるからな」
「………星霊みたいな存在はいないのか?」
「管理者か? そうだな――」
そこで何故かギルは言葉を止め、にやりと笑った。
「――いや、そこは来てからの楽しみにとっておけ」
「はぁ?」
明らかに〝何か〟がいると言いながら、断言しないギルにクキは眉を寄せた。
一日目が終わって〝オリオウ〟は交代の作業員を連れて『アダナク』に戻り、ミッチェルに中間報告をした。
「クキ様宛てに、総本部からお手紙が届いております」
差し出されたのは一通の手紙。受け取って差出人を確認すると〝テスカトリ教導院学導院〟となっていた。
(思ったより、早かったな……)
ミッチェルに礼を言い、二人を連れて待合のソファに腰を下ろす。
「来たか……」
「ああ。学導院から手紙だ」
ギルに頷いて、クキは封を開けた。
手紙の内容は、聞いていた通り「戻ってくるように」と書かれていて、差出人が〝学導院〟とあるのは、隠れ蓑にしてのことだろう。
クキはギルとキルエラに視線を向け、
「この依頼が終わってから戻るか……」
「そうだな」
「分かりました」
その言葉に二人は頷いた。
***
テスカトリ教導院からの召喚状を受け取った翌々日。
〝オリオウ〟は宿を引き払い、ギルドに向かった。
「クキさん!」
「ギルさん!」
名前を呼ばれて振り返れば、こちらに駆け寄ってくるフレノアとオクバル、その後ろには〝飛炎の虎〟がいた。
「おはようございます!」
訓練生二人は揃って頭を下げた。
「今日も依頼ですか?」
「お時間、ありますか?」
意気込んだ様子で尋ねるフレノアとオクバル。
クキはギルやキルエラと視線を交わし、
「……悪いな。今から『アダナク』を出るんだ」
「えっ?」
クキの答えに、二人は大きく目を見開いて固まった。
「……他の町に移動するのか?」
サザミネに「はい」とクキは頷き、
「ちょっと、師匠から手紙が来まして……」
「そうですか。……寂しくなりますね」
「色んな意味を含めてですよね、ソレ……」
にこり、と笑うリメイの言葉は、色々と含んでいるようだった。
「残念だったわね」
「はい。……あっ……い、いえ」
ローザに頭を撫でられ、フレノアは慌てて首を横に振った。オクバルも我に返り、「もう、お別れですか……」と肩を落とした。
ホルンはそれに苦笑いを浮かべ、その肩を軽く叩いた。
「……ここに戻ってくるのか?」
「それは……まぁ、分からないな」
クキはホルンに肩を竦めた。
「……また、会った時はよろしくね」
「ほどほどにしてくださいよ?」
そうね、とマリアーヌは笑った。
ギルやキルエラも挨拶を交わしていく。
クキは訓練生の二人に視線を向け、
「頑張れよ。フレノア、オクバル」
「色々と、ありがとうございました」
フレノアとオクバルは揃って頭を下げた。
転移の手続きを終え、転移魔法陣のある奥の部屋に向かう。途中、クキは視線を感じて振り返ると、ロビーでこちらに手を振る二人と〝飛炎の虎〟が見えた。
隣でキルエラは会釈を返し、ギルは軽く手を上げる。
「―――」
クキも軽く手を上げて背を向け――『アダナク』を後にした。
この時、星霊が〝名〟を求めた理由に気付いていたのなら、彼女に待ち受ける運命は変わっていたのかもしれない。
だが、クキの頭の中は他の勇者への興味で埋め尽くされ、そのことはすっぽりと抜け落ちていた。
例え、覚えていたとしても星霊の力を正確に認識していない異世界人では、〝その可能性〟に気付くことは難しかったのかもしれないが。
或は、九条響輝が【魔王】になるべくしてなったことと同じように、それは避けられぬ運命だったのだろうか――。
第3章 旅は計画的に~お試し旅編終了~
次回・「間章 〝オリオウ〟の隠者と赤」




