第30話 黒、訓練生をからかう
午前七時。
『アダナク』からトゥルハ商会の行商――四台の四輪大型幌馬車が出発した。
幅広の車輪を持つ幌馬車は、ボートのような形をしていて、全長五メル(メートル)に全高三メル、幅は二メルほどで、上部に張られた幌は魔法陣が編まれ、耐火耐刃と迷彩の効果があった。
そして、その幌馬車を牽引しているのは、クキが知る重種馬の一.五倍の体格に鋼のような筋肉を持つ濃い灰色の毛並みの馬――〝灰馬〟だ。
ビオプロム学導院が馬の魔物と普通の馬を交配させて生まれた混血種で、魔物の強靭な肉体と穏やかな性格を持つ。普通の馬なら十頭で牽引する大型の幌馬車を二頭で牽引することが出来る馬力は、魔物の血が流れているからだろう。
護衛は一台目と二台目の幌馬車に〝氷鋼の斧〟、三台目と四台目の幌馬車に〝飛炎の虎〟と〝オリオウ〟が分乗した。クキは三台目にオクバル、マリアーヌ、ローザと乗り込み、残りのサザミネ、ホルン、ギル、キルエラは四台目に乗り込んでいる。
「………」
積荷の隅で、クキは流れる風景に目を向けていた。隣にはオクバルが座り、正面にローザとマリアーヌが座っている形だ。ローザの脇には弓と矢筒が置かれていた。
『イナイヨー』
ウルの声が頭の中に響く。初めて声が聞こえた時の騒々しさは収まり、次の日にはキルエラたちが言ったように声を上げることは少なく、姿も消していた。今も姿を現さずに索敵をしている。
(……気を抜くなよ)
『ヌクナ、ヌクナー』
力が抜けそうな声が返ってきた。
「どうですか?」
マリアーヌの声に振り返り、
「特に問題はないですね」
クキは小さく頷いた。
ホルンに敬語はいいと言われたが、〝飛炎の虎〟の中心核であるサザミネとマリアーヌに対しては、一線は弁えていた。
マリアーヌは「そうですか」と微笑して、じっとこちらを見つめてきた。
「……何か?」
「さすがに無言でいられるとね」
ずばっ、と直球のローザ。クキは片眉を上げ、
「何か話そうって? ……話題は?」
「うーん……チームのこと、聞いてもいいかしら?」
ローザは、ちらり、とオクバルを見た。参考にさせたいのだろう。別に言って困るものでもないので、クキは頷いた。
「いいけど……昨日、大体話したぞ?」
「ギルとキルエラとクキでしょ? 普段はどういう隊形なの?」
「?……そういえば〝技能〟のことだけで、隊形は話していなかったか」
「私たちは前衛と後衛が共に三人ずつで、今は訓練生二人が前衛に加わっているわ」
「キルエラは支援に徹しているけど、全員が前衛だな」
「そうなの? 変わっているわね」
ふぅん、と頷くローザの隣で、マリアーヌがじっとこちらを窺っていた。
「……まぁ、他の人から見ればそうだろうな」
あまり深く聞かれると連携が出来ていないことがバレそうだったので、クキは曖昧に頷いた。
幌馬車に〝飛炎の虎〟と〝オリオウ〟のメンバーがバラバラに分乗しているのは、索敵や闇魔法による支援のことを考えてのことだったが、何よりも〝オリオウ〟は連携がまだ出来上がっていなかったことも理由だった。
(あれは連携、じゃないよな……)
クキは〝森〟では「これぐらい避けるだろ」と思い、さほどギルの存在を気にせずに魔法攻撃を行っていた。直撃は外していたものの、ギルに当たったことは――掠ったことでさえ、一度もない。あまりにも危なげなく避けてくるので、イラッとして「当ててやろうか」と思ったが、さすがにそれは自重した。
傍から見れば、一見、合図もなく連携をこなしているように見えなくもないが、それは互いに高い魔力感知と危機回避能力があると理解しているからだ。連携というより、個々の戦闘――あくまでも「邪魔にはならない」という程度のものだろう。
〝飛炎の虎〟からすれば、連携と呼べるものではない――はず。
「そうすると、クキさんは剣か何かを?」
緊張で固くなった声で尋ねてくるオクバルに頷き、
「一応、使えるのは剣とナイフ、あとは格闘術だな」
「剣、ですか……?」
明らかに手ぶらのクキに、オクバルは小首を傾げた。
「なにも、常に持っているとは限らないぜ?」
オクバルの前で右手を握り締める。何かを掬い上げるように手首を回して、手の平に魔力を発現させて凝縮。右手に吸い込まれるように、風が唸りを上げた。
「っ!!」
三人は周囲の魔素がソレに吸い込まれたのを肌で感じ、息を呑む。
風が止んだ後、クキの右手には一本の短剣が握られていた。
煌々と虹色の光を放つ短剣は、術者の魔力と魔素によって生み出される剣――〈魔剣〉だ。
圧縮された高濃度の魔力はあらゆる魔術を切り裂き、術者のイメージ通りの効果を発揮する。
だが、〈魔剣〉を形成する時やその維持に対して、常に多くの魔力を消費し続けなければならないので、魔術の中でも高等技術だった。
こちらの世界では、上位魔法クラスの技として位置づけられていた。
「……魔剣」
どこか、茫然とした声でマリアーヌが呟いた。その隣でローザは大きく目を見開き、
「……これが?」
「………」
オクバルは〈魔剣〉を凝視している。
「無属性だから便利だぜ?」
〈魔剣〉を振るうと、オクバルの目が合わせて揺れた。くくっ、とクキは喉の奥で笑い、
「触ってみるか?」
〈魔剣〉を回し、刃を掴んで柄の部分をオクバルに差し出す。
オクバルはぎょっとして身を引くが、視線はクキと〈魔剣〉を行き来していた。
「は、はい……っ」
ごくりっ、と大きく生唾を呑み込んで、恐る恐る右手を差し出してきた。僅かに指先が震えているのは〈魔剣〉に触れることへの恐れか、それとも形成する魔力量へのものか。
その指先が僅かに柄尻に触れ、
「っ?!」
短い悲鳴を上げて、大きく後ろに飛び退いた。ガン、ゴゴンッ、と頭を壁に強打し、床に尻餅をつく。
「っい!」
「オクバルくん!」
〈魔剣〉の存在に気圧されていたマリアーヌがその音と声で我に返り、慌てて頭を抱えてうずくまるオクバルに駆け寄った。
「ちょ――っ!?」
声を荒げかけたローザに視線を向けて黙らせ、手を振って〈魔剣〉を消す。
目を見開きながら〈魔剣〉に触れた指先を見つめるオクバルにクキは視線を落とし、
「どうだ?」
「えっ……あ……?」
「いざという時の奥の手は、必ず持っておくもんだぜ?」
オクバルは茫然としたまま、クキを見上げた。その様子に片眉を上げ、
「ちょっと、刺激が強すぎたか?」
「ちょっと――じゃないわよ!! 何やってんのよ、あんた!」
我に返ったローザに怒鳴られた。
「何って、〈魔剣〉を見ることもいい勉強になるだろ? 無属性だから迫力があっただけだ」
イタズラ心が半分あったことは否めないが。
「っ……!」
ローザは何かを言いかけたが、ぎりっ、と奥歯を鳴らして口を閉ざした。
「クキさん……これは少し」
オクバルの背をさすりながらマリアーヌは苦笑した。
***
『アダナク』から出発して二時間半ほど。
最初の目的地である村にたどり着いた。道中は獣と二回ほど遭遇しかけたが、適当に闇魔法で蹴散らした。
村の中心部にある広場にテントを張って商品を並べると、どこからともなく村人が現れて、あっと言う間に賑やかになった。
盗難に遭う危険はゼロとは言い切れないので、クキたちはチームごとに分かれて――〝氷鋼の斧〟が二台で、〝飛炎と虎〟と〝オリオウ〟は一台ずつ――幌馬車に付き、休憩をしていた。
女手はテントの手伝いに駆り出されているので、幌馬車にもたれかかっているクキの隣には木箱に座るギルしかいない。
『ワイワイ。イッパイー』
姿を現したウルをフードの中に突っ込み、クキは広場の一角にあるひと際大きな建物――町役場に目を向けた。屋根の上には鐘楼があるので、緊急時の避難所も兼ねているようだ。右側の建物は学導院と神導院の旗が両方掲げられ、窓からは子どもたちが物珍しそうに顔を覗かせていた。
そして、左側の建物には界導院の旗があり、冒険者よりも村人の姿の方が目につくのでギルドとしてではなく界導院としての役割の方が多いのだろう。
『キタヨ?』
ウルの声に視線を転じると、とことことオクバルが近づいてくるのが目に入った。
「どうした?」
「あの……少しお話をしてもいいですか?」
「……第八階位といっても、まだ冒険者になって日も浅いが、それでもいいのか?」
「はい! お願いします!」
「分かった……」
身動きしないギルから少し離れ、改めてオクバルと向き直る。
「何が聞きたい?」
「ま、魔剣のことです……っ」
一歩、強く踏み出してきて、思わず、クキは上半身を仰け反らせた。
「魔剣を見たのは二回目なのですがこの前見た時とは全然違っていて何でかなと考えたところこの前の人は〝火〟の使い手だったからそれで」
「ちょっと待て」
混乱しているのか、早口でまくし立ててくるオクバルに手の平を向けて言葉を止める。
「え? あ、すみません……」
オクバルは首をすぼめて、慌てて頭を下げた。
「……ようするに、前に見た〈魔剣〉と感じるものが違ったってことか?」
「は、はい!」
「見た魔法師が〝火〟の使い手なら、〝無〟と〝火〟の違いだろうな」
あとは、使い手の技量になるだろう。
あちらの世界の〈魔剣〉は二種類あり、あくまでも純粋に力を凝縮させただけの代物と、詠唱によって効果が付与された魔術としての代物だ。
こちらの世界の魔剣は前者を示し、クキが見せた物もただの魔力と魔素の塊だった。
「おたくは水属性だったよな?」
「はい。そうです」
「なら、無属性は水属性も含んでいるから、それが原因だ」
「あ!……そ、そうですよね」
オクバルは大きく目を見開き、「すみません……」と顔を赤くして俯いた。
どうやら、忘れていたようだ。
(まぁ、こちらの世界には魔儀仗があるしな……)
こちらの世界では魔力の消費が激しい〈魔剣〉よりも魔儀仗が主流だ。
魔界では、魔族はエカトール人よりも魔力量が多いので半々らしいが。
「……おたくの野守の階位は六だよな? 訓練生でもあまりいないんだろ?」
「いえ。十人に一人はいます……」
オクバルは少し照れたように笑った。
「あとは剣士見習いか……」
「はい。クキさんは剣の〝技能〟はお持ちではないんですよね……」
「ああ」
「でも、魔剣を使われているのは……?」
「〈魔剣〉も魔法師の技術だ。ウチのバカ師匠がドカドカ魔法を撃ってくるから、必然的に身につけたんだよ」
苦笑しながら告げるとオクバルは、ぽかん、と口を開けた。
「一応、剣術の基礎は教わったけど、ほとんど自己流の部分が大きいな」
そこでクキは、にやり、と笑い、
「もし、手合わせしたいのなら、あっちの方がオススメだぜ?」
「えっ?」
ぴくっ、とオクバルは肩を震わせ、「分かり、ますよね」と苦笑した。
「……おい」
狸寝入りをしていたギルは、片目を開けて睨んできた。
「トップクラスが教えた方がいいだろ」
「お前、俺と余裕で斬り合うよな?」
「俺は教えるというより、叩き込む方だ」
「………」
オクバルはクキとギルの顔を交互に見つめ、
「トップクラス?」
小首を傾げた。打ち合わせの時に〝技能〟や魔法属性は話したが、その階位――魔法師のこと以外――は話していないので、ピンとこないのだろう。
くくっ、とクキは喉の奥で笑い、
「かなり、強いぜ?」
「!」
オクバルは目を輝かせて、ギルに振り返った。
その視線を受けると、ギルは小さく息を吐いた。
「……夜ならいいぞ」
「ありがとうございます!」
オクバルは満面の笑みを浮かべ、頭を下げた。
***
夕刻。
二つ目の町での商いが終り、クキたちは護衛から解放された。
町長の厚意で用意されていた宿で夕食をとり、少し休憩をしてから模擬戦のためにオクバルとホルン――見学をすると言って付いてきた――と共に宿の裏庭に出た。
広く空けた場所で十数メルの距離を取ってギルとオクバルが向かい合う。
その手に握られた模擬剣は、クキが事前にポーチから取り出しておいたもので、ギルは大剣、オクバルは双剣だ。
見学の三人は軒先に食堂から借りてきたイスを並べ、キルエラ、クキ、ホルンの順に座っていた。
カン、カカン、と剣が交わる音を聞きながら、クキはエプア――味はリンゴジュースだった――を飲んだ。この町の特産品だ。宿の主人から渡されたつまみ――残り物のパンを揚げたもの――をバリバリと頬張っていると、
「やっているな」
振り返れば、すぐ近くにミフィサルとゴウンドが立っていた。その手にはグラスと同じく借りてきたであろうイスがあった。
「お疲れ様です」
軽く頭を下げると「いいか?」と聞かれて、クキは頷いた。キルエラがイスごとホルンの隣に場所を移し、彼女が居た場所にミフィサル、その向こう側にゴウンドがイスを置いた。
ミフィサルは楽しげな目を二人に向け、
「サザミネから模擬戦をしていると聞いたんだ」
「……いい腕だ」
ぼそり、と呟いたゴウンドにミフィサルも頷いた。
「君のところの剣士くんはかなりの腕だね。訓練生の筋もいい」
「ですよね。俺もそう思います」
ホルンも何度か頷いて「俺もやりてぇー」と呟いた。
「……まぁ、剣術バカですから」
たぶん、と口には出さずに付け加える。
五人の視線が集まる先で、ギルの一閃でオクバルの両手から剣が飛んだ。
模擬戦が始まって数十分。息切れもしていないギルに対し、オクバルは肩を大きく上下に揺らして、顔が苦しそうに歪んでいた。「もう一度だ」とギルが声をかければ、オクバルは「はいっ!」と少し掠れた声で気合を入れるように返事をして、弾き飛ばされた剣を拾う。
再び二人は向かい合い、数秒をおいてオクバルが切り込んだ。
「――実際のところ、飛行型魔物の相手はどう考えている?」
唐突にゴウンドが尋ねてきた。
クキは少し驚いてゴウンドを見るが、彼は模擬戦に目を向けたままだ。
その代わりにこちらに目を向けたミフィサルは、苦笑を浮かべた。
「……飛行型を相手にしたことはないですが、空中戦の経験はあります」
「空中戦?」
ミフィサルは片眉を上げた。
「師匠の修業で、それなりには鍛えられました」
「………」
「対人戦ですので、本能で動く魔物相手……それも守りながら戦うことは勝手が違うのは分かっています。ですが、ギルや〝飛炎の虎〟の皆様もいますので不安はありません」
「ああ、任せとけ!」
振り返ると、にやり、と笑うホルンが目に入り、クキも同じ笑みを返した。
「……訓練生の実力は第十階位並みだ」
ゴウンドは模擬戦から視線を外し、クキに睨むような視線を向けてきた。
「はい…?」
「〝第四の森〟で訓練をしていると言っても、六等級魔物以下しかいない安全な場所で行ったものだ。近年は訓練生で怪我をする者はいても死者は出ていないが……昔は多かった」
一瞬、ゴウンドは言葉を詰まらせた。
「色々と手を尽くしているのは過保護だと分かっている。だが、〝第三の森〟でも深部には、四等級以上の魔物が生息している。その上、今は〝森〟が騒がしいことは知っているな?」
「……はい」
「野守を目指す以上〝守の儀〟は必要不可欠なものだ。……上位の冒険者について経験を積むことは、今後の彼らの大きな糧――生き残る力となってくれるだろう」
ちらり、とゴウンドはオクバルを見て、
「面倒だと思うかもしれないが、若い芽を摘まないために協力を頼む」
(過保護、か……それはどうにもならないな)
訓練は訓練でしかなく、不測の事態など数多とあるだろう。
だが、それでも様々な状況下で訓練を行い、備えることが最善策だ。
「………」
ゴウンドの目を真っ直ぐに見返し、クキは頷いた。
これで今年の投稿は終了となります。
本年は拙作をお読みいただきまして、誠にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。




