第10話 灰色の狂人
響輝はレナたちに連れられて、教導院の地下にある通路を歩いていた。
石造りの通路は冷たい空気で満たされ、かつんかつん、と足音がよく響く。壁際には、魔法具の灯りと重厚な扉が等間隔で並んでいる。
それらに目を向けて、響輝は疑問を口にした。
「これが全て転移用なのか?」
「はい。総本部の全ての主要施設と各国の支部、あとは大都市・中都市などの重要拠点にあります」
隣を歩くレナが答えた。セリアが先導し、後ろにはキルエラが控えていた。
向かっているのは、学導院本棟に通じる[界門]という転移魔法陣がある部屋だ。
学導院本棟まではさほど遠くはなく、歩いてもいける距離だったが、警備上の問題やある人物を訪ねて目立つことを考えると、転移魔法陣で移動した方が安全で隠密に動くことが出来るからだ。
(……重要拠点、な)
扉にあるプレートには、番号とどこかの地名が書かれている。
「その魔法陣の管理はレナが?」
「はい。あの魔法陣の派生のようなものですから」
「あー、やっぱりな」
「こちらです」
セリアがある扉の前で止まった。
五色に分かれた鍵束を取り出すと、水色の鍵を鍵穴に差し込む。扉を封印していた魔法が解かれ、扉が内側に開く。
室内は通路と同じく石造りで、広さは学校の教室ほど。中心には魔法陣が刻まれ、濃い灰色の何かでコーティングされていた。
響輝とレナが中に入るが、セリアとキルエラは通路に残った。
「ヒビキ様、レナ様をお願いします」
「ああ……」
いってらっしゃいませ、とセリアとキルエラは一礼し、扉を閉める。
「それでは、いきます」
レナは目を伏せ、わずかに両手を広げた。
神格二種融合魔法[界門]
虹色の魔素が魔法陣に吸い込まれていき、灰色の光があふれ出した。
部屋と光が捻れるように混ざり合う光景に耐え切れず、響輝は目を閉じた。
暗闇の中で訪れた一瞬の浮遊感。
身体の感覚全てが弾けて消え、足の裏に硬い感触を得ると感覚が戻ってくる。
魔力の奔流が収まったのを感じて閉じていた目を開くと、そこは変わらない石造りの部屋だった。
ただ、広さが半分ほどに狭まっているので、別の場所だと分かる。
「着きました。それでは、いきましょう」
レナは羽織っているローブのフードを被った。同じように響輝もフードを被る。
二人が着ているのは、いかにも魔法使いが着ていそうな袖がゆったりとしたローブだ。裾の方に編みこまれている複雑な文様は、認識阻害の魔法陣だった。ローブを渡された時、「認識阻害なら魔術で出来る」と告げると、魔術だと学導院内の結界に反応する可能性もあるからと止められた。
もし、ローブを着ている今の姿を悪友に見られれば、数年は笑いのネタにされるだろう。
フードを被ってさらに足取りが重くなった響輝は、レナに続いて部屋を出た。左右に通路が延び、レナは左に向かう。ちらり、と右を見れば、少し行った場所に扉があるだけだった。
レナが先導する先には、階段が見えた。
「ここは学導院本棟の地下にあります。話は通してありますので、このまま研究室へ行きますね」
「院長にあいさつとかはいいのか?」
「はい。問題ありません」
「なら、いいけど……」
頭痛の種には会いたくないのだろう。
テスカトリ教導院はほぼ丸に近い島にあり、教導院の総本部を中心に北部から東部に学導院、南に界導院、西に神導院と敷地が分かれ、豊かな自然に恵まれていた。
学導院本棟は、響輝が生活する教導院総本部から東にあり、その敷地は他の二院以上に広い。本棟の周囲に教室棟が並び、北部には野外訓練場や武技館などの施設、学生や教員の寮は南部の界導院管轄の町に近い場所に建てられていた。
教授たちの研究室は、それぞれ地下一階地上二階建てで、室というよりも研究棟に近かった。
研究棟が集まった区画は、本棟よりも西――教導院よりにあり、全て職員専用の渡り廊下で繋がっている。二階ほどの高さはある通路から下を見やると、確かに生徒らしい子どもが歩いていた。
誰にも会うことなく――手回し済みなのだろう――レナは一つの建物の前で立ち止まった。
「ここです」
研究棟の見た目は、他の建物と変わらない。
ドアの横にあるプレートには、番号と入居者の名前で〝クリラマ・ベルフォン〟と書かれていた。
レナは表札の下にあるボタン――インターホンを鳴らし、
「神導院のミスフォルです。件の方をお連れしました」
『話は聞いているわ。入って』
若い声が返ってきた。
ドアが音もなくスライドすると、そこは小さな部屋だった。応接室なのだろう、中央にテーブルとそれを挟むソファがあり、壁にはどこかの風景画が飾られているが、あとは棚が一つしかなかった。
ドアは三方に一つずつ。レナは迷うことなく正面のドアに向かい、響輝もあとに続いた。
軽くノックし、「失礼します」と声をかけてからレナはドアを開ける。
その部屋は、本で溢れかえっていた。
左右にあるドアを除いた全ての壁が本棚で隠れ、床には棚に入りきらない本が溢れて足の踏み場もない。さらに紙束や巻かれた大きめの紙も散らばっていた。
天井にある天窓が開けられて空気の循環も行われているが、むっとした古い紙独特の臭いが鼻をつくのであまり意味はなかった。
ドアから正面の壁に向けて溢れる本を掻き分けるように道があり、その先にはデスクにかじりつくように身を丸めている小柄な背中。
デスクの上も本や紙が詰まれ、上にある棚には置物――おそらくは魔法具が置かれている。
「久しぶりに三院長たちから話があったと思えば、まさか、勇者を弟子にしてほしいと言われるとは思わなかったわ」
まだ十代だと思わせる若い声。
彼女は手を止めると、イスを回して響輝たちと向き直った。灰色の髪に青い瞳の少女だ。
目が合った瞬間、響輝は反射的に魔術を放ち、少女の前に魔法陣が展開された。
―――パキンッ、
と。ガラスが割れたような音がした。
「え?」
レナの腕を引き、響輝は庇う。
ぎゅごっ、と空気が呑み込まれるような音がして、強い引力が生まれた。反射的にそれを魔術で打ち消す。
「っ?!」
腕の中で、レナが身を硬くした。
一瞬の爆風。
だが、室内の本や紙が巻き込まれることはなかった。いつのまにか床に広がっていた巨大な魔法陣が防いだのだ。
「さすがね。異世界の魔法師さん」
満面の笑みを浮かべるのは、まだ幼さの残る顔立ちをした少女。
少し切れ長の大きな瞳に、口元には悪戯を成功させたような笑みが浮かんでいる。
「魔導師だ」
響輝はレナを離し、目を細めた。
稀代の天才と呼ばれる第一階位魔法師で、界導院長のラフィンと同等の実力者。
(……なんだ?)
だが、どこか違和感があった。何がとは言い表せないが、本能が警鐘を鳴らす。
「ヒビキ様?」
問いかけと共に、響輝の腕にレナの手が触れた。
ちらり、と彼女に目を向けると、不安げに響輝を見つめていた。
そこに少女への警戒はなかった。
(……偽者というわけでもないか)
身体に魔力を流すが、幻覚にかかってはいないようだ。
「あら。けっこう、信用しているのね」
響輝が僅かに警戒を緩めると、少女はからかうように声をかけてきた。
「姫巫女に魔法を放つなんて、不敬じゃないのか?」
「あら。あなたが防ぐと思ったもの」
実力への信用よ、と少女は笑う。そこに悪びれた様子は欠片もなかった。本当に響輝が防ぐと思っていたのだろう。
「お前は………何だ?」
少女から感じる違和感は、あの少年から感じたモノとは違った。
少年は人の形をした何かだが、少女は人間だ。
それなのに〝人〟として違和感を覚えた。それはあちらの世界では幾度か感じたことのあるものだったが、こちらの世界に来てからは初めて感じた。
(こちらの世界にも……いる、のか?)
あの人と同じ存在が――。
「私がクリラマ・ベルフォンよ」
「ひどいわね」と少女は笑いながら名乗った。
「……確か、襲名だったか?」
「そ。先代から引き継いだ名よ。血の繋がりのない、ただの師弟」
「……ただの、な」
響輝が眉を寄せると、「ふふっ」と少女は笑う。
「んー……詳しくは言えないけど、〝才能〟とだけ言っておくわ」
「……へぇ?」
響輝は少女――クリラマ・ベルフォンへの警戒を解いた。腑に落ちないこともあり、違和感はぬぐえなかったが――
(……仕方ないか)
優先するべきことは、旅支度だ。ここは矛を収めるしかない。
ただ、彼女の〝才能〟は面白そうな気がした。
「色々と話したいこともあるから、座って話しましょうか?」
イスから降りたクリラマの背は、響輝の肩にも届かなかった。一見、中学生に見えるが、年齢は三十歳に近いはず。
(……これが、ロリ教師って奴か?)
ふと、場違いなことが脳裏に浮かんだ。
応接室に戻り、響輝とレナはクリラマと向かい合って腰を下ろした。
「買ったものしかないから」と、ビンに入った飲み物とコップを出される。飲んでみると、少し酸味のきいた炭酸ジュース――レモンソーダに似た味だった。
「クジョウくんだったわね」
「ああ……」
クリラマは覗き込むように響輝の目を見つめてきた。
「あなたのことは、魔導師だということと〝才能〟のことを聞いているわ。……〈魔眼〉というのよね?」
「ああ。能力は、魔法を見ることに特化している」
「それにしては、発動速度や魔法陣不要の意味がわからないけど?」
「不要というより、魔術だからな。中途半端なものさ」
「……不思議な力ね。術者のイメージを言葉にするなんて。結局、魔法陣の構成を口にしていることでしょ?」
「そうだな。俺としては、こちらの世界の魔素の多彩さに興味があるが」
「私も、そちらの世界の金色だけの魔素に興味があるわ。しかも、魔素に属性変化を起こさせるなんて。………あなたの魔法属性は〝無〟だから、その辺りが関係しているのかしら?」
ぽつり、と最後の言葉は独白のように呟いた。
「ただ、魔法から見た属性変化と魔術から見た属性変化は、意味が違うけどな」
魔法師の言う属性変化とは、例えるなら電灯で赤や黄、緑の光を灯す場合に色のついた電球に取り替えて色のついた光を灯すことだ。術者の適性で電球の色が決まっているに過ぎず、適性がなければ他の属性の魔素は扱えない。
それに対して、魔術師は透明な電球を使い、赤や黄、緑の光を放っていることになる。
つまり、黄金色一色の汎用型魔素を扱う魔術師にとっては、属性という概念がないことを意味していた。
魔法師から見れば、魔術師が複数の属性変化を行えることは不可能に近い行為だろう。
「一色の魔素だけで魔術を使う……」
そこで、クリラマは目を細めた。
「……あなたにとって、こちらの世界で魔術を使うことは負荷にしかならないのね」
その言葉に、ぴくり、と響輝は眉を動かした。
「えっ?!」
クリラマの言葉にレナが驚いた声を上げた。
「ど、どういうことですか?」
「どうもこうも……そのままの意味よ」
「詳しく教えてくださいっ!」
「詳しくって……」
身を乗り出して尋ねるレナにクリラマは少し眉をひそめ、
「彼も気づいているはずだけど?」
「ヒビキ様っ!」
レナの咎める声に、響輝はため息をついた。
「バラすなよ……」
「あら。隠すつもりだったの?」
にっこりと笑うクリラマは、響輝が話す気がなかったことに気づいている。わざと話したのだろう。
「別に負荷ってほどのことでもないからな。多少、ハンデになるが……」
「ハンデ? ……ふぅん?」
クリラマは小首をかしげ、面白そうに笑った。
「どういうことですかっ?」
「いや、それは」
「ヒビキ様っ」
響輝は口を開くが、何かを言う前にレナが詰め寄ってくるので、弁明も出来ない。
やれやれ、と肩をすくめて、響輝は両手を挙げた。
「エカトールで魔術を使った場合、あちらの世界で使った時よりも魔力の消耗が激しいだけだ」
「……え?」
響輝は右手を上げ、手の平に水球を作り出した。
「例えば、水気のない場所で水魔法を使う時、水属性の魔素がないから魔法は使えないだろ? だが、俺たちは水属性の魔術を使える。……何でだと思う?」
「そんなこと……っ!?」
レナは何かに気づいて、目を見開いた。
「そうさ。魔力だ」
「!」
「魔素を使わずに魔力を変化させて術を使っている。だから、消耗が激しいんだ」
どうして、と呟くレナにクリラマが口を開く。
「彼の話から考えると……あちらの世界の魔素には属性がないみたいね」
「属性が、ない……っ?」
「簡単に言えば、こちらの世界が属性を持つ特化型魔素なら、あちらの世界は色々な属性に変化できる汎用型魔素ってところだな」
「特化型魔素と汎用型魔素……そうね。そう表すと分かりやすいわ」
納得したように頷くクリラマに対して、動揺が収まらないレナは目を泳がせていた。
「魔術師も同じことが出来るのなら、そちらの世界の人のほとんどが無属性かもしれないわね」
「……その可能性はあるな」
「私たちは魔素がなければ魔法は使わないけどね。そんな非効率で無意味なことはしない。………けど、魔術師はそれが当たり前なのね」
「ああ。……属性って何だ、って感じだからな」
事前の情報と顔を合わせた時の攻防で、魔術と魔法の違いに気づいたクリラマに響輝は素直に驚いた。
一方、レナは絶句している。
レナとは魔素や属性に関しての話はしていない。彼女も仕事があり、響輝にしてもネリューラとの試験までは魔法陣の本を読みあさり、その後は旅支度や召喚の魔法陣を研究したりと忙しかったからだ。
(……太陽は西から昇るだろ、ってレベルの驚きか)
固まっているレナを見て、内心で苦笑した。
魔素には属性がある――この世界での根本的な概念を崩されたのだ。無理もないことだろう。
(ばぁさんたちとは話さなかったのか? ………まぁ、互いに忙しそうだしな)
クリラマは、レナにちらりと目を向け、
「どれぐらいの負荷があるの?」
「そうだな。……今のところ、二割増ぐらいか。もともと、魔術で魔素はあんまり使っていなかったから、それほど大きくはない」
「あら。そうなの?」
「あちらの世界の空気中の魔素含有量はこちらの世界よりも少ないからな。……だいたい、五分の一ぐらいか」
「そんなに?」
クリラマはそこまでは予想していなかったのか、目を丸くした。
「ああ。むしろ、何でこんなに多いのかが不思議だ」
「それは……加護としかいえないわね」
「加護、か」
「でも、魔素が少ないのなら、魔術はほとんど魔力で?」
「それもあるが、龍脈の力を使ってる」
他の魔術師は違うが、響輝――魔導師や【魔人】にとっては、魔素はあくまでも補助的なものだった。
空気中の含有量が少ないと言っても、響輝たちにとってはそれが当たり前だったので魔術を使う時に魔力を使う割合が多いのは常識だ。
そして、魔力の次に使うことが多いのが〝龍脈〟の力だ。
「龍脈?」
「地下に流れている魔素で出来たエネルギーの川のことだ。あと、そこから漏れたものを魔素と呼んでいるんだけどな」
そう説明すると、クリラマは少しの間考え込み、
「………つまり、あなたたちにとって、魔素は〝龍脈〟の力を使う橋渡しのような役割が多いのかしら?」
「まぁ……そうだな」
「………だから、魔素に興味があるのね」
納得したようにクリラマは頷いた。
「ああ。魔素に加護を与えているのは、創造主……ケツアルコアトル様だったっけ?」
「そうだけど、管理しているのはその下僕である星霊よ」
「精霊か………属性ごとにいるのか?」
そう尋ねると、クリラマは不思議そうに小首を傾げた。
「? 管理しているから属性はないけど?」
「へぇー……」
管理――調整役なのだろう。あの少年は水属性だと思ったが、得手不得手があるのだろうか。
「そっちの話は、姫巫女様の方が詳しいわ」
クリラマの言葉に、響輝は黙り込んだままのレナに目を向けた。二人の視線を集めても、手元のコップに視線を落としたレナは気づかない。
「レナ?」
「……え?」
名前を呼ぶと、はっ、としてレナは顔を上げた。響輝とクリラマを交互に見やり、
「あ。すみません………少しぼぉっとしてしまいました」
何でしょうか?とレナは不安そうに小首を傾げた。
その様子に響輝はクリラマと顔を見合わせた。小さくため息をつき、
「いや………そろそろ、帰ろうかと思ってな」
「えっ? もう、よろしいんですか?」
「ああ。……また、来てもいいか?」
戸惑うレナからクリラマに視線を戻すと、彼女もレナの様子に気づいたのか頷いた。
「その方がいいわね。……まとめたいレポートがあるから、三日後の同じ時間に来てくれる? その方がゆっくり話ができるから」
「分かった。……茶菓子ぐらいは持ってくるよ」
「こっちも、ちゃんとしたお茶を用意しておくわ」
あいさつもそこそこに、響輝とレナは立ち上がった。ドアを開けたところで、響輝はクリラマを振り返り、
「そういえば、おたくの教室に入るのは大丈夫だよな?」
「もちろん。よろしくね、クジョウくん」
クリラマは満面の笑みで答えた。
クリラマの部屋を辞し、響輝とレナは本棟へと渡り廊下を戻る。
「どうでした?」
「面白かったよ」
「そうですか……よかったです」
レナは笑みを見せるが、心なしか暗い。原因は考えるまでもなかった。
本棟に入ったところで、転移魔法陣のある地下に通じる階段に向かうレナから離れ、響輝は玄関口の方へと足を向けた。事前にセリアたちから校内図を借りて、玄関口がどこかは覚えている。
「ヒビキ様。そちらでは、」
「せっかくだから、町に行こうぜ」
半身だけレナに振り返ると、レナはフードのしたで目を丸くして立ち尽くしていた。
「セリアさんからお金はもらったし、キルエラからオススメの店も聞いてある。お茶でもしよう」
「……でも、」
「帰っても、今日の仕事はないぞ?」
「え……?」
「町に出たら魔術で幻影でも作るから問題ない。……行こう。レナ」
そう声をかけるとレナは大きく目を見開き、
「はい……」
と。少し困ったような、嬉しいような笑みを浮かべた。




