砂嵐が齎す物。
どんなに苦しことでも慣れる、と言っていいのか分かりませんが、私はあの汚物の欲望を処理するための人員を増やすことに、いつの間にか慣れてしまったのかもしれません。
最初はあんなにも自己嫌悪を抱いた追加の志願者の受け入れも、いつの間にか日常の風景のようになってしまい、一番少ない時は私とアリサだけだったはずの屋敷は、雪が溶け芽吹きを迎える頃には十人ほどに、そして暑い季節を超えて実りの季節を迎えた頃には、年若い娘ばかりが20人以上が共に寝起きをするようになりました。
賑やかさを取り戻した屋敷は、まるでが来る前の様な風景を私に幻視させますが、そこには寡黙に料理を作る老夫の姿も、優しかった乳母の姿も、立派な貴族だった両親の姿も、両親の跡目を継ぐために頑張っていた兄上達の姿もありません。
代わりに目に映るのは、惰眠と美食を貪り女を犯す暴君と生贄の姿。
せめて来てくれた娘を誰も殺されぬように、必死になって人を増やしたせいなのか、ご主人様は昼夜を問わず盛るようになり、屋敷にはいつも女の悲鳴が響いています。
犯し殺されぬ為に志願者を増やした筈なのに、増えたことで被害が増大してゆく矛盾に耐えながら、大きくなるお腹を見つめる日々に何時した私は疲れ果ててしまい、自室で塞ぎこむ時間が増えていきました。
そうした私の事を心配してか、アリサは屋敷の采配の傍ら私の身の回りのことを中心に動くようになりましたが、彼女は屋敷の采配をしてくれていますから、住む人数が増えた分、色々な仕事も増えた筈です。
そのアリサの手を煩わせている自分に不快に感じ、屋敷に私の事は放っておいて良いと何度も言いましたが、人数が増えた事で分担も出来ると言って側に居続けました。
ですがそんなアリサの行動は、私にとって望まないモノでした。
お腹の子の成長と共に大きくなる恐怖で、私は身の回りを世話をしてくれるアリサに乱暴な言葉や心ない態度を取って、子供のように何度も癇癪を起こし、その度に弱い自分を惨めさを痛感してしまうからです。
「アリサに私の何が分かるのよ!私は一人になりたいの!どうして分かってくれないのっ?どうしてアリサは私を惨めにさせるのよぉっ!」
駄々っ子のように拳を振るいながら、私は何度もアリサに不当な言葉を浴びせますが、それでも彼女は部屋から出いていかず、そっと私を抱きしめて髪を撫でながら同じ言葉を言い続けます。
「苦しい気持ちが抑えられないと仰るのでしたら、如何様な振る舞いもお言葉も存分にアリサへぶつけてくださいませ。その代わり、お願いですからご自身のお体を痛めつけるような真似はなさらないでください」
私はアリサの言葉を聞いて、怖くて誰かに甘えたいのだと自覚させられ、余計に怖くて情けなくて、何度も真っ白なエプロンを涙で濡らして日々を過ごし、そうして夏が終わる頃、泣きつかれた私にアリサは言いました。
「お嬢様があの汚物に汚されてから十月……、そろそろお子が生まれても可怪しくない頃でございます、そろそろ産婆の用意をしなければいけませんね」
そう語るアリサの瞳が、どこか私以上の苦悩の色を湛えていたのが酷く印象的で、そんなアリサの顔を見るのが辛くなり、彼女の膝枕に甘えるように抱き付いる私の髪を撫でなから、アリサは厳しい現実を語り出しました。
「あの汚物に謀り事を悟られてはなりませんから、出来るだけ信頼の置ける者が良いのでしょうが、この街に住んでいた者達は随分と減ってしまいましたので、果たして良い者が見つかるかどうか……」
魔王の居城となった我が領土、暴君の支配された街は、人々にとって非常に住みにくい場所となりました。
特にご主人様が農地を広げると言って始めたチシキチート、農地改悪は最悪なものでした。
特に考えもなく魔法で近所の森を全て焼き払った事で、街の近くには森が無くなり、街に住む民は日々の煮炊きに使う薪すら拾えなくなり、毎日十キロ以上先にある森にまで足を運んでいますし、魔法によって灼熱で焼かれ広がった荒野は、夏の暑さで乾燥してしまい、そこを吹く風は乾いた砂を舞い上げ、そのせいで昼間でも砂嵐で暗くなる事もあります。
そうして舞い上げられた砂によって、近隣に住む民は肺病や眼病に苦しめられて、生活は日々苦しくなってゆき、森の実りが無くなった乾いた地は、虫も寄り付かず獣も姿を消してしまい、職を失って飢えた猟師たちは、この街では生きては行けないと他所の森へと姿を消しました。
そうした事実をご主人様にやんわりと伝えてみましたが、農地を広げて税も取らないのだから、薪なんぞはどこかで買えばいいし、そんな恵まれた状況で農民たちが結果を出せないのは、全てが彼らの怠惰であり、自己責任だと言って、全く取り合ってもくれませんした。
多くの民が夏の季節でここまで弱り果てているのですから、これから来るであろう冬の寒さを考えれば、より多くの者が倒れ死んでゆく事になるでしょうし、誰もが逃げて当然と諦観の中で感じてしまいます。
「そうね……、でももしも婆やがこの街に残っているのなら、私は婆やに手伝ってほしいわ……」
お産を手伝ってもらうのでしたら自分を取り上げ育ててくれた人、婆やが一番信頼の置ける人だと思い問いかけますが、アリサは小さく横に首を振ってから寂しそうな表情を浮かべて口を開きました。
「残念ですが、お嬢様……、マルガレーテはもうこの世にはおりません……。聞いた話では春先に体調を崩し、つい先日誰にも看取られず一人で亡くなったようです……」
確かにマルガレーテは老齢ですが、それでも亡くなるには余りにも早いと感じる年齢でしたし、私が最後に街で見かけた時も、彼女に死の影など何処にもなかった様に見えました。
私は自分の記憶と齟齬が大きい訃報を聞いて、大きく心を揺さぶられますが、ご主人様が来てからというもの人が死ぬ事に慣れてしまったのでしょう、自らの胸に湧き上がる感情と正比例するように、言葉少なくアリサに問いかけます。
「そう……、わかったわ。それで葬儀はきちんと行われたの?」
アリサもきっと私と同じなのでしょう、諦観という言葉を塗り固められた笑顔を浮かべ、私の疑問に返事をしてゆきます。
「マルガレーテの葬儀はつい先日街の者達が中心に、遺灰は引き取る家族がおらず、教会の共同墓地へ埋められたそうです」
自らを育ててくれた人が孤独に死を迎えた事も知らず、その死後も無縁の者として片付けられてしまった事実を聞いて、私は一体なんのために頑張っているのかすら分からなくなりそうになりますが、それでもマルガレーテや民に語った事を場を嘘にしない為に、私は自らに強がりの言葉を吐き出させてゆきます。
「アリサ、言いにくい事を教えてくれてありがとう……、お産が終わったら一緒に彼女の冥福を祈りに行きましょう」
私の精一杯の強がりを聞いたアリサは、黙って抱きしめて小さな声で応えます。
「はい、お産が無事に終わったらマルガレーテに報告に行きましょうね」
そうしてアリサに抱きしめられると、何度となく泣きつかれて枯れ果てたと思った筈の私の頬を、涙が滑り落ちてゆくのを感じます。
「だからお嬢様……、今はマルガレーテのために泣いてもいいのですよ……」
アリサの言葉を聞いた瞬間、私の中に 堪え切れないほどの感情の波が押し寄せて、押し殺していたはずの感情が口の中から零れ落ちてゆきます。
「うわあああああああっ、どうしてっ!何で私の大切な人ばかり死んでいくのっ、どうして私は誰も助けることができないのっ!こんなの、こんな辛いのもう嫌だよぉッ!」
夏の終わりを告げるどこかさみしげな風が吹けぬける部屋で、今日も私は子供のようにアリサに縋り付き涙を流し、この涙が枯れてしまう日を願うことしか出来ずに泣き続けたのでした。




