第1話 異世界、だな
目が覚めると、いつの間にかベッドの上で寝ていた。
「……マジかよ」
自分のベッドよりも深く沈み込む身体に、シーツの肌触りは滑らかで明らかに高級のもの。左右を見るとあと二人は余裕で横になれる広さがあり、いくつもの枕が転がっている。極めつけは天蓋付きだ。
身を起こそうとして、一瞬、身体の芯の辺りに鋭い痛みが走り、息が詰まった。胸元をかきむしって身を丸めると、全身に少し倦怠感がある。
(この感覚……夢じゃなかったのか)
意識が途切れる前の記憶。
外出しようとした時、突然、足元に現れた〈魔成陣〉。一目で転移魔術だと分かり、逃げる間もなく移動した瞬間、バカ師匠の新手の嫌がらせだと確信した。
到着した直後の攻撃を牽制しようと〈魔成陣〉を展開したが、まさかいかにもな場所に出るとは思わず、呆けてしまったのは一生の恥だ。
そこで見た足元の〈魔成陣〉の構成と十数人の姿。
そして、身に起こったことを踏まえると――
「……異世界、だな」
疲れた声で九条響輝は呟いた。
バカ師匠の幻惑か、同類の一人の幻惑魔術が響輝の〈眼〉以上のレベルに達した可能性もあったが、あのズレは本物だった。
〝世界〟の拒絶。
承認されない魔術師が〝世界〟を変換した場合に起こる現象で、変換した歪みが術者へと逆流したのだ。
だが、響輝は承認されているはずだった。たった一つしかない〈枷〉でさえ、バカ師匠のところにいた頃以外で破ったことはない。
それがあの部屋で魔術を使った瞬間に起こった。
そのことが示すのは一つ――今、居る世界が、響輝の生きていた世界とは別世界だということだ。
(一応、感謝は……する必要はないな。一因はあるし)
転移後、本気で展開した目くらましの〈魔成陣〉。さらに魔術を構築し〈眼〉も使っていたので、通常よりも逆流した歪みが大きくなったのだ。
【承認】の言葉を忘れていたら、よくて精神崩壊の廃人、悪くて死が待っていた。通常は激痛で意識を失うレベルのものだ。
響輝はゆっくりと身を起こし、凝り固まった身体をほぐした。
(二日……いや、三日か?)
身体の具合から、三日ほど気を失っていたようだ。ふと、服が変わっていることに気づく。
「いつのまに……なっ」
慌てて掛かっていた上布団をめくると、ズボンも見慣れない薄手の物になっていた。
(着替え、させられた?)
出かける前だったので、服はいつもの制服に手荷物もあったはず。
響輝はキョロキョロと辺りを見渡して、壁際の背の低い棚に置かれたベルトとポーチが目に入った。
ほっと息を吐いて、ベッドの上を移動して足を下に降ろす。不思議な紋様が描かれた毛の長いカーペットを踏むと、少しだけ足が沈んだ。
「うぉ……?」
高級感がありすぎる。予想以上の柔らかさにおっかなビックリしながら立ち上がり、改めて身体の調子を確認した。足元がふらつくことはなく、魔力を循環させる。
部屋は広いが、それはあまり家具がないからか、より一層広く感じた。家具や装飾品、電灯などを見ると、豪華ではないが質は高く、シックな感じに落ち着いた高級感が漂っていた。
(アルのところより落ち着いているが……なんだかなぁ)
同類の一人の家を思い出し、響輝はため息をついた。
棚の上にはベルトとそこについたポーチ、あと、ジャケットに入っていたはずの手帳や財布などが置かれていた。その一つ一つを確認し、全てがあることにほっと息を吐いた。
「あとは服か……ん?」
ふと、近づいてくる気配に気がついた。体調が戻っていたのでいつものように周囲の魔素を使って、周囲数百メートルほどの感知を行っていた。
今までもいくつか気配があったが、その気配は真っ直ぐにこちらに向かっている。
ベッドの上に視線を向け、そこに自分が寝ていることを確認して、響輝は相手の到着を待った。
この部屋にドアは三つ。
少しして、響輝よりも遠い方のドアがノックされた。
「失礼します」
返事も聞かずに入ってきたのは、一人の女性だった。
濃紺の髪に同じ色の瞳を持ち、響輝より少し年上の女性で、服装はメイド服。水差しが置かれた盆を手にしている。
女性は響輝を一瞥もせずにベッドに近寄り、ラックの上に盆を置いた。
ベッドの上で眠る響輝に目を向けると、
「まだ、お目覚めにはなりませんか……」
少しだけ心配そうに呟く。
女性はベッドを回って響輝の前を通り、閉ざされたカーテンを開けてわずかに窓を開いた。
「また、来ますね」
微笑み、女性は部屋を出て行く。
ふっ、とベッドの上にいた幻影が消えた。
「……上手くいったか」
幻影だと気づかれなかったことに、ほっと息を吐く。魔術を使用した反動もない。
「さて、服は……」
残る家具はクローゼットが三つ。そちらに向かい、一番手前の扉を開けた。
中にある服を一瞥し、パタン、とそのまま閉じる。さらに隣の扉を開き、また、似たような服に手を付けずに閉じた。
(……なんで、ヒラヒラばっかりなんだ?)
一目で豪華で質のいい服だとは分かるが、金銀の刺繍やレースは必要なのだろうか。靴も妙な装飾が施された物や派手な色づかいで、趣味に合わなかった。
げんなりとしながら最後の扉を開くと、見慣れた服と靴が目に入った。
「おっ。あったあった」
濃い灰色の服は他の派手な服に比べると良く目立った。ほっとしつつ服を着替え、腰にポーチ付ベルト、軍靴を履いたところでやっと落ち着いた。
「いくつかないな」
隠していたナイフなどがなくなっていた。仕方ないか、と諦め、女性が持ってきた水差しで喉を潤す。
「よし。とりあえず、状況確認だな」
窓の外はテラスになっていた。
「うぉ……っ」
思わず、声を上げてテラスの縁に駆け寄った。
目についたのは、巨大な月だ。見慣れた月の数十倍の大きさがあり、その傍らにはそれよりも半分ぐらいの大きさがある月が寄り添い、淡い水色の空にあった。
響輝がいる建物は小高い丘に建てられ、いくつもの尖塔が囲んでいた。その中心にひと際高い二本の塔があり、部屋はその最上部に位置している。
眼下には城塞があり、その先には森が広がっていた。そこにある一本の道を下った先には、町並みが広がっている。
「たっけー」
その風景に唖然とし、視界に煌くチリに気がついた。
魔素だ。
赤、青、黄、緑と様々な色をしたチリ――魔素が漂い、世界に満ちている。
「なっ………ココまで見えるのか?」
魔素に目を向け、響輝は後ろを仰ぎ見た。
白で統一された建物には銀色の装飾が施され、青みがかった窓が清楚で神秘的な雰囲気をかもし出していた。
とんっ、とテラスの床を蹴って、屋上に跳びあがる。
周囲の魔素が身体に集まり、虹色の輝きを放った。虚空を蹴るたびに虹色の光が舞う。
響輝は屋根の縁に足をかけ、バランスをとりながら改めて風景へと目を向けた。
高さは百メートル以上。落ちれば死ぬが、恐怖はない。
むしろ、気分が高揚し、口元にはおもちゃを手に入れた子どものように笑みが浮かんでいた。
おもむろに左手を挙げ、
―――パチンッ、
と。指を鳴らした。
水面に落ちた水滴のように、響輝の指先に集まった魔力が周囲の魔素に触れ、波紋のように大きく広がっていく。
波紋から感じた空中の魔素含有量に、さらに笑みが深まった。
「――くくっ」
こみ上げてくる衝動が抑えられず、嗤いが漏れた。
(あぁ……面白ぇなぁ)
細めた瞳の奥に剣呑な光が宿る。
「――どうしてこんな所にいるの?」
剣呑な光を消すためか、幼い声が聞こえてきた。
響輝は一瞬で光を消し、振り返った。
声の主は屋根の頂点付近――ポールの下に一人の少年が座っていた。
まだ十二、三歳ぐらいの子どもで、鮮やかな蒼色の髪に感情が読めない碧眼。唇は真一文字に結ばれ、前後の裾が長い服を着ていた。
数秒前までは響輝しかいなかった。波紋にも反応はない。
(人、じゃないな……)
少年から感じる魔力量は、【魔人】クラス。それもどこか違和感を覚え、直感が〝人〟ではないと告げていた。
「……精霊?」
思わず口をついで出た単語に、少年は小首を傾げた。
(違うのか? 確かに……小さくないし)
服装はよく分からないが、見た目は普通の子どもだ。
悪友の話では、精霊はほとんどが小さいのが定番らしいが。
ただ、声をかけたタイミング、感知できなかった接近、そして、その魔力量。
相手にするには、少々厄介だ。静かに倒す自信はない。
(……まぁ、いいか)
敵意は感じなかったが、じっと見つめてくる瞳に興がそがれた。
倒れた部屋の場所は分からないが、そこで魔術を使ったので自分の魔力の残滓を頼りにおおよその位置は分かっていた。
この世界に興味はあるが、長居する理由はない。
「じゃあな」
響輝は少年から逃げるように下へ飛び降りた。




