第20話 ひと時の旅へ
※ 途中で視点が変わります。
出発の前日。
響輝は改めて荷物の確認を行い、〝ディスタの鞄〟――背中に斜めにかけるタイプのもの――に詰め込んでいた。
〝ディスタの鞄〟はレティシアナのお手製で、無限ではないものの見た目以上に物を入れることが出来る魔法具だ。見た目は普通の布製の鞄だったが、魔精水を使用した特殊な染料が布や糸に使われていて、鞄全体が魔法陣となって半永久的に効果が持続するらしい。
(思った以上に入るな……)
荷物を入れ終えて一息つき、作った魔術具に手を伸ばしたところで視線を感じた。顔を上げて向かいのソファに目を向けると、
「今日は遅いな。少年」
蒼い少年がソファに腰を下ろして、じっと響輝を見つめていた。
「悪いが、まだキルエラは来てないぞ?」
「……それ」
「あ? ……ああ。結構、作ったな」
少年が視線で指すのは、響輝が作った認識阻害用の魔術具と魔力制御用の魔法具だ。
「容量過剰になるとは思わなかったな。……思ったよりも使ってたのか」
「魔力酔いについては……」
「エカトールは問題ないから……まぁ、おいおいな」
「………」
無言で見つめてくる少年に、響輝は苦笑した。
「分かっているよ。あんまり、慣れすぎると帰ってからが大変だ」
エカトールと魔界とあちらの世界の空気中の魔素含有量の違い。
響輝にとって、それは些細なことではなかった。
魔術に使う魔力と魔素の使用量は比例しているが、魔力制御が高ければ少しの魔力量で多くの魔素を扱うことができ、魔導師として響輝の魔力制御能力は高い。それがこちらの世界で魔術・魔法を使う時、魔力消費が激しいと分かってもレティシアナたちに問題ないと告げた理由でもあった。
だが、あちらの世界と桁違いに魔素含有量が違う魔界では、少しの魔力で予想以上の魔素が集まってしまい、その結果、魔力酔いになってしまった。
魔力酔いは魔力制御に失敗して魔素にあてられ、体内の魔力が不安定になることで起こる症状だ。
魔力酔いにならないためには魔術・魔法を使って慣れるしかないが、それではあちらの世界に戻った時に空気中の魔素含有量の急激な減少に身体が壊れる可能性があった。
(魔法具以外にも何か手を考える必要はあるか……)
魔力制御用に魔核を使った魔法具を作ったのは、認識阻害用魔術具の補佐だけでなく、無意識に漏れる魔力を出来るだけ抑えて、極力、魔素の影響を受けないためでもあったが、〝ゲーム〟の舞台がどうなるか分からない以上、何か他の手を考えておいた方がいいだろう。
黙りこんだ響輝に、ぐい、と少年が拳を突き出してきた。
「どうした? ……焼き菓子はないぞ?」
少年は拳を突き出すだけで何も言わない。その様子に小首を傾げながら、響輝は少年の手の下に手の平を差し出すと、ぽとり、と虹色に輝く何かが落ちてきた。
「……卵?」
鶏卵ほどの大きさで、つるつるとした滑らかな手触りに握りつぶせそうなほど薄い殻。その内側からは、どくんどくん、と鼓動のように力を感じる。
「これは――」
何だ、とは聞けなかった。
【―――】
少年が何かを呟いた瞬間、
「っ!?」
ばくり、と噛み付かれるように魔力が奪い取られ、卵から虹色の光が迸った。
とっさに顔を伏せ、白く染まった目を治して「おい!」と少年を睨むと、
「……なんだ、コレ」
目の前に〝魚〟が浮かんでいた。
熱帯魚のエンゼルフィッシュに似た魚で、体長は十センチほど。群青色の鱗を持ち、淡い水色の尾ひれは長く、ヒラヒラとなびいていた。
響輝はその魚から奪われた魔力を感じて、繋がりが出来ていることに眉を寄せた。魔素の中を泳ぐ魚から少年へと目を向けると、
「……〝プロテニア〟」
「〝プロテニア〟?」
「〝使い魔〟のこと」
「〝使い魔〟……いや、何で出したんだ? ってか、魔力喰ったぞ?」
「お兄ちゃんの〝使い魔〟。周りの魔素をお兄ちゃんに合わせられるけど、引き寄せることはしない」
「は? いや、別にいらねぇんだけど……」
「旅の保険だから……」
「保険って。別に調整されなくても自分で」
「お兄ちゃんにとって魔力酔いは危険だから必要」
きっぱりと言い切った少年に、思わず響輝は口を閉ざした。
魚――〝使い魔〟の群青色の鱗は光に当たって輝き、金色の目が響輝を見つめている。
「〝ゲーム〟に干渉してないか?」
「加護は平等に与えられるものだから」
「………」
少年の言葉を無視し、響輝は目を細めた。
「――知っているのか?」
少年は問いには答えない。
響輝は目元を手で覆い、ため息をついた。
(知っているはずは……)
こちらの世界の管理者が、あちらの世界の力を知っているわけがない。
だが、少年の口ぶりと、魔素を操作する〝使い魔〟を渡すということは――。
「………分かった」
答えの出ない疑問を振り払い、響輝はため息混じりに頷いた。
「どの道、繋がっているのなら置いて行ってもついてくるだろ」
「うん」
「……問答無用だな」
即答する少年に呆れ、響輝は周りを泳いでいる〝使い魔〟に目を向けた。
「……名前がいるな」
「オミテクトリ」
「ん?」
「オミテクトリ……」
「いや、長いよ」
「違う」
珍しく即答した少年に響輝は片眉を上げた。
「……まさか、オミテクトリって少年の名前か?」
こくり、と少年は頷いた。
(オミテク鳥って聞こえるな。――ってか、何で今さら名乗ったんだ?)
少年――オミテクトリの目を覗き込み、
「………もしかして、少年って呼ぶのは嫌だったのか?」
「ううん。でも、名前で呼んでほしい……」
わずかに首を横に振るいながら、オミテクトリは言った。
(いや、それは嫌だったってことだろ……)
***
ヒビキに呼ばれて仕事を終えたレティシアナが部屋に入ると、彼はソファの背に仰け反ってぐったりとした様子で座っていた。
部屋の隅に控えているキルエラに目で問いかければ、彼女も理由は分からないようで小さく首を横に振った。
「ヒビキ様?」
「ん? ……あー、悪い」
声をかけると、ヒビキは身体を起こして座り直した。
レティシアナは向かい側のソファに腰を下ろし――ふと、彼から星霊の力を感じて目を見開いた。
「ヒビキ様。その力は……?」
「ん? やっぱり、分かるのか?」
「はい。星霊様の……」
「ああ。来い、ウル」
その声に反応して、周囲の魔素が水しぶきのように跳ねて一匹の魚が姿を現した。
群青色の鱗に長い尾ヒレを持つ魚は――。
「〝使い魔〟ですか……」
初めてその姿を見るが、星霊の力と群青色の見た目にすぐに〝使い魔〟だと分かった。
「ああ。少……オミテクトリから旅の餞別にもらったんだ」
「えっ……?」
星霊の〝真名〟にレティシアナは目を見開いた。
「どうして、その名前を?」
「? オミテクトリから聞いた。少年少年って呼んでいたのは嫌だったみたいだな」
ヒビキは苦笑気味に言った。その周囲を〝使い魔〟が泳いでいる。
「だいたい話を聞いていたから、精霊に関連する本を読んでないからよく分からないんだが〝使い魔〟も精霊なのか?」
「え? いえ、〝使い魔〟は星霊様の力の一端……契約者の魔力を得て、形作られた祝福のことです」
「へー……てっきり、下位精霊とかだと思ってたんだけどな」
「下位? いえ、星霊様に格付けは……」
レティシアナはヒビキとの会話にズレがある気がして、口を閉ざした。
「ん?」とヒビキも気づいたのか、小首を傾げる。
「精霊の話だろ?」
「はい。そうですが……?」
「………」
「………」
「……キルエラ。精霊に関連する本ってないか?」
キルエラはヒビキに頷いて部屋を出て行く。少しして、数冊の本を持って戻ってきた。
「こちらになります」
「悪い……」
ヒビキは本を受け取って、パラパラとページをめくり、
「―――そっちかよっ?!」
叫ぶと片手で顔を覆った。
「そっち?」
レティシアナは小首を傾げた。あー、うーと呻き、手の下から見える彼の顔が僅かに赤い気がした。
「……ヒビキ様?」
「………」
ヒビキは顔を上げたが、すぐに目を逸らした。
「……悪い。俺の勘違いだ」
「?」
唐突に納得したヒビキにレティシアナはさらに小首を傾げた。
ヒビキは「星か……星ってありなのか?」とブツブツと呟いている。
(〝使い魔〟は魔素に慣れない〝勇者〟様が連れていることはあったけど、ヒビキ様なら問題は……?)
レティシアナは星霊がヒビキに〝使い魔〟を与えたことに小首を傾げた。
彼の様子から、これ以上はこの話題は話さない方がいいような気がしたので、
「旅の支度はどうですか?」
はっとしたように顔を上げて、ヒビキは頷いた。
「……ああ、問題ない。頼んでおいたことは――」
「はい。つつがなく」
「悪いな……」
ヒビキは落ち着くためかお茶を一口飲んで、「ふぅ」と大きく息を吐いた。
「わざわざ呼んだのは、コレを渡したかったからなんだ」
ヒビキが差し出したのは小箱だった。フタを開ければ、小さな懐中時計が入っていた。淡い灰色の懐中時計で、虹色の不思議な紋様が刻まれている。
「綺麗……これを私に?」
「あの鞄の礼だよ。魔術をかけてある」
「え?」
「まぁ、懐中時計はキルエラに用意してもらったけどな」
「でも、あれは……」
「迷惑をかけたしな。受け取ってくれ」
わずかに目を逸らして、そう告げるヒビキにレティシアナは目を瞬き――微笑んだ。
「……ありがとうございます。ヒビキ様」
***
出発の日。
響輝はあちらの世界の軍服に似た服に着替え、ベルトにつけたポーチ型の魔術具とケース、そして、指輪とブレスレット型の魔法具が正常に機能していることを確認した。
そろそろか、と思えば扉を開けてキルエラが現れた。
キルエラの姿はいつものメイド服ではなく、動きやすい服装に軽鎧をつけて腰には細身の剣を佩いていた。
その手には響輝と同じタイプの〝ディスタの鞄〟がある。
「ヒビキ様。そろそろギルドの方へ」
「分かった。……キルエラ」
扉を開けているキルエラに響輝は小袋を渡した。
戸惑いながらキルエラは小袋の中を確認し、目を丸くする。
「ヒビキ様。これは……」
「魔法具だ。偽装はいらないと言っていたから、防御と隠密に関するものをかけておいた」
「いただいてもよろしいのですか?」
「この前の侘びも兼ねてる。使ってほしい」
「分かりました。ありがとうございます」
キルエラの案内でギルド総本部にある会議室の一つに入ると、すでにギルミリオとガイアスの二人は到着していた。
細長いテーブルの左側にレナと三院長、その向かい側にはギルミリオ一人が腰を下ろしている。
壁際にはギルミリオの後ろにガイアス、エカトール側にはセリア、近衛騎士団長と三導護衛騎士団長、そして、ギルド長が控えていた。
「――っと。遅れたか?」
「いや、ちょっと打ち合わせをするのに早く来ただけだ。……軽装だな。防具や武器はいいのか?」
ギルミリオは響輝の姿を見て、片眉を上げた。
ギルミリオの服装もキルエラと同じく動きやすい服装に軽鎧を着けていて、脇に身の丈はある大剣が立てかけてあった。足元にある背嚢は、響輝やキルエラと同じ〝ディスタの鞄〟だろう。〝ディスタの鞄〟は時属性と無属性のどちらかを持つ魔法師がいれば共同制作が出来る代物だ。
「鎧は着たことがないから、慣れているこっちの方がいいだろ? ちゃんと、防御魔法はかけてある。武器は仕込んであるからな」
「ナイフ類か……剣は?」
「そっちはそれほど腕はないから、あの時みたいに適当に見繕うよ」
響輝は肩をすくめて、エカトール側で空いている席――ギルミリオの目の前に腰を下ろした。
キルエラは壁際に控えた。
「それにしても……何か変なことになってないか?」
響輝はまじまじとギルミリオの身体――その身にかけられている魔法を見つめた。
「親父にやられた。あれが原因だな」
「へー……」
「半分はお前が責任だからな?」
「過ぎたことだ。気にするな」
「………」
じと目を向けられたが、響輝は無視して話を続けた。
「それにしても面白い陣だな……」
「……お前こそ、何か連れてないか?」
「ん? 分かるのか?」
「僅かに繋がりがある気がする……前に会った時はなかっただろ?」
「ああ。実は――」
顔を合わせるなり気軽に話す二人に、
「こほんっ」
と。場を取り成すように咳払いをされて、響輝とギルミリオは口を閉ざして音がした方向に振り返った。
「積もる話は旅の中でお願いしたい」
半ば睨みながら告げるジェルガに、響輝とギルミリオは顔を見合わせて肩をすくめた。
「さっそくだが〝契りの儀式〟を執り行う。マロルド神導院長」
ジェルガに代わってマロルドは腰を上げると、響輝とギルミリオの前に二枚の紙――契約書を置き、上座に立った。
契約書には契約内容が綴られていて、マロルドが一つ一つ確認するように告げるが、事前に聞いていたことなので響輝は聞き流した。
「それでは創造主にその名を捧げて以下のことを誓うならば、真名の署名を――」
マロルドの合図を受け、響輝は専用の羽根ペンで署名した。魔法具である羽根ペンは手を通じて魔力を吸収し、インクに契約者の魔力を練り込む。互いに名前を書き終えると、
「承諾の下に真名を捧げ、契約とする」
マロルドの言葉に導かれるように紙が舞い上がり、ぼっ、と端から白い炎が燃え上がって数秒で紙を焼き尽くした。
白い灰が煌きながら響輝とギルミリオに降り注ぎ、
―――かちりっ、
と。身体の中で何かが嵌った音がした。
マロルドが契約の完了を告げて席に戻ると、「さて」とギルミリオは響輝に視線を戻した。
「変装については任せてくれと言っていたが、どうするんだ?」
「コレを使ってくれ」
響輝はポーチからキルエラに渡した小袋を取り出して、ギルミリオに差し出した。ギルミリオは手の平に中身を落とし、
「……耳輪と指輪か」
「おたくから漏れ出す魔力を吸収して発動するから、魔核はない」
「魔核がない?」
「俺の世界の技術さ。……耳輪の方が変装用だ」
響輝は自分の耳に耳輪を付けた。魔力が耳輪に流れ込み、
「っ!」
その姿にレナたちは目を丸くした。
「こんな感じだな」
前髪をつまむと、茶色の髪が見える。魔術が発動して、響輝の髪と目の色が茶色に変わったのだ。
「魔力が急激に流れ込むと容量過剰で壊れるから、そっちの魔核を付けた指輪で調整するようになっている。ついでに防御魔法とか色々と付けておいた」
「へぇー……」
ギルミリオは片眉を上げ、耳輪を付けた。すーっ、と何かが溶け込むように紅色の髪が根元から淡い金色に染まっていく。その瞳からも金色の虹彩が消えて、普通の瞳になった。
「たぶん、魔族特有の目は魔力を使うと抑えきれずに発現するから気をつけろよ」
「そうか。……分かった」
指輪をはめて、刻まれている模様を興味深げに見るギルミリオ。
「殿下……」
「問題ない」
ギルミリオはガイアスに頷いた。
「それで、結局はどこに行くことにしたんだ?」
先日、ギルミリオと旅の行き先について議論していたが、結局、決まることが出来ずに「決めといてくれ」と言われていたのだ。
「それはこれで決める」
響輝は、どんっ、とテーブルの上に筒を置いた。
そこには五本の棒が刺さっている。
「……前にも思ったが、どこから出したんだ?」
「そこらへん」
適当に虚空を指す響輝にギルミリオは目元を指先でもんだ。
「……で?」
「一本引いてくれ」
「……お前なぁ、いくらなんでも適当すぎないか?」
「どこに行ってもおも――見ることが大切だ、と言うことになっただろ?」
「本音を隠す気はないだろ……」
やれやれ、と呆れながらもギルミリオは一本の棒を引いた。
そこに書かれている場所は――。
行き先が決まって転移魔法陣のある部屋に移動すると、響輝はレティシアナたちに取り囲まれた。
「いいな? 必ずギルドには顔を出すんだぞ?」
「分かってるよ……」
ジェルガの何度目かの言葉に、うんざりとしながら響輝は頷いた。
「小僧。十五日だからね?」
「それも分かってる」
「キルエラ。二人の監視は頼んだぞ」
「はい――」
「行き先のギルドには、今回の旅は話していない。くれぐれも厄介事を起こさないでくれ」
「それは……善処する」
一瞬、言葉に詰まった響輝にギルド長のタルギは片眉を上げ、
「問い合わせがきたら、そこで終了だということは忘れるなよ?」
「――げっ」
響輝が顔をしかめると、タルギは満足げに頷いた。
そのやり取りにレナは苦笑を浮かべ、
「ヒビキ様。期間が近づいたらテスカトリ教導院から連絡しますので」
「ああ。依頼を受けていたら、早めに戻るようにする」
響輝はキルエラに目を向けて合図を送り、転移魔法陣に向かった。
それを見て、ガイアスと話していたギルミリオも「行ってくる」と片手を挙げて、転移魔法陣の中に入ってくる。
転移魔法陣の中心で、改めてお互いに向き直るとキルエラはギルミリオに頭を下げた。
「第八階位冒険者のキルエラです。よろしくお願いします、殿下」
「これからは第八階位冒険者のギルだ。同じチームの冒険者だから、敬称や敬語は要らない」
「分かりました。ですが、敬語は癖ですのでご了承ください」
さらり、とそう告げるキルエラにギルミリオは「そうか」と苦笑した。
「俺も第八階位冒険者で、名前はクキな」
キルエラに続いて響輝が名乗ると、ギルミリオは拳を突き出してきた。
「よろしくな」
「ああ」
ごつっ、と拳を合わせる。
三人の自己紹介が終わったところで、転移魔法陣が淡い光を放ち出す。
「ヒビキ様っ」
レナに名前を呼ばれて振り返ると、不安げにこちらを見つめる姿が目に入った。
「お気をつけて……」
レナたちを見渡して、響輝は笑った。
「行ってくる」
第2章 暇なので旅をしよう~旅支度編 終了~
※表記補足(共に魔精水のコーティング済)
・魔術具:魔核なし
・魔法具:魔核あり




