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ディエゴは自室のソファに腰かけ、苛立たし気に机を人差し指でトントンと叩いていた。対面には苛立ちを隠しきれていないミゲラと不安そうな顔をしたパウラが座っている。
「わたくしたちは食事も満足にできなくなってしまったのですよ。あなた、どうなっているのですか?」
「こっちが聞きたい」
ディエゴは焦っていた。
今までずっと順調だったのに、あのフランシスカとかいう王女が来てから、どうにも調子がおかしい。ナタリアが伯爵家の主であるとことあるごとに吹聴し、ディエゴが作り上げてきた伯爵家を引っ掻き回すのだ。
特に執事長と侍女長が捕らえられてから、状況は日に日に悪くなっている。使用人もディエゴたちを懐疑的な目で見るようになり、明らかに避けるようになった。特にミゲラとパウラの周りは顕著だ。
「殿下が戻られるまでの我慢だと思っていましたけれど、いつお帰りになるのですか」
「十日の滞在予定と聞いている」
「まだ半分ではないですか。パウラは部屋まで奪われたのですよ。もう耐えられません」
パウラがグスッと泣き出す。ミゲラはそれをよしよしとあやした。
「セシリオ様にここに来ていただくことになっている。なんとかしてくださるはずだ」
ディエゴはルシエンテスとは別の伯爵家の次男だった。優秀な兄がいたのでわりと期待されることなく奔放に育ち、家で働いていたメイドだったミゲラと恋仲になった。爵位を継ぐことがないのはわかっていたから、そのうちミゲラと結婚して領地の中でそこそこの暮らしをすればいいと思っていた。
だけど両親は勝手にディエゴの縁談を決めてしまう。
親に逆らうことは許されず、ディエゴはルシエンテス伯爵家に婿入りした。
もちろん不満はあった。だけどその時は気持ちを切り替えた。ルシエンテスという名門伯爵家が手に入るのならば、そちらのほうがいいかもしれないと思ったからだ。
ルシエンテス伯爵家には男児がおらず、ディエゴの妻となったアデリナが爵位を継ぐ。血筋の問題からディエゴが継げないことは分かっていた。だけどアデリナは女性だから、爵位がアデリナにあったとしてもディエゴが伯爵としての働きをし、アデリナは女主人として家を守るものだと思っていた。
女は男に従うものだとディエゴは思っている。男性優位のこの国において、そう考える人は少なくはない。だから当然のように、爵位の有無にかかわらず実質ルシエンテスの次期伯爵の立場となるのは自分だと思っていたし、アデリナは夫となったディエゴに従うものだと思っていた。
だけど実際はそうではなかった。
アデリナの両親は、アデリナに全てを継がせるつもりでいた。当然伯爵になるのはアデリナで、その立場で動くのもアデリナだ。ディエゴに求められたのはその補佐だけ。決定権は全くと言っていいほどなかった。
抗議はしたものの、ディエゴの言い分が聞き入れられることはなかった。いつまで経ってもディエゴの立場はアデリナの下。自分に従うべき妻が自分に指図してくることに我慢がならなかった。
そうしてディエゴは伯爵邸にあまり戻らなくなった。
だけどその時にもディエゴは悲観してはいなかった。
当時当主であったアデリナの父は元気そのものだったけれど、いずれ順番的には先にいなくなるはずだ。彼に逆らうことはさすがにできないけれど、アデリナが爵位を継げば言い聞かせればいい。
そのチャンスは意外にも早くやってきた。
アデリナの両親が流行り病で急に亡くなったのだ。
アデリナが爵位を継ぎ、ディエゴは意気揚々と伯爵邸に戻った。これからは自分が伯爵家の主となるつもりでいた。
だけどアデリナはあまりにも強情だった。ディエゴに従わないだけでなく、伯爵としての仕事を何一つディエゴに譲らなかった。そして変わらずに、ディエゴに補佐の役割だけを求めた。
何度も口論になった。いくら自分に従えば全てが上手くいくのだと言ってもアデリナは聞き入れない。怒鳴り散らしたい気持ちを抑えて優しく諭しても意味がなく、口を荒げれば護衛を呼ばれた。
それだけではない。なんと離縁の手続きまで始めていたのである。
これだけ我慢を強いておいて、追い出そうというのか。
怒りに狂いそうになったディエゴは、医者に毒を盛らせる。そして予定通りにアデリナは死んだ。残されたのは、ナタリアという娘。
ようやくルシエンテス伯爵家を手にしたディエゴは、早速ミゲラとパウラを呼び寄せた。ナタリアには母と妹だと紹介したにも関わらず、ナタリアはそれを受け入れなかった。
父であるディエゴに従わない目はアデリナそっくりだった。
爵位の継承権がナタリアにしかないことはわかっていた。だけど継承してしまえば、アデリナのようにディエゴを追い出そうとするに違いない。そう確信したディエゴは、ナタリアをディエゴに従うように抑えつけた。ナタリアの全てを奪い、少しの反論も許さなかった。徹底的に管理下に置いたのだ。
そして月日は流れ、パウラは可愛らしく美しく成長し、セシリオを連れてきた。彼が筆頭公爵家の令息であり、実は王の子であることは知っている。だけどセシリオには継承権がないから、婿入り先を探しているという。
ディエゴは勝ったと思った。
セシリオの後ろ盾は非常に大きい。彼がパウラについてくれれば、文句なくディエゴ、それからセシリオとパウラが伯爵家の実権を握り続けることができる。
ディエゴはセシリオに、パウラと結婚すればいずれ伯爵家はセシリオのものになると力説した。パウラはどうやらセシリオを想っているようなので、可愛い娘の願いも叶えてやりたかった。
ナタリアがどれだけ取るに足らない娘であるかも言葉を尽くしたが、セシリオは礼儀としてナタリアに挨拶することを望んだ。
ナタリアを見たセシリオは唖然としていた。それはそうだろう。こんなボロ雑巾のような娘と美しいパウラ。比べるまでもない。
その表情を見て、ディエゴは勝利を確信した。そのはずだった。
それがどうしてこのような状況になっているのか。ディエゴにも理解できない。
全ては異母兄であるセシリオの婿入り先が見たいという王女がやってきたことからだ。
王女が伯爵家に来るというのはそれだけでも名誉なことであり、ディエゴはセシリオから王女訪問の話を聞いたときには大賛成した。
わずか七歳の少女である。パウラが遊び相手になってやればいい。パウラが気に入られればこちらのものだし、もしそうでなくてもディエゴとミゲラが良い顔をしてもてなしてやればいい。
王女をこちら側に落としさえすれば、王家の後ろ盾を得たも同然だ。そうすればディエゴの伯爵家での権勢はゆるぎないものになる。たとえディエゴ本人に爵位がなくとも。
ディエゴはほくそ笑んだ。
七歳の少女ごとき、簡単に手の上で転がせるものだと思っていたからだ。
だけど、いざ王女が来てみたら、何かにつけてナタリアの味方をした。パウラとお茶を、と提案すれば、なぜ平民とお茶をしなければいけないのかと詰められた。一緒に食事をすることも拒絶された。
たしかにミゲラとパウラは平民ではある。だけど見た目は貴族同様に着飾っており、ボロ雑巾のナタリアと比べるまでもないはずだった。
ナタリアを前にした時、この汚らしい娘はなんだと、自分には近づけるなと、そういう反応をするものだろうとディエゴは思っていた。
だけど王女が選んだのはパウラではなく、ナタリアだった。




