第35話 虹色の少女
少し時間は戻ります。
また、主人公視点ではありません。
ギルドが訓練場として開放している二つの〝障壁〟の間、背の低い木々や岩山が散見する草原の中に一人の少女が立っていた。
銀色の髪をショートにした少女で、年は十代半ばほど。瞳は閉じられ、前に突き出された手は何かを掬うように合わさっていた。
その手の中には、体長二十シム(センチ)ほどの鳥がとまっている。
蒼い毛並みに赤い目を持つのは〝使い魔〟だ。
ぴくり、と少女の片眉が動き、赤い瞳が現れる。
「カマラ!」
少女の呼びかけに〝使い魔〟――カマラは、ばさり、と翼を広げた。
『[火弾]!』
「[旋風]!」
一人と一匹の眼前に、並列した二色の魔法陣が浮かび上がった。
赤い魔法陣が三十シムほどの大きさの[火の玉]となり、そこに緑色の魔法陣から放たれた[旋風]が激突――炎を巻き込むように突き進んだ。
「や――!」
炎を纏った[旋風]に少女は顔を輝かせ、
「ぁ……」
一メル(メートル)も進まないうちに炎が消えたのを見て、動きを止めた。
「ま、また失敗……」
力なく両手を下す少女。カマラはその細い肩にとまった。
『ごめんね。フレノア』
(ううん。私がうまく合わせられなかったから……)
フレノアと呼ばれた少女は、小さく首を横に振った。
(全然、うまくいかない……)
はぁ、と大きなため息をついたフレノアに、おっとりとした声がかかった。
「フレノアちゃん。一度、休憩にしましょう」
後ろを振り返れば、近くの岩場の木陰にいる二人の男女の姿が目に入った。
一人は三十代前半の薄い緑色の髪の女性、もう一人は二十代後半ほどの茶髪の男性だ。
フレノアが〝守の儀〟でお世話になっているチーム〝飛炎の虎〟のメンバーで、女性は〝飛炎の虎〟サブリーダーで第五階位冒険者のリメイ、男性は第六階位冒険者のヤンコフだ。
〝飛炎の虎〟にはあと四人のメンバーがいるが、〝守の儀〟で預かっているもう一人の訓練生と一緒に護衛依頼に向かっているため、ここにはいなかった。
二人が腰かけている長イスはリメイが土魔法で作り出したもので、同じように作り出されたテーブルの上には布が敷かれ、水筒とカップが置かれていた。
「……はい」
フレノアは二人の下に戻ると、リメイの隣に腰を下ろした。
リメイから差し出されたカップを「ありがとうございます」と、礼を言いながら受け取って、一口飲む。ほぅ、と一息ついていると、正面に座っているヤンコフが口を開いた。
「まだ、コツは掴めないか……」
「……はい」
練習しているのは〝使い魔〟との同調による複合魔法――正確には、合体魔法だ。
フレノアの魔法属性は〝無〟。潜在魔力量は高い数値を叩き出しているが、使える魔法は風と水と火の三種で、威力は最高でも中位魔法――と、その特性や魔力量を生かしきれていなかった。
〝守の儀〟を機会に、魔法に関する技術も向上させようと思い、マリアーヌに――〝飛炎の虎〟の中で魔法師の階位が一番高いので魔法に関する手ほどきを受けていた――相談したところ、「〝使い魔〟の魔法と合わせる、合体魔法はどう?」と提案されたのだ。
〝使い魔〟持ちの冒険者の中に、合体魔法の使い手がいるらしい。
「始めて間もないのだから、仕方ありませんよ。これからです」
「でも、下位魔法なのに……」
ぽつり、と呟いたフレノアに、リメイは少し困ったように笑った。
「融合魔法なら教えられますが、同調による合体魔法となると、私たちでは無理ですからね……」
融合魔法は下位魔法同士の融合でも高い技術を要求され、中位魔法しか扱えない――未熟なフレノアの技術では扱うことは難しい。
一方、合体魔法となれば〝使い魔〟との同調が大きく関わっているらしく、融合魔法よりは習得出来る可能性があった。
合体魔法の練習だけでなく、下位魔法と中位魔法の底上げのための魔力操作の訓練も並行して行っているが、そちらの訓練の効果も今一つ現れてはいなかった。
(私、魔法の才能ないのかな……?)
こみ上げてくる不安。それが顔に出ていたのか、ヤンコフが安心させるように口を開いた。
「ホルンが言っていた相手が合体魔法を使えたらいいな」
「……はい」
フレノアは顔を上げ、大きく頷いた。
―――「今日、無の使い手の冒険者に会ったぜ」
〝飛炎の虎〟の半数が護衛依頼で『アダナク』を出発する前日の夜。
夕食も終わって、のんびりとくつろいでいるところにホルンがそう言った。
その時、リーダーのサザミネやリメイ、マリアーヌの年長者たちは打ち合わせのために席を外していたので、護衛依頼に行かないフレノアとヤンコフだけがホルンの言葉に目を丸くした。
「……〝無〟の使い手?」
ぽつり、と呟いたフレノアに「ああ!」とホルンは頷いて、
「俺らより、ちょっと年下の奴なんだけどな。[黒盤]や[影渡り]を使えるんだよ」
「!」
「……本当なのか?」
ぎょっとするフレノアに対して、訝しげな声を上げたのはヤンコフだ。
ヤンコフとホルンは学生の時からのくされ縁らしく、彼に対してだけ口調が冷たくなる。
「当たり前だろ、商会が護衛依頼で追加してきた奴らなんだからな。でもまぁ、[黒盤]を使っているところしか見てないけどな」
「………」
それでもホルンにじと目を送るヤンコフを見て、「本当よ」とローザは苦笑した。
「……そうか」
「何で、納得するんだよ」
「日頃の行いでしょ」
ローザは肩をすくめ、「あ。そういえば」とフレノアに視線を向けてきた。
「リーダーが依頼から帰ってきたらフレノアと会ってくれるように頼んだから」
「えっ?! わ、私ですか……?」
「聞いたところによると、全属性の魔法が使えて、そのうち、いくつか最高位魔法が使えるみたい。それほどの使い手には会ったことがないでしょう?」
「は、はい……」
「いい助言がもらえるかもしれないから」
「ありがとう、ございます……」
フレノアがテスカトリ教導院に属していたのは六年前。
そこで二年間の修行を経て力の制御方法を覚え、〝使い魔〟を授かった。
その頃には〝姫巫女〟も選ばれていたので、〝禊の儀〟を受けることはなかった。そもそも、フレノアは〝才能〟を持っていたため、受けることは出来なかったのだが。
その後、テスカトリ教導院の学導院に残るか『クリオガ』に戻るかの選択で、フレノアは『クリオガ』に戻ることを選んだ。
テスカトリ教導院に残れば高い水準の教育を受けられ、就職先も約束されていたが、帰郷することを選んだのは故郷で一人となる母が心配であり、亡き父と同じ野守に成りたかったからだ。
その後、無事にビオプロム学導院に入ることが出来たものの、同年代に〝無〟の使い手はおらず、院内でもフレノアを含めて数人だけ。それも上位魔法までの使い手だ。
呆然とローザとホルンを見ていたフレノアの隣で「いや、待て」とヤンコフは眉を寄せた。
「全属性の魔法と……最高位魔法が、何だって?」
「一応、全属性の魔法が使えて、そのうちのいくつかの属性は、最高位魔法が使えるんだとさ」
にやにやと笑って告げたホルンの言葉をフレノアは数秒をかけて反芻し、「えっ?」と声を上げた。
「まぁ、全属性が使えると言ってもそれが下位魔法なのか上位魔法なのか――使えるクラスは知らねぇけどな。……ただ、マリ姐よりも階位は上だぜ?」
「!」
第四階位魔法師のマリアーヌよりも上と聞いてフレノアは目を見開いたが、内心で小首を傾げた。
(でも、それなら何で冒険者に……?)
それほどの使い手なら、テスカトリ教導院が手放さないだろう。
フレノアの疑問が顔に出ていたのか、二人は視線を交わすと、
「まぁ、詳しくは本人に聞いてみろ」
「そうね。……ちょっと、驚くわよ?」
「はい?」
にっこり、と笑って告げる二人に、フレノアは目を瞬いた。
(第四階位以上なら神格魔法も……でも、それはありえないし……)
魔法師の階位は技術や潜在魔力量はもちろんのこと、一般的には最高位魔法を使用できれば第七階位、技術や魔力量によって第五階位までなることが出来る。
そして、第四階位以上になるためには、神格魔法の習得が必須条件だったはず。
ただ、第四階位以上の魔法師と言っても使える神格魔法は様々で、一つしか扱えない代わり威力は通常の倍以上だという人や、二つ三つと使える人等、個人差があり、認識としては〝最低でも一つは扱うことが出来る〟というものだ。
(ホルンさんたちは〝複数の最高位魔法が使えるから異例の事だろう〟って言っていたけど……一体、どんな人なんだろう?)
「今日、戻る予定だから、明日会えるのが楽しみね」
意気消沈していたフレノアが、もうすぐ噂の〝無〟の使い手に会えることで高揚していることに気付いたのだろう。くすり、とリメイは笑って言った。
「はい!」
フレノアは強く頷いた。
『たのしみだね』
頭の中にカマラの楽しげな声が響き、フレノアは指先で頭をなでた。
(うん。いろいろと聞こうね)
小休憩を終え、マリアーヌから教わった魔力制御の訓練を行った。
その後、昼食をとると、リメイはテーブルやイスを元の地面に戻した。
「それじゃあ、帰りましょうか。風魔法、お願いね?」
「はい!」
切り上げるにはまだ早いが、訓練場に来る前に「早めに切り上げますから」と言われていたので、フレノアは不満を上げることなく頷いた。
そもそも〝森〟での依頼を受ける予定を〝森〟が不穏な空気を放っているために取り止めたものの、合体魔法を気兼ねなく練習できるように訓練場に連れてきてくれたのだ。
『アダナク』との行き来は、風魔法の訓練も兼ねて、フレノアが掛けていた。
ふぅっ、と息を吐いて、三人の足元に緑色の魔法陣を展開させ、
―――ピリッ、
と。全身を静電気が駆け抜けた。
「っ――あ……」
フレノアは目を見開き、両手を身体を抱えるように回して膝から崩れ落ちた。
制御を失った魔法陣が一瞬だけ発動して、下から吹き上げるような風を起こす。
『フレノア!』
「フレノアちゃん?!」
「大丈夫か?」
リメイが慌ててフレノアに手を伸ばし、その身体を支えた。
「大丈夫?」
「は、はい。……ちょっと、びっくりしただけですから」
顔を上げ、フレノアは深く息を吐いた。驚いて飛び上がっていたカマラが肩にとまり、頬に身体を押し付けてくる。
『フレノア。だいじょうぶ?』
(うん。大丈夫だよ……)
小さく笑い、フレノアはカマラの頭を指先でなでた。
「リメイさん……!」
背後――西にある〝森〟の方角へ振り返っていたヤンコフが緊張した声を上げた。
フレノアとリメイも振り返り、ソレを目にした。
「あれはっ!」
〝森〟の上空に、虹色――白銀色が強い――の靄が漂っていた。高濃度に高まった魔素が靄のように見えているのだ。
輝いているが、言い知れぬ不気味さを感じて、フレノアは生唾を呑み込んだ。
そこから一筋の靄が〝森〟へと伸びていた。まるで、上空から〝何か〟が落ちたかのように――。
「あ、あれは……?」
「……〝魔素の淀み〟の影響です」
固い声でリメイは告げ、目を細めた。
『おちたよ』
(え? おちた?……堕ちたって、まさか?!)
カマラの声にぎょっとした次の瞬間――
―――ブオォォォォォォッ!!
獣の咆哮が轟いた。
〝森〟から放たれた魔力に大気を漂う魔素が震え、靄が渦を巻いて濃くなっていく。
「堕ちたか……っ!」
〝森〟の深部に生じやすい〝魔素の淀み〟。そこに触れた魔物は呑まれ、全く別の場所に吐き出されることがある。その現象を〝堕ちる〟と呼んでいた。
「ぼ、暴走状態の魔物が?」
「そうだ。しかも、これは……近いですよね?」
ヤンコフはフレノアに頷きながら、リメイに視線を向けた。
「ええ。……フレノアちゃん。距離、分かる?」
「え? あ、はい! 調べてみます!」
フレノアは慌てて頷き、〝使い魔〟に呼びかける。
カマラはすぐに意図をくんで、上空に飛び立った。
フレノアは目を閉じてカマラが送ってくる情報に集中する。
瞼の奥に、白い絵の具で周囲の風景が描かれていく。
〝第一障壁〟が眼下に流れていき、〝森〟が広がった。空にある靄から〝森〟に伸びた一筋の線を探し、その先に一層、白く塗りつぶされた〝何か〟が見えた。
「……見つけました。距離は……二……いえ、三クム(キロ)ほどです」
「三クムっ!?」
「魔物の種類は分かる?」
リメイの問いにフレノアは〝何か〟に意識を集中し、
「大型の……猪でしょうか? ……鼻先が……その辺りが、弓のように弧を描いています」
塊の正面――恐らく鼻の位置から、弓のような物が伸びているのが見えた。
「あっ! 近くにいた魔物の群れが〝障壁〟に向かってきています!」
「!」
フレノアの言葉にリメイとヤンコフは眉を寄せたその時、カラァーン、カラァーン、と警鐘が鳴り響いた。〝障壁〟にいる警備兵たちも魔物を確認したのだろう。
「……どうしますか?」
「三クムは近いわね。鼻が弧を描いていて、大型の猪となると……三等級の?」
「確か、〝闇〟の使い手はリーダーたちと一緒に行っている〝オリオウ〟にしかいませんよね?」
「そうね。〝歪み〟を払える〝光〟の使い手も呼ばなければならないし……そうなれば、『アダナク』からの救援は遅い。ラルグさんたちがいたけど」
冷静に情報を整理していく二人。
「……ひとまず、〝第二障壁〟まで下がりましょう」
その結論に「はい」とヤンコフは頷いたが、
「ま、待ってください!」
「……フレノア!」
ヤンコフは目を見開き、いさめるように声を荒げた。反対にリメイは冷静な目で、
「迎撃に参加することだと思うけど、出来ないわ」
続けようとした言葉に気付かれ、リメイに先手を打たれた。
フレノアはぐっと言葉に詰まった。その原因が自分にあることは分かっている。
だが――
「ですが、〝使い魔〟の力は必要ですよね?」
ぴくり、とリメイは片眉を動かした。
「大型の魔物なら、三クムの距離なんて、すぐです。〝障壁〟にたどり着かれたりしたら……〝光〟の使い手が来るまで、少しでも影響を抑えないと」
「………フレノアちゃん」
「待つのならっ、私なら少しでも影響を抑えられます! ……〝使い魔〟がいるのといないのとでは大きな違いですよね?」
ヤンコフに振り返ると、何とも言えない表情をしていた。
フレノアよりも経験の多い二人には、〝魔素の淀み〟の恐ろしさは分かっているはずだ。
そして、〝使い魔〟の有効性と、訓練生でしかないフレノアを連れていく意味も――。
「お願いします! 足手まといだとは分かっています! でもっ――」
フレノアの実力は第十階位冒険者ほど。〝守の儀〟中は、八等級の魔物しか相手にしたことがないので、暴走状態の大型魔物(四等級クラス以上)では足手まとい以外の何者でもないだろう。
「何か、出来ることが……」
リメイは目を伏せて、黙考していたが、
「………分かったわ」
小さくため息をついて、そう言った。
その言葉に、ヤンコフは目を見開いた。
「リメイさんっ?!」
「〝使い魔〟の力が必要なのは確かよ。あくまでも後方支援に徹することと――」
リメイはヤンコフに小さく首を横に振るい、フレノアに視線を向けてきた。
「必ず、私たちの指示に従うことが条件です。いいですね?」
「はい!」
***
〝第一障壁〟に着くと、すでに〝森〟の入り口付近で下位クラスの魔物と交戦状態に陥っていた。
迎撃しているのは、冒険者と警備兵を合わせて十数名。事前にギルドから〝魔素の淀み〟についての情報があったため、〝森〟にいる冒険者たちは少なかったが、その分、実力は確かな者ばかりが居合わせたらしい。
訓練場側の門前にいた警備兵が、フレノアたちを見るとぎょっとした。
最初は訓練生が迎撃に加わることを渋っていたが、〝使い魔〟の力が必要だということは理解していたので、〝第一障壁〟からの援護ということで落ち着いた。
拳闘士であるヤンコフとは別れ、フレノアは警備兵二人に案内されて、リメイと〝第一障壁〟の内部にある階段を上った。
頂上付近にある監視穴の一つから〝森〟側に顔を覗かせると、木々をなぎ倒し、地響きを立てながら一直線に向かってくる影が目に入った。
「あれが……〝杈茨大猪〟」
遠目からでも分かるほどの巨体は、三等級魔物〝杈茨大猪〟。
体長は五メルほどで全身を深緑色の茨が蠢き、その隙間から辛うじて薄茶色の毛並みが窺えた。武器による通常攻撃は茨に防がれ、魔法攻撃は無意識で放出されている〝歪み〟から、上位魔法以外は効果が薄い。恐ろしいのは茨だけでなく、眉間から鼻筋に伸びた幅三メルほどの巨大な杈だ。
〝杈茨大猪〟の周りを濃淡の激しい水と土の魔素が漂っていた。
(………っ!)
歪んだ魔素に目がくらみ、フレノアは軽く頭を振った。
『ボオォォォォッ!』
咆哮を上げ、土煙を上げながら駆けてくる〝杈茨大猪〟。
『迎撃準備! ギルドからの増援が到着するまで足止めに徹する!』
フレノアたちを追ってきた緑色の球体――下位風魔法[風信]から、眼下の戦場で指揮をしている警備隊長の声が響く。
フレノアが作り出したもので、〝障壁〟の管理室や足止めを行う冒険者チームにも連絡用に付けている。その声を受け、冒険者チームの一つが〝森〟の中に消えた。
「フレノアちゃん、いい?」
「はい!――カマラ!」
『いってくる』
カマラも彼らを追って、〝森〟へと飛んでいく。
『ギルドより連絡! 先遣隊としてランク六のチームが二つ、こちらに出発したようです!』
管理室でギルドとの通信を担当している者から連絡が入る。
「〝光〟の使い手は?」
『他にも出現しているため、確保に時間がかかっているようでっ! 〝闇〟の使い手もまだ。討伐隊には、ランク三の〝樺珠旅団〟を中心に編成がされていると』
「ラルグさんたちか……分かった。引き続き、何か情報があったら教えてくれ」
『了解!』
『足止めを開始する。嬢ちゃん、頼むぞ』
フレノアに向けられた声は、足止めに向かった冒険者チームのリーダーの男性だ。作戦を説明する時、少しだけ顔を合わせていた。
「はい!」
フレノアはカマラに「拡散させて!」と指示を出した。
足止めに向かった冒険者たちの奮闘も虚しく、迫る〝杈茨大猪〟の足を完全に止めることは出来なかった。
[土壁]や風の[結界]が〝杈茨大猪〟の進行方向を塞ぐが、突進によって[土壁]は砕かれ、茨を盾にして[結界]を突破していく。
〝第一障壁〟まで、残り数百メルほどしかない。
『――ッ!』
突然、咆哮を上げると、くんっ、と〝杈茨大猪〟の顔がのけ反った。その身体の中心から魔力の気配が高まったかと思えば、全身から茨が噴出し――杈の中に集束し始めた。
『あれは――止めろっ!』
『全員、直線上から退避! 迎撃しろっ!』
たった数秒で幅数メルはある巨大な茨の塊となったソレに、リーダーの男性と警備隊長の怒声が上がった。
だが、それよりも早く茨の砲弾が放たれた。
「っ!」
一直線に〝障壁〟に向かってくる一撃。
〝障壁〟との間に立つ冒険者たちは、回避行動に移りながら、火と風の魔法陣を展開して迎撃態勢に入った。
だが、その砲弾の質量と速度、纏う歪んだ魔素には敵わず、魔法の全てが弾き返されてしまい、効果はなかった。
「伏せて!」
〝第一障壁〟と激突まで数メル。唖然と立ち尽くしていたフレノアを押し倒し、リメイは頭を抱えた。
―――ドォォォ――ンッ、
と。轟音と共に〝障壁〟が揺れる。直撃だ。
「っ!」
フレノアは身を竦め、悲鳴をかみ殺した。
『連発させるな!』
『最高位は?!』
『十秒くれ!』
『ちっ――早くしろよっ』
『足元、行くわよ!』
[風信]から騒然とした声がする中、フレノアはリメイに腕を掴まれて引き起こされる。
「カマラを!」
「――は、はい!」
リメイが風魔法で援護する横で、フレノアもカマラを〝杈茨大猪〟に近づけ、力を少しでも削ぐ。
砲弾を放った反動か、〝杈茨大猪〟は足元から土煙を上げていて、距離もわずかに遠くなっていた。
警備兵の一人が[風信]に呼びかけた。
「〝障壁〟の被害はどうなっている?!」
『げ、激突した箇所に罅がっ……ですが、大きくはありません!』
「罅っ? 歪みで[結界]の効き目が少なかったかっ?」
『ギルドより連絡! 〝闇〟の――』
『第二波が来るぞ!』
連絡の声を遮り、現場で指揮をしている警備隊長の怒声が入った。
はっとしてフレノアが〝杈茨大猪〟に視線を向けると、再び顔をのけ反らせ、杈の中に茨が集まっていた。
『壁を張れ!』
『威力を落とせぇぇっ!!』
一斉に土や風、火の魔法陣が展開され、輝きを放つ。
「えっ?」
そして、ソレが、目についた。
分かったのは〝第一障壁〟から――上から戦場を見ていたからだろう。
影だ。
〝第一障壁〟が落とす影が不自然に大きく伸びていき、戦闘中の冒険者や警備兵たちの足元を漆黒に染めていく。
「な、何だ?」
「あれは――まさかっ」
同じくそれを目にした周囲から、驚きの声が上がった。
ただ、〝杈茨大猪〟に集中している眼下の冒険者や警備兵たちは気づいた様子はない。
『くるよ』
カマラの声に「来る?」をフレノアは呟き――〝杈茨大猪〟から二度目の茨の砲弾が放たれた。数秒遅れて、いくつもの魔法が茨を迎撃するが、僅かに身を削るだけで勢いを殺すことは出来なかった。
「っ!」
激突の衝撃が脳裏を駆け抜け、フレノアが身をこわばらせたその時、広がった影の中から緑色の巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「!」
茨の砲弾と〝第一障壁〟の間――まるで、砲弾に立ちはだかるように出現した魔法陣に、誰もが目を見開いて動きを止めた。
(あ、あれはっ……?)
最高位風魔法[光風霽月竜]
周囲の魔素が吸い込まれ、魔法陣が輝きを増す。
『コォォ―――ッ!』
咆哮と共に出現した[風竜]が〝杈茨大猪〟が放った茨の砲弾と激突した。破裂音が響き、余波が辺りにまき散らされる。
「ッ!」
思わず顔を伏せたが、衝撃は襲って来なかった。
フレノアはいつの間にか閉じていた目を恐る恐る開き、眼下に視線を向け――
「えっ?」
その光景に、目を見開いた。
[風竜]の尾が〝第一障壁〟を守るように周囲に広がり、激突の余波から守っていたからだ。
そして、茨の砲弾を受け止めた[風竜]の下には、術者であろう一つの人影。
「えっ――ぁ……」
人影――青年から感じた魔力に、ぶるり、とフレノアは身体を震わせ、
「〝無〟の、使い手……?」
呆然と呟いた。
その青年は、虹色の魔力を纏っていた。




