第45話 女王陛下
王都への帰路、三日目の夕暮れ。
野営地の焚き火から少し離れた場所で、私はカイゼルと並んで座っていた。視線の先には、ユリウスの棺が安置されたテント。その前に、セレスティアが一人立っていた。
三日間、ずっとああして……。
王が崩御し、第一王子も亡くなった。幽閉されていたとて、セレスティアが女王となることは必然だった。毅然と振る舞い、指示を出し、皆を導いている。でも休憩の時間になると必ずユリウスの棺の前に立ち、じっと見つめているのだった。
「あいつのことは放っておけ」
「でも……」
「あれはセレスティアの戦いだ。俺たちがとやかく言うことじゃない」
カイゼルの瞳が遠くを見つめる。
私は立ち上がった。誰かが手を差し伸べないと、彼女は永遠に一人で苦しみ続ける気がしたから。
*
テントの中、松明の光がゆらめいている。
セレスティアは膝をついて座っていた。ゆっくりと振り返った彼女の顔には、驚きと警戒の色が見えた。
「……何の用?」
「様子を見に来ました」
「必要ないわ。私は大丈夫」
「そうは見えません」
セレスティアの肩が小さく震えた。
「なぜ……なぜ、あなたが私を気遣うの? 私はあなたに酷いことをした。あなたの能力を利用しようとした。そして……私のせいで、ユリウスは……」
彼女の声は震えていた。私はゆっくりと歩み寄り、彼女の隣に座った。
「誰も、あなたを許したりしない」
セレスティアが息を呑む。
「あなた自身があなたを許すのです」
はっきりと告げた。
「ユリウスは、あなたに生きてほしかったはずです。彼の夢見た国を、創るために。それが、あなたにできる唯一の償い」
セレスティアの瞳が大きく見開かれる。
「でも、私には……そんな資格は……」
「資格なんて誰が決めるんですか? ユリウスはあなたを信じた。だから聖剣が応えた。違いますか?」
私は彼女の手を取った。冷たくて震えていた。
「私も手伝います」
セレスティアが驚いたように私を見つめる。
「なぜ……?」
「ユリウスの遺志を、一緒に背負いたいから。憎しみじゃなくて、未来を選びたいから。それに……あなた一人じゃ、きっと無理でしょう?」
セレスティアの表情が崩れた。傲慢な仮面が剥がれ落ちた。
「私……私は……怖いの……ユリウスがいない世界が……一人ぼっちになるのが……」
子供のような声だった。
私は彼女を抱き寄せた。最初は身体が硬直していたが、やがて力が抜けていく。
堰を切ったように、嗚咽が漏れ始めた。
「ユリウス……ユリウス……! ごめんなさい……ごめんなさい……! 私が悪かった……全部、私のせい……!」
女王の涙ではなかった。兄を失った妹の、心からの慟哭だった。
*
一週間後、王宮の玉座の間。
純白のドレスに身を包んだセレスティアが、聖剣ソラリスを手に、ゆっくりと玉座へ向かって歩いていく。
彼女の瞳に、もう驕りはない。代わりに、重い責任を背負う覚悟と、ユリウスの遺志を継ぐ決意が宿っていた。
列席者の中には、各国の要人たちの姿があった。獣人族の族長イザベラ、精霊族の長老たち、そして人間の貴族たち。
大神官が進み出て、即位の儀式が始まった。
「セレスティア・ルミナス、汝は民と神に誓うか。この国を導き、全ての民を守ることを」
セレスティアは聖剣を掲げた。
「誓います」
その声は、凛として響いた。
*
即位の儀式が終わり、セレスティアは玉座に座った。
「我が最初の命として、新たな統治体制を宣言する」
玉座の間がざわめいた。セレスティアは立ち上がり、声を響かせた。
「本日より、各種族の代表者による『円卓評議会』を設立する。もはや、一つの種族、一つの思想が国を支配する時代は終わった。全ての声が等しく聞かれ、全ての民が等しく扱われる。それが、新しいエステリアの在り方である」
驚きの声が上がる中、セレスティアは続けた。
「精霊族代表として、カイゼル・ヴァルトハイム公爵。獣人族代表として、族長イザベラ・クリムゾン。そして人間改革派代表として、オリバー・ブランシュ博士。彼らと共に、新しい国を築いていく」
カイゼルが私の手を軽く握り、前に進み出た。イザベラも堂々とした足取りで歩み寄る。オリバーは緊張した面持ちながら、しっかりとした足取りで進んだ。
「共に、ユリウスが夢見た国を創ろう」
透き通る声で、カイゼルが宣言した。
*
その場で円卓が玉座の前に設置され、評議会の最初の議題が提示された。
たまゆら差別撤廃法について。
セレスティアの声が響く。
「これは、たまゆらの有無による、あらゆる差別を禁止する法律である。無響者も、半魂者も、全ての者が等しい権利を持つ。これは、新しい国の理念を示す、最も重要な法律だ」
イザベラが口を開いた。
「獣人族は賛成する。我らは元より、たまゆらに頼らぬ生き方を選んできた。全ての者が、自らの意志で人生を選べる。それこそが真の自由ぞ」
カイゼルも頷いた。
「精霊族も賛成だ。千年の対立と偏見を終わらせる時が来た」
オリバーが震える声で言った。
「人間の改革派も、全面的に支持します」
セレスティアは立ち上がった。
「では、採決を行う。賛成の者は」
全員が手を挙げた。満場一致だった。
「たまゆら差別撤廃法、ここに成立を宣言する!」
玉座の間に、万雷の拍手が響き渡った。
セレスティア、カイゼル、イザベラが王宮のバルコニーに姿を現した。私も後ろから付いていき、その光景を見守る。広場には無数の民衆が集まっていた。
セレスティアが声を張り上げた。
「民よ、聞け! 今日、新しい時代が始まった! もはや、たまゆらの有無で人の価値は決まらない! 種族の違いで差別されることもない! 全ての者が、自らの意志で生きられる国がここに誕生した!」
歓声が爆発的に湧き起こった。
たまゆらできずに苦しんできた者たち、種族の違いで迫害されてきた者たち、全ての者が涙を流しながら喜びの声を上げている。
カイゼルが私の隣に来て手を繋いだ。
「これが、俺たちの創る未来だ」
バルコニーから広場を見下ろすセレスティア。
そのすぐそばに一瞬、何かが見えた。
満足げに微笑む、ユリウスの幻影だった。
さすがに疲れているみたい。
新しい国が、今、産声を上げた。




