第12話 勇者とその侍女のある一日
※ 勇者の侍女、キルエラ視点です。
ヒビキ・クジョウ。
今代の〝勇者〟であり、キルエラが仕える主だ。
例年よりも遅れた召喚。儀式に立ち会えないキルエラが彼に初めて会ったのは、彼があてがわれた部屋で昏々と眠る時だった。召喚直後にいくつもの魔法陣を駆使して召喚の間を圧倒し、〝世界〟に拒絶された身体で自ら〝契り〟を交わしたのだという。
その若さに苦言を言う者もいる一方で、未知の実力とその知識量に期待が高まっていた。
そして、紆余曲折を経て〝勇者〟となった彼と顔を合せた時、キルエラは納得した。
彼は〝異質〟な存在で、
だからこそ、勇者なのだと――。
魔法と似た魔術を操り、【魔王】だと名乗る青年。
起きている彼と初めて顔を合わせた時「過剰な敬語はいらない」と言われ、初めての事に一瞬、言葉に詰まった。
普段はソファの上で寝転びながら魔法に関する知識を貪欲に求め、近衛騎士団副団長との模擬戦では不遜で好戦的な一面を見せたと聞いたが、姫巫女を気遣って息抜きにと町に出かけることを提案してきたのは彼だった。
何を考えているのか、その行動が読めない人物――それが、キルエラのヒビキ・クジョウの印象だった。
コンコンコンッとノックして、キルエラは返事を聞く前に「失礼します」とドアを開けた。
彼の返事を待たずに入っても咎められることはない。キルエラが部屋に向かった時点で、彼は来ることに気づいているからだ。
キルエラは彼が目を覚ましてからというもの、一日のほとんどを屋根と部屋を行き来していることに気づいていたが、部屋に着く前に必ず屋根から戻っているので指摘することはなかった。
彼もキルエラが気づいていることを分かっているはずだが、何故か、互いにそれを口にしないことが暗黙の了解となっていた。
「ヒビキ様。ご所望の魔核と装飾品、ポーチなどをお持ちしました」
カートを押して、リビングのテーブルに近づけた。
彼はソファの上で膝を抱え、その上に本を開いて読んでいた。テーブルやソファには様々な本が積まれ、魔法陣が書かれた紙が散乱している。
「……ああ、悪い」
彼は本をテーブルにおくと立ち上がり、両腕を上に上げて伸びをした。
キルエラはテーブルの本を退けて装飾品と魔核が入ったケース、あとから追加された旅に必要なベルトやポーチなどが入った箱を置いた。
「こちらの二つが魔核になります。全属性全ランクが揃っていますが、最高ランクのものや特殊属性は在庫の面からそれほどありませんのでご了承ください」
一抱えはあるケースを開くと、属性別に並べられた魔核が現れた。大きさは一センチから五センチのものばかり。そのケースよりも少し小さいケースは、最高ランクと特殊四種の魔核が入っている。
「そして、こちらが装飾品です。ご要望どおり、シンプルなデザインのものばかりを集めさせていただきました。あと、こちらの箱には日用品類が入っています」
「……いや、こんなに魔核はいらねぇけどな」
彼は苦笑して、珍しそうに魔核を手に取った。その目が細められ、瞬き一つで金色に染まる。
〈魔眼〉だ。
一つ一つ、魔核を光にかざすように掲げて確かめていく。
「こちらはどうされるのですか?」
魔核や装飾品は魔法具――魔術具に必要だと思うが、日用品類を急いで持ってくる必要はないはずだ。
「それも魔術具に使うんだ。あっちから持ってきた物は使えないからな」
「そうなのですか?」
「ああ。〈魔成陣〉を書き換えれば使えるんだけど、対になっているから後々面倒くさいんだよ」
「それで魔法耐性のある生地で作った物をご所望されたのですね。……お持ちの物の素材も似た性質の物でしょうか?」
「いや……そんなに特殊でもないな」
一通り魔核を見ると、試作のためか最低ランクの各属性の魔核を一つずつと指輪を幾つか手に取ってソファに座り直した。
本や紙で埋まったテーブルの上を適当に空けて緑色の魔核を置くと、じっと魔核を見つめたまま身動き一つしない。刻み込む魔法陣を考えているのだろう。
キルエラは散らばった紙や本を整え、邪魔にならないようにテーブルの隅に寄せた。
「……ヒビキ様。見学させていただいてもよろしいでしょうか?」
「別にいいが……魔術具と言っても基本は魔法具とは変わらないから、面白くないぞ?」
「いえ、ぜひ見学させてください」
「なら、最初は何が起こるか分からないから、魔力感知を止めて俺の後ろに立っていてくれ」
「分かりました」
キルエラは魔力感知を止め、彼の背後に控える。それから少しの間考え込んでいたが、
「……たぶん、爆発するから気をつけろ」
忠告に目を伏せると、彼は大きく息を吸った。
「――【乞う】」
周囲の魔素が動き、彼の前に強力な魔力の塊が出現した。
ぞわり、とキルエラの両腕に鳥肌が立つ。濃密な魔力が頬を撫で、瞼の裏に緑色の閃光が弾けた。
「っ!」
キルエラは顔を背けた。
緑色の閃光は強大な魔力の塊とともに圧縮されて一瞬で消えたが、瞼の裏に強く刻まれた。
「いいぞ……」
その声に目を開くと、テーブルにあった魔核の代わりに一つの指輪が置かれていた。
界導院長が用意した指輪は、魔法に適した〝ミスリル銀〟によって作られたシンプルなデザインの物――のはずだったが、いつの間にか幾何学的な緑色の紋様が描かれていた。
「ヒビキ様。それは……」
「火の魔術を刻んだら魔核が壊れて力が漏れ出したから、それに俺の魔力を加えてで操って風の魔術を刻んだ。……だいたい、中位風魔法の結界系が三発ぐらい発動するな」
あっさりと、魔具工――魔法具を作る職人――にとって最重要技術の一つを口にした。
キルエラは目を瞬き、
「最低ランクの魔核に中位魔法を? ……それに魔核が」
「魔具工の聖地でも出来るんだろ? 魔核は模様になっただけだ」
弾かれた指輪をキルエラは手に取った。彼の言葉通り、指輪からは風属性の魔素を感じる。
(自力で魔精水を……?)
刻んだ魔法陣に魔核を精製して出来る特殊な液体――魔精水を塗布することはある。それを行うことで、威力増加や魔法陣の劣化を防ぐことが出来る。
だが、それはあくまでも専用の設備が整えられた場所で作られる代物で、リビングで片手間のように作れることは出来ない。
(こんなことまで……)
唖然とするキルエラを他所に、彼は別の魔核を手に取ると、ぶつぶつ、と呟きながら思考にふける。
「やっぱり、属性には属性か。――よりは、使い勝手が――なら、今度は――」
「……質問をよろしいでしょうか?」
「何を?」
「何故、魔核に属性以外の魔法を?」
「あっちでは魔核と似たものを使えば火の魔術だろうが風の魔術だろうが関係なかったんだ。魔術を刻もうとしても陣を使うからダメかと思ったんだが……案の定、こっちの魔核を使うとなるとそれに合った属性しか無理みたいだな」
「関係がない……」
唖然として呟くと、彼は苦笑した。
「魔法具は一つしか分類がないようだが、魔術具は大きく二つに分かれる。一つは魔核に似た物を使った魔術具で、もう一つは陣を刻んだだけの魔術具。――で、その指輪はこっちの魔法具と似た魔術具の方だな」
「魔核を使っているからですね」
「ああ……」
「では、魔法陣だけを刻んだ魔術具はどのように発動を?」
「簡単さ。エネルギーに魔核を使わずに常に自分の魔力を吸収させて発動する」
「!」
「魔法師は抑えていても魔力が漏れる奴は漏れるだろ? それを常に吸収して発動するように魔法陣を刻むのさ。魔力量の多い奴や制御の甘い奴には最適な魔術具だな」
「常に魔力を吸収……」
「俺が使っているのもほとんどがそっちの方だな。こっちで使うには多少ハンデはあるが……そこは燃費をよくすればいいからな」
工夫次第だな、と楽しげに笑う表情は魔法陣の時と同じだった。彼はテーブルに身をかがめて、カリカリと紙に何かを書き始めた。
その背中にキルエラは声をかけた。
「ほどほどにしてくださいね?」
「………ああ。魔核はそんなに使わ、」
「違います」
言葉を遮ると、ぴたり、と動きを止めて顔だけ振り返った。真っ直ぐにその目を見返し、
「お身体のことです。さきほど、使用した魔力量……レティシアナ様から安全策はとられていると伺っていますが、先日のようなことはお止めください」
魔法陣の一件を口にすると、「あー」と視線を逸らす。
「……分かってるよ。とりあえず、旅用の認識阻害のものしか作るつもりはないから」
「……本当ですか?」
じぃっ、と見つめると、彼はため息交じりに頷いた。
翌日、部屋を訪れると、キルエラの懸念通りに彼は徹夜をしていた。
無理矢理、寝室に放り込み、休息をとってもらうために魔核や装飾品、本の全てを引き払った。セリアに今日の姫巫女との会食をキャンセルすることを伝えれば、苦笑された。
お昼を大きく回った時間に起きた彼のために軽食を用意し、食後、ソファに座らせてキルエラは正面から見下ろした。
「ヒビキ様。この世界には、〝勇者に二言はない〟と先達のお言葉があります」
ずずー、と音を立ててお茶を飲んでいたが、〝勇者〟という言葉にずごっと音が詰まった。
「ヒビキ様のお役目は何でしょうか?」
「………」
「………」
視線の交差は一瞬。
「………一応、〝勇者〟だな」
「一応ではありません。私達テスカトリ教導院の〝勇者〟様です」
ふんっ、と鼻を鳴らすので、キルエラは小さく息を吐いた。
「それでは、この先が大変ですね……」
「この先?」
眉を寄せる彼に微笑を返し、
「はい。この先です」
「………」
その意味に気づいたのか、彼はカップをソーサーに戻して目を細めた。
「まさか、ついてくるつもりか?」
「私の仕事は貴方様のサポートです。旅にお供しないとでも?」
「却下」
微笑を浮かべたまま問うと、即答された。
「何故です?」
「何でついてくるんだよ」
「それが仕事ですので」
「侍女だろ? 旅なんかできるのか?」
「侍女ですから可能です」
「……おいおい」
「いかなる御要望にもお答えできるよう、日々、訓練を重ねて身を研鑽してきましたので」
「戦う侍女、ってか?」
「――はい」
一礼すると彼は、すぅっと表情を消した。
「よく言うぜ」
ぽつり、と呟いた彼の目に、剣呑な光が宿った。
キルエラは心臓を氷の手で触れられたような悪寒が走ったが、侍女としてのプライドが顔色一つ変えさせない。
彼の目に宿った光は一瞬で消え、不満そうに鼻を鳴らす。
「せっかくの一人旅が……」
「レティシアナ様とのお約束では、旅に出るか否かのことですので」
さらり、と告げると、じと目を向けてきた。
しばらくの間、黙り込んでいたが、
「――なら、勝負だな」
何かを思いついたのか、満面の笑みを浮かべてそう言った。
「勝負ですか? ですが、私にはヒビキ様にご満足いただけるような力は、」
「いや、内容は〝かくれんぼ〟だ」
「……かくれんぼ、とは?」
聞いたことのない言葉に、キルエラは小首を傾げた。
「ああ。かくれた奴を探す子どもの遊びだ」
「……影追いですね」
「似た遊びがあるのなら、話は早い。俺が隠れるからおたくが探してくれ。期限は……明日の九時から日が暮れるまでにしよう」
「私がヒビキ様を見つけることができれば勝ち、ということでしょうか?」
「ああ、捕まえる必要はない。一緒に旅をするのなら、その実力も知りたいからな。……そうそう、他の奴らの手を借りるのは禁止だからな」
その言葉にキルエラは目を僅かに見開いた。
「今のところ、レナの近くに三人とココに二人。あとの七人は、院内に点在している――だろ?」
(っ?!)
キルエラは内心で息を呑んだ。
だが、その動揺を見抜いて彼は、くくっ、と嗤う。
「それぐらいは分かる。いいな? 俺とおたくだけの勝負だ」
「……分かりました。私自身の力をお見せしましょう」
己の存在を隠蔽し、索敵に特化したキルエラの能力。
相手の得意分野での勝負だということは、彼も承知の上だろう。
あえてそれを勝負としたのは、キルエラの意思を折るためだ。
(やはり、この方は……)
こと勝負に関しては、一切の容赦をしない。冷徹に、徹底的に相手を叩き潰そうとする。
「ああ。楽しみにしている。――あ。レナたちにそのことを伝えておいてくれ」
「かしこまりました――」
翌日。
キルエラはテスカトリ教導院の門前にいた。すでに〝才能〟を使い、隠者として教導院を見上げる。
姫巫女に彼との勝負を告げるとため息交じりに了承された。勝負開始の十分前から仲間たちもテスカトリ教導院の一角に待機し、開始と同時に通常の仕事に戻る手はずになっている。
(かくれんぼ勝負……いかに己の存在を隠蔽して相手を探し出せるかが勝敗の決め手ですね)
キルエラは代々〝勇者〟に仕える侍女を輩出する家系に生まれ、〝勇者〟となった者をサポートするためにどのような状況においても対応できるように様々な訓練を重ねてきた。
それは彼の身を害意から守るためであり、また、彼が害意となるのなら第一の壁として立ちはだかるためでもある。
隠密に彼を護衛し監視する〝勇者の侍女〟の魔力感知範囲は、テスカトリ教導院内ならばどこに居たとしてもその所在を知ることは可能だったが、キルエラと同等かそれ以上の魔力感知範囲を彼は持っている。
隠密行動の勝負とはいえ、近衛騎士団副団長以上の実力を持つ〝勇者〟との勝負では、キルエラが勝てる見込みは限りなく低いだろう。
だが、〝勇者の侍女〟となって彼と出会い、彼をサポートすることを〝決意〟したのはキルエラの意思だ。
―――「一緒に旅をするのなら、その実力も知りたい」
そう望まれたのなら、侍女として答えよう。
「勝負開始ですね。ヒビキ様」
キルエラは口の中で呟き、テスカトリ教導院の敷地へと足を踏み入れた。
かくれんぼという意地の張り合いの始まりだ。
この時はまだ、ヒビキ・クジョウという青年の性癖を理解していなかったのだと、キルエラが痛感するのは勝負開始からわすが数時間後のことだった。




