閑話2 ギルド長の災難?
※ギルド長のタルギ視点です。
テスカトリ教導院界導院長、ラフィン・ウルジス。
教導院の中でも最古参の一人で、二百数十年近い年月を経て得た知識に先代〝勇者〟としての実力は衰えを見せず、未だに二つの騎士団員を鍛えているほどだ。
隠居せずに教導院の頂点に立って率いているのは「前回の〝ゲーム〟に出場した者の責任だ」と、少し昔に酒の席で零していた。
経験に基づく言葉は、他の院長や教導院幹部たちも一目置き、相談役のような特殊な立ち位置にいる。
教導院に就職を希望する誰もが〝最も上司にしたい相手〟として名を挙げるが、それは彼女の気質を知る前の話だ。
日々、その行動や言動によって苦労を強いられている身としては、災厄を振りまく相手でしかなかった。
(今日は一体……)
タルギ・ユンカインは、重い足取りで教導院にある界導院長室に向かった。
ギルド関連の仕事は、いつもなら言付けや書面で事足りるが、わざわざ呼び出されるとなると嫌な予感しかしない。
「失礼します。ギルド長タルギ、参りました」
扉をノックして告げると、界導院長付きの侍女が扉を開けた。
必要最低限の家具しかない殺風景な応接室のソファに腰掛けたラフィンが目に入る。その前に腰を下ろすと、ラフィンはすぐに話を切り出した。
「は…っ?」
その内容に、タルギはぽかんと口を開けた。
「い、今、なんと……?」
問い返すとラフィンは少し眉をひそめ、
「異世界の小僧からエカトールと魔界を旅したいと申し出があった。冒険者として行かせることになるから手配を頼む」
「冒険者ですか? ですが、彼は〝勇者〟としての、」
「申し出だ」
続けようとした言葉をラフィンに強く遮られ、タルギは口を閉ざした。
「ジェルガやマロルドは何とか引き止めるか期間を減らそうとしているけど……あれは無理だね。一応、実力を確かめるために模擬戦をすることになったが行くのは確実だ」
「確実……」
ひくっ、とタルギは頬を引きつらせた。
「身分証は? 階位はどうお考、」
「落ち着け」
「っ……」
諌められ、タルギは言葉を呑み込んだ。
「書類上は小僧を学導院に入れ、その後、院卒の冒険者として出す予定だ」
「!」
「それなら第八階位から可能だからね、第十階位から始めるよりも行動範囲は広くなるだろう」
「………」
タルギは何かを言おうとしたが、言葉にならずに口を閉ざした。
ラフィンが有無を言わせずに言葉を紡ぐのはいつものことで、タルギの動揺はすぐに抑えられる。
ただ、手続きのことを考えると頭痛がしてきたので、こめかみの辺りを指先でもんだ。
「……所属する教室はどうされるのですか?」
教授の〝教室〟には、在学生だけでなく卒業生もいる。旅に出るのなら在学生との鉢合わせはないが、卒業生の方は気をつけていても会う可能性は高い。
「一つだけ、問題ないところがあるだろう?」
にやり、と嗤うラフィンにタルギは眉を寄せ、
「ベルフォン教室ですか……」
学導院の中で、最も異質な〝教室〟だ。
「ですが、彼女が引き受けるとは、」
「本当にそう思うのかい?」
「………」
「アレは魔法にとり憑かれた人間だ。異世界の魔法に喰らいつかないわけがない。そして、小僧もそれに近い人間だろう。何せ、召喚されてからというもの、魔法関連の本ばかり読みあさって引き篭もっているからね」
「……まさか、それが狙いですか?」
魔法の知識を与えて出発の意欲を削ぐとともに異世界の魔法を得ようとしているのだろうか。
「さてね……」
ラフィンの態度は変わらず、真意を測ることは出来なかった。
タルギは聞き出せないと分かり、別のことを口にした。
「ですが、こちらの世界の魔法についても指導する必要が、」
「問題ない。小僧の保有魔力量は第二階位以上だ」
「……は?」
「小僧の世界にも魔法と似た技術があるようだよ。さっき言った模擬戦では第二階位か第一階位とする予定だから、暇なら観に来るといい」
ギルド総本部のギルド長室。
タルギは一枚の書類の上に置かれた透明な球――魔法具〝サブワの眼〟の中で輝く虹色の光を見つめ、大きくため息をついた。
(あれは……マズイな)
つい先ほど、ギルド説明のために異世界の青年と二度目の顔合わせを終えた。
敬語で話す彼に「気色悪い」と挑発するラフィン。
それに対して、「ばぁさん」と返した時には肝が冷えた。
『おいおい。〝勇者〟の先輩として、アドバイスをくれてもいいだろう?』
さらにラフィンの逆鱗である年齢に触れ、問答無用で放たれた雷撃をあっさりと弾くと平然と上位魔法の応酬を始めてしまった。
その時、二人の口元に張り付いている笑みを見て、タルギは悟った。
災厄を振りまく者が増えたのだと。
クリラマにクジョウの冒険者としての後ろ盾を頼めば、ラフィンの言葉通り、ほぼ即答で了承された。条件として顔を合わせる云々と言われたが、それはいち早く異世界の魔法について知りたかったのだろう。
二人の顔合わせも問題なく済み、着々と旅立ちに向けての準備が進んでいたある日。
「クジョウが消えたっ!?」
ギルド総本部の副ギルド長兼秘書の言葉に、タルギは頭を抱えた。
テスカトリ教導院より姫巫女が魔界に向かう[界門]にかけられた結界の揺らぎを発見し、現場に向かって分かったことはクジョウが独断で魔界に行ったことだった。
タルギはすぐに魔界のギルド支部へ自ら赴き、誰も転移していないことを確認した。一度だけでなく二度三度と確認したが、転移魔法陣が使用された痕跡はなかった。
エカトールに戻ってその事をラフィンに報告すると、
「―――そうか」
と。一言呟いて、嗤った。
その嗤いが災厄が降り注ぐ〝前触れ〟に似ていることに気づき、タルギは背筋を震わせた。
そして、帰還したクジョウが持ってきた一通の封書。
そこに書かれていた内容を聞いて卒倒しなかったのは、ラフィンの部下として耐性が出来ていたからだろう。
予感は的中し、タルギは魔界の王族の渡界――冒険者として活動するための手続きに忙殺されることになった。
大使館が置かれた都市では一時的な滞在者については門戸は開かれているが、仕事をこなすとなれば事情は変わる。
魔族の冒険者がエカトールで仕事をするためには、条約で定められた審査を受け、それに通らなければならない。
審査項目の最低条件として――ある例外を除いて――第五階位以上の実力者で、出身地からこれまれの功績、思想などまでもが調べられ、双方の大使館から選出された委員によって構成された審議会が審査を行い、決定していた。それはエカトール人が魔界に行く場合も同じだ。
だが、相手は魔界の王族。
それも訪問ではなく冒険者として活動するため、界導院やギルド総本部の幹部を集めて昼夜を問わずに会議が開かれ、魔界からの使者を迎えた。
タルギは無事に使者との打ち合わせを終え、ギルド総本部の自室に戻っていた。
(これで、あとは上が了承すれば審議会にかけるだけか……)
出来上がった書類に大きく息を吐き、タルギは目元をもんだ。
この三日間、酷使した身体は精神的な疲労が大きく睡眠を要求してくるが、まだ休むには早い。
「さて…」と呟いて、副ギルド長に指示を出してからテスカトリ教導院の界導院長室を訪れた。
応接室にラフィンの姿はなく、扉を開けた侍女に視線で問うと示されたのはテラスに通じた大窓。テラスのイスに腰掛けたラフィンを見つけ、そちらに足を向けた。
「院長」
「来たか……」
ラフィンは向かいにあるイスをアゴで指した。タルギは一言断りを入れてから腰を下ろす。
「来ると思ったよ。小僧のことだろう?」
「……こうなることは予想されていたのではないですか?」
「いいや、予想していなかったよ。まさか、殿下が同行を希望されるとはね」
くくっ、とラフィンは笑った。
「ですが……っ」
「小僧が何を考えているか、分からないさ」
声を荒げたタルギにかぶせるように、ラフィンは言う。
「最もらしいことを言っていたが、果たしてどこまでが本気でどこまでが嘘なのか……」
「それは、何の考えもなく面白いから旅に出る可能性もあると……?」
「いや、本当にこの世界を知るためかもしれないよ?」
口の端を上げるラフィンに、タルギは眉を寄せた。
「その行動は予想がつかないからね………いや、もしかしたら悟らせないように信用を切ったのかもしれない」
「それはどういう……?」
タルギの問いに「想像だよ」とラフィンは小さく頭を左右に振った。
「ただ、一つだけ言えることは先代〝勇者〟よりもエカトールに興味があることだけだ」
「……先代様は、その?」
「アイツは〝旅〟をしたいなどと言う暇があったら、修行をしていたよ」
つと目を細め、ラフィンは虚空を――どこか遠くを見つめた。
連敗した〝ゲーム〟のことや五カ国の〝勇者〟については歴史に綴られているが、その時にいたはずの異世界人の〝勇者〟についての文献は多くない。
「修行で世界を回ったこともあったけれど……小僧が願うものとはまた違うものだ」
「……そうですか」
目を伏せたラフィンがこの話題を望んでいないことに気づき、タルギは視線を逸らした。
少し重い沈黙が落ちる。
タルギは息を吐いて気持ちを切り替え、もう一つ、気になっていたことを尋ねた。
「院長はあの一文の意味をご存知なのでは?」
「そんなこと、私に分かるわけがないよ」
ラフィンは呆れたようにタルギを見た。
「……本当ですか?」
「変に勘ぐられてもね……」
「ですが、殿下と話をされていましたよね?」
ぴくり、と片眉を上げ――珍しく動揺を見せたラフィンにタルギは目を細めた。
「殿下と話したことは、小僧がアイツとは違うということだけだよ。殿下が〝契約〟を交わす条件を呑むのなら、何か考えがあってのことだと思うが、それが魔王と同じだとは限らないだろう?」
「………」
答えずにいると、やれやれ、とラフィンは肩をすくめた。
「気を散らしている暇はないよ。小僧が真意を読ませないのは育った環境なのか、それともこちらの世界に対する不審なのかは分からないが、私たちが出来ること――やらなければならないことは分かっているはずだ」
「それは重々承知していますが……上司によく似ているので何か起こさないか心配なんです」
すでに起こしてますけど、と口の中でタルギは呟いた。
タルギの皮肉は聞き慣れているので「そうか」とラフィンはあっさりと流し、話は終わりだと言わんばかりに席を立った。
「魔王の真意は分からないけどね、――――」
何かを呟いて、ラフィンは部屋の中に戻っていく。
「院長……?」
タルギは最後に付け加えられた言葉が上手く聞き取れず、その背に声をかけたが、ラフィンが振り返ることはなかった。
魔界の使者を迎えてから二日後。
魔界のギルド支部での仕事を終えて、タルギがギルド本部の執務室に戻ると、机の上には一束の書類が置かれていた。その左右には溜まった書類が山のようになっている。
「これは……?」
冊子を手にして副ギルド長に視線を向ければ、
「クジョウ様から旅に向けての資料だということです」
「資料?」
厚さは二シム(二センチ)ほどで、表題は〝五カ国における旅の日程及び目的〟と、いかにもな名前が書かれている。
「……一国との話だったはずだが?」
「同行者と協議した結果、どの国を回るかはクジョウ様がお決めになることになりましたが、どの国も捨てがたく、結果として当日にクジで決めるそうです」
クジと聞いて頭痛がしたが、「で?」と先を促した。
「どの国を旅するのか、報告するように言われていたので、各国で十五日間滞在する場合の主要拠点やその目的などを書き記したものを提出するとのことです」
「……五カ国全てか?」
表題に書いてあるが、思わず尋ねると「はい」と頷かれてしまう。
今回の旅についてはギルドに周知しないが、何があるか――彼が何を起こすか――分からない。その保険として〝勇者〟としてではなく〝ベルフォン教室の生徒〟として、行き先のギルド支部長に「気にかけてくれ」と紹介状を出すために早く行き先を決めて欲しいとは言っておいたが――
「何で、こういうことには力を注ぐんだ……?」
罰則の授業や旅支度の合間に仕上げたにしては丁寧にまとめられた内容に、タルギは大きくため息をついた。




