第36話 VS杈茨大猪
やっと、戦闘です。
『チョクゲキ、スルヨ?』
とぼけた声と共に脳裏に浮かんだのは、飛来する巨大な塊。
(〝スルヨ?〟――じゃねぇよ!)
内心でウルに叫びつつ、クキは最上位風魔法[光風霽月竜]の魔法陣を展開して[影]から飛び出した。
前に突き出した右手の先、数メル(メートル)ほどの緑色の魔法陣から[風竜]の頭が現れ、目の前に迫った塊を大口を開けて受け止めた。
その余波が辺りにまき散らされるが[風竜]の胴体の半ばから後ろ――尾にかけての部分が[風の膜]となって大きく広がり、クキを越えて〝第一障壁〟までを包み込むことで守られる。
(ギリギリ、間に合ったか……っ!)
眼前には、視界を覆い尽くすほどの巨大な深緑色の物体。
ソレに触れた部分から[風竜]が形を崩し始めるのを感じ、クキは右手を握りしめた。
ばくんっ、と[風竜]の顎が閉じる。
呑み込まれた深緑色の物体は、口内で吹き荒れる風に切り刻まれ、塵と化した。
(あれが〝杈茨大猪〟……)
塵が晴れ、正面に見えたのは数百メルほど離れた森の入り口だ。周囲の木々がなぎ倒され、大きく開けた先に巨大な猪の姿が見えた。体長は五メル、体高は三メルほどだろう。その身体は、まるで別の生き物のように不気味に蠢く茨に包まれ、突き出た鼻の先は巨大な杈となって鈍い輝きを放っていた。
その足元からは色の濃淡の差が激しい〝水〟と〝土〟の魔素が噴き出し、陽炎のように揺らめいて身体を覆っている。
クキは〝杈茨大猪〟を注視しながら、脳裏に浮かぶウルの情報に意識を向ける。
〝杈茨大猪〟の近く――森の中にある気配は、恐らく、足止めを行っている冒険者か警備兵だろう。
一方、〝第一障壁〟近辺にいる冒険者や警備兵たちは、突然、地面から飛び出したクキに驚いて動きを止めたままだった。身をすくめる者や唖然と立ち尽くす者、武器を構え直す者と様子は様々だが、その視線はクキ――攻撃を受け止めた[風竜]に集まっていた。
「下がれ! 討伐隊を呼ぶ!」
クキの叫びで我に返り、彼らは行動を再開した。けが人を運び、速やかに〝第一障壁〟へと下がっていく。その間も森にいる冒険者や〝第一障壁〟の頂上付近から〝杈茨大猪〟に対して魔法が放たれ、注意を[風竜]から逸らしていた。
「――っと」
地中から迫る〝何か〟に気付き、クキは[影]に魔力を注いだ。
足元から〝杈茨大猪〟に向かって[影]が伸び、そこに〝何か〟が激突。
そのまま[影]の中に呑み込もうとして、一瞬、[影]が揺らいだのを感じ、上に逸らす。
[風竜]の眼前の地面が、内側から爆発した。
飛び出してきたのは、大人の胴体ほどの太さがある茨だった。数十本はある極太の茨は[風竜]が生み出す風に沿うように空に昇っていく。
(二種融合の、木魔法だな……)
茨に触れた部分が、ガリガリ、と削られていくので、クキは風を放って茨を細切れにした。
(……長くは持たないな)
足元に広がっている[影]の中から、ぷかりっ、と数十人の冒険者たちが現れた。
医療班は〝第一障壁〟に近く、第二班は[風竜]の身体の外。クキと〝第一障壁〟の中間地点の辺りに第一班の後衛、クキのすぐ後ろにラルグたち前衛が立っていた。
「!」
[風竜]を目にして動きを止めたのは、一瞬。
彼らはすぐに驚きを抑え、行動を開始した。医療班は〝第一障壁〟、第二班は下位ランクの魔物の討伐へ向かう。
そして、第一班は――
「全員散開! 予定通り、後衛が茨を抑えつつ、前衛が切り込む!」
ラルグの声に「おう!」と声が上がった。後衛からも魔力の高まりを感じる。
「クキ。地下からの攻撃は防げるか?」
クキの左右にラルグやサザミネたち十人ほどの高位の冒険者が並び、険しい表情で〝杈茨大猪〟を見つめた。
「ああ。ここから後ろにも通さねぇよ」
ちらり、と左に立つラルグに視線を向けて、クキは素で答えた。
「[風竜]を退けた後に行ってくれ。五秒で[結界]を張る」
『分かったわ。合図を頂戴、援護するから――』
頭上から、女性の声が聞こえてきた。
クキが視線を上に向けると、いつの間にか緑色の球体――下位風魔法[風信]が浮かんでいた。後衛が連絡用に飛ばしたのだろう。
指示を出す女性の声は、後衛のまとめ役である〝樺珠旅団〟サブリーダーのヤナナか。
「いつでもいいぞ……」
ラルグが槍を構えるのを合図に、サザミネたちも臨戦態勢に入った。
「じゃあ、行くぞ。十秒前、九、八――」
クキのカウントに合わせて、広がっていた[影]がその足元に吸われるように縮んでいく。
[影渡り]の効果が切れたのだ。
「三、二、一――ゼロ!」
[風竜]が空に上り、その下を潜るようにラルグたちが飛び出した。さらに牽制として、後衛から風魔法や火魔法が放たれる。
クキは後ろに飛び退きながら、振り上げた右手を地面に向かって振り下ろした。
『コォォ―――ッ!』
今までクキがいた場所に、上空から降りてきた[風竜]が激突。余波で身体が吹き飛ばされるが、クキはバランスを取って危なげなく着地した。
[風竜]が激突した地面は衝撃で割れ――数メルはある魔法陣が刻まれていた。
最上位闇魔法[遥夜回廊]
割れ目から溢れ出した[闇]が、高さ一メルほどの半透明の漆黒の[壁]となって左右に伸びていく。
上空から俯瞰すれば、クキの眼前から〝杈茨大猪〟までを囲うように巨大な楕円形の〝黒い輪〟が描かれているのが分かるだろう。
[壁]は内側に向かって、グルグル、と〝渦〟を描いていった。それは地中にも伸び、楕円の中心で繋がって〝杈茨大猪〟と大地を隔てていく。
[遥夜回廊]が〝杈茨大猪〟に近づいていき――
『クルヨ!』
ウルの警告と〝杈茨大猪〟の足元に魔力が集まるのは同時。
「跳べ!」
クキの叫びに、ラルグたちは後ろに飛び退いた。その身体をクキが放った中位風魔法[微風天衣]が包み、さらに上空へと逃がす。
一瞬遅れて、身を屈めた〝杈茨大猪〟から咆哮が轟き、足元から無数の茨が生み出され、津波のように襲い掛かってきた。
展開中だった[遥夜回廊]は――地中に展開したものも合わせて――茨に打ち抜かれていく。
「前衛を頼む!」
クキは[風信]に叫び、右手に魔剣を作り出して眼前に掲げた。両手で柄を握り、剣先を下に。
「っ!」
そして、足元にある[遥夜回廊]の端に突き刺した。
魔剣から魔力が追加され、再び、魔法陣が黒い輝きを発する。
『クキくんっ!』
クキを茨の波が呑み込もうとした瞬間、魔剣を中心に[闇]が吹き上がった。
打ち抜かれ、崩れかけた[遥夜回廊]を一瞬で駆け巡り、再び、一枚の[壁]として復活させる。
そして、茨を押しつぶすように内側に向かって倒れ、大地を覆った。
かちり、と何かがはまったような確かな手ごたえを感じ、クキは息を吐いた。
[遥夜回廊]は無限に広がる出口のない〝闇の回廊〟。閉じ込めたモノから、じわじわ、と魔力を吸収し、その魔力を吸い尽くす。
[壁]が〝杈茨大猪〟から放たれる魔素を吸収し、例え、影響を受けて形が崩れたとしても新たな回廊が作リ出されていくので、一度、発動すれば容易に崩壊することはない。だが――
(………完全には無理か)
〝杈茨大猪〟の数メルほど手前。そこで、〝何か〟に阻まれたように[遥夜回廊]は左右に分かれてしまい、〝杈茨大猪〟の足元だけが、ぽっかりと大きな穴を開けていた。
黒い絨毯が敷かれた大地に、上空に浮かんでいたラルグやサザミネたちが降リ立った。
(――なっ?)
目に付いたある二人の姿に、クキは目を丸くした。
一人は〝炎を纏った半獣〟。
橙色の髪は雄々しく猛り、背中の半ばにかかるほどに伸びていた。鋼のように強靭そうな筋肉によって一回りほど巨大化した身体は、肩から手甲にかけて髪と同じ色の毛が覆い、手甲の先には炎を固めたような煌めきを放つ爪。腰から膝にかけても毛に覆われ、腰の辺りで、ゆらり、と尾が揺れていた。
そして、全身から――毛の端々からは火の粉が散り、〝火〟の魔素が渦巻いていた。
外部からの物理・魔法攻撃に高い耐性を持つ〝装化〟に、〝強化〟された身体を得る半獣化。
半獣化が出来れば〝獣化〟の能力者は一人前とされ、その中でも高い能力を持つ者は強大な力――己の魔法属性に合わせた力――を顕現させることが出来た。
『GROOOooooo――ッ!!』
〝炎を纏う半獣〟――サザミネは咆哮を轟かせた。
(〝獣化〟と――)
そして、〝杈茨大猪〟の正面に立つ、赤みがかった黄色――樺色の人影。
一見は何の変哲もない、シンプルなデザインの全身鎧。
だが、目に付くのは光沢のある艶やかな樺色をしていることと、端々から紫電が走っていること――そして、全身から滲み出ている魔力だ。
魔剣と同等――それ以上の濃密な魔力を秘めた鎧に、クキは目を細めた。
(あれが〝装化〟……)
左腕にある巨大な樺色の盾。それも〝装化〟によるものだろう。
『サザミネ!』
樺色の〝魔鎧〟から聞こえるのは、ラルグの声だ。
サザミネの姿が掻き消え、次に姿を捉えた時には〝杈茨大猪〟のすぐ脇に立っていた。
(っ――早い!)
本能が接近を察したのか、〝杈茨大猪〟の背から押しつぶすように茨がサザミネに襲い掛かった。
迫り来る茨に対し、慌てることなく、サザミネは炎を纏った爪を振るう。
一瞬で茨は切り刻まれ、焼尽と化した。
さらに立ち上った炎が〝杈茨大猪〟の背を炙り、蠢いている茨を焼失させる。
その巨体を守る茨が消えた隙を見逃さず、冒険者の一人――ホルンが飛び上がって腰の剣を抜きざまに一閃。
『―――ッ!!』
〝杈茨大猪〟から、苦痛に満ちた声が上がった。
後衛から放たれた風魔法の追撃も加わり、〝杈茨大猪〟は身をよじった。
その足元から全方位に向けて茨が放たれ、包囲するラルグたちに襲い掛かるが、彼らは難なく飛び退いて回避し、攻撃を再開する。
ただ、ラルグだけは左腕の巨大な盾を構え、真正面から〝杈茨大猪〟の攻撃を受け流す――或は受け止め、進行を妨げていた。左右には二人の冒険者が付き、常に援護をしている。〝樺珠旅団〟のメンバーだろう。
サザミネは茨の除去を中心にした遊撃で、ホルンや残る冒険者たちがラルグを中心に左右に分かれ、サザミネに合わせて攻撃し、ダメージを与えていた。
そして、そこに後衛からの支援が加わり、確実に〝杈茨大猪〟にダメージを蓄積させていた。
油断せず、互いを信頼し、冷静に状況を判断している彼らからは『アダナク』にいた時に見えた焦燥は感じられない。
『アダナク』では〝第一障壁〟に迫る〝杈茨大猪〟に対して離れた場所で手をこまねいていることしか出来ず、浄化する手立ても見えなかっために焦燥が出ていたのだろう。
すでに現場に到着し、手札があることが、彼らの行動を確実なものにしていた。
クキは魔剣で[遥夜回廊]を維持しながら、じっと〝杈茨大猪〟の様子を伺い、
(あれが影響を受けた魔素か……)
その周囲を漂う、色の濃淡の差が激しい魔素に眉を寄せた。
〝魔素の淀み〟の影響を受けた魔素。
それらの魔素は常に形が変わり続け、今にも崩れ消えそうなほど儚くなるものもあれば、濃縮されたように強い力を持つ魔素がある。変化し続けるために扱いづらく、魔法に使うにはデメリットしかない。
(あぁ……あれは使えないな)
通常、魔素の状態は安定している――常に一定の形を取っているため、魔法陣に組み込みやすい。
だが、〝魔素の淀み〟の影響を受けてしまうと、形がグニャグニャとスライムのように変化し続けてしまうので魔法陣に組み込みにくく、扱いが困難になるのだ。
(魔法への耐性が高まるのは、その影響が伝播しやすいからか……その上、発動した魔法にも作用するほどのものとなると、厄介だな)
また、〝魔素の淀み〟の影響を受けた魔素は、触れればねっとりと粘りつくような不快感を与えてくるので、魔法師の感覚を狂わせる。
(あまり時間をかけるのはマズイか……)
視線を上空に向ければ、歪んだ魔素が集まり、視覚化された靄が見えた。
〝杈茨大猪〟が堕ちてきた穴だ。
(……っ)
不気味な蠢きを感じて、ぞわり、と首筋の辺りに鳥肌が立つ。
あちらの世界で開く〝空間の歪み〟と同じだ。
アレを長時間放っておくと、まずい。
『――ッ!』
重厚な打撃音と〝杈茨大猪〟の苦痛の声が響く。
「っ!」
クキは視線を前方に戻し、目を丸くした。
〝杈茨大猪〟が顔をのけ反らせ、その巨体を後退させていたからだ。
その前には、槍を突き出した姿で佇むラルグがいる。槍から紫電が走り、〝杈茨大猪〟の眉間の辺りが焦げ、へこんでいた。
ラルグの一撃が入ったのだろう。
(あの巨体を押し返したのか……っ?)
その隙を逃さず、サザミネたちが一斉に〝杈茨大猪〟との距離を詰めた。
炎の爪が背中の茨を焼き払い、いくつもの斬撃が全身に刻まれる。
『―――ッ!』
〝杈茨大猪〟は身を大きく左右に振るいながら後退し、全てを拒絶するように足元から生み出された茨が覆う。
「あと一手、足りないか……」
再び、茨を削り始めたサザミネたちにクキは目を細め、魔剣を地面に押し込めながら立ち上がった。
ラルグたちは確実に〝杈茨大猪〟の体力を奪っているが、あと一押し――その防御を破る一手が欲しい。
「………ヤナナさん」
呼びかけると、ヤナナは指示を出してから『何かしら?』と尋ねてきた。
「火と風の最上位魔法の用意、お願いします」
『え?何を――』
「そっちに送りますから――ウル」
姿を現したウルに、その長い尾ビレが巻き付き始め、周囲の魔素が渦を巻いて吸い込まれていく。
そして、数秒でその姿が蒼い珠と化した。
蒼い珠を虹色の光が囲い、つぅ、と光は下に伸びていき――一際、輝きが増して消えた後には、上部の輪に蒼い珠が填められた錫杖。
クキは蒼い珠を付けた錫杖を手に取り、とんっ、と石突きで地面を叩く。
「――散らせ」
しゃんしゃん、と涼やかな音が鳴り響き、その音に呼応して〝火〟と〝風〟の魔素が波紋となって広がっていく。
錫杖を叩いたのは一度だけ。それでも音が鳴り、広がり続けるのはウルの力だ。
勢いで組み込んだものの、上手く作用していることにクキは苦笑した。
『っ……用意して!』
ヤナナの声と共に背後で魔力が高まっていく。
(――っ?)
一瞬、錫杖を握る手から感覚がなくなり、ぞわり、と怖気が走った。
「………」
久しぶりの感覚に、思わず、嗤いがこみ上げた。
認識のズレによる影響だ。
全身に魔力を巡らせると、虹色の魔力が揺らめくようにクキを覆った。身体の隅々まで把握し、〝ズレ〟を無理やり抑える。
「ギル――」
[遥夜回廊」――足元の影に視線を落とし、声をかける。
「そろそろ、いいだろ?」
魔法も何も使っていないので、ギルに聞こえることはない。ただの独り言だ。
だが、それでも聞こえている気がして、クキは言葉を投げかけた。
「やれやれ」
それに呆れた声が答え、影から金髪の青年――ギルが飛び出した。
時を同じくして、〝第一障壁〟の周辺にも複数の気配が現れている。ギルが回収した先遣隊だろう。
「痺れを切らすのが早くないか?」
「おたくが遅いんだよ」
「いや、早いと思うぞ?」
ギルは片眉を上げて告げ、足元の[遥夜回廊]に視線を向けた。
「直接、刻んだのか……」
「〝歪み〟の影響が少ないからな」
「……それに交代もしやすい、だろ?」
クキは肩をすくめ、何気なく[遥夜回廊]の中に入った。
ギルはため息をついて魔法陣の端に立つと、クキの代わりに魔力を注ぎ始めた。
「……浄化の力は残しておけよ?」
「結界の維持は魔剣でしていたから、余力は十分だ。――それに、引き受けた仕事はするさ」
クキは、ちらり、と[風信]に視線を投げ、
「[結界]はギルに任せて加勢します」
『待って。まだ――』
「近い方が散らしやすいですから。それに、あまり時間もないですよ」
クキは上空を見上げ、どんよりとした厚い雲のように重く立ち込めた靄を見た。
つい少し前に見た時よりも、さらに魔素が集まっている。
「気にせず、攻撃してください。――合わせます」
足元に虹色の魔法陣――上位無魔法[流転明道]が浮かび上がった。その効果は脚力や筋力、治癒力など肉体の活性化――身体強化の魔術と同じだ。
足元から、じんわりとした温かさが流れ込む。
魔力を巡らせた身体に、さらに力が漲り、クキは口の端を上げた。
「茨は任せた」
「ああ――」
ギルの返事を背中で聞きながら、クキは〝杈茨大猪〟に向かって走り出した。
***
(……おっさんのトコから、アレ取ってくればよかったな)
ふと、クキは魔儀杖を頼んだことを思い出したが、後の祭りだ。
あちらの世界で錫杖を使うことは少ないが、棒術と似たように使えばいいだろう。一通りの武器の使い方は叩き込まれている。
強化された脚力は、数秒で数百メルを駆け抜け、ラルグの背後に付く。
『そっちにクキくんが――』
目の前――ラルグの背後に浮かんでいた[風信]からヤナナの声が聞こえてきた。
彼とそのチームメンバーの間を通り抜け様に、クキは声をかける。
「魔素を晴らすから、後は適当によろしく」
「お前――」
ラルグの声を置き去りにして〝杈茨大猪〟の眼前に飛び出した。
突然、姿を現したクキに、一瞬、サザミネたちの気配が揺れる。
その隙をついて茨が襲い掛かるが、地面から伸びた[漆黒の手]が茨を絡め取った。茨に触れた途端に[漆黒の手]は消えてしまうが、その僅かな時間でサザミネたちは無事に距離を取ることが出来た。
(――さすがっ!)
ギルの援護に嗤い、クキは左手を前に伸ばして緑色の魔法陣を展開。その中心から引くように錫杖を下げ、顔の横につける。錫杖の先は〝杈茨大猪〟の眉間――ラルグが与えた傷跡だ。
「――っ!」
短く呼気を吐きながら、魔法陣の中心に向かって錫杖を突き出す。
上位風魔法[颶風槌]
錫杖の先が魔法陣を通り抜ければ、風が唸りを上げて長さ一メルほどの巨大な鏃がその先を覆った。
風の鏃が、真っ直ぐに眉間に吸い込まれる。
―――ドゴンッ、
と。重い何かが追突したような鈍い音が響いた。さらに鏃が解けて周囲の茨や歪んだ魔素を吹き飛ばした。
〝杈茨大猪〟はくぐもった声を上げ、顔をのけ反らせる。
(――っつ!)
背後で高まった強力な〝雷〟の気配。
クキは突き刺さった錫杖を抜き、[黒盤]を使って身体を上空に飛ばす。
間髪入れずに、紫電を纏った槍の追撃が叩き込まれた。
『ッ!』
二度目の衝撃に〝杈茨大猪〟の巨体が、僅かに浮き上がる。
どしんっ、と地面を揺らしながら着地すると、ラルグを振り払うように首を捻った。
無防備に、首筋がさらされる。
一足飛びにサザミネが首筋に向かい、腕を一閃させれば〝杈茨大猪〟の背に向けて舐めるように炎が躍った。
クキは上空で[黒盤]で身体を止めながら、動きが鈍った〝杈茨大猪〟に目を細める。
「ウル!」
好機とばかりに錫杖を振るい、顔の付近だけでなく周囲の歪んだ魔素も散らした。
ヤナナたちから炎を纏った旋風が五つ、上下左右中心と〝杈茨大猪〟で集約されるように放たれ、迎撃する茨を焼失させて〝杈茨大猪〟に直撃する。
激痛に激しく身を震わせた〝杈茨大猪〟は、ギロリッ、と上空に佇むクキに視線を向けてきた。
魔素を散らしているのが錫杖――クキだと分かったのだろう。
『クルヨ』
(――っ?)
ぞわりっ、と両腕に鳥肌が立った。
[黒盤]を後ろに飛ばし、〝杈茨大猪〟から距離を取る。
『ブォォ―ッ!』
怒りに満ちた咆哮と共に〝杈茨大猪〟の魔力が高まり、その下部から湧き出た茨が、巨大な手となってクキに迫った。
ギルは〝杈茨大猪〟の足元――クキよりも懐に近いところまで[遥夜回廊]で覆っているが、茨の手は〝杈茨大猪〟の腹部の辺りから生えていた。
〝杈茨大猪〟の魔力が急激に低下するものの、それに比例して――消費された魔力以上に周囲の魔素が〝杈茨大猪〟に吸い込まれていくため、茨の柱は徐々にその太さを増していく。
クキは錫杖を振るい、魔法陣を眼前に浮かべた。
上位二種融合魔法[純乎鳳舞]
魔法陣から飛び散った火の粉が激しく燃え上がり、その一つ一つが五シムほどの大きさの[炎の小鳥]となった。[炎の小鳥]はクキの前方を埋め尽くさんばかりに出現し続け――
「――行け」
その声を合図に、弾幕のように[炎の小鳥]が放たれた。
茨の手と激突し、爆発。
クキは煙の中に[炎の小鳥]を放ちながら[黒盤]を左右に動かす。
(………俺が狙いか)
上空を縦横無尽に飛ぶクキに、茨の先が固定されていた。
サザミネたちが攻撃を与えても、茨の一部が牽制するだけで、そのほとんどがクキに向かって伸びている。
ふっ、と魔力を失った[黒盤]が消え、地面に着地したクキに間髪入れずに茨が迫る。迎撃しようと錫杖を振り上げ――駆け付けたホルンが茨を切り捨てる。
「……悪い」
礼を言うと、何故かホルンは少し眉をひそめた。
クキは片眉を上げ、さらに左から迫る茨に錫杖を叩きつけ、消し飛ばす。
「何だよ?」
「………どうする気だ?」
普段とは違って無駄口は叩かず、ホルンは尋ねてきた。
クキは茨を避け、ちらり、とホルンに視線を向ける。「これなら――」とクキは片眉を上げ、
「包んで、爆破だな」
「は?」
簡潔な答えに、眉を寄せるホルン。
「まぁ、見てろって」
茨を左右に分かれて避け、茨が向かってきているのを確認する。[黒盤]を作り出して飛び乗り、旋回しながら上空――〝杈茨大猪〟の真上に移動した。
眼下に視線を向ければ、ほぼ全ての茨がクキを追い、巨大な茨の柱と化していた。
「クキ!」
わざわざ〝杈茨大猪〟の上に移動した――当たりやすい場所に向かったクキに諌める声が上がる。
「避けろよ!」
それに対して、クキは笑いを含んだ声で叫んだ。
[黒盤]の下に緑色の魔素が集まる。
最上位風魔法[風奏遨戯]
幅一メルほどの小さな竜巻が六つ、六角形を描いて生まれて一斉に眼下に放たれた。
小さな竜巻は左に巻くように動き、数秒で巨大な竜巻となって茨の柱と激突。
茨は風で切り刻まれて塵となるが、散らずに竜巻の中を漂う。
そして、〝杈茨大猪〟を包み込んだ。
クキは掲げた左手に[火炎連弾]でいくつもの炎を生み出し、高速で回転させて一メルほどの巨大な[火球]にした。
「ギル!」
[火球]を竜巻の中に放り投げ、[黒盤]を後退させながら叫ぶ。
[遥夜回廊]の一部――最も〝杈茨大猪〟に近い[壁]が筒のように伸び、竜巻ごと〝杈茨大猪〟を囲んだ瞬間――
―――ドォォーーンッ!!
と。轟音と共に開いた上部から爆風が立ち上った。
筒状に伸びた[遥夜回廊]が大地に沈むように消えると、全身から煙を立たせ、震えながらも辛うじて立っている〝杈茨大猪〟の姿が現れる。
クキは体の前で錫杖を両手に持つと石突を[黒盤]に叩きつけ、眼下に〝雷〟と〝火〟の魔素を運ぶ。
「おっさん! サザミネさん!」
〝杈茨大猪〟の前で、紫電と紅蓮の炎が立ち上った。
左側には紫電を纏って眩い輝きを放つ槍を構えたラルグ、右側には白く染まった炎を纏う爪を後ろに流し、身を低くしたサザミネ。
二人の踏み込みは、同時。
下から繰り出された紫電の突きと、振り下ろされる業火の斬撃。
〝杈茨大猪〟の首元で交わり、左右から突き抜けた。
『―――ッ』
〝杈茨大猪〟は声にならない悲鳴を上げ、地響きを立てながら倒れると、その首が背中とは反対の方向に転がった。
それを見てクキは目を閉じ、錫杖を鳴らす。
最高位光魔法[澄清珠域]
涼やかな音とともに錫杖がその形を崩し、足元に降り注いで白銀の魔法陣が描かれた次の瞬間、天と地を巨大な[白銀の柱]が繋げた。
それは〝杈茨大猪〟を呑み込み、上空に漂う靄を打ち抜く。
「………」
[白銀の柱]の中にいるクキに、衝撃はない。むしろ、柔らかい光と澄んだ空気――歪んだ魔素の影響が消え、息を吐きながら目を開けた。
錫杖が消えて、ふわふわと浮かんでいた蒼い珠に告げる。
「散らせ、ウル」
珠が解け、魚の姿に戻ったウルが[白銀の柱]を上っていく。
その頂上――不気味な靄に到達すると虹色の波紋が生まれ、白銀の光と共に靄を吹き飛ばした。
「――………」
[白銀の柱]の出現は、数秒。
次第に[白銀の柱]は細くなっていき、完全に消えた頃には辺りに澄んだ空気が漂っていた。
ラルグたちは〝杈茨大猪〟がいた場所、掘り起こされた地面の中心に握り拳よりも一回りほど大きな水色と緑色の二つの塊――〝魔天骨〟が転がっていることを確認し、無事に浄化されたことに息を吐いて緊張を解いた。
そこに[黒盤]に乗ったクキが降りてきて、視線が集まった。
クキは顔を伏せており、その傍らにウルが浮かんでいた。
『ダイジョウブ?』
(やっと、マシになったか……)
粘ついた魔素が消えたことにほっと息を吐いたクキは顔を上げ、ラルグやサザミネたちと視線が合った。注目を浴びていることに片眉を上げつつも〝杈茨大猪〟が気になって、そちらに振り返った。
(うまく浄化は――)
目に付いたのは、掘り起こされた大地とその中心付近に転がる二つの塊。
さっと辺りを見渡し、〝魔天骨〟しかないことにクキは頬を引きつらせた。
「に、肉体がねぇっ……?!」
「?」
その叫びが聞こえたラルグたちは顔を見合わせ、「やれやれ……」とギルはため息をついた。
5/6 誤字訂正
6/28 半獣化について訂正




