王妃でいるのも――
緊張から夕食もほとんど喉を通らないまま夜を迎え、一人の部屋で深呼吸を繰り返す。
一歩でもクライブの部屋に足を踏み入れたら、あともどりはできない。
ニブイと言われた私だって、さすがにクライブのお誘いの意味くらいはわかる。
キスだけで、すでにいっぱいいっぱいなのに、私、大丈夫なのかしら……
未だ不安は拭えないままだったけれど、意を決してクライブの部屋の前に立つ。
「ティアです。すみませんが、手がふさがっています。ドアを開けていただけますか?」
ノックもせずに声をかけると、中から「わかった」と返事があってドアが開き、クライブが顔をのぞかせた。
「どうしたんだ、それ」
クライブの視線は私が持つトレーとティーセットに注がれている。
「あっ、ええと……一緒にティータイムはいかがかなと思い、持ってきたんです」
初めて夜二人きりになるという動揺から声がうわずる。
「そうか。夜の廊下は冷えるし、中へ」
クライブはドアを大きく開けて、私を促してくる。
鼓動の音がうるさいほど耳についてしまい、まともにクライブの顔が見られないまま、部屋へ足を踏み入れた。
机を前にし、ティーセットを置く手がわずかに震える。
二人きりになるなんていままで何度もあったのに、いまばかりは恥ずかしくて、不安と期待とで胸が締めつけられるように苦しい。
自分が自分じゃないような感覚に陥り、まるで夢の中にいるみたいだ。
無言のままのクライブはいま、どんな顔をして、どんな目で私を見ているの?
このままだと心臓が壊れてしまいそうで、「すぐにお茶、淹れますから」とポットを手に取る。
いつものように二人でお茶を飲めば気持ちだって落ち着くかもしれない、と思ったんだ。それなのに、茶葉の缶が見当たらない。
私、馬鹿だ。どうしようもないくらいに、うっかりしていた。
「あっ、茶葉を忘れてしまいました……急いで取りに行きますね!」
ポットを机に置き、クライブに背を向けて慌ててドアに向かおうとすると、手首を掴まれた。
「ここにいてくれ」
切なげな声に驚き振り返ろうとすると、クライブは大きく足を踏み出してきて、私を後ろから抱きしめてきた。
「っ、陛下……」
「二人の時は、どうか名前で」
耳元で囁かれる甘く低い声に、ふるりと切なく身体が震える。
「あの、クライブ、お茶が……」
「あとで二人で取りにいけばいい」
「ん……ッ」
手で顔を誘導され、荒々しく唇を重ねられる。
強張っていた身体も、口づけを重ねるごとにへなへなと力が抜けていく。
首すじにキスをされたとたん、これまで感じたことのない突き抜けるような甘いしびれが身体を走って視界が歪み、クライブの胸板にくたりともたれかかった。
「っ、クライブ……」
身体が傾いて足が浮き、視界が揺れ動く。
クライブに横抱きで抱えられ、寝室へ連れていかれているのだ。
「ぃや、待って」
「濡れた瞳で、か細い声を出したところで男を煽るだけだ。本当に嫌ならもっと抵抗してみせろ」
嫌なわけじゃない。でも、まだ心の準備ができていなくて、うるさいほどの鼓動が鳴り止まないんだ。
「ねぇ、ちょっと、クライブ待っ……」
「俺がどれだけ待ったと思っている」
クライブは私をベッドの上に優しく下ろし、上着を脱ぎ捨てた。
「お願い、あと少しだけでいいの。だから……」
慌てて上半身を起き上がらせるけれど――
「もう待てない」
クライブは覆い被さってくるようにして私の逃げ場をなくし、唇へ優しく甘いキスを落としてくる。
たったいままで緊張と不安でいっぱいだったはずなのに、愛おしそうなキスと頬を撫でる優しい指先に不思議と安心感を覚えた。
ああ、こんなふわふわした頭と、力が抜けきった身体で抵抗なんかできるわけもない。
結局、いつだって私はクライブに翻弄されてしまうんだなぁ。
ひっそりとあきれ笑いを浮かべ、両手を伸ばして愛しい人の背中をぎゅっと抱きしめると、なんとも言えない温かい気持ちでいっぱいになっていく。
じんわりと溶けあう互いの熱に不思議と、世界で一番の幸せを手にしたような気持ちになったのだった。
季節は秋へと移り変わり、クライブの治めるノースランドは変わらず平和で幸せな日々を送っていた。
「ティア王妃殿下、とてもお綺麗ですよ。リルカの指導のたまもの、ですね」
優しい侍女のマリノが隣で穏やかに微笑みかけてくれるのもまた、いつものこと。
「派手だから嫌だって言ったんだけどね。リルカの勢いには逆らえなかったわ」
私のおしゃれ指導係であるリルカと、ドレスやアクセサリーについて言い合いをするのもまた、いつものこと。
「ふふ、派手なほうがいいじゃないですか。今日はお祭りですし、民は皆、陛下と王妃殿下の挨拶を心待ちにしているのですから」
「もう、変なプレッシャーかけないでよね」
小さくため息をつくと、マリノは柔らかく笑う。
もうじき来るかな、とドアを見つめると、タイミングよくノックの音が聞こえ、夫の声が聞こえてくる。
「ティア、そろそろ行こうか」
「はい」
にこりと微笑んで部屋を出て、クライブの隣を歩く。
クライブは笑うことも増えたし、表情もかなり豊かになったとはいえ、未だ無表情でいることも多い。
「陛下、そんなにぶすっとした顔をしていたら、民が怖がりますよ」
「別にそんな顔していないだろう」
「いいえ、しています。真顔ではなく、もっと笑ったほうが民も喜びますよ。今日は年に一度の盛大な秋のお祭りの日なんでしょう?」
中庭には城下町の民が大勢招かれていて、私たちがバルコニーから出てくるのを待っているはずだ。
もしかしたら、レオナや旧市街の皆、オリビアとロジェ様を見つけることができるかもしれない。
「陛下、せっかくですし挨拶は笑顔で。楽しいことでも思い出して。あと五歩ほどでバルコニーに出ますよ。こうやって、にこっと笑顔に」
満面の笑顔を見せたとたん、なぜか視界が暗くなり、唇に温かく柔らかいものが触れてくる。
マリノや、近衛兵のハロルドとオーウェン、衛兵たちが見ている前だというのに、キスをされたのだ。
「な、ななななな……!」
声にならない私をよそに「あらあら」とマリノは微笑み、「陛下ってば、やるぅー」とハロルドは冷やかし、「これはこれは、ご馳走様です」とオーウェンはくすくす笑った。
「はは、ティアなんだその顔。おかげで笑顔で話せそうだ」
声をあげて笑うクライブへ抗議を込めて、私は口を曲げて鋭く睨みつける。
この男を好きだと自覚してからいつも、振り回されてばかりだ。
第二王女も楽じゃないと思っていたけど――
小さくため息をついてクライブの腕に手をまわし、バルコニーに踏み出して顔を上げた。
集まった民の歓声が響きわたるなか、クライブと視線が重なって、飽きもせずに鼓動が強く速くなる。
「あの、陛下……!」
にこやかに民へ笑顔を向けながら、小声でクライブをたしなめる。
クライブは皆が見ている前だと言うのに私の腰に手を回してきて、横から抱いているような体勢をとってきたのだ。
仲睦まじい王と王妃の姿を見た民は嬉しそうに歓声を上げるけれど、私からしたら人前での密着は恥ずかしくてしかたない。
「~ッ! 陛下ってば、悪趣味ですよ。そうやって、私を困らせて遊んでいるんですよね」
「さぁ、どうだかな」
クライブは楽しそうに笑い、あきれた私は小さくため息をついて笑った。
――きっと、クライブに振り回されるこれからの毎日も、楽じゃないのかもしれないわ。
fin.
第二王女も楽じゃない! 無事にラストを迎えることが出来ました。
お楽しみいただけましたでしょうか?
もしも楽しんでいただけていたら、こんなに嬉しいことはありません。
読んでくださる方がいたからこそ、書き続けることが出来、完結できたのだと思います。
本当にありがとうございました!
もしも面白いと思っていただけましたら★★★★★の評価もお願いいたします!




