閑話1 騎士団長たちのとある会話
※ 近衛騎士団長のカルマン視点です。
「失礼します」
唐突に声が響いた。
扉が開いた音はしなかったので、少し眉をひそめながら近衛騎士団長のカルマン・ドルドアが書類から顔を上げると、執務室の扉の前に一人の優男が立っていた。
その手にはティーセットが置かれた盆がある。
「ニカイヤか……」
突然、室内に現れた優男――三導護衛騎士団長のニカイヤ・フィーフルゴに、カルマンはため息をつく。
ニカイヤは盆を部屋の中央にあるテーブルに置くと、慣れた手つきでお茶を淹れた。
「どうぞ」
カルマンは一言礼を言って差し出されたティーカップを受け取り、喉を潤す。
ニカイヤも自分のティーカップを手にして、カルマンの手元を覗き込んだ。
「彼の相手はどうです?」
「まだ決まっていない。幾人かまでは絞ったが……」
選定を投げ出したニカイヤを睨むが、笑って誤魔化された。
カルマンの頭を悩ませているのは、〝勇者〟として召喚された異世界の青年の提案。その実力を測るための相手だ。
「召喚した時に見せた魔法陣とあの魔力量を見ると第二階位……いや、第一階位クラスか」
「召喚した時といえば、貴方のあの慌てぶりは――」
ニカイヤは、くくっ、と喉の奥で笑う。
「……ニカイヤ」
「本当に子どもに甘いですね。根性を叩きのめせ、と言った神導院長には従わないのですか?」
「そう仰ってはいない」
「似たようなことを指示しましたよ」
悪びれた様子もなく、さらり、と告げる。
いつも柔和な笑みを浮かべる優男だが、少々、口が悪い。
ただ、それを見せるのは二つの騎士団内の中でもカルマンや二人の副団長、あとは幹部たちと一部の者に限られ、他の部下やテスカトリ教導院で働く者には知られていない。三院長は気づいていると思うが。
「それで、どう見ます?」
「俺よりも君の方が分かるだろう」
ニカイヤの問いにカルマンは眉をひそめた。
異世界から青年を召喚した直後に展開された魔法陣――それを発動されていれば、カルマンたちに防ぐ手立てはなかった。
異世界の青年の実力の片鱗を見て、経験からある程度の予想はついたが、カルマンは剣士だ。魔法は補助程度に使えるだけで、生粋の魔法師であるニカイヤには及ばない。
ニカイヤは苦笑し、ティーカップに口をつけて喉を潤してから口を開いた。
「あの場に居合わせていなかったら、異世界の〝魔王〟と名乗られても信じていないでしょうね。……それでも信じがたいことですが」
「〝魔を極めた王〟か……」
自らを〝魔王〟と名乗った異世界の青年。
本当に彼の世界に〝魔王〟が実在するのか確かめる術はないが、戯言だと切り捨てて無視することは出来ない。
「可能性は高いとなれば、やはり、それなりの相手でないといけませんね」
「君はどうだ?」
「ご冗談を。ネリューラはどうですか?」
「………」
提案を一蹴されたが、断わられることは分かっていたので怒りはわかなかった。
ただ、部下――近衛騎士団副団長の名前には眉をひそめてしまう。
「何か問題でも?」
いけしゃあしゃあと尋ねてくるニカイヤにじと目を向け、
「最近、不調気味のことは知っているだろう?」
「……謹慎明けからですね」
三ヶ月ほど前、幾度目かの勇者召喚の儀式に失敗した後に開催された五カ国との会議。
会議ではそれほど荒れなかったが、外では一騒動起こっていた。
その騒動の当事者だったネリューラは、ある理由から騎士団除籍は免れたものの、二ヶ月の謹慎と半年の減俸となった。
復帰してからも変わらない仕事ぶりだが、ふとした時に見せる横顔は憂いを帯びていた。その様子に気づいた近衛騎士は少なく、他の騎士団長であるニカイヤが気づいたのは、彼が常日頃から騎士たちを分け隔てなく見ているということだろう。
「実力は申し分ないですが……あちらの〝彼〟も問題児ですね」
「ニカイヤ。エカトールを思ってのことだ」
「ですが、周囲へも同じように要求するとなると、少々重すぎると思いますよ?」
ニカイヤは「やっぱり甘い」と肩をすくめた。ふと、片眉を上げ、
「二人が顔を会わせたら、面白そうですね」
異世界の青年のことはまだ分からないことも多いが、今回のことを踏まえて考えれば、ニカイヤの言うことも分かる。
ネリューラと一緒に問題を起こした〝彼〟は、どちらかと言えば神導院長と同じ考え方だからだ。
エカトールのため、〝ゲーム〟で勝利することに尽力を出すことを誓い、他者にもそれを求めている。
そのことは間違ってはいないが――。
(〝契約〟を了承したとはいえ、あれでは……)
ニカイヤはこの考えが甘いと言うのだろう。カルマンはカップに口をつけ、ため息をお茶で飲み込んだ。
「不調とはいえ、ネリューラしかいないと思いますよ? 今までにない相手ですから、もしかしたら吹っ切れるかもしれませんし」
ニカイヤの進言をカルマンは吟味し、しばらく経ってから頷いた。
「……そうだな」
「私が模擬戦の相手を?」
ネリューラを呼び出してクジョウが提案したことの相手を命じると、彼女は目を瞬いた。
「そうだ。ニカイヤ騎士団長とも協議したが、君しか適役はいない」
「そう言っていただけるのは光栄ですが……私でよろしいのですか?」
少し不安そうにネリューラは言った。彼女も自分の不調をカルマンや一部の者が気づいていることを分かっているのだろう。
「不調だということは知っている。だが、相手はこちらの魔法については疎いが魔法と似た力を持ち、彼の世界ではかなりの実力者のようだ。他の者も考えたが、君が一番適していると判断した」
そして、カルマンがその話をすると「えっ?」とネリューラは目を見開いた。
「嘘をつく理由もないから事実だろう。もちろん、他言無用のことだが、それを信じるか信じないかは君の自由だ」
「………」
「彼の世界では何処かを統治しているのではなく、称号に近いものらしい」
しばらくの間、ネリューラは黙り込んでいたが、
「私が辞退した場合はどなたに……?」
「ニカイヤ騎士団長になる。本人はそれほどヤル気ではないが……手加減が出来ない男だからな」
「それを聞くと、断われないですね……」
ネリューラは小さく息を吐く。
「こちらの魔法とは違う技術とは言え、魔素を扱う以上は根本的に異なる力でもないだろう。……異世界の魔法もいい勉強になるぞ?」
「………!」
ネリューラの瞳の奥に、僅かに好奇の光が宿っていることを確認してカルマンは背を押した。
「必ず勝て。多少の無茶は許す」
ネリューラは姿勢を正すと、敬礼した。
「……分かりました。お受けいたします」
模擬戦はネリューラの負けで終わった。
魔法陣のない最上位魔法の連発を受け、どこか茫然としながら戻ってくるネリューラ。
近くにクジョウの気配を感じて振り返ると、彼はすぐ近くに降り立っていた。
「お見事でした。クジョウ様」
「……そんなことを言ってもいいのか?」
クジョウは、ちらり、とネリューラに目を向ける。
「負けは負けです」
へぇ、と片眉を上げた。
「騎士団長さんは、どうやって衝撃を防いだんだ?」
「秘密です」
「そうか……」
一瞬、目を丸くして、クジョウは楽しそうに笑った。
「……一つよろしいでしょうか? 先ほどの[玲瓏碧水竜]と[光風霽月竜]のことで」
ネリューラは視線をさ迷わせていたが真っ直ぐにクジョウを見ると、そう切り出した。
「ん?」
「何故、魔法陣もなしに発動が……?」
「あれは魔術で魔法を真似ただけさ。言っただろ? 魔術は術者のイメージを言葉にするって。あれは俺のイメージしたものが、おたくらが知る[玲瓏碧水竜]とかに見えただけさ」
ずいっ、と身を乗り出すように尋ねるネリューラに、クジョウは少しだけ身を引いた。
「魔術で、魔法を……?」
「魔法陣に発動後の成り立ちの全てが書いてあるからな」
おもむろに指先で空中に何かを描き、赤く輝く魔法陣が浮かび上がった。
「!」
その構成にカルマンは眉をひそめ、ネリューラは大きく目を見開いて「う、そ……」と呟いた。
その魔法陣はネリューラが得意とする[煉獄紅焔竜]のものだ。
「あくまでも似ているものだ。イメージすることが出来れば、形だけは真似ることは出来る。……これの威力は中位程度か」
「……【乞う】」と彼が呟けば魔法陣は輝き出し、一匹の[火竜]と化した。
ただ、その全長は三十シム(センチ)ほどしかない。
「魔法陣でもイメージはするだろ?」
「え、ええ」
「それに特化しているってことさ」
そこで、彼は小首を傾げた。
「そういえば、俺は魔法陣を扱えるけど、おたくらは魔術に似た方法で出来るのか?」
「えっ?」
「む……」
カルマンたちが言葉に詰まると、その表情を答えとしたのか「やっぱりな」と頷いた。
「なら、こっちは使えるな」
[火竜]が地面に鼻先を当てて、焦がしていく。
カルマンたちが見守る中、描かれていくのは魔法陣――彼の世界で言う〈魔成陣〉だ。
その構成は円に円を重ねていくのではなく、中央に小さな円があって外円との間には見たこともない文字が躍っていた。陣が完成すると[火竜]は消えてしまう。
「これは火属性の防御魔術の陣だ。魔術師はどこかに〈刻印〉して使うから、必然的に防御系魔術ばかりになる。この陣の名前は【煉獄の檻】だ」
クジョウは「拘束するような名前だけどな」と肩をすくめた。
「フレイム、ピット……?」
ネリューラは屈みこむと、陣の跡を指先でなぞった。
「こっちで言うと〝フレイム〟が〝ルジュ〟と同じ意味だ。この二つの円の中にある文字は……魔術専用の文字で〝詠唱〟が書かれている。ココが範囲、ココが防御力を示している」
クジョウも同じように屈みこみ、一つ一つ、文字を指で指していく。
「この範囲は?」
「だいたい五メート――あーと……五メル(メートル)の直径の円だ。発動すれば、覆いかぶさるように半球に炎が展開する」
「防御力はどれぐらいに?」
「そうだな……中位魔法は大丈夫だろう。試してみるか?」
「いえ、もう少し」
地面に手を付けて熱心に陣について話す二人を見下ろし、カルマンは口の端を僅かに上げた。
(やはり、どちらも子どもにしか見えないな……)
その日から、ネリューラはクジョウから教わった陣の訓練に明け暮れることになり、憂いも晴れたようだった。
あの一戦で常識が覆され、異世界の技術に魔法師として何かが動かされたのだろう。
「予想以上に面白い子でしたね」
それが模擬戦の映像を観たニカイヤの第一声だ。どこか楽しげに目を細め、
「ネリューラも吹っ切れたと聞きましたが?」
「ああ。今は彼に教わった陣の訓練中だ」
「異世界の魔法陣……面白そうですね。ぜひ、拝見したい」
「模擬戦をした報酬だ」
カルマンはクジョウが魔法陣の構成について説明していたのを聞いていたが、異世界の言葉のために理解しにくい部分もあり、誰かに説明することは難しい。
第二階位魔法師のネリューラも、失敗を繰り返しながら習得に励んでいる。
「つれませんね。せっかく、近衛騎士団副団長の不調を治す手伝いをしたというのに……」
「断わったのは君だ」
「やはり、私たちには手厳しいですね」
カルマンの軽口にニカイヤは、くくっ、と笑った。
カルマンがニカイヤに模擬戦の相手を打診した時、彼が「ご冗談を」と返した理由は、手加減が出来ない自分では模擬戦ではなくなると理解していたからだ。
「少しは手加減を覚えたほうがいい」
じと目を向けると、ニカイヤは肩をすくめた。覚える気はないようだ。
カルマンは「全く…」と呟き、虚空に目を向けた。
「魔法陣を形成する必要がある魔法では、後手に回るか……」
「模擬戦を見る限り、展開速度がどうこうという話ではなくなっていますけどね……」
ニカイヤは笑みを消して、頷いた。
「そうだな。……だが、心強いことだ」
「それはそうですが……模擬戦をすることになった理由をお忘れですか?」
模擬戦で彼の実力を確認した理由は、彼が世界を旅することを望んだからだ。これから、色々と忙しくなるだろう。
カルマンは「覚えている」と頷き、
「子どもは元気な方がいい」
「そのように言われるのは、貴方だけですよ……」
ニカイヤは大きく目を見開き、どこか呆れたように言った。




