祝福の日
連日キッチンに通い詰め、ついにこの日がやってきた。
祝福の日……陛下にアールグレイ入りのアップルパイを贈る日だ。
一昨日作ったものは紅茶の味が強すぎて、昨日のは、パイ生地が焦げてしまったけれど、今日こそはきっと大丈夫。
アンヌとコルトの二人もついているんだから。
そう思っていたのに……
「アンヌ料理長が昨晩から高熱を出したため、本日は僕とマリノさんだけになります。大切な日なのに申し訳ございません。ですが、規則で決まっているのです」
いつもの小さなキッチンでコルトが深々と頭を下げて言ってくる。
「大丈夫よ、アンヌの体調が悪化したり、陛下に風邪をうつしたりするほうが私は悲しいもの。お見舞いに行きたいけれど、私が行ったら反対に休めなくなりそうね……」
どうしようかしらとマリノに視線を送ると「のちほど私が」と言うマリノの声を遮り、コルトが言葉を重ねてくる。
「僕がお見舞いに行き、王妃殿下のお言葉をお伝えしておきます」
「ありがとう。大好きな人が体調を崩していたら、心配で気になるでしょうし、コルトに頼むのが適任かも」
にこりと微笑んで言うと、コルトはあわあわ慌て出す。
「なっ、す、すすすす好きって、どうしてそれを……!」
「えっ? あ、もしかしてコルト、アンヌのことを?」
全く気づかなかったけれど、いま思えばコルトがアンヌを見る瞳はどこか熱くて、尊敬というより恋慕の情に近かったかもしれない。
「ああ、好きとはそういう意味ではなかったのですね、墓穴を掘りました……」
真っ赤な顔をして頬をかくコルトが可愛くて、ふふっと笑う。
「私はお似合いだと思うわ。マリノもそう思うでしょ?」
「ええ。ただ、アンヌ料理長は仕事一すじ。なかなか手強い相手だと思いますので、頑張らないといけませんね」
マリノに言われて、うんうんとうなずく。
確かにアンヌは、色恋ごとにかなり疎そうだわ。
お菓子作りの指南中も話してくるのは料理のことばかりだったし、休みの日も新メニューを考案するためにキッチンにこもっていると言っていたし。
「そうですよね、手強い相手ですが、がんばりま……って、僕のことなど、いいのですよ! アップルパイを作りましょう!」
粉からパイ生地を作り、休ませている間にりんごの皮をむき、鍋にバターを入れて火にかけ、砂糖を加えて混ぜていく。
バターが溶けたらりんごを加えて弱火で煮る。ラム酒に、シナモンを加えたら、さらに煮ていく。
なんどもやった作業なだけあって、かなり手際もよくなった。
アールグレイ入りのカスタードもできあがり、りんごのコンポートとともに生地にのせる。
ふたをするようにチェック模様にした生地で覆って、オーブンに入れた。
あとは、焼きあがったら完成だ。
時間を置いて、ミトンを使いゆっくりとパイを出していく。
三人とも無言のままオーブンをのぞきこみ、現れたアップルパイを見つめた。
「完璧よ!」
「最高のできです!」
「ティア王妃殿下、本当によかったですね!」
三人同時に喜びの声をあげて、満面の笑みを浮かべていた。
「コルトもマリノもありがとう。陛下が喜んでくださるといいのだけど」
綺麗に焼きあがったアップルパイを机に置いて、じっと見つめる。
見た目と香りだけは美味しそうに感じるけれど、味だけはどうやったって確かめようがない。
これで、もし失敗していたら……
不安になってうつむいていると、コルトがそばにやってきてくれて、声をかけてくれた。
「絶対に大丈夫です。王妃殿下が作られたものですし味も完璧なのですから、陛下も喜んでくださいますよ」
「ありがとう。そうであってほしいわ。あ、そうそう。ナイフがまだ出しっぱなしだったわね。片づけないと」
支度も片づけも全部やってこそ、このアップルパイは私が作ったことになるんだからと手を伸ばす。
「王妃殿下。そんなことは僕がやりますから」
「いいの、私がやりたいから……ッ!」
指先に、ぴりっと鋭い痛みが走る。
視界の端に捉えた思わぬ人の姿に動揺し、うっかり刃先に触れてしまったのだ。
「そこで、何をしている?」
低く唸るような声が、静かなキッチンに響きわたる。
陛下は鋭い瞳で私たちを見つめてきたあと、ゆったりと無言のままこちらに歩いてくる。
「陛、下……?」
サプライズが失敗したことに落胆しつつ、クライブの怒りに満ちたような表情の理由がわからずに、ただただ困惑してしまう。
少し離れた場所にいたマリノは『しまった』とでもいうような苦々しい顔をして、隣のコルトはあまりの威圧感に身をすくめて、顔を青くさせていた。
「コルト、どういうことだ。答えろ」
陛下の問いかけに、コルトがびくりと大きく震える。
「ええと、それは……」
コルトはこんな状況でも私のサプライズを成功させようと思ったのか、視線をアップルパイから大きくそらした。
ただ、その誤魔化しかたがあまりにも露骨だったからか勘づかれてしまい、陛下はテーブルに視線を送った。
「ああ、そういうことだったのか」
ふっと表情が緩み、あれほどピリついた空気も威圧感も嘘のように消えていく。
コルトに何か罰が与えられるようなことがなくてよかった、とホッとしていると、今度は陛下の視線が私の指先に向けられた。
「王妃殿下、血が! 清潔な布は……ああ、このふきんじゃダメだ……!」
私の指先に血がにじんでいるのを見たコルトは手近にあったふきんを慌てて手に取り、がっくりと落胆する。
「コルト、うろたえなくてもいい」
陛下は私の前までやってきて、血の雫が滴り落ちそうになった瞬間、指先を持っていかれてちろりと舐められた。
「――っ!」
「へ、陛下っ……!」
コルトが顔を真っ赤にして、わかりやすく動揺している。もちろん私もはたから見たら同じようなことになっているのだと思う。
陛下とマリノだけが澄ました顔をしていて、一礼したマリノが「救急箱をとって参りますね」とキッチンから出ていった。
「痛みはあるか?」
陛下はポケットからハンカチーフを取り出して指に巻きつけ、止血をしてくれる。
「いいえ、痛みは大丈夫です。ですが、陛下……血が苦手なのでは……?」
以前、騎士団長グレイ様が『アイツは血が怖いんだ。血を見るといつも倒れていた』と話していたことを思い出し、おそるおそる尋ねる。
ちらと顔を覗くと、陛下は苦々しい顔で笑っていた。
「正直なところ、いまも苦手ではある」
「でしたら、なぜ……」
「コルトにお前を触らせたくなかった」
「え?」
予想外の答えに、どくんと鼓動が跳ねる。
「よからぬ噂の正体を確かめに来たんだ。王妃が新入りパティシエを熱のある目で見ていた、と聞いたものでな」
陛下はばつの悪そうな顔をして、誤魔化すように笑った。
「熱のある、瞳……ですか」
「覚えがあるのか?」
陛下に尋ねられて、こくりとうなずいた。
「コルトって黒髪で童顔でしょう? そのせいか、陛下の幼い頃にどこか似ているように見えまして。それで彼を見るたびなかなか会えない陛下のことを思い出してしまって……」
なんだかみっともないわと思いながら説明をしていくと、陛下はあきれたのか深いため息を吐きだした。
「ティア、もしも全てが俺を煽るための作戦なのだとしたら、お前は相当な悪女だよ」
「え?」
ぐんと抱き寄せられて、キスをされる。
「あの、陛下、コルトが……っ!?」
慌てて陛下の胸を押して離れ、辺りを見渡すといつの間にやらコルトまでいなくなっている。
……やられた。私の知らない間に、コルトを払ったわね。
むすっと睨みつけると、クライブは妖しげに笑った。
「人さえいなければ、いいんだろう?」
陛下はまた私を抱き寄せてきて、唇を重ねてくる。
今度は、息ができなくなるほど、深く、甘く。
「あっ……へい、か」
自分でも驚くほどの甘い声が漏れ出て、すぐに口をつぐんだ。
「クライブ」
『二人きりの時は名前で呼べ』と、たしなめるようにクライブは自分の名を言う。
「クライブ……」
私の声にクライブは満足げに微笑んで、私の髪をいとおしそうに撫でながら、また唇を重ねてきたのだった。
「あの、陛下。もうおわかりかと思いますが、今日は祝福の日でして。アップルパイを陛下に、と思って作ったのですが、受け取っていただけますか?」
「これは、ティアが作ったのか? パティシエが作ったと言われてもわからないほどのできだ」
驚いた様子の陛下に、嬉しい気持ちが抑えられない。
「はい、教えてもらいながら」
「そうか。手をこんなにしてまでも作ってくれたんだな。いままでで最も嬉しい贈り物だよ。ありがとう」
傷だらけの手に触れてきながら、陛下は優しく微笑みかけてくれて、幸せな気持ちでいっぱいになる。
この一週間、大変だったけど頑張ってよかった。
そう思っていると、陛下はドアを見つめてそっと口を開いた。
「俺からは、品物ではないものを贈ろうと思っている。マリノ、扉の向こうにいるんだろう? ティアを頼む」
「はい、仰せのままに」
物語なので血をぺろっとしてますが、絶対に真似しないでくださいね~(>_<)




