太陽とひまわり
侍従に案内されてクライブの部屋に入ると、診察に来ていたエドガー先生と目があった。
「先生、来てくださっていたのね」
「お帰りなさいませ、王妃殿下」
先生の穏やかな表情からすると、クライブの体調も悪くはなさそうだ。
「陛下のご容態はいかがですか」
先生の隣に腰かけながらクライブの寝顔を見やる。
朝のように汗をかいたり、苦しそうにしたりする様子はなく、穏やかな寝息をたてていた。
「熱も下がってきていますし、だいぶ楽になられたようですよ。先ほどお召し替えもされて、少し粥も召し上がられました」
「よかった……。エドガー先生もお疲れでしょうし、あとは私が引き受けます」
「いえ、王妃殿下にそのようなことを……」
エドガー先生は初め、おろおろとうろたえていたけれど、私とクライブの顔を交互に見つめてきたあと微笑みながらうなずいてきた。
「いえ。やはり、お願いさせていただきましょう。もしも何かご不安なことがおありでしたら、私を呼びつけてくださいね」
先生は診察道具を大きなカバンに詰め込んで、寝室を出ていった。
「ほんとだ、だいぶ下がってる」
クライブのひたいに手をあててみると朝のような熱はなく、ほんのりぬくもりが伝わってきて、ほっと胸をなでおろした。
あ、そういえば。さっきのグレイ様のお話は結局、何が言いたかったのかしら。
クライブの手を握って目を見つめれば、考えの歪みがわかる、なんて話していたけれど、意味が全然わからない。
あの赤い目が私の中の何かを見抜く、とか? まさかね、そんな魔法みたいな話あるわけないし……
ちょうどクライブの右手が布団から出ていて、みぞおちあたりに置かれているのが見える。
クライブの手、握って……みる?
何気なく自分自身に問いかけてみたとたん、なぜか鼓動が高鳴って身をすくめた。
長い指に滑らかな肌、そして骨ばった形の大きな手。私のとは違い、どこか力強さを感じさせてくる。これが男性の手……
クライブは男の人なのだと当たり前のことを実感し、ぎゅっと胸の奥が締め付けられるように動く。
じっと観察するばかりで、なかなか最初の一歩が踏み出せないまま時間だけが過ぎていく。
だけど、あのグレイ様が勧めてきたことなのだから、きっと何かしら大切な意味がこめられているはずなんだ。……やってみよう。
深呼吸をして意を決し、ゆっくりと手を伸ばす。クライブの手の甲に指先が触れて、そのままおそるおそる重ねる。
触れたところが火傷しそうなくらいに熱くしびれて、どくんと拍動を感じる。
この熱は、この脈は、クライブのものだろうか。それとも私の……?
穏やかで、優しくて温かい。この手は、お父様?
いつもお父様はこうやって、じゃれついた私の頭を何度も何度も撫でてくれて、とんとんと背中を優しく叩いてくれたよね。
って、本当に背中が叩かれているような。
「……ア、ティア。そんなところで寝ると寒いだろう。風邪だってうつる」
低くて優しい声にまぶたを開けると、困ったような顔のクライブと視線があった。
「ふぇっ!」
奇声を発して目を見開き、そのまま状況を確認してみると、私の手はクライブの手をしっかりと掴んでいて、私の頬は布団の上だけどクライブのお腹の上あたりに乗っていた。
「ご、ごごごめんなさい! 私、寝てました?」
慌てて手を離して起き上がり、イスから転げ落ちそうになる。
クライブは、柔らかく微笑んでうなずいてきた。
ベッドから足を下ろして腰かけようとするクライブを慌てて制止すると、クライブは静かに首を横に振ってきて、私たちは向かい合わせで座った。
「ティアのおかげでだいぶ楽になった。ありがとう」
いつもとは違う優しい瞳を見つめられなくて、視線を落としてうつむいた。
すると左側に何かが迫ってきているのがわかり、それはゆっくりと頬に触れてきて。
じんわりと温かいそれがクライブの手だとわかるのに少し時間がかかってしまい、完全に逃げるタイミングを失ってしまった。
手のひらから伝わってくる温度と、頬の感触を確かめるように動いた親指とに、どくんと心臓が大きく跳ねて、鼓動の音がやけにうるさく聞こえてくる。
どうしよう、なんだかすごく……どきどきする。ああ、何かで気を紛らわせなきゃ。このままだと私、またおかしくなってしまう。
たとえば今日一日の反省とか……ええと、今日は何をしたっけ。ああもう! こんな状況で反省なんて、無理!
『アイツの手を握って、今度は無言のまま目を見つめ続ける。それだけでいい』
混乱を極めていると、突然グレイ様の言葉を思い出す。
グレイさまとの話に気をとられたせいか、少しだけ心も身体も冷静になっていく。
この調子で、今日のことを振り返って冷静になるんだ。
グレイ様が言っていた一つ目の『手を握る』はできた。そうすると、次は『見つめ続ける』よね。
恥ずかしさから顔までは上げられなくて、ちらりと視線だけ上げてクライブの瞳を見つめていく。
視線が重なって一瞬どきりとしたけれど、すぐにその色に魅入られてしまった。
いままでこうやって間近で見つめたことはなかったけれど、クライブの瞳ってすごく綺麗……
澄んだ深紅の瞳は燃え盛る炎のようにも、地平線に沈んでいく太陽のようにも、大粒のルビーのようにも見える。
じっと見惚れていると、だんだんクライブの黒目の部分が開かれていくのがわかり、なぜかまた胸がきゅっと苦しくなって全身の血が熱くなった。
だめだ、これは私が恥ずかしい。
顔を上気させたまま、逃げるように視線を下に落とした。
すると頬に触れていた手が、優しく撫でるように動いてあごの下へと回り、くいと私の顔を上げてくる。
見つめ合うクライブの瞳は、私を捕えて離さない。
いつもとは違う真剣でどこか熱のこもった目に一際強く心臓が跳ねた。
「あー、まずい」
ぐ、と唇を結び、顔を険しくさせたクライブはとたんに視線をそらしていく。
そういえばこの体勢、このあいだ夢で見たのとほとんど同じだ。夢では確かこのあと、キスを……
いや、ない! コイツに限ってそれはない! でも、じゃあ……なんで?
混乱する私にクライブは「いや、やめておこう」と、あごに添えていた手を離してきた。
「や、やめるって、何がですか」
「俺にその資格はない」
クライブはわけのわからないことを呟いて、大きく息を吸っていく。
「ティア。おかげで身体は楽になったから、もう部屋へ戻ったほうがいい。今日一日疲れただろう?」
何があったのか、もうさっきのような強い瞳ではなくなり、いつものクライブの表情へと戻っていた。
そういえばさっき、グレイ様から『親しい間柄でも裏を読め』と言われたのだった。
疲れただろうから部屋に帰ったほうがいい。これはたぶんこういうことかしら。
「私がいないほうが、ゆっくり休めそうですか」
その言葉にクライブはくすりと笑う。
「まぁそう、かもしれないな。それに、何よりこのままじゃティアの身が危ない」
「私の身、ですか。身体は強いほうなので、風邪もうつってはいないと思いますよ」
にこりと笑うとなぜかクライブは「今回はそうきたか」とわけのわからないことを言って、ひまわり畑の時のように楽しげに笑っていたのだった。




