第16話 一通の手紙
※ 魔界王子、ギルミリオ視点です。
途中で主人公に戻ります。
ギルミリオは部屋を出ると、扉を封印した。封印と言っても中から出ることは出来るが、入ることが出来るのは術者だけになる簡単なものだ。
しばらくの間、部屋の前に立って中に意識を向けていたが、いっこうに魔法が発動されないことに苦笑する。
(これは……信用されたのか?)
ギルミリオが父親のいる会議室に足を向けると、目元を険しくしたガイアスが付いてきた。
「殿下。僭越ながらお尋ねしたいことが……」
「何だ?」
「エカトールの〝勇者〟の襲撃……まさか、このまま何もなさらぬおつもりですか?」
「襲撃……そうか?」
「一つ間違えば、〝掟〟に触れていたのですよ?!」
小首を傾げるギルミリオにガイアスは声を荒げた。
創造主より賜った〝掟〟により〝ゲーム〟外の抗争は禁じられているが――。
「一対一の勝負で〝掟〟に引っかからないのは分かっているだろ?」
「それをキッカケに世界規模に発展した場合ですっ。わずかな可能性も見逃すことは出来ません!」
〝ゲーム〟が始まって数千年。
二つの世界の関係は〝ゲーム〟開始以前とは比べ物にならないほど友好的になったと言えるだろう。特にエカトールの〝ギルド〟システムが魔界に浸透してきた数百年前からは、行き来する冒険者たちも増えて交流も多くなってきている。
だが、決して〝手を取り合う親しい隣人〟になったわけではない。
「あいつも俺も本気ではなかったけどな」
「そんなことは関係がありません! こちらの事情を知らない異世界人とはいえ、教えるのも教導院の義務……教導院が知らぬことなどありえません。あのような浅はかな行動は断固として抗議すべきです!」
「……少しは落ち着け。仕事中だろ、ガイアス坊?」
ギルミリオとガイアスの付き合いは、ガイアスが幼い頃からのもので百年以上になる。二人っきりの時は気兼ねない意見を交わすが、少々、気が立ちすぎていた。
「っ! 申し訳ありません」
はっとして我に返ると、ガイアスは両手を身体の横につけ、頭を下げた。
「………浅はかか本能か、面白い奴だよな」
「殿下。笑い事ではありません」
くくっ、と笑うと、ガイアスはきっぱりと言った。
「恐れ多くも魔王城に殴りこんでくるなど……」
「いや、殴りこむつもりはなかったらしいぞ?」
「結界を突破したのなら、同じことです」
「すり抜けて来たけどな」
「……殿下」
「冗談だ」
苦い顔をするガイアスにギルミリオは苦笑した。
「親父たちが張った結界を破るならまだしも、初見の上に数秒と経たずにすり抜けることは俺でも不可能だが……」
「今代の〝勇者〟があれほどの腕となると――」
ガイアスは言葉を濁した。
「……そうだな」
それに頷きつつ、ギルミリオは近くの部屋のドアノブに手をかけた。
「殿下。そこでは……?」
訝しげな声を無視して、ギルミリオは中に入った。
そこは応接室の一つで、来客用に適度に飾られた絵画や調度品がある中に、ずらり、と二十人ほどの黒ずくめの男女が並んでいた。黒ずくめ、というより〝拘束された〟と言った方が正しいが。
続いて入ってきたガイアスは、魔法で拘束されている彼らを見ると目を見開いた。
「殿――っ?!」
声を荒げたガイアスの足元に黒い魔法陣が現れ、漆黒の手が無数に吐き出された。抗う暇もなくガイアスの身体が漆黒の手で拘束され、口も塞がれる。
上位闇魔法[魔封ノ手]
目元だけが開けられた漆黒の繭と化したガイアスは、爆発的に魔力を高めて[魔封ノ手]から逃れようとするが、[魔封ノ手]の魔力吸収力が上回って破壊することが出来ず、すぐに抵抗を止めた。
その姿にギルミリオは肩をすくめ、
「ちょっと黙ってろ」
ドアを閉めると、黒い魔法陣を覆うよう展開させた。
ごぷりっ、と魔法陣から漆黒の闇があふれ出し、ドアや壁、天井、床と塗りつぶすように広がっていく。わずか数秒で、闇は室内の全ての物と光を呑み込んだ。
最上位闇魔法[常世ノ懐]
果てしない闇が広がった室内――外部からの干渉を遮断した中で形が保たれているのは、ギルミリオと二十数人の目元だけだった。
ガイアスと同じように[魔封ノ手]によって動きを封じられている者たちはその身体を闇に同化させ、困惑の色が浮かぶ目をギルミリオに向けていた。
「さて。悪いな、仕事中」
あの部屋を監視していた隠者をさっと見渡し、
「エカトールの〝勇者〟がノコノコとやってきたんだ。情報収集をすることは咎めない。……例え、相手が気づいていてもな」
「っ!」
「たが、〝任せろ〟と言ったはずだよな?」
ギルミリオの目が隠者たちを射抜く。
ゆらり、と瞳の奥で魔力の炎が揺らめき、その身を煌々と輝く鮮やかな紅色の炎が覆った。
光のない闇の中、ギルミリオを覆う炎は痛みさえ感じるほどの強い光を放ち、その存在が闇の中でいっそう際立った。
「あの子どもの監視をお前たちに命じた奴に伝えろ――」
ギルミリオの苛立つ感情に同調し、炎が燃えさかった。
その存在感に気圧され、隠者たちの瞳の奥に畏怖の色が浮かんだ。
「あの子どもは俺の獲物だ、手を出すな」
鳥が大きく羽を広げたように、轟っ、と炎が周囲一体へと放たれ、一瞬で闇を――隠者たちを呑み込んだ。
炎が闇を焼き払うと、次第に炎の勢いが収まっていく。炎が退いた室内には光と形が戻り、ギルミリオとガイアスの二人の姿だけが残っていた。
隠者たちを強制排除したギルミリオは、僅かに身体に残った炎を消してガイアスへと振り返った。
「……殿下」
僅かに蒼い顔をしていたガイアスの身体から[魔封ノ手]は消えているが、彼は凍りついたように立ち尽くしていた。
「いいな? この一件は俺が預かる」
「………」
ガイアスは無言のまま頭を下げた。
ギルミリオはその隣を通り過ぎて部屋を出ると、改めて会議室に足を向けた。
(全く。来させるのなら、もっとましな奴を寄越せ……)
〝爵位〟持ちが放った密偵のふがいなさに、内心でため息をついた。
隠者の実力では敵わないと分かったからこそ「この一件は預かる」と伝えたはずだったが、現れた〝勇者〟があまりにも若かったために甘い判断を下したのだろう。
例え、あの子どもの力量を分かっていたとしても、エカトールの勇者の中では異質で最も情報の少ない相手だ。覚悟を持って情報収集を行う彼らの行動は褒められるものであり、子どもを庇ったギルミリオの行動の方が咎められるだろう。
(〝議会〟がうるさくなるか………やれやれ、爆弾を落としてくれる)
ヒビキ・クジョウと名乗った子ども。
その年齢は魔力の高さから怪しいが、異世界人なので見た目どおりの十代半ばから十代後半だろう。
魔法師としての実力は、両親が張った結界を初見で見破る目と破らずにすり抜けた技量。さらに容易に上位・最上位魔法を扱っていたことから、〝爵位〟持ちの『公爵』にも匹敵するものだと予想はつく。
今回の〝ゲーム〟において、難敵になることは直感していたが――。
―――「〝ゲーム〟に出る意味、その結果が世界に与える影響を知りたいんだ」
そう告げた異世界人に興味がわいた。
異世界人の〝勇者〟の情報を得られる絶好の機会を退かせた理由として答えれば〝議会〟が黙っていないが、そうとしか言い表すことが出来なかった。
魔界を旅したい、と戯言としか思えないことを言った異世界人が、これまでに存在しなかったからだ。
ギルミリオが直接会ったことのある先代の〝勇者〟や記録として残る〝勇者〟たちは、〝協定〟によって魔界を訪れているが、あくまでも〝ゲーム〟の対戦相手を知るためのものだ。
ただ、魔界の〝生活〟を知るために〝旅〟をしたいと告げた者は、誰一人としていない。
あの子どもの考えは、異世界人の〝勇者〟の中でも異常だった。
だからこそ、その子どもに興味がわいた。
子どもが語った理由が、本当に彼の真意なのかは分からない。
たが、「何故、旅をするのか」と尋ねた時、軽口をたたきながらも真摯な目をギルミリオに向けていたことは事実。全てを語ったわけではないと思うが、嘘をついているようにはみえなかった。
(………どうして、教導院は〝旅〟を許したんだ?)
そして、教導院の対応の不可解さが引っかかった。
〝ゲーム〟に連敗したエカトールに余裕はない。テスカトリ教導院がエカトールや魔界の事情、戦闘技術に疎い異世界人を鍛える期間が二年と短いことは、大規模な召喚魔法を使うために〝ゲーム〟開始直後から分かっていた。
今代の〝勇者〟がなかなか召喚されず、数週間前にやっと召喚されたとも報告を聞いている。
そんな状況下で、テスカトリ教導院が召喚した〝勇者〟に旅をさせる理由――彼らも、その戯言としか思えない言葉に〝何か〟を感じたのだろうか。
(何にしろ、あの子どもが〝選ばれた者〟には違いないか……)
〝世界を知り〝ゲーム〟を行う意味を知って欲しい〟――そうと思う感情は、一個人としてのものなのか、それとも王族としてのものなのか、ギルミリオには分からなかった。
***
「―――………」
ふと、人の気配を感じて、響輝は目を開けた。
「起きたか」
「………もう終わったのか?」
いつの間にか、向かいのソファに魔界王子が座っていた。
響輝はあくびをかみ殺しながら身を起こし、ソファに座り直して靴を履いた。
「ああ。……良く寝ていたな。すっきりしたか?」
「………おかげさまで」
ぽりぽり、と頭をかき、響輝は片眉を上げた。
魔界王子が掛けた結界は消えているが、部屋を監視していた者の気配も消えていたからだ。彼らがどこに行ったのか、探ろうにも魔王城に満ちている力に妨害されて出来ない。
「……いいのか?」
「今回の一件は俺が責任を持つことになったからな。……ヘタに動かれても困る」
「……そうか」
「体調は戻ったようだが……まだ本調子とまではいかないか」
「いや、これぐらいなら問題ない」
コキコキと首を鳴らして、響輝は魔界王子に目を向けた。
「それで、一筆云々の話はどうなったんだ?」
「問題なく用意できたぞ」
にやり、と笑って、魔界王子は懐から一通の封書を取り出した。
何の変哲もない封書だ。
たが、城に満ちた魔力の欠片を感じ、響輝の両腕に鳥肌が立った。
(………嫌な予感しかしねぇな)
テーブルに置かれた封書を見つめ、
「……何が書いてあるんだ?」
「簡単に言えば、〝エカトールの〝勇者〟の突然の訪問には驚いたが、その理由を聞いて感銘を受けたので、彼の独断で魔界を訪れたことについては処罰をしないでほしい〟――だな」
「嘘だろ」
ニヤニヤ、と笑う魔界王子の顔が悪友と重なり、響輝は顔をしかめた。嫌な予感が高まっていく。
「本当だ。とりあえず、教導院に渡せば、旅が出来なくなることはないだろ」
(いや、どんな一筆だよ……)
内心でツッコミながら響輝は封書を指でつまみ、目を細める。
「ん? これは……」
「それは、こちらの誠意だな」
封書から〝契約〟に近い縛りが見え、響輝は魔界王子を睨む。
「……何が目的だ?」
「感銘を受けたと言っただろ?」
魔界王子は笑みを消し、真剣な表情を響輝に向けた。
「エカトールはおろか魔界を旅しようとする異世界人は、今までいなかった。……〝キアウェイ〟の名を持つ一族に連なる者として、お前が〝勇者〟としてだけでなく〝ただの異世界人〟として世界を見て回るつもりなら、それを手助けしようと思っただけだ」
「……見たところで手加減するつもりはないぞ?」
眉をひそめる響輝に魔界王子は「分かっている」と苦笑した。
「だが、魔界を旅するのは大変だぞ? 監視付きに期間限定はされるだろうから、旅というよりも観光に近い。……そもそも、こちらは何も聞いてないけどな?」
「聞いていないのは、こちらでも審議中だからだろ」
「……本当によくそんな時に来るよな、お前」
「先にエカトールを回った後だと先入観があるだろ」
「………」
呆れ過ぎて言葉も出ないのか、軽く首を振るう魔界王子。響輝はそれを無視して、
「魔界側に旅を了承させる方法は、一つだけある」
「ん? 何だ?」
「〝契約〟さ」
「なっ……?!」
その単語に、魔界王子は大きく目を見開いた。
「知りえたことは他言しない――または〝ゲーム〟の利益になるようなことにはしない、と誓ったら、どうだ?」
「お前……本気で言っているのか?」
「ああ。それぐらいの覚悟は必要だろ?」
〝契約〟が破られた時の罰則は、世界が確実に負わすモノ。天変地異まで引き起こすほどの力を持つ〝契約〟――その内容を一つ間違えば、命に関わるだろう。
だが、情報収集ではないと納得させることが出来るモノが他にはなかった。
「それほど、旅がしたいのか……」
魔界王子は茫然と呟き、しばらくの間黙り込んでいたが――
「―――くっ……ははっ」
突然、肩を震わせると大声で笑い出した。
「なっ?! 何だよ、急に」
腹を抱えて大爆笑する魔界王子に面食らい、響輝は身を引いた。
「はははっ――くくっ、まさかっ、ここまでの奴とは」
「………」
じと目を向けていると、「悪い悪い」と魔界王子は手を振るった。
「お前……本当に面白いな」
「俺は面白くねぇよ」
ひくひく、と口の端を振るわせる魔界王子に、響輝は内心で舌打ちした。
(それなりに真面目に言ったつもりなんだけどな……)
魔界王子は大きく息を吐いて笑いを止めると、目を細めて響輝を見た。
「…………………………お前と、やってみたかったな」
〝何を〟とは言わなかったが、すぐに察することが出来た。
「出場しないのか?」
「ああ。今回はしない。……いや、出来ないといった方が正しいか」
そこで言葉を切り、「……まぁ、いいか」と呟くと魔界王子は改めて口を開いた。
「王族が一度の〝ゲーム〟に一人しか参加していないことは、知っているな?」
「ああ。それが〝掟〟だろう、って聞いたけど?」
「その通りだ。……王族は〝ゲーム〟に一度しか参加できず、人数も一度に一人だけだと決まっている。俺は前回出場したから、もう参加することは出来ない」
「理由は特殊一種に五大二種の三種使いだからか?」
「……やっぱり、気づいていたか」
「あれだけやっておいて、気づかない馬鹿はいないぞ?……けど、確かに規格外だな」
「お前もな」
「俺はただの一般人だ。おたくほど長生きもしてねぇよ」
「……一般人な」
じと目を向けられ、響輝は肩をすくめた。
「続きが出来ないのは、残念だけどな。……今回、出場する王族もおたくと同格の実力者だろ?」
「ああ。期待にそえる奴だ」
「なら、〝ゲーム〟まで我慢するしかないか」
ため息混じりに言うと、そうしろ、と魔界王子は笑い、
「……いい〝ゲーム〟になるよう期待している」
響輝に拳を突き出してきた。
一瞬、響輝は目を丸くしたが、
「ああ……」
ごつっ、と己の拳を合せた。




