第23話 魔物と魔天骨
八等級魔物〝一角兎〟。
体長は一メル(メートル)ほどで、茶色い毛並みにあまり長くないこげ茶色の耳。その名の通り、額の辺りからは一本の角が生えていた。幼子の腕ほどの太さの角は取り込んだ魔素によって骨が硬化したもので、その高い跳躍力と合わされば強力な武器となり、相手を一撃で突き殺す。性格は臆病なために気配には敏感で、気配を消しきれない初心者には厳しい相手だ。
一匹の〝一角兎〟が薬草の群生地に埋もれて、口を動かしていた。その耳は忙しなく動いて周辺の音を拾い、警戒は怠っていない。
背後にある木陰から、すっ、と人間が姿を現した。
もごもごと口を動かしている〝一角兎〟の背後に、そろりそろり、と近づいていくが〝一角兎〟が気づいた様子はない。
〝一角兎〟の一挙一動を茶色の瞳で観察しながら、人間は背中――首の後ろ辺りに手を伸ばした。
その手が首元を掴んだ瞬間、〝一角兎〟の身体が、びくり、と震えた。人間の存在に気づくが、すでに手遅れだ。
人間の体内を魔力が駆け巡り、握り締められた手に力が篭った。ぐぃっ、と〝一角兎〟の巨体を上に持ち上げ――
―――べりっ、
と。背の皮が勢いよく剥け、〝一角兎〟が地面に落ちた。
「うぉぉぉぁぁああっ!」
人間は大きく目を見開き、悲鳴を上げた。反射的に握ったままの剥がれた皮――毛皮を〝一角兎〟に投げつける。
ぱしっ、と毛皮は地面に叩きつけられた。
「っ!」
はっ、と顔を上げた人間の目に映ったのは、淡い緑色に輝く角。
人間が動揺した隙をつき、一瞬早くその場を跳び退いていた〝一角兎〟は身を翻すと、跳躍力を最大限に生かした一撃を放っていた。
角の先は真っ直ぐに人間の胸元――鳩尾へと向かっている。
「―――」
〝一角兎〟を認めた瞬間、人間から動揺が消えた。
背後に跳び退いて僅かな時間を稼ぐと、身体を右に倒しながら魔力を纏った右の拳を角の側面に放つ。
―――バシッ、
と。角が纏う風と魔力が干渉し合い、拳は弾かれて人間は体勢を崩した。
だが、角もその衝撃で軌道を変え、何もない場所を貫くだけに終わった。
そして、人間の目の前には無防備に〝一角兎〟の頭が差し出され――
「――っ」
人間は目を細め、〝一角兎〟の首元へと〈風の刃〉を振り下ろした。
ザシュッ、と少し耳障りな音が響く。
悲鳴を上げることもなく〝一角兎〟の頭部と胴体が離れた。
「っ――とと」
人間は上に舞った〝一角兎〟の頭部の角を左手で掴み、その場を跳び退いた。胴体が脇を通り過ぎて、どうっ、と地面に落ちる。
「あぶな……」
危うく圧し掛かれるところだった。ほっと息を吐くと、
「―――ははっ!」
唐突に笑い声が響いた。
人間――クキは背後を振り返り、近寄ってくる男女のうち、笑い声を上げる男性を睨んだ。
「ギル! 何だよ、コレ!」
空いている右手が指しているのは、〝一角兎〟から剥がれた毛皮だ。
「何って毛皮だよ、毛皮。依頼品だ」
にやにやと笑いながら答えるギル。その隣ではキルエラが少しだけ呆れたようにギルを見ていた。
「べりっ、って取れたぞっ?!」
右手に残っているのは日焼けした皮膚を剥いた時のような、僅かな抵抗と共に剥がれた毛皮の感覚だ。
その異様な感覚に両腕に鳥肌をたたせながら、クキは叫んだ。
「毛皮だ。普通取れるだろ」
「取れねぇよ!」
***
クキ、ギル、キルエラの三人はギルドで依頼を受け、〝森〟を訪れていた。
ギルドに行くと総本部のギルド長の話どおり、支部長へと連絡があったようだが、何故か面会を申し込まれた。
『アダナク』のギルド支部長――アルゼは中性的な顔立ちをした男か女か分からない人物だったが、纏っている雰囲気は職員や中級前の冒険者とは明らかに異なっていた。
最初に対応をしてくれた受付嬢――ミッチェルがサポートをするので、なるべく彼女を通してほしいと頼まれた。
(やっぱり登録内容がマズイか……)
第二階位魔法師としての実力やテスカトリ教導院、魔界ギルド支部出身ともなれば、目立つのかもしれない。依頼受注の手続きの時、登録内容を見たミッチェルが一瞬だけ手を止めたことには気づいていた。
だが、それでも例外を除くと階位に適した依頼しか受けられないことが何とも世知辛い。
「周囲の警戒は……この面子なら問題ないな」
森に入る前にギルが呆れたようにクキ、キルエラと見てそう言った。
「まぁな」
「そうですね」
「打ち合わせどおり、慣れるまでの数回はお前に任せる」
「ああ。悪いな」
魔物とは〝魔法を操る獣〟のことだ。
〝魔天骨〟と呼ばれる特殊な部位に生命の源を溜めることで魔法を操っている。
また、その副次的効果として獣――魔法を操れない動物のこと――よりも高い生命力と強靭な肉体を持っていた。
今回の目的である八等級魔物の〝一角兎〟――兎といえども、あちらの世界にいる〝小さな兎〟と同一と考えるのは危険だろう。
「それぐらい問題ない。依頼は角と毛皮だから、なるべく血は出させるなよ。火や雷もダメだ」
依頼は〝一角兎〟の角と毛皮が十五体分。〝魔天骨〟は対象ではないが、ギルドが買い取るので収入にはなる。
「分かってるよ。肉もギルドに売るのか?」
「そこにいくか。……〝一角兎〟の肉は安価だ。どっちでもいいぞ」
「へぇ?」と呟きながら笑うとギルは呆れ、キルエラは苦笑した。
「宿に持ち込めば調理していただけますよ?」
「じゃあ、血抜きも考えて……風だな」
どうしようかと戦術を考えていると、
「まずは気配を消して〝一角兎〟の首根っこを掴め」
「は? でかいだろ?」
「お前なら持ち上げることぐらい問題ないだろ?」
「まぁ、身体強化すれば持ち上げることも出来るけど……何でわざわざ?」
「依頼の毛皮を汚すわけにもいかないからな。掴んだ後は一撃で屠れ」
「それは落とせってことだよな……」
ギルにじと目を向けると「がんばれよ」と笑みを浮かべられた。
悪友を思い起こさせる笑みが引っ掛かったものの依頼のことを考え、クキはしぶしぶ頷いた。
***
そして、ギルの言った通りに試した結果が、手に異様な感覚を残して剥がれた毛皮だった。
右手に残る感覚を消すようにクキが右手を振るうと、拳大の〈炎〉が出現してギルに襲い掛かった。
「おっと」
だが、ギルは易々と片手で〈炎〉を受け止め、握り潰した。
「本ばっかり読んでいても身にならないのがよく分かっただろ?」
「言えよ!」
「いや……それほど驚くとは――くくっ」
ははっははは、と肩を震わせながら笑い出すギル。
クキは奥歯で苦虫を噛み潰したような顔をしてギルを睨み――その視線を横に移す。
「……キルエラ」
「すみません。何事も経験だと言われたので……」
謝るキルエラも満面の笑みを浮かべている。
その笑顔を見て、クキは悟った。二人とも、わざと黙っていたのだ。
(掴んだら皮が剥がれるって、ホラーだろ?!)
そう叫びたい衝動を堪え――ひくひくと頬は動いたが――大きく息を吐くと、〝一角兎〟の胴体に目を向けた。毛皮は背骨の辺りを中心に綺麗に剥がれていて、すでに新しい毛並みが生えていた。
左手で持ったままだった頭部を胴体の脇に置き、投げ捨てた毛皮をつまむ。
表面はザラザラとしているが、根元に近い部分は生えたばかりのような柔らかさがあった。
(とかげの尻尾きりと似たようなものか……)
口をへの字に歪めて、ふん、と鼻を鳴らす。
「で? 〝魔天骨〟はどこにあるんだ?」
「……念のため、警戒をお願いします」
キルエラは笑い続けるギルに頼んでから〝一角兎〟の胴体の脇に屈みこんだ。
「〝魔天骨〟は心臓の近く――ほぼ胸部の中心にあります」
胴体を横にしてナイフを取り出すと、慣れた手つきで捌いていく。
「これがそうです」
差し出したのは、十シム(センチ)長さの長方形の物体。水晶のように透明な物質で形作られ、中には緑色のチリ――風属性の魔素があった。
「これが〝魔天骨〟か」
「八等級までの魔物では、この大きさが一般的ですね。等級が上がれば大きさと形は変わり、一等級では子どもの頭ほどの大きさになります」
「〝魔核〟の元にもなるんだっけ?」
「はい。ただ、魔鉱石よりは質は落ちてしまいますが……」
〝一角兎〟の角と毛皮、あとは〝魔天骨〟を用意していた袋に入れた。
「〝一角兎〟の肉はどうしますか?」
「持って帰って食べる」
「……そんなに珍しいか?」
笑いの波が収まった――まだ口元は緩んでいたが――ギルが尋ねてきた。
「あっちの世界には、魔素を取り囲む動物はいないからな」
「へぇ。けど、教導院でも食べていたんじゃないのか?」
「はい、料理には使われていましたが……」
「教導院の料理は美味かったけど、肉まで気は回ってなかった」
クキが肩をすくめると、毎日、読書に明け暮れていたことを知るキルエラは苦笑した。
「おいおい……」
「魔界はどうなんだよ?」
「エカトールよりは質はいいだろうな」
「ギルさんの国では、魔素抜きが大変ですよね」
「ふぅん……?」
キルエラに教わりながら解体し、肉を部位ごとに分けて袋に入れた。依頼品を入れた袋と一緒に〝ディスタの鞄〟にしまい、ぽんぽん、と確かめるように叩いていると、
「どうした?」
「なんとなく〝鞄〟に生肉を入れるのが……」
「お前の世界には〝鞄〟みたいな物はないのか?」
「あるにはあるけど……食べ物を入れたことはないな」
空間操作系魔術【固有空間】。
空間を歪めて生じた〝隙間〟は無制限に物を入れることが出来るが、維持するためには魔力が必要となるため、魔術具などを使って消費魔力を確保していた。
クキも使っていたが、何故かそこに食べ物を入れる気にはなれず、転移系魔術と併用していた。
「クキさん。これが採取依頼のウコルタ草です」
離れた場所から数株ほど引き抜いて、キルエラが差し出してきた。
少し黄色がかった緑色の葉で大きさは子どもの手の平ほど。表面は大葉のようなザラザラとした手触りで一株に五枚ほど重なっている。依頼は三十株だ。
「泥落としもしておけよ」
「了解」
ウコルタ草を採り終えて、ギルを先頭にクキとキルエラは〝森〟の奥へと足を進めた。
「………」
ふと、辺りを見渡すと、周囲には〈魔眼〉を使わずともはっきりと見える魔素があった。
魔素に満ちた――生命に溢れた〝森〟。
エカトールや魔界は、あちらの世界とは違って大地の中で脈づく龍脈はない。
その代わり、滾々と湧き出る水のように世界から湧き出る魔素に溢れているのだが――。
(教導院のある島とは、また違うのか……)
テスカトリ教導院が在った島もまた、異質な場所なのだと『クリオガ』に着いてから気がついた。
『クリオガ』の空――〝森〟の中で主に見えているのは〝土〟と〝水〟の魔素だ。
踏みしめた草と土から、ほわり、とに立ち上る〝土〟に、辺りを漂う〝水〟。木々の葉を揺らして頬を撫でていく〝風〟、燦々と降り注ぐ〝光〟の先には〝火〟が灯り、〝闇〟が生まれている。
だが、あの島では、全ての魔素が等しく在った。
それは意図的に魔素が等しく集められていた――島全体が所謂、パワースポットのようになっていたことを示している。
その理由としては、島の中心――テスカトリ教導院であり、その地下深くに設置された魔法陣だろう。
(これが普通なら、あの島と同じだったあそこは……?)
クキは目を細め、空に浮かぶ二つの月を見つめた。




