閑話3 狂人の師匠と狂惰の弟子
※ベルフォン教室のクリラマ視点です。
クリラマ・ベルフォンは、ほぼ毎日を研究室で過ごしている。
研究に没頭すると食事を抜くこともあるために事務員の友人が三食運び、風呂とベッドは備え付けられているので問題はない。さらに魔法陣の発動実験は地下にある実験場で行っていた。
研究室から出る時と言えば大規模な実験か、教鞭をとる時だけだ。
その日、クリラマはいつものようにある上位風魔法の魔法陣の縮小に挑んでいた。紙に魔法陣を描き、発動するにあたって必要な魔力量と魔素量を算出する。
―――コンコンコンッ、
と。扉がノックされ、部屋の主の返事を聞かずに開かれた。
「クリラマー? お昼、持って来たよ~」
「んー……」
反射的に返事を返すが、意識は魔法陣に向けたままだ。
一段階下がる中位風魔法の魔法陣の魔力量や魔素量の数値と見比べて、無駄をあぶり出す。
(この流れ……ココをもっと抑えれば……こっちが根幹だから……ここに繋げておかないと)
魔法陣の威力や命中力を維持したまま配列を短縮して無駄を削ることで陣の規模は縮小され、発動までの時間が早くなる。
最上位魔法の魔法陣の規模縮小は困難を極めるが、それ以下の魔法陣はクリラマにとっては比較的容易に出来るものだった。
「そうそう。お昼が終わったら院長室まで来てね」
「……院長室?」
付け加えられた言葉にクリラマが振り返れば、扉の隙間から顔を覗かせている友人がにやりと笑うのが見えた。
「とうとう、生徒を取れってことかな?」
「まさか……」
これまでの貢献から〝教室に入る生徒は教授が指名する〟という特例は数百年続く伝統だ。今さら、破棄するわけがない。
「とりあえず、伝えたからね」
じゃあねー、と友人は頭を引っ込めた。クリラマは眉をひそめたまま、扉を睨み、
「また、厄介事の気がするわ……」
クリラマは気が進まなかったが、呼び出しを無視するわけにもいかないので学導院長室を訪れた。
部屋にはジェルガ学導院長だけでなく、ラフィン界導院長とマロルド神導院長、ギルド総本部ギルド長のタルギがいた。
テスカトリ教導院のトップと幹部の存在に、ますます厄介事のような気がしてきた。
「急にすまないな」
「いえ。ですが、ラフィン界導院長やマロルド神導院長、それにギルド長まで……どうされたんですか? まさか、転移魔法陣に不具合でも?」
三院長たちだけでなく、[界門]を預かるタルギまでいるので、転移魔法陣のことだろうか。
召喚の魔法陣を改良した[界門]は姫巫女を除けば、テスカトリ教導院の中でもクリラマとあと数名しか管理することは難しい。
ただ、管理といってもクリラマたちが出来ることは、発動し続けることで生まれる僅かな歪みの発見とその応急処置程度のもの。その中でも魔法陣を研究しているクリラマの技量は頭一つ抜けているが、姫巫女には遠く及ばない。
「いや、そうではない」
「それでは……?」
「〝勇者〟が召喚されたことは知っているな?」
「はい。まだ若いとのことですが………まさか、指導ですか?」
研究室に篭っているクリラマでもテスカトリ教導院の〝勇者〟が召喚されたことは知っていた。
召喚が遅れていることに業を煮やした五カ国やテスカトリ教導院の要請を受けて調査をしたことから――その時は不具合は発見できなかった――無事に〝勇者〟が召喚されたことやまだ若い青年だということは耳にしていた。
(姫巫女の能力を疑う噂も聞こえていたから………結構、ギリギリね)
姫巫女は〝象徴〟であり、権力とは離れているが、彼女は史上二人目の若さでその地位についた逸材だ。
当初は能力の高さに注目されていたが、勇者召喚の遅延から期待が懐疑的なものに変わるのには時間がかからなかった。
召喚された〝勇者〟の実力が分からない現状では、その噂は消えていないだろう。
(でも、私が指導? エカトールのことを思うと仕方ないけど……)
学導院の授業では魔法陣関連のことを教えているが、全く知識のない相手を一から教えるのは得意ではなかった。
眉をひそめたクリラマにジェルガは「いや」と否定の声を上げ、
「ある意味ではそうなるが……魔法の技術を教える必要はない。教えて欲しいのは理論だ」
「理論ですか? それは一体どういう……?」
「召喚した彼は魔法は使うことが出来る」
「!」
「彼の世界では〝魔術〟と呼んでいるようだが、こちらの世界の魔法も問題なく使っていた」
ジェルガが差し出したのは、手の平に収まる程度の大きさの丸い円盤だった。厚さは二シム(センチ)ほどあり、中央には白銀色の魔核が填められていて、四方に二つずつ色分けされたスイッチがある。
音声や映像を記録する魔法具〝モントレの記録盤〟。
クリラマが赤いスイッチを押すと魔核から光が溢れ、記録されている映像が虚空に映し出された。
「これは……?」
「昨日、近衛騎士団のネリューラ副団長と手合わせをした時のものだ」
「ネリューラ副団長と?」
クリラマは目を丸くして、それに目を落とし――
「っ――!」
息を呑んだ。
同じ魔法陣が同等の威力で放たれ、
一瞬で数十近い魔法陣を展開し、
魔法陣もなく出現した〈水竜〉と、
爆発の中から現れた〈風竜〉。
「この〈水竜〉と〈風竜〉は……っ」
クリラマは目を見開き、ジェルガを見た。
「魔術で再現したもの、」
「引き受けます!」
クリラマはジェルガを遮って、叫んだ。
ジェルガとマロルドは眉を寄せ、ラフィンはくくっ、と笑い、タルギは目を丸くした。
「あっ……い、いえっ、会わせてください! 面接もなしに決められませんから」
慌てて付け加えた。
こほん、とジェルガは咳払いをして、
「分かった。手配しよう」
「ありがとうございます!」
異世界の魔法――〝魔術〟。
エカトールよりも魔素の少ない世界。
黄金の魔素。
〝陣〟ではなく〝詠唱〟で発現する力。
イメージでの構築。
〈魔眼〉と呼ばれる〝才能〟。
「これ、が――」
映像を解析し、適性以外の魔素が見える魔法具――〝ヴワルの眼鏡〟で、幾度もその瞬間を見つめた。
青年の魔力に反応して水色の魔素が蠢き、その足元に圧縮されて消失した――次の瞬間、消失地点から湧き出た水が激流となって竜巻のように巻き起こったかと思えば、[水竜]が唸り声を轟かせながら姿を現した。
「――魔術」
未知の力に大きく見開かれた瞳は爛々と輝き、笑みで歪んだ口元からは茫然とした言葉がこぼれた。その細い肩が震えているのは、知識を得ようとする欲求からくる衝動だろう。
「これって……爆発……[風竜]……でも………」
「クリラマー? おひぃ――っ?!」
食事を持ってきた友人が怪しげな笑みを浮かべて映像を見つめるクリラマを見て、引きつった表情で扉を閉めたことには気づかなかった。
クリラマは〝勇者〟の青年との対面後、学導院長に彼を生徒として迎える旨を伝えた。
クジョウが学導院の〝教室〟に助手として所属するのは、冒険者として旅をするためらしい。こちらとしては魔術に関する知識が得ればいいので、その辺りの事情に興味はない。
クジョウから魔術に関する知識を得、魔法陣に関することを伝えた。
〈魔成陣〉の解析を始めて数日が過ぎた頃。彼が独断で魔界を訪ねた罰として謹慎することになり、しばらくの間は訪れられないことを友人から聞かされた。
(でしょうね……)
それを聞いて、クリラマは呆れ半分納得半分の気持ちだった。
魔法に関した知識を求める貪欲さは、同類として理解できる。
その上、魔界はエカトール以上の空気中の魔素含有量を持つと知れば、知識欲を満たすために突き進むだろう。
それから魔界からの使者が訪れたこと、出発が決まったことなど、彼に関することは耳に入ってくるが、クリラマは教わった〈魔成陣〉の解析に勤しんでいた。
そして、クジョウが旅に出発する前々日、出発のあいさつに研究室を訪ねてきた。
「久しぶり」
よっ、と片手を挙げるクジョウ。その背後に控える侍女は監視だろう。
「色々とやらかしたようね」
「あー……まぁ、結果的にはな」
クジョウはソファに腰をおろし、目を逸らす。
「十五日間の旅……ちゃんと帰ってきてね?」
「それは〈魔成陣〉のためか?」
「もちろん」
即答して手を差し出すと、苦笑された。
「……ほら、新しい〈魔成陣〉と使用する文字の一覧だ」
手の平に置かれた紙には、いくつかの〈魔成陣〉が書かれ、さらにそれを構築する文字が表になっていた。
「ありがとう。忙しいのに悪いわね」
「なら、おたくが授業に来てくれたらよかっただろ……」
「私の担当科目は魔法陣関連だけだから無理よ」
愚痴にそう返すと、クジョウは肩をすくめてテーブルの上にある本を手に取った。
「これが無属性について書かれた本か?」
「ええ。あまり使い手がいないから、それほど多くはないけど」
「いや、助かるよ」
クジョウに頼まれて用意できたのは数冊だけだ。〝無〟は特殊魔法の中でも〝時〟に続いて使い手が少なく、その特性も不明な点が多いために研究が進んでいないので関連書籍は多くない。
「〝無〟について何か気づいたことがあれば報告してね」
「……メンド、」
「課題だから」
顔をしかめたクジョウに、クリラマは命令した。
「……それは職権乱用じゃないか?」
「所属しているのだから当たり前でしょう?」
にっこりと笑って告げれば「……了解」としぶしぶ頷いた。
「どこかにいい使い手がいないかしら?」
「無理矢理引っ張ってきそうだな……使い手の情報はあるんじゃないのか? そもそも、姫巫女の候補生がいるだろ?」
「あら。その話、聞いているのね」
姫巫女の候補生の最低条件は、召喚の魔法陣を扱う時に必要となる〝時〟か〝無〟の使い手だ。
その選出のため、候補生に選ばれた者選ばれなかった者に関わらず、エカトールにいる使い手の全員の情報は集められている。
研究の助手を頼むとなれば元候補生を雇うか、元候補生で在学中の者を教室に迎えることになるが――。
「候補生になれなかった使い手は〝洗礼〟を受けて普通に暮らしているけど……さすがに在校生じゃないと引き入れる権限とかもないから難しいわ。元候補生のほとんどは神導院に所属していて、世界中に散らばっているから無理ね。在学している子もいるけど、すでに他の教室に所属しているし――」
「ねぇ?」とクジョウを見ると、じと目が返ってきた。
「解析で我慢しろよ」
「でも、気になるでしょう?」
小首を傾げて問えば「うっ……」とクジョウは小さく声を漏らす。
(やっぱり、同じことは考えたのね……)
微笑むクリラマを見て、クジョウはどこか慌てたように言葉を紡ぐ。
「いや待て。発動する魔術に対して強力なイメージが必要になるから、すでに魔法の理論を植えつけられている魔法師には難易度が高すぎるだろ」
「そうね……小さい子がいいわね」
「……おい」
「冗談よ」
ひくっ、と何故かクジョウは頬を引きつらせ、
「おたくが言うと冗談には思えねぇって……」
諦めたように大きくため息をついた。




