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奴隷ちゃんと一人のベッド。の巻。

 覚悟を決めたアリサの背中に私は何も言えず、温もりを失った暗い部屋の中、私達を隔てた扉を見つめ続け、これから起こるであろう出来事を考えます。


 自分を慕ってくれた人を大事にしたい、幸せになって欲しいと願っていたのに、私は誰一人として守れ無いどころか、多くの人を見殺しにしてしまった。


 今もアリサに何も言えず、その背中を見送ってしまった。


 その全てが私自身の弱さが招いた過ちなのに、痛手を負うのは他でもないアリサ、また私は何も出来なかったのです。


「私……、どうしたらよかったの……?」  


 誰もいない部屋の虚空に向け、私の口から誰かに問いかける言葉が零れましたが、暗闇はやはり何も応えてくれなくて、諦観めいた感情が私を支配してゆきます。


 もしも最初から世界を救うという大それた願いを諦めれば、こんな思いなどしなかったのかもしれない。


 もしも沸き起こった激情であの化け物と刺し違える真似事でもすれば、きっとこんな苦しみを抱えることはなかったのかもしれない。


 そんな『もしも』達があり得たかもしれない終わりの形を見せつけてきますが、希望を捨てられるほど弱くもなく、戦いを挑めるほど強くもない私は、自虐的な笑いが込み上げてくるのを感じ、思わず笑ってしまいます。


「ふふ……、私にそんな諦めの良さや勇気があれば、こんな風に暗闇で失う辛さに怯えて居なかったわね……」


 そもそも叶わない願いだと思っているのなら、貴族の誇りなど捨て、心の底から汚物の性欲処理の奴隷として従属すればいいだけのこと、それを選ばなかったのは他ならぬ自分自身です。


「それに……、なにかを選ぶには、もう遅すぎたのね……」


 そう、私の決意も選択も、なにもかも全てが遅すぎて、結局は余計な犠牲が拡大してしまった。


「だからこれは罰、他ならぬ私への戒めなのよ……」


 そうして自らの決断の遅さで沸き起こった自己嫌悪、その淀んだ毒で満たされた部屋の中に、自らが褥の上で嬲られ犯されて聞いていた声が、最早聞き慣れたと言っても良い奇声が響き渡ります。


「フヒヒっ!ドウダ!オレノマジチンハ!キモチイイダロ?イイッテ、イエヨ!」


 聞き慣れてしまった声は、まるで現実感を感じられない程にくぐもった形で、その脳内にこびり付くような奇妙さが、私を淀んだ暗い海の底へと引きずり込んでゆきます。


 自らの決定が遅かった、自らの努力が足らなかった、だからこそ大事な者が傷つき、大切な人を喪い、誰も助けることが出来なかった。


 乱暴に肉同士を打ち付け合う音が屋敷に響く中、ただ只管に自らを責めることばかりが頭の中で踊り続けますが、不意に先程アリサが残した言葉が脳裏に浮かびます。


『お嬢様……、主の決定に逆らった愚か者の願いを聞いてださるのなら聞いてください。私はこれからどんなに激しく攻め抜かれても、決して大きな声を出さぬようにいたしますから、今晩は朝が来るまで頭から布団を被り、耳を塞いで過ごしてくださる様にお願い申しあげます……』


 そんなアリサの残した優しさに縋り付き、その言葉を免罪符にして、私は布団を頭から被って嵐に怯える子供のように夜を過ごします。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 なんの過ちに対して、誰に謝っているのか分からない謝罪。


 そんな自らの上げる心の悲鳴と、アリサの言いつけどおり頭からかぶった布団が、汚物の上げる獣欲の音を遠くへ押しやったような気がして、私は謝罪の言葉を神にでも祈るように唱え続けます。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 そうして呪詛の様に唱えている内、私は考える事も、自らの意識を放棄して自己嫌悪と共に、眠りの底へと堕ちていったのでしょう。気が付けば何も聞こえず、何も見えない暗闇の中でぼんやりと浮かんでいました。


「ここは、どこ?」


 誰に聞くでもなく漏れた言葉は、十分な余韻を持って闇に消えて、誰もいない世界であると私に教えてくれました。


 きっと自分の自己嫌悪が見せた夢なのでしょう、寝る前と同じように見渡す限り闇色なのに、何故か遠くまで見通せるような気がする不思議な場所で、私は何か闇以外の物がないかと辺りを見回してみます。


 すると一箇所だけ、沢山の色に満ちた不思議な孔が開いている場所があり、私は何故かどうしても底へ行かなければならないような気がして、木の実が坂道を転がるように近づいてゆくと、誰も居ないはずの場所から声をかけられました。


『やぁ久しぶりだね、まぁ君は何も覚えていないだろうけどね』


 そんな奇妙な世界の中心から、聞いたことのない筈なのに、なぜか聞いたことのある声が聞こえてきました。


『うん、君は思ったよりは頑張っているね、でもどれだけ頑張っても、所詮はニナ・ロウヲ=ヨモゥ達の望む流れは、君が幸せになって欲しいなんて事、思って居ないみたいだね』


 万色の色を持つ不思議な孔は、全く理解できない言葉の羅列を脳内に響かせて、私に語りかけますが、その声に敵対的な感覚はありませんでした。


 その言葉には感情も熱も感じられず、まるで馬車の中から遠くの山でも見つめ、通りすぎる景色へ向けてなんとなしの感想を述べるような、そんな投げやりな雰囲気を感じます。


『ニナ・ロウヲ=ヨモゥ達の望む結果なんて、まぁ最初から分かりきっていていたんだ、だけど諦めきれないでいる君にチャンスを与えるのも面白いと思っていたんだ』


 相手が何を言っているのか、何を考えているのか、全くわからないままに話が進みますが、私は何を答えたらいいのか解らず、ただ呆然と話を聴き続けます。


『けど君は絶望に屈して未来を諦めた。だったら、これ以上何も面白そうなことは起こらないだろう? だから君を迎えに来たんだよ』


 その言葉を皮切りにして、私を包み込むようにゆっくりと光の輪が近づいてきます。


『この大きな流れは変わらない、ニナ・ロウヲ=ヨモゥ達の信仰が君たちの世界を飲み込み、君たちは欲望を満たす舞台装置へと貶される。これが彼らの望んだ真理、君はその真理に屈したんだよ』


 光の輪は私の全てを包み込み、まるで満天の星空の様な美しさでもって、私達の世界の終焉の詩を唄い始めます。


『でも仕方ない、この世界は悲しいことが多すぎるから、皆、違う世界に救いを求めるんだよ、だから君が絶望に屈するのは悪いことじゃないさ』


 ですが、その滅びの言葉を受け入れたい気持ちが心に満ち、抵抗したいという気持ちが沸かず、ただ光の渦を見つめ耳を傾けてしまいます。


『だからもう君は全て諦めていい、ただ主人を肯定するだけの奴隷(ぶたいそうち)になるんだ、そうすれば悲しみも苦しみも無くなって、彼の言うとおり君は奴隷として幸せになれるんだよ』


 幸せって言葉の意味ってなんだっけ?私はどうしてこんな苦しい事をしていたんだっけ?何だか、全てがよく解らなくなってきました。


『君の心が折れない限り、この世界をニナ・ロウヲ=ヨモゥ達の望む形にしない。これが僕と君が交わした盟約だけど、僕の見る限り君の心はもう折れてしまったようだし、これ以上は蛇足になるだろうからこの世界の終わりを始めよっか?』


 考えるのを辞めたのなら幸せなのだと叫ぶ理性、それでは悲しみは永遠に無くならないと叫ぶ心、相反する答えに、自分がどうしたいのか決められず、誰かの問にすらまともに答えられないでいました。


『無回答は肯定の意味で僕は捉えた、だから終わりを始めよう』


 結局、私は何も出来ず、何一つ答を見つけることもなく終わりを迎えたのね……。


 迫り来る終わりを前に、私はどこか他人事のようにそんな事を考えながら、無限の色彩を持つ星空のような光の渦に飲み込まれてゆくのでした。

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