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母が王女に転生したそうです  作者: 海野はな


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 応接室を出て廊下を進みながら、どうするのが正解なのだろうかとナタリアは必死に頭を働かせていた。そんなナタリアの斜め後ろを、スキップでもしそうな勢いでフランシスカがついてくる。


 フランシスカはナタリアが悩んでいることなどお見通しだとばかりに、ナタリアの袖をちょいちょいと引っ張った。つま先立ちになって、内緒話をするように口元に手を当ててナタリアの耳に近付ける。ナタリアは慌てて少し屈んで位置を合わせた。

 

『セシリオから状況は聞いているの。いつも使っている部屋へ連れていって。わたくしを信じて、合わせて』


 ナタリアにしか聞こえないような小さな声だけど、はっきりとそう口にした。そしてそれだけ言うとさっと耳から口元を離す。驚いてフランシスカを見ると、ひどく真剣な金の瞳がナタリアを見つめていた。


 冗談のようには見えない、とナタリアは思った。

 ナタリアは後ろを振り向き、セシリオを見る。彼もフランシスカと同じ色の瞳で、そうしてほしいというように、頷く代わりにゆっくりと瞬きをした。


 その後ろから父とミゲラが睨んでくる。パウラはその横で不服そうな顔をしてついてくる。


「殿下、ナタリアに何を……?」

「あら伯爵代理、女性の内緒話を聞こうとするなんて、失礼ではなくて?」


 フランシスカはディエゴを見上げてクスッと笑う。


「全員でぞろぞろとついてこなくてもいいのにね、って言ったのよ。ね?」


 いたずらっぽく首を傾げて見せてから、フランシスカはナタリアを見上げた。

 自分を信じて合わせてほしい、セシリオにも同じことを言われた。

 

 先程と同じ、ひどく真剣な眼差しがナタリアを射貫く。

 ナタリアは混乱していた。だけどどうしてか、信じる気になっていた。


「はい、そうですね」


 ナタリアがフランシスカに合わせて頷くと、彼女はそれでいいと言うように微笑んだ。そしてぎゅっとナタリアの腕を掴む。


 ナタリアはここ数年ずっとディエゴやミゲラの言いなりだった。逆らうことが許されなかったから、従うしかなかったのだ。だけど今、二人に逆らってでもこの少女の言うことに従おうとしている自分がいる。王女という身分はあっても、十歳ほども年下の少女。しかも初めて会ったのだから、信頼関係もなにもない。それなのに彼女の後ろについていれば絶対に安全なのだという、不思議な安心感があった。


 どうしてだろう、とは思ったけれど、今考えている時間はない。

 ナタリアは覚悟を決めると、廊下の先、少し奥まったところにある戸を開けた。貴族区域から使用人区域に移る戸だ。


「ナタリア! どこへ行く気だ」


 後ろからディエゴの怒声が聞こえたとき、すでにナタリアはその戸をくぐっていた。同じ伯爵邸の中であっても、使用人区域は雰囲気ががらりと変わる。そんな場所に足を踏み入れても、フランシスカは躊躇なくついてきた。


 焦ったようにミゲラがすごい速さでやってきて、前を塞ぐように立ちはだかる。


「ナタリア! いい加減になさい。そちらは殿下をお通しするような場所ではないわ!」

「あら、近道でもするつもりかしら? いいじゃない。楽しいわ。行きましょう」

「ですが、殿下……」

「わたくしを心配してくださっているの? 護衛もいるのだから大丈夫よ」


 フランシスカはミゲラの制止を振り切ってナタリアの手を引いて先に進む。すれ違いざまにミゲラがナタリアを睨むのが見えた。不思議と怖さを感じなかった。


 忙しく働いていた使用人たちが目を見張り、慌てて頭を下げる。ここは使用人区域。普段来るはずのないディエゴやミゲラ、王女までもがぞろぞろと歩いているのだから仕方がない。


 細い階段を上り、さらに進む。その一番奥がナタリアの部屋だ。扉を開けて中を見せる。はめごろしの開かない小さな窓のついた、狭い部屋だ。そこに小さなベッドや最低限の家具が置かれている。


 元々この部屋は荷物や用具、使っていない家具などを保管しておくための場所だった。そのため、内側からではなく外側から鍵が掛けられる構造になっている。


 ミゲラとパウラが移り住んできた当初、ナタリアは使用人の部屋のひとつを与えられていた。使用人の部屋といっても、由緒ある伯爵家の部屋なのだ。ちゃんと寝台もあれば家具もある。もちろん貴族区域の部屋とは趣が違うが、平民基準で考えればそれなりに整った部屋だ。その一室だったので、部屋自体に文句があったわけではない。


 使用人部屋に移ってからしばらくたったころ、元から伯爵家に仕えていた使用人たちの手引きでナタリアは伯爵邸から逃げ出した。伯爵令嬢としての全てを奪われ、理不尽すぎる生活を強いられたことに、ナタリアだけでなく元から仕えていた使用人たちも限界だったのだ。


 結論から言うと、ほどなくしてナタリアは連れ戻された。そしてこの部屋に移された。


 ナタリアは常に見張られ、再び逃げ出すことがないように、夜は外から鍵をかけられる生活を長い間続けることになった。

 脱走する気力もなくなるとようやく鍵をかけられることはなくなったけれど、今でも部屋の鍵は侍女長がもっている。彼女の気分次第で部屋に入れなくなったり出られなくなったりするので、ナタリアは侍女長に逆らえない。


 部屋に入ってぐるっと見回したフランシスカは言葉を失っていた。狭い部屋なので、ナタリアと王女と護衛が一人、それだけ入るともういっぱいだ。他は部屋の外から中を覗いている。


「殿下、こちらがわたしの部屋です」


 テーブルというには狭すぎる机、椅子は背もたれがないものが一脚しかない。相手がエマであればナタリアがベッドに座ってエマに椅子に座ってもらえばいいけれど、王女にそれは失礼が過ぎるだろう。ここでくつろぐのは無理がある。


「お、面白い冗談ね、ナタリア。ここがあなたの部屋だなんて……。どういうことなのかしら、ミゲラ夫人? 伯爵家の令嬢の部屋がこのような場所であるはずがないわよね?」


 フランシスカは戸の外にいるミゲラに向かって言う。その声が心なしか震えている気がする。


「それは、その、もちろんですわ。別に部屋があるのですけれど、ナタリアは狭いところで過ごしたいと言って、たまにこちらで休むこともあるのです」

「へぇ、そうなの」

「ええ、えぇ、そうなのです。使用人や民の気持ちも知りたいからとおっしゃって……」

「あぁなるほど、そういうことなの。使用人の気持ちを知るために自分でその環境に入ってみるなんて、ナタリアはすごいのね。わたくしも見習わなくてはいけないわ」


 フランシスカは両手を合わせて感動したかのように振舞う。その合わせた手に力がこもっているのをナタリアは見た。


「だけど、さすがにここにはナタリアのものがほとんどないようだから、いつもナタリアが使っているという部屋に案内してくれるかしら、ミゲラ夫人?」


 ミゲラは一瞬ぐっと詰まった顔をしたものの、すぐに切り替えたようだ。こちらです、と案内を始めた。フランシスカはもう一度見回すと部屋を出て、ナタリアを連れてミゲラについていく。


 ミゲラは来た通路をそのまま進んだ。貴族区域に出る戸はいくつもあるのに、こちらに来ないミゲラは知らないのだろう。後ろを歩く侍女長に目配せをしてみたけれど目を逸らされたので、タイミングを見て近くの戸を開ける。そして、いつもの癖でミゲラに道を譲って頭を下げた。


 フランシスカに袖を引かれてハッとした。無意識に最後尾につくつもりでいたのだ。慌ててミゲラについていく。


 ミゲラは周りに聞こえないくらいに小さく鼻を鳴らし、見なかったことにしてスタスタと歩いていく。

 ついた先は、パウラの部屋だった。

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