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覚醒

 自らを僕という誰かの高笑いが響く中、粘着質な暗い闇に溺れた私を一筋の光が差し込んで、凍えきった身体に暖かさを運んできました。


 その暖かさに意識を向けると、闇しかない奇妙な世界が崩れ始め、私は闇を切り裂く光の架け橋を必死になって登ってゆきます。


『君の選んだ選択が世界にどう影響するか、僕はここで楽しませてもらうよ、それじゃあ次の答え合わせまで、さようならメリーくん』


 何かの舞台を楽しみにするような他人事、世界の命運を賭した出来事としては軽すぎる別れの言葉を最後に、私の意識は現実のそれへと引き戻されてゆきます。


 目を開けるのが辛いほどの光、そんな眩しい光に向けて手を伸ばし、私はうっすらと固く閉ざされていた瞼を開けてゆきます。

 


 そうして指の隙間から景色は、幼い頃から過ごしてきた部屋もので、見慣れたカーテンの隙間から溢れる朝の光が差し込んでいて、きっと私が夢の中で見た光の架け橋は、これだったのだろうと理解出来ました。


「あ……、朝なの……?」


 当たり前の景色を前にして、緊張と恐怖で乾いた喉からこぼれたのは、自分が置かれた状況を理解するには些か的の外れた独り言でしたが、言葉を発した事で急激に意識が覚醒ゆくのを感じました。


「アリサっ、そうよ、あれからアリサは一体どうなったの?」


 黒い霧が晴れた私の脳裏に浮かんだのは、私を一番に考えてくれる大事な人、こんな私に従ってくれるアリサのことでした。


 彼女のことを思い出した瞬間、私は居てもたっても居られなくなり、夢の中で消耗したのであろう言うことを聞かない身体を動かして、半ば倒れそうになりながら部屋の扉に向かけって駈け出して、朝の冷気で冷えた冷たいノブに手を伸ばします。


 指先が氷に触れた時のような痛みを覚え、背筋を通って私の頭を痛めつけますが、焦る私の心はそれを跳ね除けて、薄い寝着のままで廊下を走れと訴えかけ、私は衝動に任せて走り始めます。


 疲労と緊張で熱に浮かさた様に落ち着かない呼吸を抱え、上手く動かない足に視線を揺らされながら廊下を走ってゆくと、地を揺らすような獣の咆哮の様な音が徐々に大きくなってゆきます。


 その音が聞こえる場所は、私が毎夜犯されるために向かった場所で、昨日の夜何も出来ず見送ってしまったアリサが向かった場所、ご主人様(ゴミクズ)の眠る部屋でした。


 このまま飛び込んでしまいたい衝動が胸を締め付けますが、そうしてしまえば眠っている魔物を起こしてしまう事になり、その衝動に任せた迂闊な行動によって、ご主人様(ゴミクズ)を謀っている事を気取られてしまえば、これまでの多くの犠牲や沢山の人々の苦しみが無駄になる。


「落ち着いて、落ち着くのよメリー、貴方は全てを無駄にしたいの?私だって耐えれたのだから、私よりも大人で強いアリサなら、きっと大丈夫、大丈夫なはずなのよ……」


 そう自分自身に言い聞かせ、乱れきった呼吸をどうにか整えて、私は冷たい金属製のドアノブに手をかけ、中の獣を起こさぬよう、出来る限り静かに大きな扉を開くと、中から男の汗と性臭の混ざった饐えた空気が、湿気と生暖かさで持って、私の全身を刺激しました。


 相変わらずなんとひどい匂いでしょう……、この匂いだけは何時までたっても慣れる気がしませんし、胸の中に犯された日々の恐怖がこみ上げてきますが、アリサは今もこの恐ろしい場所で私を待っているのです。


「こんな程度で怯えてどうするの、貴方は皆を救うと決めたのでしょう?しっかりしなさいメリー……」


 凍えるように恐れと怯えで震える身体に、小さな声で自分を叱咤して力を入れ、性臭と獣のイビキに支配された、薄暗い部屋に足を踏み入れると、天蓋の側の床に倒れこむ裸の人影が目に飛び込んできました。


 その人影の四肢はバラバラの方向に曲がっていて、束ねられていた筈の長い髪は乱れるように床に広がって顔を覆っており、まるで子供が飽きて投げ捨てた人形のように床に転がっていて、私の脳がその無残な人影がアリサであると理解する間、彼女は身動ぎすることすらしませんでした。

 

 アリサが動かない事で、私の心は恐ろしい過去を思い出し、そして恐ろしい未来を想像します。


 そう、私は初めてご主人様(ゴミクズ)に犯された日、比喩ではなく本当に生死の狭間を彷徨い、アリサの献身に助けられた。そして今目の前にいるアリサは、私の大事な従者は呼吸をするような僅かな動きすら見せていない。


 最悪の未来を想像するに十分過ぎる現実が、目の前にあると理解した私は、アリサの元へ駆け寄りますが、裸のままで冷たい冬の床に転がされて居た彼女の身体は、人のものとは思えぬほどに冷たいモノでした。


「いや……、いやよ……、私を一人にしないでアリサ……」 


 大きな声でアリサの名前を呼びたくても、ご主人様(ゴミクズ)の寝る部屋で叫ぶ事はできないと、頭の中にある冷静な部分が私を引き止めた様に感じ、私はゆっくりと彼女を抱え起こし、緊張と恐怖で震える指先を彼女の胸に指を寄せます。


「生きてる……、アリサは未だ生きててくれた……」


 冷たくなった胸の奥で、彼女の命は僅かにでも脈動をしていて、その小さな胸の動きはまるで、私が来ることを信じて待っていた、そう伝えてくれたように感じ、獣欲の証で汚れた身体を抱きしめます。


「遅くなってごめんね、でも絶対に私、貴方を助けてみせるから……」


大事な人を失うかもしれない震えを堪えながら、体温を失ってしまったアリサをシーツで包んで背負い、震える足で化け物の巣穴から逃げだします。


「私はあの化け物にアリサを殺させない、絶対に、絶対に貴方を助けてみせるっ……」


 容赦なく私の体温を奪ってゆくアリサの身体、その凍えるような現実に立ち向かう為、決意の言葉を形にしました。すると先程からずっと響いていた怯えの音が、奥歯がぶつかり合い奇妙な音を鳴らす口で煩い音が少し収まります。


「あの日貴方が私を救ってくれた、だから絶対に私がアリサを助けるのよ!」


 先程まで言うことを聞かなかった足が、私の気持ちに応えるように言うことを聞き始め、廊下を歩む速度も徐々に上がってゆきます。


 冷たい朝の空気が、消えかけたアリサの命の灯火を消してしまおうと襲ってきますが、それでも私は必死になって、お風呂までの道のりを進んでゆきます。


「もうちょっとだから、もう少しだけ頑張ってアリサっ」


 私は今日ほど生まれ育った我が家の通り慣れた廊下を、貴族としては小さな我が家の廊下が長いと感じた日はありませんでしたが、背負ったアリサの身体を廊下へ落とすこともなく、どうにか暖かなお風呂場へと連れてくることが出来ました。


「待ってて、直ぐに体を温めてあげるわ!」


 私はアリサを背中から下ろし、今度は片手で抱きながら急激に温め過ぎないよう、慎重に温度を調節しながら湯を掛けてゆきます。


 きっとこれで大丈夫、そう信じながら何度も何度も湯をかけて行くと、冷えて硬くなっていたアリサの身体が少しづつ解れ、代わりに力なく崩れていくのを感じます。


「アリサ起きなさい、貴方は私と一緒にどこまで行くって言ったじゃない!

 私は叫びながらお湯を掛け何度も彼女を揺らし、彼女の固く閉じられた瞼が開き、もう一度泣き虫で我儘な私へ笑いかけてくれることを願いますが、その願いは何時までたっても叶うことはありませんでした。


「お願いだから私を一人にしないで……、お願いだから起きてアリサ……」


 一向に叶う事がない願いの果てで、白く暖かな湯気で霞む視界が奇妙な形に歪み始め、私の瞳からは止めどなく涙が溢れ、頬を伝ってアリサの胸に落ちてゆきます。


「どうして、どうして起きてくれないの……。一緒に居てくれるって、一緒だって言ってくれたじゃない……」


 ずっと一緒だと言ってくれた、けれど、一向に起きてくれないアリサを抱いて、私は彼女の耳元で恨み言を言い続けます。


「私を一人にしないで……、一人は怖くて辛いわ、奪われ失う事に耐えるのは、一人じゃ辛すぎるよ……、だから」


 最後の言葉は嗚咽に潰されて消えてしまい、形にならずに消えてしまいましたが、その代わりに小さな声がそっと撫でるように、私の耳の奥へ届きました。


「私の愛しいあるじ様……、貴方は本当に小さな頃から泣き虫な方……」


 聞こえた囁きが幻聴ではなく、確かに小さな吐息のような声が私の髪の毛や耳の奥、そして心を揺らし、その声が本物であると知らせてきます。


「そんなお嬢様を残して逝ける程、私の忠誠は安くはありませんから、どうかこんな事で泣かないでくださいませ……」


「アリサの馬鹿!そんな事、そんな事言われたら、嬉しくて余計に涙が出るに決まってるじゃない……」


 私は先程までの涙とは違う、心から湧き出る様な喜びの涙を流しながら、自分は大丈夫だと強がる従者(きょうはんしゃ)を抱き、お互いの冷えた体を温め合える喜びに、心の底から感謝をしたのでした。 

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