第26話 蒼い少女
無事に蜂蜜を採取し、『アダナク』に戻ってギルドに報告すると、受付嬢の引きつった笑みが返ってきた。
その原因は買い取りとして提出した素材が、〝森狼〟四十一体、〝一角兎〟と七等級魔物〝赤鹿〟が六体ずつ、〝黄林蜂〟の近くで遭遇しかけた六等級魔物〝暴双熊〟一体で、そこにランク六の採取依頼である七等級〝黄林蜂〟の蜂蜜が加わって、その全てがクキたちの階位に合っていなかったからだ。
一部の素材は手元に残したが、それなりに懐が温かくなって三人は〝蒼の六花亭〟に戻った。
開口一番に宿の主人から「今日はないのか?」と聞かれて〝赤鹿〟と〝暴双熊〟の肉を出すと、「下処理に時間がかかるから明日からの夕食だな」と言われた。
ついでに〝黄林蜂〟の蜂蜜も出してデザートは出来ないかと尋ねれば「ぜひ売ってくれ」と頼まれ、その結果、滞在中の夕食がデザート付でタダとなった。
明日の予定を夕食の雑談で決め、クキは部屋のベッドに寝転んだ。
クリラマに借りた本を読んでいると、ふわり、とウルが姿を現す。特に何かをするわけでもなく、ふよふよと漂っているのは〝森〟ではずっと姿を消していた――〝影〟の中にいたからだろう。
〝影〟にいた理由は、その方が同調がしやすかったからだ。
(結局、聞いた通りの能力だけだったな……)
〝使い魔〟の主な能力は魔素の拡散と魔力の蓄積、そして〝使い魔〟が蓄積した魔力で魔法を使えることだ。
能力の強さや種類は契約者によって異なり、ウルは〝魔素の拡散〟に特化しているため、自然と漏れ出す魔力を蓄積させることも、蓄積している魔力で魔法を放つことも出来なかった。
クキは読んでいた本を閉じ、ウルを具現化させている魔力と魔素に目を細めた。
(あの〝卵〟が星霊の力を集約したもの――特異点のようなモノなら、それを契約者の魔力で安定させて具現化させているってことだよな……〝核〟以外は魔素の塊、か)
ある事が気になり、ウルに手を伸ばした。その手に気づいたウルが近づいてきて、指先が触れ――
「それは止めて欲しいな」
と。少女の声が響いた。それに合わせて、新たな気配が部屋に現れる。
狭い部屋の中、魔力感知に引っかかることなく現れた気配は、ある少年を思い出させた。
(またか……)
クキは身を起こし、声がした方向へと顔を向けると、たった一つしかないイスに腰掛ける蒼い少女が目に入った。
年は十代前半ぐらいのシンプルな蒼い色のワンピースを着た少女で、透き通ったように綺麗な碧眼が真っ直ぐにクキを見つめていた。
蒼い髪に蒼い服の少女――星霊だ。
「別に――……」
あるモノに気づき、ぽかん、とクキは口を開けた。
白い肌に大きな瞳を持つ、可愛い顔立ちを縁取るセミロングの蒼い髪――そのサイドから突き出ているモノに目が釘付けになった。
本来なら人の耳がある位置。
そこには先が尖り、フサフサとした毛並みに覆われた〝何か〟があり、さらに細い肩ごしに見えるのは、一対の折りたたまれた翼だった。
(け、獣耳と……翼?)
クキの頭の中を疑問が飛び交う。
唖然とするクキの姿を見て、
「あははっ。面白い顔ー」
蒼い少女は、ばさっ、と背中の翼を広げ、足を上下に動かしながら笑い出した。翼の大きさは、その小さな身体をすっぽりと覆うほどで、笑うたびに動く翼によって風が生まれ、ひらり、と舞った蒼い羽根が床に落ちた。
風に当てられ、はっ、とクキは我に返ると顔をしかめた。
「……星霊がふらふらと人前に現れてもいいのか?」
「ここにはあなたしかいないよ? それにせっかくの加護を消されるのはね」
「……別に、そういうつもりはない」
「そうかなぁー?」
クスクスと笑う少女。
(……『クリオガ』の星霊か)
何故、獣耳と翼を持つのか――その理由は分かるが、わざわざその姿で現れる必要はないだろう。それとも〝象徴〟としてなのだろうか。
クキの視線が耳と翼に注がれていることに気づき、少女は翼をたたんで指先で耳に触れた。
「ビックリした? 異世界の人って、だいたい似た反応なのよね」
いたずらを成功させた子どものように楽しそうに笑う少女。無表情だったテスカトリ教導院の星霊とは正反対だ。コロコロと表情が変わるのを見ていると本当に子どもに思えてくるが、感じる魔力が脱力しそうになる気を引き締めさせる。
「暇なら、聞きたいことがある」
「んー? それは私よりもあの子の方がいいんじゃないかな?」
少女は小首を傾げ、ウルに視線を向けた。つられてウルに視線を向ければ、ウルの姿にノイズが奔って大きく姿がブレた瞬間、少年の姿になった。
「……オミテクトリ」
テスカトリ教導院の星霊は、じっ、とこちらを見つめてきたが、思いっきり目を逸らしてきた。
「おい……?」
あからさまに無視してきたので、クキは眉をひそめた。
「あれ? そこはビックリしないの?」
「〝使い魔〟は星霊の加護……結局は〝力〟の一部だろ? なら、やろうと思えばそれぐらいは出来るんじゃないか?」
そう答えれば「正解~」と笑顔が返ってきた。
何故かどっと疲れが出てきて、クキは内心で大きなため息をついた。
「……どうした?」
改めてテスカトリ教導院の星霊の表情を窺うと、ふてくされている――ように見えなくもない。
「……名前」
小さな呟きに、クキは「は?」と眉を寄せた。
「まさか……あの名前、気に入ったのか?」
〝使い魔〟を貰い、〝オミテクトリ〟だと名前を聞いた後のこと。
――「名前が欲しい」
ウルに名前を与えるのを見て、唐突にそう言ってきた少年。「〝オミテクトリ〟でいいだろ?」と問えば、
―――「星霊はボクたちの存在意義で、役目のこと。ボクを示すわけじゃないから〝あだ名〟が欲しい」
〝使い魔〟を貰ったこともあるので、しぶしぶ、〝オミテクトリ〟のアナグラムで付けたものだ。
(センスないと思うけどなー………何がよかったんだ?)
魔導師として、あだ名を付けることには身構えてしまうので、略称や簡単なアナグラムしか出来ない。
それは魔術師や魔導師が魔術を使う上で、唯一の〈枷〉となるものが原因だ。
魔術師や魔導師は魔術を使う時、【真名】を楔として捧げることで己の存在を世界に固定させ、〝世界を書き換える〟という反動を打ち消している。
そのため、【真名】を偽えば反動が襲ってくるので偽名を名乗ることを忌避していた。
「まぁ、気に入っていたのならいいけどさ。〝オクト〟」
「うん……」
少年――オクトは視線をクキに向けると、小さく頷いた。僅かに喜んでいる声色だが、表情に変化はなかった。
(ホント……対照的だな)
ふと、すぐ近くで高まる気配に気づき、クキは身を強張らせた。とっさに〈結界〉を放つが――
「うりゃぁ!」
「ぐぉっ」
あっさりと〈結界〉は破られ、わき腹に鈍器で殴られたような痛みが走った。衝撃で倒れる身体を支えようと右手をベッドにつき、壁に激突することだけは免れた。
「私も欲しい!」
「っ――はぁ?! って、羽ばたくな!」
わき腹に額を当て、ぐいぐい、と突き上げるように押し付けてくる少女の背中で、ばっさばっさと翼が羽ばたいていた。胴体に回された細腕も、蛇が獲物を絞め殺すかのように圧力が増していく。
(破り――って、この馬鹿力は…っ)
悪意を感じなかったので強力な〈結界〉は張らなかったが、軽快なかけ声であっさりと破られた上に身体を締め付ける力は、やはり星霊ということだろうか。
クキは顔をしかめながら魔力を体内で循環させ、一時的に身体能力を強化して――
「おち、つけっ!」
少女の襟首を掴んで、一気に引きはがした。その勢いのまま、ぽいっと投げれば「わわっ」と声を上げつつも少女は翼をはためかせ、イスに座り直す。
少女の頭突きを喰らい、鈍い痛みが走るわき腹を右手でさすりながら魔力を通して自然治癒力を高めていく。じんわり、と染み込んでくる温かさが痛みを消していく。
「おたくはいいだろ……」
「私も自分の名前が欲しい!」
「ココの勇者にでも付けてもらえ」
考えるのも面倒だ。
「魔導師のあなたにつけて欲しいの」
「? 名を与えるだけなら、誰でも同じだろ?」
「ううん。魔導師のあなたの言霊は別格だもの!」
「……まぁ、それが力の根幹だからな」
魔術師は言霊を捧げることで魔術を使うため、自然と〝言葉〟に力は宿っていく。
それは魔術をイメージだけで扱える魔導師でも同じだ。
魔導師だろうと、初めから無詠唱で魔術を行使することは出来ない。
むしろ、詠唱破棄で魔術を扱えるのは、魔術師としての技術を極めたからであり、決して、イメージ力だけがずば抜けて高いわけではなかった。
「聞いてるでしょ?」
「………」
〝オクト〟と少年にあだ名をつけたのは失敗だったか。
目を細めたクキにオクトが口を開いた。
「大丈夫。お兄ちゃんが元の世界に帰れば自然と消えるから……〝使い魔〟もそうだよ」
「……そうなのか?」
「お兄ちゃんの世界の言葉で言うと、お兄ちゃんはこの世界での特異点。存在する時は影響を与えるけど、いなくなればその影響は自然と消えていく」
「歪みすぎれば、悪影響にはならないのか?」
「そのための星霊……そして、ウルだよ」
淡々と答えるオクトを見つめ、クキは抱えていた疑問を投げかけた。
「おたくらは、どうしてあちらの世界のことを知っている?」
「お兄ちゃんが【真名】を捧げたことで、一時的にこの世界に固定されたからだよ」
〝契約〟することで、こちらの世界に組み込まれたということだろう。
「……プライバシーがねぇな」
やれやれ、とクキは肩をすくめた。
少女がクキの前に姿を現したのは〝勇者〟だからというわけではなく、魔導師の力ある言葉で〝名〟を付けてもらい、その存在をさらに確立させることが目的らしい。
魔術は世界を書き換え、術者のイメージどおりの現象を引き起こす力だ。〝全〟から〝一〟を取り出すことは出来る。
(星霊相手にただの〝言霊〟で名付けてもな……)
世界を管理する星霊――魔素そのものだといえる存在に対して使うには、その存在が大きすぎるので、少女が望むほどの効果はないだろう。まだ【真名】や魔術なら高い効果が見込まれるが、ただの〝言霊〟となると〝全〟に波紋を広げる程度。
だが、少女はソレが欲しいのだという。
砂浜からたった一つの砂粒を取り出すような、ほんの僅かなモノが――。
「いいでしょ?」
小首をかしげ、少し上目遣いに見つめて尋ねてくる少女。
「……いいも悪いも、意味があるのか?」
クキの疑問に、少女は何故か不思議そうに目を瞬いた。
「……うん。あるよ」
一瞬、妙な間があった。
「?」
眉をひそめたクキを少女は真正面から見つめてきた。その瞳から爛々と輝く子どもの明るさは消え、凪いだ湖のように透明で揺れのない深さに変わっていた。
「クジョウさん……」
深く響き渡る声は、しんっ、とした室内によく響いた。
そこに込められたモノに、ぴくり、とクキは片眉を動かし、
「……分かったよ。けど、センスは求めるなよ?」
「本当?!」
ぱぁっ、と少女は顔を明るくした。
(オミテクトリのアナグラムか……下手にいじるのは無理だな)
ローマ字に置き換えて変えてみようとするが、かゆいところに手が届かないようなもどかしさがあるので止めた。幾つか名前を考え、ピンッ、と来た名を口にする。
「――ミトリ」
その名を呟けば、どこかで「カチリ」と音がした。
一瞬、少女の瞳の奥に光が宿る。
「……ミトリ」
少女――ミトリはその名を呟くと、にこり、と笑った。
「ありがとう。クジョウお兄ちゃん!」
クキに向かって飛んだ――かと思えば、額に温かくて柔らかい感触がした。
「――なっ?!」
あまりにも自然な動作に、顔を背けることを忘れしまった。
慌てて身を引くと強かに背中を壁に打ちつけたが、クキはそのことに気づかず、唖然としてミトリを見上げていた。
「えへへっ」
ミトリは少し離れた場所で翼を羽ばたき、虚空に留まった。片手で口付けされた額を押さえるクキを見ると、口元に浮かんでいる笑みを深くした。
「星霊として加護は与えたけど、これはお礼の祝福だからっ」
背中の翼が力強く羽ばたいて、小さな身体が天井に向かって飛び出した。
「おい!」
クキは巻き起こった風から顔を守るように腕を掲げ、その後を追って顔を上げるが、すでにミトリの姿は消えていた。
「何、だったんだ……?」
腕を下ろし、少し目を泳がせながらオクトに顔を向けた。
「……加護と祝福は、同じじゃないのか?」
「〝ミトリ〟としての祝福だよ。僅かだけど、ウルとの同調率が上がっている」
「もう……来ないよな?」
星霊は六柱だ。あと四柱いる。
「……名前は特別」
「マジかよ……」
暗に「来るよ」と言われて、がっくりと肩を落とした。ミトリが質問に答えていないことを思い出して「そういえば……」と顔を上げるが――
「――って、いねぇし……」
いつの間にかオクトの姿は消え、ウルが漂っていた。
「………早めに訓練場に行くか」
ミトリの姿の理由は、もう少し先で説明します。
※補足:魔術師・魔導師の〈枷〉について
「自ら〝偽名〟を名乗ることができない」が条件で、犯して魔術を使うと世界を書き換えた反動(激痛)が術者に襲い掛かってきます。(序章又は第1話参照。似た状態ですね)
あだ名や【二つ名】も引っかかりますが、名乗ることは少なく、呼ばれることが多いので〝どこかズレているような違和感を覚える〟だけの軽いペナルティとなります。
ただ、その状態で魔術を使えば使うほど違和感が強くなり、精神的な負荷が増します。
(第6話で【二つ名】を告げた時は、魔術を使っていないので違和感だけでした)
なお、クキはあだ名を付けることは忌避していますが、師匠との修業であだ名を散々言われたために呼ばれることはあまり気にしていません。(本来は嫌がりますし、同類たちには足枷の意味もあります)
そのあたりが【狂惰】の由縁の一つでもありますね。
悪友が【二つ名】を名乗らせようとしていた理由は……色々とあったのだと思います……。




